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王の剣士
【第二章「人形師」】


 雨粒が窓硝子にぶつかっては筋を引いて落ちていく。
 先ほどからずっとその繰り返しで止む気配が無い。
「上将」
 グランスレイに呼ばれ、レオアリスは窓の雫を追っていた視線を戻した。
 グランスレイは扉を開けて入ってきたところで、立ち止まって一礼した後、厳しい眼差しをレオアリスに向けた。緑の瞳には普段とは違う光がある。
「何かあったか?」
「西方第一大隊のヒューイット中将が面会を求めています」
「ヒューイット中将……?」
 呟くと共に、レオアリスの表情が厳しくなる。
 ヒューイットは今回の捕物に赴いていたはずだ。
 アスタロトも――
 何故そのヒューイットが、わざわざ自分を訪ねて来たのか。
 ざわりと胸を駆け上がるように、嫌な感覚が走った。
「通してくれ」
 グランスレイが頷いて一旦下がる。
 入れ替わるように、左軍中将フレイザー、中軍中将クライフ、右軍中将ヴィルトール、そして一等参謀官中将であるロットバルトが執務室に入った。グランスレイが呼んだのだろう。
 三人の左中右軍中将と参謀官がこの場に顔を揃えた事で、レオアリスの感じた懸念をグランスレイも感じている事が判る。
 中将達は一言も発さず、レオアリスの執務机の左右に立った。
 ほどなくグランスレイに伴われ、ヒューイットが入室した。雨の中を外套もなく訪れたのか、全身ずぶ濡れだ。
「何だァヒューイット、ずいぶんななりじゃねぇの。雨ん中泳いで来たか?」
 一番手前に立っていたクライフはにやりと笑って迎えたが、ヒューイットが黙ったままなのを見て肩を竦め、おとなしく真面目な顔を作って口を閉ざした。
「正規西方軍第一大隊右軍中将、ヒューイット殿。今回の発言は双方記録させていただきます。近衛師団総司令部、内政官房、及び王に対して、求めがあれば提出します。よろしいですね」
 フレイザーが片端の文机の前に腰掛け、ヒューイットに声をかける。重要な打合せや面会の時は発言を記録しておくのが慣習だった。
「結構です」
 ヒューイットは頷き、改めて執務室の中央に膝を付いた。
 室内に揃った中将達と、その奥に立って振り返った副将グランスレイの姿――そして執務机の前に座る近衛師団第一大隊大将の姿を見て、ヒューイットの面に浮かんでいた緊張の色が更に高まる。
 これまでヒューイットはレオアリスと直接話した事は無かったが、改めて目の前にして、その若さに驚きを覚えていた。
 アスタロトも同年ではあるものの、正規兵にとって彼女は特別であり、当然だ。
 目の前の少年は近衛師団大将と認識するには余りに若く――だが、その漆黒の瞳は真っ直ぐヒューイットに向けられていた。
 その瞳の光が、ヒューイットの中にあった迷いを拭い去った。
 アスタロトが王から借りよと言ったつるぎ
 それは間違い無く、この少年、いやこの剣士の事だ。
 剣士の剣はあの糸を断つだろう。
「事前の打診もせずの訪問、失礼致します。西方軍第一大隊右軍、中将ヒューイットと申します。大将殿には初めて直接ご挨拶をさせていただきます」
 ヒューイットはぐっと頭を伏せたまま、少し早口で続けた。
「突然ではありますが――、お聞き戴きたい事があり、罷り越しました」
「――聞こう」
 端的な、明確な返答が返る。
 ヒューイットは一度、密かに深呼吸をした。
 上官たるゴードン、そしてタウゼンの許可もなく勝手な行動を取れば謹慎どころではなく、除隊処分、良くて降格を免れない。
 それを理解した上で、ヒューイットの口調は淀み無かった。
 マレル地区での目標との対峙、そして経緯を順を追って語る。状況を説明するヒューイットの言葉を、レオアリスは黙って聞いている。
 ヒューイットの来訪と意図をどう思っているのか、じっと注がれる眼差しからは計る事ができないが、落ち着いた瞳の奥に、時折揺らめく色がある。
 正規軍の行動への興味と、ユンガーと人形達への好奇心。
 惨状への憤り。
 心地よさを感じるほどに真っ直ぐな、少年らしい感情だ。
「人形師は自らの人形を操り、人形達は糸を武器にします」
「糸?」
「細く強靱な糸を張り巡らせ、気付かない内に捕えられていました。剣では切れず骨すら断つ糸です」
 知らずレオアリスの瞳の色を分析していたヒューイットは、その中にふと過った光に、ぎくりと息を飲んだ。
 感じたのは身を切るような戦慄――だが、一瞬で消えた。
 再び視線を向けた瞳には、ヒューイットの感じた戦慄を覚えさせるものはない。
「どうした」
 口を閉ざしたヒューイットに、グランスレイが訝しそうな表情を浮かべる。
「いえ――、我々右軍は先行した五班、五十名をほぼ失い、ユンガーの糸に捕えられた時点で、趨勢すうせいは決していました」
 ヒューイットの指揮だけでは、残りの五十名も戻らなかっただろう。
「公が、おいでにならなければ――」
 ヒューイットはぐっと息を詰めた。
「ですが、我々の為に」
 語尾を震わせたヒューイットの耳に、ごく小さな呟きが引っ掛かった。
「あの馬鹿、相変わらずだな」
 押さえ込んだ感情を示すように、顎の下に組んでいた両手の指先には白く力が込められている。
 今更ながら、ヒューイットはアスタロトとレオアリスとが親しい友人同士だった事を思い出した。
 膝を詰めたのは、そこに可能性を見い出したからか――
 友人の為であれば、自らの不利も顧みず、動く、と。
「――どうか、公の救出と攫われた娘達の救出に、大将殿のお力をお借りしたく、こうして無礼を承知でお願いに参った次第です」
「それはタウゼン副将軍閣下の指示か」
 グランスレイの問いに顔を強ばらせて唾を飲み込み、ヒューイットは首を振った。その肩から、彼の緊張が透けて見える。
「閣下の指示は頂けておりません――公は王から剣を借りよと……こちらを訪れたのは、私の独断です」
 誤魔化す事はできたかもしれないが、ヒューイットははっきりと告げて顔を上げた。
 タウゼンの指示は無い。
 その事に躊躇うように顔を見合わせたのはフレイザー達中将で、レオアリスの視線はまだ真っ直ぐにヒューイットに注がれている。
 近衛師団は王の下命無くは隊を動かす事はできない。その状態でヒューイットの要請を受ければ、最も謗りを受けるのは近衛師団であり、この若い大将だ。
 レオアリスの今の立場であれば、特に。
「しかし、今」
「ヒューイット中将」
 穏やかな面のまま、容赦なく口を挟んだのは右軍中将ヴィルトールだ。
「その状況で我々の大将に要請する事の意味は、判ってるんだろうね」
 ヴィルトールは普段からもの柔らかな口振りで人当たりもいい。
 だが、今は視線の奥に、ヒューイットを射るような光があった。
「――承知してこちらを尋ねています」
 クライフが笑みを浮かべる。ヒューイットへの牽制とでも言うべき空気が室内を覆っている。
「笑えねぇ冗談だぜ、ヒューイット。お前の言う通り受けりゃあ、上将は責を問われて下手すりゃ罷免だ。そうなれば王都に留まる事もできねぇ。そいつを承知してるって?」
「私の進退をかけて、それを避けたいと考えている。だが、あの糸を断ち切るには通常の剣では無理だ。改めて兵を向けても被害が出るのは必至」
「だからって普通はてめェの管轄内で収めるだろ。他人に責任おっつけて自分達の身の安全かよ」
「公は我々兵を救う為に自ら敵の手中に入られた。兵に被害を出すのは公の意思に反する」
 ぴり、と張り詰めた空気の中で、レオアリスは組んでいた両手を解いた。
 その仕草に張り詰めた空気が変わる。
 中将達はレオアリスに視線を向けた。
「糸か……珍しいものを使うな。確かに厄介だ」
 レオアリスは傍らのグランスレイの顔を見上げた。
「今聞いた状況通りなら、アスタロトの炎じゃ噛み合わない。軍を出してもただ損害を増やすだけだろう」
「――そう思います」
 グランスレイが厳しい面持ちを崩さないまま頷く。
 レオアリスは視線をその隣のロットバルトに移した。冷徹にこの場を見据えていた蒼い瞳が、当然のように視線を受ける。
「場所を改めて特定する必要がある。だがのんびり探してる暇は無かったな」
「良くて祝祭が終わる明日まで、残り一日弱でしょうね。ただそれも当初の目算です。こうなった以上は身を潜めるか、王都を出るか――いずれにしても今から足が着くほど派手に動く事はないでしょう。ですが、追う方法はあります」
「どうやって追う?」
「一番確実なものは逃走手段ですね。大量の人形や攫った少女達をどう運ぶか」
「絞り込んでくれ」
「承知しました」
「捜索の方は私がやろう」
 ヴィルトールが歩み寄り、ロットバルトが頷く。
「お願いします。想定できる行程を幾つか弾きましょう」
「じゃ、俺もそっちに加わるか。下層にゃちっとは顔が利く」
 クライフがにやりと笑い、フレイザーは肩を竦めて見せた。
「普段どこに顔出してるんだか。でもこういう時は役に立つわねぇ」
「いつもって言ってくれ」
 俄かに動き出した室内を見て、ヒューイットは目をしばたたいた。
「で、では――」
 今までのヒューイットを牽制するような空気が、さっと拭い去られたように思える。
 まだ膝を付いたままのヒューイットへ、レオアリスは真っ直ぐ視線を向けた。
「当然、引き受ける」
「し……しかし、正式な要請では、その」
「大丈夫、俺も考え無く動く訳じゃない。まずは王の許可を頂く。正式な手順を踏んで動けば心配無いだろ?」
「――」
 そんなに簡単な事のはずが無い、とヒューイット自身ですら口にしそうになったが、その前にレオアリスは立ち上がり、執務机の前に出た。
「グランスレイ、まずはアヴァロン閣下にお会いしたい。これからお時間を取って頂けるか申し入れてくれ」
「すぐに」
 グランスレイはアヴァロンへの面会を申し入れる為に、扉へと向かった。
「捜索程度なら事前に動いていても問題無いだろう。隊を動かすのは控えるとして、悪いがまずはヴィルトール達で当りだけ入れてくれ」
「では、二刻後、七刻に一旦報告を入れます」
 余りにあっさりと受け容れられた事に驚きが先に立ち、思わず立ち尽くしていたヒューイットの肩をクライフが叩いた。
「悪ィ悪ィ、ちょっと脅しただけだって、マジにすんなよ。公の為に上将が動かねぇわけねえだろ。ま、お前の覚悟が見たかっただけだ」
 ヒューイットはいきなり、レオアリスの前で床に手を付き頭を伏せた。驚いてレオアリスが瞳を見開く。
「ヒューイット中将?」
「申し訳ございません! 公は大切なご友人でもあられる――それを、お守りもできずおめおめと生き延びた私が、どの面を下げてお願いなど―― !」
 実際は王の下命を得たとしても、近衛師団側からの要請が謗りを受けないはずはない。
 ほんの僅かだが、レオアリスは返すべき言葉を探した。
「――確実に被害が出るって判ってて兵を出すのは極力避けたいだろ。他に手があるなら尚更」
 組織というものを考えるなら、もしかしたら黙ってやり過ごすべきなのかもしれないが。
 どうせそんな事は、元から考えていない。
「一番可能性の高い奴がすべき事をすればいい。それだけだ」
 それから、するりと年齢相応の姿に戻り、溜息をついた。
「大体、アスタロトがひょいひょい首を突っ込むからこうなるんだ。将軍らしさが欠片もねェ」
「ロットバルト、今の発言、記録しとく?」
 フレイザーがそっと目配せをし、ロットバルトは肩を竦めた。
「完全に墓穴を掘った発言ですしね。後々不利になる可能性が高いでしょう。削除で」
「聞こえてるよ、聞こえてる」
「あら」
 レオアリスの視線にフレイザーが口元を押さえる。
「俺とアスタロトとじゃ立場が全く違うだろ。将軍ってのはただ思うままに突っ込めばいいって訳じゃないんだからさ。最終的な指揮命令責任を負ってるって事を考えねぇと」
 フレイザーは再び首を傾げた。
「今の発言も削除?」
「いや……、後日改めて確認して頂く為にも、記録しておいた方がいいかもしれませんね」
「面白いな、お前等……」
 言い返す言葉が浮かばず、レオアリスは視線を逸らせた。
 ヒューイットが立ち上がり、右腕を胸に当てる正規軍式の敬礼を向ける。
「私は、もう一度タウゼン閣下の説得に向かいます。兵を出す前に、近衛師団への協力要請を出していただかなくては」
 そう言い掛けた時に、執務室の扉が開いた。
 入って来たのは総司令部に行ったはずのグランスレイで、手に一通の書状を持っている。
「早いな、アヴァロン閣下には」
「上将」
 張り詰めた声の響きに、レオアリスは何かを感じたのか背筋を伸ばした。
 同様にグランスレイはレオアリスの前で一礼し、書状を差し出した。
「王の召命が下りました」
 レオアリスの面差しが鋭く引き締まる。
 それでいて、喜びに似た光が頬に透けるように差した。
 恭しいと言っていい仕草で書状を開き、そこに書かれた文面に視線を落とす。
 激しい雨音さえ掻き消す、緊張。
 レオアリスは書状を読み終えると、その瞳をヒューイットに向け、笑みを刷いた。
「ヒューイット中将、貴方は自らの意思と責務を貫いた。正規軍は貴方と同じ判断をしたぜ」
 書状を丁寧に畳んで机の上に置き、壁に掛けていた漆黒の長布を身に纏った。
「これから陛下にお会いする。正規軍から近衛師団に、協力要請が出た」





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