三
隊士には王城の第一層内に宿舎が割り当てられ、そこに入るのが原則となる。家を慮ってか他の兵達との関係を考えてか、無理に入る必要はないと入隊時に副将から告げられたが、俺にとっては宿舎にある方が有難かった。
呆れる程手狭な部屋ではあったが、幸い宿舎は皆個室で、慣れればそれなりに落ち着ける。父がそれに納得するはずは無く、一度となく使者を遣したが、それは訓練を理由に追い返した。
尤も、ただ言い訳にしただけでもない。訓練は早朝から始まり、日中を通し、夕刻に終了する。悠長に抜け出す暇などないのは事実でもあった。
小隊の役割は戦術を組み上げるというより、与えられた役割を完璧にこなす事に重点が置かれていた。全体の連携はもちろん必須条件ではあったが、それよりも置かれた状況のその場その場で、上が組んだ戦術の中で動き、かつ自軍を有利に導くために、個々が対応していく。訓練に於いてもそれは変わりない。
俺が好んで身に付けていた剣技は他者と剣筋が異なる。鞘の内で剣を走らせ、その速度を剣に乗せる。一瞬にして相手を切り裂く、その鮮烈さが気に入って身に付けたものだった。
ここでは必要ないと分かっていたが、一度だけ、そうやって剣を抜いた事があった。第一・二小隊を束ねる少将との手合わせの時だ。
訓練では時折、模範の手合わせを隊士達が揃って眺める、見練が行われる。基本的には小隊を纏める准将と経験豊富な隊士などが努めるが、その日は一隊と二隊、二つの小隊の少将が剣を持った。
「今日の見練はオルソンかよ」
「めんどくせぇ」
「負ければ負けたで煩いし、下手に勝ちでもしたら後が厄介だしなぁ」
演習場の中央に立つ少将を前に、隊士達の押し殺した囁きがあちこちで洩れていた。
少将は小柄な、少し神経質そうな男だ。気に入った部下とそうではない部下への態度の差が明白で、隊内からの信望はいいとは言い難い。准将の方が信頼は厚く、次の人事で二人の立場がどう変わるかは、隊士達のもっぱらの感心事のようだった。
「ヴェルナー一等官、貴方はどう思われます?」
ふいに隣から囁き声が掛けられ振り向くと、隊士の一人が頭を下げ口元を隠すように俺を見上げていた。良く少将の周囲で見かける男だ。
「……どう、とは?」
男は周囲を憚るように見回し、更に声を潜めた。
「次の人事です」
俺自身は少将の能力を知っている訳ではないが、少将の印象は他の隊士達とさほど違いは無かっただろう。初日から何かと声をかけてきては、明らかに背後の家を見ているのが判る伺うような表情を見せていた。それでいて声だけは居丈高で、正直話しかけられて有難い相手ではない。確か、学院の教授に似たような者がいたはずだ。
ともかく次の人事で兵達の言う通りの異動があれば、そうした隊士達の不満を汲み取る耳を上層部が持っている証であり、組織として健全な状態だと言える。
俺が答えないままでいるのを見て、男は素早く言葉を継いだ。
「……貴方がオルソン少将に口添えをされるかで、結果は随分変わるでしょう。どうか一言、」
「誰に?」
隣の男は少し困ったように曖昧な表情を浮かべている。
「それは、もちろん……」
「王にですか。それは難しいな。残念ながら私は職務上、王と直接接見を得られる立場にはない。一等官といってもその程度ですよ」
笑みを向けそう言うと、男は気まずそうにもう一度笑った。
「いえ、それは」
「それとも大将に、と言うのであれば比較的可能かも知れませんが、あの大将がそうした事を好むようには見えませんね。余計裏目に出るのでは?」
「いや、いやいや、ヴェルナー殿、」
男は周囲を見回し、それから更に言葉を継ごうとした時、准将の声が響いた。
「ヴェルナー一等官、前へ」
唐突に呼ばれて、俺は改めて正面に視線を向けた。少将が広場の中央に立ち、杖代わりに剣を身体の前に立てている。
「オルソン少将との手合わせだ。前へ出よ」
准将から二度目に呼ばわられ、漸く自分が指名されているのだと気が付いた。周囲が意外そうな響きを含んで騒めく。隣の男は満面に笑みを浮かべ、それを俺に向けて頷いてみせた。
「これは、良い機会ですな、ヴェルナー殿。オルソン少将はずっと貴方を買われておられる」
「……買うべきところが、私にありましたか」
「いやいや、」
男は何か言おうとしたが、周囲の隊士の目が向けられているのに気付いて口を閉ざした。訝るような視線が集中している。
相手がどうであれ、ここで見練の模範演習者に選ばれるという事は一種の評価であるらしい。大した技術も見せていない俺が選ばれるのは自分でも意外だったが、周囲の隊士達もそれは同様のようだ。
「ヴェルナーか、まあ……」
「大した腕じゃない」
「オルソンに気に入られてるんだろうよ」
「あの顔だしなぁ」
「ばぁか、まず家だろ。次の人事に有利だ」
囁き交わす声を咎めるように准将が咳払いをし、一旦は小さくなった。
「ヴェルナー一等官、どうした」
辞退すべきかとも考えたが、それも理由を付けるのが面倒くさい。剣を取り、隊列を抜けて中央に進み、少将の前方に立った。一礼し顔を上げると、少将は鷹揚に笑って頷いた。
「そう緊張する事はない。尤も首席の相手が私に勤まるか判らんが」
背後の隊列からいくつか失笑が洩れる。それで自らの優位を示せたと思ったのか、少将は一度は満足そうな笑みを浮かべたが、俺が黙ったままなのを見て不快そうに眉をひそめた。
准将の合図と共に剣を抜く。
さすがに少将の位を持つだけあって、剣筋に無駄が少なく、相応の使い手である事は伺えた。ただ手合わせだけで言えば、確かに一隊の准将の方が上を行くに違いない。
数合剣を合わせた後、俺は剣を鞘に収めた。
「何を……」
准将が制止の為に手を上げるのに構わず、少将が剣を振り切った瞬間に合わせて、鞘に収めた剣を放った。
もともと殺す事が目的な訳ではなく、小隊で支給された剣は諸刃で抜き打つには向かない。それだけに全く速度も出ず、首を撃つ手前で剣は止めたが、周囲は一瞬息を飲み一斉にどよめいた。
どよめきはそれ自体がまずい事のようにさっと静まった。だがそこに含まれたものを感じ取ったのも相まって、少将は束の間呼吸を失って顔を強ばらせた後、咄嗟には言葉が出て来ない程の剣幕で怒鳴り出した。
確かに不遜ではあるだろう。だがそれなりの機会だ。この剣で実際にどこまで使い物になるのか知っておきたかった。
その場で侘びて剣を収めると、少将は途端に気まずそうな色を浮かべた。今後注意するようにと曖昧に口の中で呟いて、素早く背を向けその場を離れる。様子を見ていた准将は、額に汗を浮かべ、俺と去っていく少将とを交合に眺めた。
「今のは、少しまずいだろう。オルソン少将は、ああした事を気にされる方なのだ」
「……機会を見て、もう一度お詫びしますよ」
「それがいい。……剣の方も……多分君が幼少から学んできたものだとは思うが」
少し気を回しすぎだろうとは思ったが、軋轢を受けるのはこの男だ。
「ご安心を。まあ、この支給された剣では使いようも無いものです。今後改めましょう」
「ならいいが……」
まだ訓練に関わらず、思い思いに言葉を交わしている隊列へ戻る。
浮かんだ表情からすると、どうやら彼等には複雑な結果だったようだ。俺の立ち位置もあの少将と大して変わらないものかと、我ながら少し可笑しかった。
元いた列に戻ると先程の男は顔を背け、逆に別の数人が顔を上げて笑いを含んだ視線を向けた。
「今のは何という剣でありますか、一等官殿」
「失敗されたようにお見受けしましたが」
周囲には同意の顔と、同意すべきか迷う顔と二通り見える。傍から見ても相当不恰好なものだったのだろうが、自分でも、あの技法を使うくらいなら、錆びた剣を使った方がまだマシだというのが感想だ。
「……見た通りでしょうね」
俺が怒るか反論すると考えていたのか、彼等は意外そうに顔を見合せた。一人が納得いかないように身体ごと向ける。
「……その程度で」
「私語を慎め! 訓練に移る!」
准将の号令が響き、隊士達が一斉に中央へ駆け出し、俺も同様に配置へと向かう。口を開きかけていた隊士もすぐにその波に紛れた。
交わされる囁きや視線を一々気にしなければ、近衛師団での生活はあの閉ざされた世界よりも、ずっと気楽に過ごせた。
日を重ねるごとに、訓練にも慣れ、次第に色々なものに意識が向くようになってくる。
日々の訓練の中で、小隊単位、中隊単位の布陣演習は、最も興味を引いたものだ。
近衛師団では午前中に各小隊の訓練が行われ、その後、午後に布陣演習が行われる。演習の基本は中隊内でのものだったが、左中右軍一隊ごとに当たる中規模の演習も、三日に一度の割合で行われていた。
それぞれ中隊を率いる中将の志向が隊の動きに現れていて、想定された戦場の状況ごとにその優位が変わる。左軍は広域での布陣を得意とし、中軍は破城、右軍は街地といった具合だ。
だが大将であるレオアリスに関しては、どの局面が得手で、どの局面が不得手なのか、中々見えてはこなかった。
入隊して三度目の、左中右軍が揃った演習の時だっただろうか。
最初押されていた左軍が急に陣形を替え、右軍を押し返す。ふと見上げるといつのまに来たのか、レオアリスが左軍側の物見に腰掛け、指揮を取っていた。その戦術は基本に則っているかと思えば、次には全く予測の付かない動きをする。左軍は瞬く間に右軍の陣を破り、将を押さえて勝敗は決した。
剣士としての認識ばかりが強かったせいだろう、レオアリスが戦術に長けているのは意外にも思えたが、さすがに一軍を預かるだけはあるということだ。ただ、将を押さえて終わりでは甘い。相手の軍を壊滅に追い込む方法はいくらでもある。
だが一度他愛のない言葉を交わしただけで、あの時以降レオアリスと話す機会はなかった。面会を申請すれば、無下に断られはしないだろう。ただその必要性がそれほどあるとも思えず、その考えはすぐに意識の奥へ消えた。
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