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王の剣士 番外 「バインド」


 森は穏やかな陽の光の中に沈んでいた。
 鳥の囀りや、小動物の枝葉を駆け抜ける音、吹き抜ける風に枝を揺らす木々の騒めきが、森の息吹を伝える。
 密やかな、濃密な生命の気配。
 森を縫うように続く細い道を、バインドはゆっくりと歩いた。
 右腕が痛む。じりじりと焦げる。
 骨が軋み、肉が捻れる。
 その痛みに身を浸すように意識を傾ける。
 何を囁いている?
 既に無い亡霊が。
 何の意味も在りはしない。あの鳥達よりも無力な囀りだ。
 だが、剣が無ければ、自分の生など更に意味はない。
 バインドは薄い笑みを刷いた。
 ふいに、その身体が弾かれたようによろめいた。
 傍らの木の幹に背中を預け、バインドは何が起ったか理解しないまま、自分の腕を眺めた。
 左腕を。
 そこから振動が膨れ上がり、その衝撃に再びバインドは弾き飛ばされた。
 積もった落ち葉の中に転がる。
「っ」
 眼が、見開かれる。
 みしり。
 左腕の骨が鳴った。
「ぐ……あ」
 みしり。
 苦鳴を上げる為に開かれた口は喉の奥を鳴らすばかりで、呼吸さえ吐き出さない。
 身体の下に押さえ込んだ左腕が跳ねる。
 みし。
 骨が、砕けた。
 肉に突き刺さり、皮膚を破る。
 慌てて左腕に眼を遣る。
 違う。砕けてはいない。
 苦痛の余りの錯覚だ。
 だが、骨を揺すり、溶かし、形造ろうとしているもの、が。
 肉を、神経を焼いていく。
 倒れ込んだ身体と土の間から焔が洩れ出す。
 土を舐めていた焔が腕を、背中を、脚を包む。バインドの身体が下生えと土の上を転げ回る。
 押し殺されていた苦鳴が、堰を切ったように溢れ、森の中に響いた。
 砕け捻れ溶け引き裂かれ、――形成される。
 溢れ出した焔が、周囲の木々を焼き始め、辺りが瞬く間に紅く燃え上がった。
 苦鳴が、ふいに止んだ。
 暫くの間、火のはぜる音と、バインドの荒い息遣いだけが辺りに満ちていた。
 やがて、俯せた喉の奥から擦れた笑い声が沸き上がった。
 それは次第に大きくなり、炎を圧し、狂気を孕んだ哄笑に変わる。
 ふらりと身を起こし、バインドは炎の海の中に立ち上がった。
 細められた眼が、左腕に落とされる。
「ク……クク」
 左腕から、焔が滴り落ちた。
 それは肉から盛り上がった骨を伝い、研ぎ澄まされた刃を伝い、足元の地面に散る。
 かつてバインドの右腕にあった、炎を纏う長剣――。
 左腕から生えるそれを、バインドは一息に振るった。
 衝撃が走り、木々を薙ぎ倒し、燃え盛る炎を掻き消した。



 眼を閉じ、剣の感覚を確かめる。
 全てが明瞭に、手に取るように感じられる。
 小さな生き物達が蠢く様、獣の押し殺した足音と息遣い。川面を渡る風の騒めき。
 全てが、明瞭だ。
 たった一つを除いて。
 それを聞き分けようとするかのように、バインドは眼を閉じたまま自分の感覚を探った。
 何を探しているのか、自分すら理解していないままに、もはや聞こえるはずもないそれを追う。
 樹の陰、川べり、森の小道。
 剣が静かに明滅を繰り返す。
 自分を呼び起こしたそれを追う。


 一度だけ、剣は大きく炎を巻き上げ、そしてバインドの中に消えた。



 ――剣は守るものも選ぶ。



 だがバインドがそれを理解する事はないだろう。
 そして、理解するには既に遅い。



 バインドは閉じていた眼を開けた。
 既にその先に見ているのは、ただ一つの戦いのみだ。
 未だ姿も見ず、名も知らず、生きているかどうかすら定かではないその相手が、何の疑いようもなく、いずれ自分の前に現れると、バインドはそう確信していた。
 あの青い光。そこに見た力の片鱗――炎などでは死ぬまい。
 自分の剣でしか、死ぬのは認めない。
 あの剣士と剣を合わせ、切り裂いた時、それが自分にとって、最大の存在意義になるだろう。
 冥い瞳に狂気にも似た光を宿し、バインドは笑った。




(了)


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