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王の剣士 番外二 「暁を渡る」


 入隊して半月ほど経った頃、小隊の訓練中にふらりとレオアリスが姿をみせた。俺にとっては初めての事だったが、やはり小隊の訓練を大将が視察するのは月に一度程度の事らしく、隊士達の顔には緊張と、喜色が浮かんでいた。俺と剣を合わせていた隊士の剣も、にわかに鋭くなる。
 レオアリスは訓練をぐるりと見て回り、時折声を声を掛けては、剣の持ち方や踏み込みなどを直す。その助言は傍目で見ていても的確なものだ。
 やがて俺の前まで来ると、暫く手合わせを眺めていたが、僅かだがその眼が細められた。
 手を抜いているのが見抜かれたかと、内心身が竦んだが、すぐにその眼は何も言わずに逸らされた。手合わせを続ける俺の横を、無言のまますり抜ける。
 微かな苛立ちを覚えた。
 俺が手を抜いていると、気付かなかった事に苛立ったのか。
 いや、違う。気付いていたはずだ。気付いていながら、興味を失ったように逸らされた瞳。
 その後レオアリスの視線が俺に向けられる事はなく、やがて副将と共にその場を去った。



 問題を起こしたのは、その日の夕方だった。
 訓練を終え、宿舎の自室に引き上げる為に第一層の通りを歩く。
 昼間の件が、まだ少し引っ掛かっていた。
 興味を失ったように逸らされたあの瞳に、後悔にも似た思いが浮かぶ。
 あの場で手筋を変えるべきだっただろうか。ただそうしたところで本来の目的が変わる訳でもない。
 ここに居る事だけが近衛師団を選んだ目的だ。問題無く居ること、それだけでいい。
 そんな事に考えを巡らせていた時だった。
「今年の試験はずいぶん甘かったんだなぁ。あの程度で一等官か。だったら俺はいきなり少将になれる」
 夕闇が落ち掛かり、通りには人影は疎らだったが、視線を巡らせると通り沿いの建物の壁際に数人の兵が屯しているのが見えた。
「甘いも何も、試験なんて無かったんじゃないのか? 特別だろ」
 笑い声が上がる。
 苛立ちを覚えない訳ではなかったが、それはこれまで幾度もあった反応とあまり変わりはない。
 いつものように無視して通り過ぎればいいと、そう思っていたはずが、何故か足を止めた。おそらく俺自身苛立っていた為だ。
 振り返ると、俺が立ち止まるのを予想していなかったのか、彼等は少し躊躇いを見せ、それから取り繕うように刺を含んだ視線を取り戻した。それに僅かな違和感を覚える。
「……何だ? 俺達に何か用か? 一等官殿」
 人数は五人。同じ小隊の者もいれば、見た事の無い顔もあった。一人は先日の少将との手合わせの後、何か言い掛けていた隊士で、もう一人は先程レオアリスが見ていた時の相手だ。
 胃の辺りが僅かに熱を帯びる。
「――用があるのはお前等だろう。言いたい事があるなら聞いてやる。言ってみろ」
 必要以上に挑発的な言い方だっただろう。失敗したと、チラリと思った。
 行動と意思が矛盾している。
 問題なく。たった今まで考えていた事だ。
 彼等は束の間驚いたように顔を見合せたが、無理矢理笑いを浮かべる。先程感じたのと同じ違和感が浮かび、今度は漠然とその理由が判った。
 無理に憤ろうとしているように見えるからだ。
 壁に寄りかかっていた二人程が俺に向き直る。
「聞いてやる、だとよ。さすが、いい家柄のお坊ちゃんは言う事が違うね」
「お偉いお父上に、いつもそう教えられているんだろう」
 再び笑い声が上がり、薄暗い通りに散った。
 違和感の理由は判ったが、どちらにしろ不可解なものだ。敢えて不愉快な状況を作る理由が判らない。
 無意味なものに、何故意味を持たせようとする?
 自分達が眼にしているものが単なる虚像だと、そう気付けば苛立つ必要もない。
 憤るほどの価値があるとは思えない。
 溜息をつくと、彼等は更に身を乗り出した。
「親の七光り野郎が、すかしてんじゃねぇよ! あの程度の剣の腕で、幹部候補だと? 笑わせるぜ」
「家柄がよけりゃ何でも可能だ。親父の力を勘違いしてんじゃないのか?」
「――良く、判ってるじゃないか」
 だから俺など気にも止めなければいいと、そう言おうかとも思ったが、さすがにそこまでの義理はない。
 そのまま踵を返すと、一瞬の沈黙の後、足音と共に追いかけてきた彼等が周囲を囲んだ。
「この野郎、何様のつもりだ! 俺達を舐めてんのか!? くだらねぇって見下してんだろう!」
 最初は無理に理由を作ろうと見えていたものが、今の彼等の上には本気で憤っている色があった。
「……そう思いたいだけだろう」
「それが舐めてるってんだ!」
「ここはてめぇみてえなお坊ちゃんの来るところじゃねぇんだよ! お父上のお屋敷でおとなしくしてやがれ!」
 主張するところが完全に違う。歩み寄れない問題だ。
 ただ、この場を事無く収めるには、俺が別の態度を見せるべきだったのかもしれないが、正直に言えば正当性もなく納得もしていない事に頭を下げられる程、俺も人が出来てはいない。結局、無視して通り過ぎるべきだったということだ。――余計な事は言わずに。
 後から考えれば、この時の俺の態度はかなり矛盾していが、この時点で苛立ちが募っていたのは確かだ。
「――俺がどう言えば納得するんだ?」
「何だとぉ?!」
「元々納得する気も無い相手に、欲しい答えを言ってやる気はないな」
「――この……っ」
 突然振り上げられた拳を、一歩下がって避ける。背中に衝撃を感じ、俺は体勢を崩して地面に倒れ込んだ。
 後ろから蹴られたのだと気付く。再び笑い声が上がった。
「今日の訓練、上将も呆れて、お前に声もかけなかったじゃねぇか」
 逸らされた視線が、再び過った。
 苛立ちが一瞬で膨れ上がる。
 服に付いた土を払って立ち上がる。さすがにこの状況で、無視して通り過ぎる気にはならなかった。
 どうあっても喧嘩を買わせたいなら、買ってやる。
 問題なく?
 どうでもいい。
「……お前達が何を俺に求めているのか知らないが、そんなものはどうでもいい。相手をするだけ、無駄だからな」
 彼等は一瞬、凍りついたように静まり返り、それから顔に血を昇らせて一斉に殴りかかってきた。
 避けて下がったところへ後方から攻撃を加えるという戦法なら、ただ前に出ればいい。
 正面の兵の懐に踏み込み、鳩尾に拳を叩き込む。咽付いて、男はその場に倒れ込んだ。そのまま空いた一角で身体の位置を入れ替え、すぐ右側の男の脇腹に膝蹴りを入れる。輪は完全に崩れた。
「貴様っ」
 打ち掛かってきた拳を左手で受け、そのまま後ろに流す。その力を乗せ、顎へ右拳を打ち下ろした。
 三人が倒れたのを見て、残りの二人が怯えたように攻撃の手を止める。構わず手前の奴の髪を掴み、引き下ろして膝を叩きつけようとした時、鋭い声が飛んだ。
「やめんか!」
 膝が頭を打つ寸前で止まる。背後を振り返り、苛立ちは急速に冷めた。副将と左軍中将、そして少し離れた所に、レオアリスが呆れたような色を、その顔に浮かべて立っていた。
 すぐこの先が士官棟だった事を、今更ながらに思い出した。
「いかなる理由があろうと、隊内での私闘は禁じられている。隊規を忘れたか!」
 中将が厳しい詰問の声を上げる。俺を取り囲んだ二人は、慌てて平伏した。俺も仕方なく、その場に片膝を付く。
 レオアリスは倒れている一人に近寄ると、しゃがみこみ、その顔を覗き込んだ。
「あーあー、こんなにしちまって。骨がいかれてる、法術士を呼んでやらないと。当分眼を覚まさないぞ」
 上げられた視線と眼が合った。その瞳には、どこか面白がっているような光がある。
 だが、やはり俺に対して何を言う訳でもなく、立ち上がるとそのまま背を向けた。



 その夜、俺は所属准将の呼び出しを受けた。せいぜい呼ばれたとしても中将止まりだろうと考えていた為、指示された先がレオアリスの執務室だった事に驚きを覚えた。
 重い扉が開かれ、再びその部屋に通される。先日はもぬけの殻だった部屋には、副将、左軍中将、第一・二小隊を纏める少将が並び、一斉に俺に視線を向けた。レオアリスは窓際に置かれた黒檀の執務机の向こうに座り、面倒くさそうな表情で机に付いた左腕に頭を預けている。
 諍いの相手は二名だけが既にその場にいて、彼らの前に膝を付いていた。。
 正面に向き直ると左腕を胸に充て敬礼し、片膝を付いた。
「第一小隊ヴェルナー、招命により只今参上いたしました」
 一番手前に立っていた少将が神経質そうな顔を俺に向ける。数日前の事を思い出し内心溜息をついたところに、案の定、棘を含んだ声が掛かる。
「なぜ呼ばれたか、解っているな」
 ばかばかしい。大体、一回揉め事を起こした程度でこれほど幹部が顔を揃えるなど、時間と労力の無駄が過ぎるというものだ。
「夕刻の諍いの件でしょうか」
 一応そう答えると、少将は苛立ったように声音を上げた。
「それ以外に何がある」
 俺としては、だったら聞くなと言いたい所だ。
「……残念ながら、思い当たりませんね」
 そう嘯くと、少将は顔を引き攣らせた。執務室の中に、俺の無礼な態度に呆れ返ったような空気が流れる。これは課される懲罰も格上げされただろう、と他人事のように思った。
 だがレオアリスだけは、頬杖を付いていた手を口元にやり、僅かに俯いた。笑っているのだ。目ざとく気付いた副将が声に咎める響きを滲ませる。
「上将。お笑いになっている場合ではありません」
「ああ、悪い。続けろよ」
 無理やり笑いを引っ込めて、レオアリスは手を払うように振った。
 少将は決まり悪そうに咳払いをし、再び俺に向き直った。
「お前が叩きのめした三名は、かなりの重態だ。悪くすれば数ヶ月は通常復帰は叶わない事もあり得る」
「……あの程度でですか?」
 今度は少将の気持ちを逆なでするつもりはなかった。本心から驚いたのだ。大して殴ったつもりはない。ただ長引くと面倒になる、手っ取り早く急所に入れただけだ。多数を相手にする場合はそれが定石だろうし、小隊の訓練に於いても常にそう指導しているはずだ。
 だが、少将の声は更に甲高さを増した。
「自分が何をしたか、解っていないようだな!お前が大怪我をさせた者も、ここにいる者達も、お前から手を出したと証言している」
 思わず、口がぽかんと開いてしまった。
 俺から、手を出したと……?
 横の二人に視線を向けると、彼等は気まずそうに顔を俯けた。
「聞けば、訓練中に剣で負けた事への腹いせというではないか。そのような事で……」
 少将の甲高い声はまだ続いているが、俺は怒りよりも落胆すら覚えていた。もし俺から手を出したのが事実でも、一方の意見だけを聞いて責め立てるのはあまりにも稚拙なやり方だ。
 これが近衛師団のやり方だとでも言うつもりだろうか。他の将校達は何も言わないが、これが小隊を束ねる将というのならたかが知れている。
「お前のお父上がおられるからこそ、そうして平然とした顔をしていられるのだろうが」
 その言葉に、俺は顔を上げた。相当険しい表情を浮かべたのだろう、俺の顔を見て少将は怯んだように言葉を切った。
「な、なんだ、その眼は……上官に対して……」
「貴方が不本意にも上官なのは十分理解している。尤もこの場に父は関係ない事は、貴方には解らないようだがな」
 眼の縁を怒りに紅く染め、少将は数度口をぱくぱくと開け閉めした。
「き、貴様、」
 思うように言葉にならないまま、俺に一歩詰め寄った時、ふいに明るい声が落ちた。
「本当なのか」
 少将の怒りなど、全く知らないというかのような声だった。執務室内の視線が声の主に注がれる。レオアリスは左手に預けていた顔を上げ、視線を俺に向けていた。
 何に対して聞かれたのか瞬時には判らず、ただレオアリスの顔を眺めると、俺の戸惑った様子を見て取り、レオアリスは軽く苦笑を浮かべた。
「聞き方が悪かったな。……お前から手を出したのは本当なのかと、そう聞いたんだ」
「俺……、いえ、私は―――」
 レオアリスの表情に、毒気を抜かれたように苛立ちが消え、俺は思わず口ごもった。
「上将、証言では……」
 慌てて言い募る少将の姿に、面倒そうに黒い瞳を細める。
「それはこいつらの言い分だろう。だから俺はこいつに聞いてるんだ」
「しかし――」
 厳しい瞳を向けられ、少将はさっと青ざめ拳を握り締めて床を睨みつけた。その姿に呆れの交ざった視線を投げ、今度は副将が俺に向き直る。
「上将に返答せよ。直答を許す」
「――確かに、口論にはなりましたが、手を出したのは私からではありません」
 それだけ言って口を閉ざすと、レオアリスは暫くの間黙ったまま俺の眼を見つめていたが、やがてこの件はこれで終わりだというように、椅子の背を軋ませて寄りかかった。
「だそうだ。後は任せる」
「上将、しかし」
 レオアリスはまだ言い募ろうとする少将を眺めて、大きく溜息を吐いた。
「俺の見解を言わせて貰えば、こいつが自分から手を出すとは思えない」
 訝しげに向けられる顔をぐるりと見回し、最後に俺に視線を向けた。瞳に浮かんだ色に、何かの表情は読み取れない。
「わざと負けるような奴が、負けた事で相手を恨む訳がないからな」
「は?」
 副将が理解しかねた顔で、レオアリスの顔を見つめる。
「上将、それは……」
「言ったとおりの意味だ。もういいだろう。下がらせろ」
 面倒くさそうにそう言うと、俺から視線を外した。
 その仕草に、俺は演習場でのレオアリスの瞳を思い出した。あの時、俺が手を抜いているのを見抜いていながら、何も言わなかった。
 まるで声を掛ける価値などないように。
 苛立ちが、再び俺の中に生まれる。
 自分でも意識しないままに、言葉が口を付いて出た。
「何故、何も言わないんです」
 レオアリスが書類に落としていた視線を上げる。
「……何だって?」
「手を抜いていた事について、何故何も言わないのかと、お聞きしているんです」
「ヴェルナー一等官!上将に対して無礼だろう。もう良い、退出せよ」
 腕を掴もうとした中将の手を振り払い、俺はレオアリスに視線を向けた。
 レオアリスは僅かにその眼を見開いて驚いたような表情を浮かべていたが、やがて溜息と共に手にしていた書類を机の上に投げた。
「……俺があの場で何か言えば、お前は手を抜くのを止めたのか?」
 そう問われて口ごもる。
 多分、そうではない。指摘されたとしても、俺はやり方を変えなかっただろう。逆に手を抜いてなどいないと、言い返していたに違いない。
 黙り込んだ俺を見て、呆れた表情を浮かべる。
「分からない奴だな。一体何がしたいんだ」
 何がしたいのか。
 改めて問われれば、その問いに返せる明確な答えなどなかった。ただ、レオアリスのあの表情に苛立ちを感じたのだと、そんな曖昧な答えを返せるはずもない。
 レオアリスは再び、呆れたように溜息を吐いた。
「お前がどんな理由で手を抜いているのかは知らん。それはお前自身の問題だ。聞く必要もないな」
 そう言うと、再び書類に視線を落とし、今度は顔を上げなかった。



 俺と他の二名は、それぞれ三日間の謹慎を言い渡された。それ以上口を開く事は許されず、俺達は退出した。
 宿舎の自室に戻ると、狭い室内の寝台に寝転がり、足を投げ出す。
 眼を閉じてみても、レオアリスのあの時の瞳の色が繰り返し脳裏を過ぎる。
 興味を失って逸らされる瞳。
 ただそれだけの事が、何故だか、耐え難かった。





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