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王の剣士
【第二章「人形師」】


 街に灯りが揺れていた。
 正規軍兵士達が掲げる灯火が、路地の間を流れて行く。
 寝静まった街にゆらゆらと揺れる幾つもの灯りは、日中とはまた違った、あたかも無音の祭のようだ。
「静かなもんだ。昼が賑やかだから逆にかな」
 西方軍第一大隊左軍中隊の兵士は深夜の通りを見渡し、隣にいる同僚に話し掛けた。彼等は一班、十名で下層地区を巡回している途中だった。
 この夜から普段よりも警備が増強され、通常は一班のみで巡回する区画を倍の二班が当たっている。結構な警戒態勢だ。
 ただ、比較的のんびりした様子で、傍らの兵士も頷いた。
「そうだなぁ、特に何にも起こりそうにないぜ」
「でも今回の件、術士が関わってるって炎帝公はおっしゃってたんだろ? 実際昨日の夕方遭遇されたらしい」
「小隊長の話じゃ、女だったらしいぞ。けど女が何で女ん攫うんだ?」
「一人じゃないんだろ」
「俺見たことあるんだよな、攫われた娘」
「マジか? どこでだよ」
「二件目がうちの近所なんだ。美人で評判だった」
「人買いじゃねぇのか?」
 そんな話をしながら巡回を始めてから一刻近く、大通りを細い路地の近くに差し掛かった時、路地から物音が聞こえた。何かが軋む音だ。
「誰だ、そこにいるのは!」
 一番手前にいた兵士が鋭くただし、手にした灯りを向けた。
 丸い光の輪が差しかけられ、路地の奥で人影が揺れる。華やかな衣装の裾。
 女だ。
 こんな深夜に、こんな路地には相応しくない装いだ。何ともいえない奇妙な薄ら寒さを感じ、兵士達は腰の剣を抜いた。
「そこの女。手を上げてゆっくり振り向いて顔を見せろ!」
 女は兵士達に背を向け路地の暗がりに立ち尽くしたまま、動く様子はない。
 兵士達は眼を見交わすと、一人が用心深く近寄り、女の肩に手を掛けた。
 とたんにがしゃりと音を立て、女が崩れ落ちる。
「うわっ」
「な、何だ?!」
 ぎょっとして飛び退き、灯りを近付けて覗き込む。
「――こりゃ、人形だ」
「人形? 本当だ……何だ、驚かせやがって」
 女――人形は路地に倒れ、無機質な横顔を覗かせている。心なしか、白い陶器の頬は微笑んでいるようだ。
「薄気味悪いな、こんな所に」
「旅芸人達が邪魔で捨ててったんじゃないか? 収穫祭もそろそろ終わりだしな」
「ほっとけ、人騒がせな。行こうぜ、朝までに外壁まで見て回らねぇと」
 兵士は多少非難混じりの息を吐いて立ち上がった。
 人形の倒れている路地から灯りが遠退き、再び夜の闇が落ちる。
「まあこれだけ巡回してれば事件も起きないだろう。今夜は中隊一つ出てるし、南方とかもそれぞれ出てるしなぁ」
「捕まえたのはコソ泥くらいか? 一晩で二人。そっちの方が問題だよ」
 兵士達は顔を見合わせて笑い、また広い通りを歩き出した。



 彼等の足音が遠退き、路地が再び静まり返った頃、倒れていた人形が軋む音を立て始めた。
 両手がぐるりと回って地面に手をつき、上半身を起す。
 ゆっくりと立ち上がると、初めはカタカタと手足をぎこちなく揺らし、次第に滑らかな動きに変わった。
 足を踏み出し、手を差し伸べるようにして、回る。踊るように回る。
 キリキリ、キリキリと微かな音が流れている。
 その音に誘われるように、回る人形の向う、路地の影の中から次々と、新しい人形達が現れた。くるくると回るごとに広がる華やかな服の裾が、路地に赤い花を咲かせる。
 滑らかな陶器で作られた白い面が上がり、硝子玉の美しい瞳に微かな光が宿った。
 口元がぎこちなく、柔らかく笑みを刻む。
 どこかで、水晶が彼女達を呼んでいる。
 リン、と鈴の音が響く。路地が一層の静寂に包まれた。
 水晶の呼び声を追って、夜行は通りを歩き出した。





 五つの失踪事件が同一の犯人、或いは組織が起しているものだと判って、正規軍は警戒を強め、夜間は中隊が十名ごとの班に分かれて街を巡回していた。
 西方軍だけではなく、他の東、南、北方軍も同様だ。
 それでも翌未明、六人目の少女が攫われた。
 下層の、西地区の娘だった。
 現場には割れた水晶が落ちていた。





「またか」
 レオアリスは握った拳をもう一方の手で包み、低く呟いた。
 アーシアが頷く。
「今朝の未明の事です」
 彼の説明の中での状況は、これまでと変わりないものだった。違うのは、軍が警戒をしていてなお攫われたという点で、そこが一番大きい。
 もちろん、全ての道に兵士を配置する事など不可能だろう。
 そうは言ってみても、正規軍の忸怩じくじたる思いは状況から伝わって来た。
 今正規軍は臨時の軍議を召集し、対策を検討している。アスタロトは軍議に出席している為、アーシアが代わりに伝えに来たのだ。
「それで、アスタロト様からレオアリスさんに、改めて地政院の件をお願いしたいと」
 傍らに立っていたグランスレイが、確認するようにレオアリスの顔に視線を向ける。
「地政院を?」
 レオアリスはグランスレイの問いに頷いた。
「夜行が旅芸人に関わりがあると想定して、一応今王都に入ってる旅芸人を調べてみようと思ってる。滞在許可書から当れるだろう。他は、水晶を扱ってる店とか――ただ、思い付き程度で確証は無いんだ。そもそも地政院に登録してなきゃ話にならないからな」
 こんな事件を起こす以上、その可能性は低い。だから正規軍は、現場の調査を優先している。
「午前中は空いてただろ? この後にでも行ってくる」
「……承知しました」
 僅かに懸念の色は覗かせたものの、グランスレイは反対はせずに頷いた。



 レオアリスが地政院に向い、グランスレイは自室に戻った後、暫く今回の件について思案を巡らせていた。
 アスタロトからの依頼は口頭であっても、正当な依頼と変わりはなく、解決の為の協力を惜しむものではない。昨日近衛師団総将アヴァロンに報告した際も、可能な範囲で協力せよとの指示は受けている。
 しかし、レオアリスが何の支障もなく動ける状況には無いのも確かだ。
 まだ大将として五ヶ月しか経ってはおらず、若過ぎる事や彼が有力な後ろ盾を持たない事への――
 そしてもう一つ、ごく少数ではあるが、剣士である事そのものへの――周囲の不満、懸念、軽視は少なくない。
 今は足場固めの時期だと、グランスレイはそう思っている。
(――公には一度、書面での要請を依頼すべきだろうか)
 二人の間では口頭で済んでも、組織としては不都合も生じる。正式な書面を以て依頼があれば、近衛師団としての組織的な対応もできる。
 逆に近衛師団から正式な依頼を要請して余計な口出しと取られるのも面倒だが――暫く迷った末に筆を取ろうとした時、扉が叩かれた。
「失礼します」
 声と共に、すらりとした長身の青年が扉を開けた。
 金髪の中性的な面差しは氷のような印象があり、女性達にさぞ騒がれるだろう非常に整った外見をしている。ただ蒼い瞳には鋭利な知性が感じられた。
 二十代前半と歳は若いながら、隊の戦術、戦略の考案と提言を担う参謀部の一等参謀官で、クライフ達と同じ中将だ。
 また彼は、四大公爵家に次ぐ地位にあるヴェルナー侯爵家の次男という、比較的貴族の子息の多い近衛師団であっても、かなり珍しい出自を持っていた。
 ヴェルナーはグランスレイの執務机の前に立つと、手にしていた数冊の綴りを机に置いた。
 卓上に出してあった近衛師団の紋章入りの便箋を見て、形の良い眉を上げる。
 正式な文書を送付する時に使用するものだ。
「急ぎの案件ですか? 改めて出直しますが」
「いや、先に聞こう」
 グランスレイは首を振り、便箋を脇にどけた。ヴェルナーは軽く頷き、三冊の綴りを示す。
「布陣案を二点、それから内務に提出する申請書類のご確認を。申請を終えれば事務官の配置については、数日中に内務の承認が下りる予定です。今回の人事では各隊毎に二名のみですが、来月には正式に配置されるでしょう」
「早いな――いや、漸くか」
 グランスレイはこれまでを思い出して苦笑を浮かべた。
 事務官配置の要望はこれまでずっと申請し続けていたもので、一向に進展する気配が無かった。
 近衛師団に関わる任免は一切を王が取り決めるが、人員定数などの諸雑の規定については内務に一定の権限がある。
 要は予算との絡みだが――それはともかく、この青年が内務との折衝を担ってからの進展は早かった。
 ヴェルナーが口元に皮肉めいた笑みを浮かべたのは、内務官の対応へのものだ。
「現状を仔細に説明しましたからね。状況が理解できないとは言わせませんし、理解したら付けざるを得ないでしょう。当然一隊のみの話ではなく師団全隊での人員配置になりますから、まあ二、三隊にも貸しが出来た事になります」
 見た目の秀麗さとは裏腹に――いや、比例してと言うべきか、この青年は頭が切れる。
 国内最高峰、王立学術院をその過程中首席のまま終え、そもそもは内務――国政の中枢を担う内政官房に進むと目されていたのはグランスレイも聞き及んでいた。
 わざわざ軍を選んだ理由は聞かないが、グランスレイは彼の調整能力や政治的手腕を高く評価している。
 レオアリスの例ではないが、ヴェルナーもまた、僅か三ヶ月前に入隊したばかりだ。
 それを幹部候補として間を置かず参謀部に配置し中将に取り上げたのは、事務面での機能改革への期待が大きい。そしてそれを彼は二ヶ月で実現してみせた。
 ただ、グランスレイにはもう一つ、彼を第一大隊にり、また早急に地位を整えた意図がある。
 そうした思惑は当人には不快なものだろうと思っていたが、どうやら彼自身はグランスレイの意図を理解した上で、それを面白がっている節もあった。
 グランスレイはちらりと壁際に置かれた時計に目を向けた。
 先ほどレオアリスが出てから、まだ半刻も経ってはいない。
「ヴェルナー中将」
 退出しようとしていたヴェルナーは扉の前で振り返り、グランスレイの言葉を促すように視線を向けた。
「一つ、頼みたい事がある」





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