わたしと現代美術

これでも大学では一応美術科専攻でした。

美術を大学で学ぼうと思ったきっかけは、高校生のとき。
希望の高校に進学して、さぁ次は?と考えたときに、「このまま大学へ進学して 企業に入って、それで?」って思ったのです。 そのころは、まだ男女雇用機会均等法など制定されていなかったころ。 女性の総合職なども設けられていなかったのです。 「結局、大学へ行って企業にはいってという、いわゆる敷かれたレールにのっかって しまって、その先は何なのだろう?」という漠然とした疑問をもったのです。
「わたしのやりたい事って?」
「わたしって?」
という、現在もなお続く「アイデンティティー」について自問自答。

坂本龍一さんを尊敬し崇拝していた多感な10代。彼が語る「学生安保」についても興味を もったりしてその時代に関連する文献なども読みあさり。哲学書などにも関心が及んだのです。 坂本氏が東京芸大卒業(彼はもちろん音楽学部ですが、大学時代はよく美術学部の学生と 交流があったという話を耳にした)ということと、哲学的な思考。その一致点が、 美術科を専攻することだったのです。
広告業界が華やかな時代でもありました。糸井重里さんや林まりこさんなどの コピーライター全盛期。

そんなことで、高校2年生のときから突如として美術科志望にかわり、美大受験のための 教室にも通いはじめたのです。
わたしの親にしてみれば、もともとは理数系が得意なことと自分自身が幼少の頃に病弱であったために大学病院にお世話になり、 そこで出会った優しい女医さんに憧れて、医者になりたいと中学生のときに希望していたり、せっかくいわゆる「進学校」 に入学したのに、「なぜ美術を?」という疑問があったに違いないのですが、 わたしのこの進路希望については、反対しなかったのです。 ひとつの理由としては、もともと自主的に考え能動的に行動するような子どもに育ててくれて いたので私自身の意志を尊重してくれたのだと思います。 まぁ、わたしが一度決めるとテコでも動かないくらいの頑固なことを知っているからとも いえるのですが。

某芸術大学を受験するものの合格ラインに20点ほど足りず、不合格。 そのころ国公立はA日程、B日程と2つの大学に願書がだせたので、すべり止めのつもりで 受験した某教育大学に入学したのです。
洋画を専攻して、アブストラクト・エクスプレッショニズム もどきのような絵を描いていました。
そのころのわたしは、なぜかとてもカリカリしていて現状打破しか考えていないような 日々を悶々と過ごしているようなかんじでした。焦燥感がつきまとう日々でもあったのです。 「このままでいいのか?」「このままではいけない」という気持ちが高まって、イギリスへ 旅立つことを決めた時でもあります。

イギリスへ1年遊学して、大学を卒業してからは、現代美術を取り扱う画廊で 3年勤めて退職して、その後、全く別の業種に就職しても、現代美術を 見てまわることをこよなく愛しているのです。
現代美術を展示しているお気に入りの美術館で心地よい時間を過ごすことが 好きなのだと思います。

好きな作家はプロフィールにもかいたとおり。特に、マーク・ロスコは大好きです。

最近行った美術展の感想なども不定期に更新したいと思います。