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王の剣士
【第二章「人形師」】


 地政院は百を超える部署を抱える、国家機関最大の組織だ。東方公が長を務め、主に治水や土地、農業、生活面を取り仕切る。
 旅芸人などが王都で滞在し公演しようとすると、まず地政院で滞在許可を得、その後財務院で営業許可を得る必要があった。
 王城の東側、一階から四階まで様々な部署が入っていて、廊下はいつも人の行き来が絶えない。ただレオアリスが訪ねた時は午前中の早い時間のせいか、室内はまだ二人しか客はいなかった。
 受付にいた若い地政院官はレオアリスの軍服と襟元の記章を見て驚き、中にいた上官に慌てて声をかけた。
 近衛師団の将校と聞いて、奥の席から五十がらみの小太りの男がせかせかと出て来る。
「大変お待たせしました――わたくしが審査室長の」
 愛想笑いを浮かべつつ腰の辺りまで頭を下げて顔を上げ、男は眼にした相手の若さに目を見張った。
 ただすぐにそれが誰だかに気付くと、愛想笑いは何とも複雑な笑みに変わった。
「これはこれは……第一大隊の大将殿」
 レオアリスが名乗る前に男――審査室長シャンブルは眉を上げた。
 若造が、という意識がその面にあからさまに透けて見える。
「こんな雑然とした場所に、いきなり何のご用で?」
「旅芸人の滞在許可の件でお伺いしたい」
 シャンブルは問われた内容を検討するように唇を湿らせ、ややあって呆れの混じった笑みを浮かべた。
「近衛師団をやめて旅芸人にでもなるおつもりですか?」
 シャンブルにしてみれば、非常に気の効いた冗談を言ったのだ。
 もちろん、この相手に相応しく。
 ところが少し、室内は静まり返ってしまった。
 シャンブルは尚も笑いながら大袈裟に肩を竦め、部下達を睨むように見回した。
 周囲の事務官達はそれとなくシャンブルの様子を伺っていたが、慌てて笑みを見せるか書類に集中している振りをして顔を伏せた。
 シャンブルはここで主導権を持っているのは彼だと認められたとばかりに、満足そうに頷いた。
 当然だ。
 こんな、彼曰く『どこの誰とも知れない、分不相応に大将の地位に就いた』者など、本来彼が相手にする輩ではないのだ。
「まあそれはともかく、近衛師団の大将殿が、供もなく一兵卒のような真似をなさる。嘆かわしいですな。王がお知りになったら何とお思いになるか」
 受付にいた客や事務官達は素知らぬ振りを装いつつ、時折興味深そうにチラチラと視線を送っている。
 近衛師団大将としての地位は地政院審査長の地位より高いが、王城の事情を知っている者からすれば、第一大隊大将への風評は賛否両論併せて周知のものだった。
 しんと静まり返った室内の意識が二人に集中していて、彼等が何を注視しているのか、シャンブルは、またレオアリスも良く判っていた。
 その上に立った会話だ。
「今回は師団というより――」
「ああ、しかし陛下のお気に召す為にはどんな事も必要ですかな。大将になるほどですから、相当色々と気を遣ったでしょう」
 レオアリスは一度口を閉ざし、ゆっくり息を吐き出した。
 この位の反応は、この二年の内にだいぶ慣れてきていた。慣れたからと言って腹が立たない訳でもないが、一々気にしていたら始まらない。
「こちらに伝わっているかは判りませんが、現在王都で起きている事件についての調査に情報が必要です。今回の収穫祭で王都へ入った旅芸人への許認可関係の資料を拝見したい」
「また性急な……通常はまず書面で申請を頂くものですよ。こちらにも色々手順というものがありましてね、出せといきなり言われてはいどうぞと、こうは行かない。まあ貴方はまだまだこの王都の習慣には馴染まれないようだから仕方がない。慣れ親しんだ辺境とは大分考え方も違うでしょう」
 シャンブルにしてみれば、貴族や富裕層の出身ではない、いわゆる有力な後ろ楯のないレオアリスは、別に自分の出世を左右する訳ではい。
 それは王都の、特に特権意識を持った官僚達の中では重要な基準だった。
「まあいずれは貴方でも王都に馴染まれるのでしょうが、なかなか貴方を理解するのは我々には難しい事でして」
 そう言ってからシャンブルは失念していたと言わんばかりに、わざとらしく額に手を当てた。
「いや、これは失礼致しました。そもそも貴方の暮らしてきた環境からして我々とは違ったのでしたな」
 室内はまた息を潜めて成り行きを見つめている。
 シャンブルは少し顎を引き、口元を引き結んだレオアリスの顔を上目遣いに覗き込んだ。
「辺境の、何と申されたか……胡乱うろんな者達の中で育たれたのでは、根本的な常識からして違いますね。それを無理に我々に合わせて頂くのも酷な要求でした」
 その言葉に、それまで冷静を保っていたレオアリスの瞳に怒りが宿った。
 一瞬頭を過ったのは、自分を育ててくれた祖父達の穏やかな顔だ。一年の半分を深い雪に覆われる北の辺境。
 決して楽に生きていける土地ではない。
「近衛第一大隊の隊士達も苦労の多い事ですな、大将殿。まずは辺境の小村の風習を理解しなくてはいけない」
 ここで感情を表すべきではないと、そう思いながらも怒りを抑え切れず、レオアリスは拳を握り締めてシャンブルを睨み付けた。
「――何の理由があって、俺の」
「上将」
 涼しげな声が少し離れた場所から掛かった。
 レオアリスの怒りを逸らすのに充分な落ち着いた響きだ。
「遅れて申し訳ございません、他の件で手間取っておりまして」
 レオアリスは振り返って、入口に立っている長身の青年を認め、瞳を見開いた。
「ロ――、ヴェルナー中将」
 レオアリスの声に少し驚いた色が含まれたのは、この参謀官が来る予定は無かったからだ。
 だがヴェルナーという名を聞いて慌てたのはシャンブルの方で、周囲にいた事務官達もさっと緊張を高めた。
 ヴェルナー侯爵家は十ある侯爵家の筆頭であり、当主ヴェルナー侯爵は内政官房副長官を務めている。
 ヴェルナーは穏やかな笑みを刷き、しんと静まり返った部屋をレオアリスへと歩み寄った。
 上官へと丁寧に一礼してから、シャンブルへ面を向ける。
 浮かべた柔らかい笑みとは裏腹の、蒼い瞳の底にある冷えた光に、シャンブルはたじろいで一歩下がった。
「もう既に審査室長殿は幾つか情報をくださったのでしょうね。多忙な地政院官がまさか無駄話に興じる訳もない。どのようなお話を?」
「い、いえ、まだ」
 シャンブルは曖昧に首を振ったが、ヴェルナーは穏やかさはそのままに、重ねて問いかけた。
「そうですか? しかし別室ではなく、この場で簡潔に済む程度のご回答だったのでは?」
 何故、近衛師団大将をこの場に立たせたままでいるのかと、柔らかな、だが辛辣な問いだ。
 シャンブルが何を基準にしているのか、ヴェルナーは良く理解していて、彼が『好む』言葉を散りばめた。
「今回はアスタロト公から直接依頼を受けた急ぎの案件でもあり、元々我が大将は簡潔を好まれる。貴方もそれはご理解頂いての事のようですが、肝心の情報がまだとは困りましたね」
「それは、その」
「当然、得た情報については全て、事務的ではあれ陛下にもご報告しなくてはいけません。管轄外の為に手続きに手間取って情報が間に合わなかった、とは、さすがに我々も報告する訳にはいかない」
「も、申し訳ございません!」
 シャンブルはすっかり青ざめて恐縮しきり、先程までレオアリスに向けていた態度はもう影を潜めていた。
「今、別室に」
 もつれるような口調で斜め前に座っていた事務官に別室の用意を告げ、事務官も慌てて立ち上がった。




 別室に案内され、シャンブル達が資料を取りに出ていくと、レオアリスは息を吐き、切り替えるように苦い笑みを浮かべて参謀官を振り返った。
「丁度いい所に来てくれた。あのままだったら確実に喧嘩売ってたな」
 そうなれば格好の話の種を提供していた所だ。
 今日の夕方には王城中で話題になっていたに違いない。
 こんな所で怒りをあらにしても、単に自分の立場を更に悪くするだけでしかない。
「お前の物言い聞いてたら頭が冷えた。全く、一々腹を立てても仕方ないのにな」
「当然、腹を立てる権利はありますよ。まあしかし堪えて頂いたのも正しい選択です」
「いや、ギリギリだったけど」
 まだまだガキだな、と年齢不相応の事を言って、レオアリスは反省の籠もった溜息を落とした。
 ヴェルナーが可笑しそうな顔をしたのに気付き、改めて彼を見上げる。
「にしてもロットバルト、お前この為にわざわざ来たのか?」
 ロットバルト、と呼ばれてヴェルナーは笑った。
 任務中は姓に職位を付けて呼ぶのが通常だが、レオアリスが当たり前のように名で呼ぶ為に、今は他の中将達もそれに倣うようになっていた。
 グランスレイも時折、姓ではなく名を口にする。
 お陰で本来あるはずの筆頭侯爵家という近寄りがたさが薄れている。
「副将が心配されていますよ」
「お目付け役かよ」
「そんな所ですね。そもそも調査など、私にお命じになればいいものを」
 ヴェルナー、――ロットバルトはそう言いながらも、もう一度笑った。
 レオアリスは命じるよりも自分で行動する質だ。
 グランスレイは時折それを嘆くが、実際にはレオアリスの気質を良く判っていて、苦言は呈するものの半ば諦めている。
「人を動かす事も大将の責務ですよ」
 さすがに反論は無いらしく、レオアリスは視線を逸らせた。
 シャンブルが戻って来るには暫く間があったが、それもそのはずで、三人ほどで十数冊もの綴りを抱えてきた。
「ご指定の、ここ三ヶ月ほどの滞在許可案件です」
 目の前に積み上げられた書類の山を見て、レオアリスが思わずうんざりと息を吐く。
「この資料の中から探すのか……思ったより大仕事だな」
 王都で商業権を得ている者は百を下らない。そして、次々入れ替わる。それがこの山だ。
 ロットバルトも苦笑を浮かべながら山の一番上の綴りをぱらりと捲り、再びレオアリスへ視線を戻した。
「ですが視点は間違っていません。要はどこに比重を置いて調べるかですが――何か手掛かりとなる情報はお持ちですか?」
「明確なものが今一つ無い。夜行って形態が、今やってる旅芸人達のそれに近いってだけで――それ以外は水晶か。
どこで手に入れたか判ればいいんだが、攫われた娘達の家族もそれは知らないと言ってるそうだ。ただ、全員収穫祭に行ってる」
「収穫祭ですか――下層全域、範囲が広すぎますね」
「そこだけじゃ絞り込めない」
 この資料の山と同じ事だ。
「昨夕の件では? 接触したと伺いましたが」
 レオアリスは腕を組んで壁に寄りかかった。
「術士ってのはほぼ確実だ。水晶も持ってたし、事件に関わると見て間違いないだろう」
「会話を?」
「アスタロトが直接話してるんだが――」
 相手が妙に迫って来て、そればかり印象に残ってしまったようだ。
「て言っても女だったけどなぁ。わざとか? 捜査撹乱の為とか」
「単なる個人の嗜好でしょう」
 ロットバルトはさらりと言った後、瞳を細めた。
「という事は、対象を嗜好で選んでいる場合も考えられますね。少しは手掛かりになる」
「嗜好がか? とは言っても」
「これまで攫われた娘達の特徴に共通点があるかもしれません。そこから警戒すべき範囲をある程度予測できます」
「ああ、そうか」
 それについて話が出た事はなかったが、もし少女達に共通点があれば、ロットバルトの言うとおりある程度絞り込んだ警備ができ、次の事件を防げる確率も上がる。
 一歩前進しそうな気配に、レオアリスは寄りかかっていた壁から身を起こした。
「それは正規軍に伝えよう。――それと、女はユンガーって名前を口にしたようだ。正直にその名前で登録してるかどうか、可能性は低いけどな」
 レオアリスは卓に近付くと綴りを取り上げ、表紙を右手の甲で軽く叩いてみせ、それを開いた。
「ユンガー?」
 何か思い当たる節があるのか、ロットバルトはその名を繰り返した。
「まさか、知ってるのか?」
 綴りに落としかけた瞳を上げて、レオアリスは驚いた様子でロットバルトを見つめた。
「いえ。ただユンガーとは、人形師を意味する言葉です。操り人形を古語でユングフラウというところから来ている呼称ですね。これと同様に、操り人形使いはユンガロと呼ばれます」
「ユンガー……人形師」
 その言葉は意識に引っ掛かった。
 永遠をあげる、と。
 ずっと美しいままを保ちたいだろうと、そう聞いた。
 明確ではない、ただ奇妙な薄ら寒さを感じ、レオアリスはもう一度それを繰り返した。
「人形師か」
 漆黒の瞳に、それまでとは違った光が浮かぶ。
 それはほんの少し、見る者を慄然とさせ、そして引き込むような光だ。
 レオアリスの様子を見て、ロットバルトは後ろで控えていたシャンブルを振り返った。
「何人かでこの資料を、人形師或いは人形使いを中心に当たってもらえますか。名前は違っても構いません。それと西方のホーンハルト地域の地図があればそれを」
 シャンブルが頷き、地政官の一人が素早く出ていくと、長い筒状に丸めた地図を持って戻る。
 他にまた三人ほど事務官がやってきて、早速綴りを捲り始めた。
 ロットバルトは受け取った地図を紐解いて卓上に広げ、一点を示した。
 指先が示した場所は、ホーンハルト地域にある比較的大きな街だ。
「そこは?」
「人形作りを副産業としている街です」
「王都からは馬で半月ぐらいか、結構遠いな。副産業?」
 副産業というのは少し中途半端に感じられる。
「人形作り自体が主産業にするには厳しいものですからね。ここで人形作りが盛んになったのは、この地域一体の主産業として繊維業があり、また周辺の土地から陶器の為の良質の土が得られる為です。この街の主産業は縫製ですが、西の基幹街道沿いの立地と流通の良さから、腕のいい人形師達が集まるようになりました」
「なるほど――もし人形師となると、その地域の出身者である可能性が高いって訳だな」
 それにしてもさすが王立学術院首席、良くこれだけすらすらと情報を引き出して来るものだと、レオアリスは改めて感心した。
「現段階で複数の方向から絞り込めますね。まずは失踪者の特徴。名前、人形作りに関わるもの――素材、生地、それらの仕入れ先。そして出身地」
 レオアリスは頷くと、卓の周囲で綴りを繰っている事務官達の傍に寄り、長椅子の背に手をついて彼等の顔を見回した。
「書類からは出身地も拾えるのか?」
「探せます。出身地の記載欄もありますし、登録の際は各都市の領事館発行の証明書の添付が義務ですから、そうそう偽りはできません」
 彼等の回答にレオアリスは瞳を煌めかせた。
「よし、まずはそれを引っ張り出そう」
 レオアリスは綴りを一冊手に取り、長椅子に腰かけた。



 一刻ほどで三種類、それぞれ十数件の一覧が出来上がった。
 人形に関わる旅芸人のもの、水晶などを扱う店、それから繊維や衣類を扱う店。
 どれも王都内の場所は散っていて確たる決め手は無いが、ひとまずの手がかりとしては上々だろう。
 これだけ早く抜き出せたのは事務官達の力が大きい。
「手伝ってもらえたお陰でかなり早く終わった。有難う」
 向けられた軽やかな笑顔に、地政官達も自然と笑みを返す。
「いえ、お役に立てて良かった」
「また何か必要あれば寄ってください」
 そう言ってから、その場にシャンブルがいた事に気付き慌てて上司を盗み見て、ほっと息を吐く。
 シャンブルはロットバルトと話をしていて、部下達の様子には気付いていない。ロットバルトはと言えば、あくまで卒なくシャンブルと相対している。
「これほど早く手掛かりを得られるとは、さすがに地政院は情報管理が行き届いていますね」
 もの柔らかな口調と笑みに、シャンブルは舞い上がった。何と言っても相手はあのヴェルナー侯爵家の子息、揉み手をして擦り寄らんばかりだ。
「滅相もございません、多少なりともお役に立てて光栄です」
「上将が地政院を調べると仰った時は、膨大な資料の中から情報を得るのは難しいとも思いましたが」
「いや、さすが若くして大将に就かれるだけはあります、我々も日々の仕事の価値を再認識させていただきました」
 地政官達は互いに呆れた笑みを浮かべて顔を見合わせ、それからレオアリスににやりと笑ってみせた。
 権力志向にある上司が部下から煙たがられるのは、いつの世も変わらないようだ。
 作り上げた書類を整えてレオアリスに差し出す。
「これから捜し出せるといいんですが」
「きっと役に立つ。有難う」




 地政院を出て王城の廊下を歩きながら、レオアリスはもう一度そこに並んだ店や該当者の名前にざっと目を通した。
「行き当たる可能性はあると思うか?」
 言葉にしてはまだ疑問を含んでいるが、そう言いつつも、かなり近付く事はできると、そういう予感はある。
 レオアリスの瞳に、このまますぐにでも一覧に載っている先へ向かいそうな光が踊るのを認め、ロットバルトは口元に苦笑を昇らせた。
「高いとは思いますよ。後は情報を正規軍に渡し、彼等が捜索する中で早ければ数日中に進展があるでしょう」
 肯定してはみせたが、あくまで正規軍に任せる話だ、と釘を刺している。
 さすがにこれ以上は、近衛師団が口を挟むべきではない。王の下命がない限り。
 レオアリスは面にちらりと残念そうな色を覗かせたものの、すぐ仕方なさそうに頷いた。
「判ってる。これはこの足でアスタロトに渡そう」
 そう言って王城の南棟に足を向ける。アスタロトが執務室にいるはずだ。
「ただ、いずれにせよ」
 ロットバルトが瞳を細める。声には慎重な響きが混じり、レオアリスは瞳を上げた。
 蒼い瞳と視線が重なる。
「彼等が王都にいるのは、そう長くないでしょう。祝祭に乗じているとすれば、この祝祭が終わるまで――あと三日」
 地政院で得た情報がどれだけ生きるか、それとも的外れか。
 どちらにしても、祝祭が幕を閉じる三日の内に捕らえなければ、うやむやのままに終わる事も考えられる。
「三日か」
 短いな、とレオアリスは口の中で呟き、足を早めた。





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