三
アスタロトから一報が入ったのは、二日後の昼だった。
空を厚い灰色の雲が覆って薄暗く、今にも降り出しそうだ。士官棟の中庭を吹き抜ける風も窓を揺らすほど強い。
「西方の左軍が動くそうです」
グランスレイの言葉にレオアリスは鋭く瞳を上げ、差し出された書状を手に取った。室内もまた暗く翳り、執務机の上には硝子の覆いの中で燭蝋の灯りが揺れている。
書状には地政院の情報に対する改めての感謝と、情報から絞り込んだ西のマレル地区の一角に今日の午後四刻に立ち入る事が記されていた。
もう三刻後の話だ。
「マレル」
三日前の晩、アスタロトが女に遭遇した地域だった。予想以上に、あの時犯人達との距離は近かったのだ。
「動くのは左軍か」
「左軍中将のヒューイットは街中の展開に実績があります。しかし左軍の内、小隊一つ、百名のみですか……小規模ですな」
「まあ街中だからな。多くても動きにくいし、気取られる。百でも多いくらいだ。けど、相手の正体が見えないのが気になるのと」
あの路地で感じた視線。無機質で、気配が掴みにくかった。
ただ、そこが明確に表せず、レオアリスは首を振った。
「……それに、法術士がいる。正規の法術士団は……はぁ?!」
二枚目をめくって、レオアリスは思わず声を上げた。それから額に手を当てて呻く。
「何考えてんだ、あのバカ……」
「上将?」
グランスレイが何事かと驚いて執務机に近寄る。
「自分で出るって――アホか!」
「……公が、ですか」
椅子の背もたれに寄りかかり、レオアリスは深く溜息をついた。溜息に同調するように、カタカタと窓が揺れる。
「そう言ってる」
呆れた様子で頬杖をつき、書状をグランスレイへ戻した。
「総大将がいきなり出てどうすんだ。自覚足りねぇんじゃねぇか?」
ひとの事は言えないのでは、という言葉をグランスレイは飲み込んだ。
「他人の事は言えないでしょう、貴方は」
ロットバルトがあっさりと口にして、レオアリスは眉をしかめた。士官棟から出た瞬間強い風が髪を巻き上げ、翳って灰色っぽく映る通りの舗装の上に、肩から纏った黒い長布をはためかせる。
「俺はそこまで無軌道じゃないだろ。第一アスタロトは正規軍の総大将だぜ」
「そうですか?」
返って来たのはそれだけだ。
「――まあ、アスタロトの意気込みは判る。俺の所にまで珍しく仕事の話をしに来た位だからな」
それに一昨日の祝祭での件もあって、自分が、という思いが強まってもいるのだろう。
確かに、アスタロトが出た方が、早い解決に結びつく場合もある。
ただあくまで、広域の戦闘領域を確保しての話だ。
「街中はどうかなァ。被害が恐い」
「その気持ちは良く判りますよ」
充分、含みのある言葉だ。何を含んでいるかと言えば、例えば訓練中、レオアリスがたまに剣を抜いた時などに、勢い余って演習場を壊したり――
「――何だ」
「いえ」
レオアリスの物言いたげな視線をさらりと躱し、ロットバルトは陰ってきた空を見上げた。今はあと四半刻で予定の四刻になる頃合いだ。
「そろそろですね」
ちょうどその言葉を合図のように、ポツリ、と大粒の雫が足元の舗装に落ちた。すぐに雨音が石畳や街路樹の葉を強い音で叩き始める。
「降って来たな……面倒な雨だ」
雨足はあっという間に激しくなり、通りに薄い雨の幕を張った。
「外套を用意させましょう」
「いいよ。どうせ濡れる」
そう言ったもののロットバルトは士官棟の中に引き返し、レオアリスも玄関の庇の下に戻った。
見上げる空は不穏なほどに暗い。
激しく音を鳴らす雨に、アスタロトの炎でさえ掻き消されそうだと、ふとそんな事が頭に浮かぶ。
「――」
遠くで、雷鳴が響いた。
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