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王の剣士 番外二 「暁を渡る」


 近衛師団第一大隊に配属されたのは、師団の入隊試験を首席で通ってすぐの事だった。
 通常であれば一兵卒から始める所を、首席というその成績と、おそらくはもう一つの理由で、下士官、いわゆる「幹部候補」の地位が与えられた。
 もう一つの理由――俺の「家」だ。どこにでも、影のように付いて回る。
 俺が配属された最初の部隊は、左軍第一小隊だった。
 正式名称を、近衛師団第一大隊中隊左軍第一小隊という。
 各大隊はその中で三つの左・中・右軍各中隊と、中隊の中で更に五十人単位の十の小隊とで編成される。小隊は二隊を一組として、少将が指揮を取る。そしてもう一つ、大将の直轄で戦略・戦術を提議する機関である参謀部があった。一大隊の兵数はおよそ千五百名。近衛師団全隊の規模は四千五百名と、さほど大きいものではない。
 だが、王を守護する役割を担っているだけに、それを構成する兵は家柄に拘らず、剣技において優秀な者が多く揃えられていた。
 幹部候補と云えど、配属当初は一般の兵と共に訓練を行う。
 まずは小隊で数ヶ月訓練を受けて過ごし、個々の能力や傾向を見た後、中隊の指揮系統に進む。一旦准将として隊を率いた後は、能力のある者はそのまま士官として出世し、運と実力さえあれば近衛師団総将に登り詰める事も、可能だ。
 運と実力。近衛師団は特にその傾向が強いと、俺は認識していた。
 現在の近衛師団総将は高い家柄の出身ではない。特に、俺の配属された第一大隊の大将は王都の出身ですらなく、師団に入隊後僅か数年で身を起したというのは有名な話だ。さすがにその例は稀で、それには相応の理由がある。
 ともかく、俺にはその傾向こそが、近衛師団を選んだ理由の一つでもあった。



 配属されたその日に、第一大隊の大将に面会を許された。
 大隊の副将に伴われて訪れた部屋は、けれどもぬけの殻で、副将の慌てたような表情が少しばかり面白かった。だが、少々拍子抜けした事も事実だ。もっと粛々と、儀式張った面会があるものと思っていたからだ。
 第一大隊大将の名はレオアリス。その頃から既に最高位と呼び慣わされる程の剣士だったが、その姿を眼にした事はまだ一度も無かった。「剣士」とは呼称ではなく、一つの種族の名だ。
 剣士とは自らの体の一部、多くは腕などを剣として戦う者の事を指し、その者の持っている力が、そのまま剣の力として発せられる。有する戦闘能力は大きく、剣士一人で百の兵を抑えるとも言われる。種としての個数が少なく、稀な存在でもある。
 上官など誰でも良かったが、どんな男なのだろうと、やはり純粋に興味はあった。いない事に肩透かしを食わされた気分になったのは確かだ。
 副将は剛直な表情の上に僅かに動揺の色を浮かべ、今日の面会の中止を告げると、大将を探すためにだろう、慌しく去った。
 あっけに取られてその後姿を見送り、仕方なく、俺はもと来た回廊を戻る事にした。だが、この後の予定をまだ聞いていない。確か演習があったはずだが、どこで行われていて、どう行けばいいのか。何ともまあ悠長な組織だ。
 いくらか逡巡した後、結局副将の戻りを待つべきだろうと思い直した。しかし執務室内で待つ訳にもいかず、かと言って扉の前でただ待つというのも気が進まない。待つ間の居場所を探す為に士官棟の中庭を見渡すと、庭の一角の棟と棟との隙間に、蔦の絡まった木戸があるのに気が付いた。
 何とはなしに足を向け、扉を潜って垂れ下がる蔦を掻き分けるように小路を進むと、裏庭らしき場所に出る。手入れの施されていない、忘れられたような庭だ。元は小さいながらも整えられていたのだろうが、植え込みの緑もその間の芝を敷いた小路も荒れるに任せて放られている。
 二、三歩建物の壁沿いに歩きかけたところで、その小さな庭の中央で、誰かが芝の上に寝転がっているのが目に入った。
 陽の降り注ぐそこで、さも気持ち良さそうに眠っている。
 隊の誰かが任務を抜け出し眠っているのかとも思ったが、見れば士官服を身に纏い、それなりの地位が伺えた。俺の足元で草の踏みしだかれる微かな音に、男はふっと眼を開いた。
 上半身だけ起こして俺を見たのは、俺よりも年は下で、まだ少年の域を抜け切っていない外見をしていた。よくて十五・六といったところだ。新兵程の年齢でありながら士官服を身に纏っている事に軽い驚きを覚えた。
 俺に向けられた瞳は、その髪の色と同じ漆黒。若い声が耳を打つ。
「こんなところで何をやってる。迷ったか?」
 芝の上に胡坐をかいて座り直し、眠そうに問うその態度に多少の不服を感じながらも、第一大隊の大将に面会に来たがいなかったのだ、と告げると、僅かに驚いたような顔をした後、可笑しそうに笑った。
 立ち上がり、伸びをしながら俺を手招く。見方によれば、かなり横柄な態度だ。気乗りのしないままに傍へ寄ると、その意識が顔に出ていたのだろう、そいつは大して悪いとも思っていない口調で、悪かったな、と一言告げた。
 次に続いた言葉は、すぐには頭に入って来なかった。
「来るのは知ってたんだが。ちょっと天気が良かったからな。言っとくけど、すぐ戻るつもりだったんだぜ」
 俺が不審を面に出したのに気付き、一旦自分の姿を確認するように見回してから、右手を差し出した。
「レオアリスだ。今日からお前の上官になる」
 屈託のないその態度に、状況を理解しきれないまま差し出しされた手を握った。身長は俺よりも頭半分ほど低い。とは云え、俺は六尺程の身長であり相手がそれほど小柄な訳ではなかったが、それでも視線を下に向ける事でより一層相手の子供っぽい印象が強まった。
「……は?」
 上官……? ―――『レオアリス』。
 思わず不躾に見返すと、そいつも俺をじっと見つめ、再び、今度は声を上げて笑いだした。
「……何か」
「あー、悪ぃ。剣技も兵法も首席で通過したっていうから、もっとごつい奴かと思ってたんでな。ずいぶん優男で驚いた。けど、だいぶ性格も悪そうだし、中々肝が座ってそうだ」
 初対面で随分な――と言うより、それは俺の言うべき言葉ではないだろうか。
 『最高位の剣士』―――レオアリス。
 それこそもっと、先程の副将のような屈強な大男かと思っていたが、目の前のそいつは、確かに鍛えられた体格をしていたものの、その言葉から想像するには細すぎる印象があり、愉しげに笑う姿はいっそかわいらしくすらあった。
「戸惑ってるな。まあ、初めて会った奴は大抵そうだ。気にするな」
 軽快な口調でそう言って歩き出し、俺が動かないのを見て振り返る。
「どうした? 今日一隊は南の演習場で訓練中のはずだが」
 どうしたも何も、まだ指示すら受けていなかったのだから判るはずがない。けれども自分のせいだとは一切気付いていない顔で、レオアリスは歩き出した俺を見上げた。再び、喉の奥で可笑しそうに笑う。
「噂は聞いてる。何でも卒なくこなす、つまらなそうな顔をした奴だってさ」
 的を射た評価だとは思うが、当たっているだけにあまり面白くはない。
 小路を抜け、扉から回廊に出たところで、端からレオアリスの姿を認めた副将が声を上げて大股に歩み寄ってきた。
「あー。あの場所は言うなよ。ばれたら俺の昼寝場所がなくなる」
 副将が傍に来る前に、レオアリスは俺に向かって声を潜める。まるっきり、一軍を預かる将という雰囲気ではない。
「どちらにいらっしゃったのです!本日は幹部候補の面会があると、朝申し上げた筈です」
 恨めしそうな顔を見せる副将に、レオアリスは悪びれもせず、ひらひらと片手を振った。
 そうして並ぶと、副将の方が遥かに体格が良く年齢も上で、押し出しもいい。どちらが大将か、初めて見る者は大抵は間違えるだろう。
「悪い悪い。ま、ちょっと色々と……」
 昼寝をしたくて、とはさすがに口に出しはしなかった。もっとも朝っぱらから寝るそれを昼寝と言うのかは判らない。
「全く。どうせどこかで寝ていらしたのでしょうが……」
 そこで漸く副将は俺に気付き、具合の悪そうな表情を浮かべた。
「ヴェルナー一等官、ここにいたのか。将、彼が面会の」
「ああ、自己紹介は済んだ……よな?」
 確認するように後ろに立っていた俺を見上げる。自己紹介というより、先刻は自分だけ話して勝手に納得しただけだ。俺の言葉など一つも聞いてはいない。
「お……私のご挨拶が済んでおりませんが」
「そうだっけ」
 大して興味も持たれていないのだろう。釈然としないまま、改めて頭を下げる。
「ロットバルト・アレス・ヴェルナーと申します。本日付けで中隊左軍第一小隊に配属されました。以後よろしくお願い申し上げます」
「さっきと変わらねぇけどなぁ。ま、いいや、期待してるとこだ。頑張れよ」
 何を期待しているのか、さっぱり判らない口調ながら軽やかにそう言うと、レオアリスは俺に背を向けてさっさと歩きだした。
「ヴェルナー一等官。この後は左軍の演習に参加してもらう。すぐ南第二演習場へ向うように」
 副将は慌しく視線を俺に投げてから、レオアリスの後を追った。
 暫くその後姿を見送り、俺は漸く、南第二演習場とやらへ足を向けた。



 演習場に着いた時には、左軍の訓練は既に始まっていた。
 左軍中将は俺がレオアリスに面会する事を承知していたのだろう、特に遅れを咎める事なく、第一小隊の准将を呼ぶと、俺をそのまま託した。
 准将に伴われて隊まで歩く間、様々な視線が注がれる。
「ヴェルナー? 本当にあのヴェルナー家か」
「首席だってよ」
「学術院出だろ。そこでも首席だったって聞いたぜ」
「凄いな」
「実力だったら、だろ」
「あの顔、男か、あれ」
「けど何だってヴェルナーがわざわざ軍に入るんだ?」
 好き放題に囁き交わされる会話が、途切れ途切れながらも俺の所まで届く。
「確か、長子じゃないだろ、だからじゃないか」
「どっちにしろ、お遊びだろう。厭きたらすぐ辞めるさ」
 准将が咳払いをし睨むと、彼等は慌てて顔を伏せ、囁き声はさっと静まった。
 ただ、それは俺にしてみれば意外な反応と言う訳ではない。どこにいたところで同じような会話は常に交わされる。ここでもまた、少しは、いや、大部分は親の七光りと思われているのだろう。だがいかに幹部候補とはいえ、まだ入りたての兵が大将への面会を許されたのだ。それは軍の上層部も、父の存在を大きなものと捉えているという事だ。
 相手が勝手に俺の上に父の姿を見る事には慣れている。それをするなと言う方が無理な話だ。だが、王の直下である近衛師団ですら、その影に捉われるのかと、多少の失望は覚えた。
 そんな事を考えながら、ふと、先ほどのレオアリスの瞳を思い出す。
 あの眼の中に、父の影は無かった。
 家ではなく、俺自身について感想を言われるのも珍しい事だ。まあ碌な評価ではなかったが。
 前を歩く准将が振り返り、少し怪訝そうな顔をする。
「どうかしましたか」
「いえ。何故です?」
「笑っていたので」
 笑っていただろうか。
「……あまり、気分のいいものではないでしょう」
 まだ途切れる事無く続いている視線を見返し、准将は先を思いやるように重く息を吐いた。
「ご心配なく、問題は起しませんよ」
「いや、そういう事では」
「それより、私は新兵ですし、階級も貴方より下だ。そのような言葉遣いをされる必要はありません」
 准将は気まずそうに俺を見返して何か口を開きかけたが、再び咳払いをして歩き出した。
 自分の隊に加わと、すぐに准将から訓練の説明がなされた。
 剣、組み手、騎乗戦、布陣演習。剣の型から複数単位、軍としての動きなど、一日の内に多岐に渡った訓練が行われている。
 意外だったのは、想定していたよりも手合わせをした感触が薄かった事だ。目上の兵と組んでも、さほど手応えがない。精鋭と言われる近衛師団の兵がこの程度なのかと、再び軽い失望を感じはしたが、その事を重んじて師団を選んだ訳でもない。
 その日の終わりには、相手に合わせる事を選んだ。敢えて負けて見せる事すらあった。首席という事に相手もそれなりの想定をしていたのだろう、怪訝な顔をする者もいたが、ただでさえ「家」の大層な看板を背負っている身としては、それなりに埋没した方が面倒事は少なくて済む。
 必要なのは彼等の関心ではなく、どちらかと言えば無関心の方だ。
 ただ近衛師団という組織にある事、俺にとってはそれが当初からの目的だった。





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