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王の剣士
【第一章「収穫祭」】


  正午過ぎ、この時刻の上層の大通りを一筋入った辺りは普段なら人通りが少ない。大通りには食事を出す店があり混み合うが、そこから路地に入るとほとんど店が無いからだ。
 主要な通り以外でも馬車が通れるようゆったりと道幅が取られ、通りの左右に歩道が設けられているのが上層の特徴だった。レオアリスが歩道を歩く間にも、個人所有の馬車が二台、通り過ぎた。
 この時間、太陽がほぼ真上から降り注ぎ通りは明るいものの、通りの両側に並ぶ建物の重厚な壁と固く閉ざされた青銅の扉は、用のない者を拒むように感じられる。
 ただ、今レオアリスが歩く通りの先には人だかりができていて、目的の館はすぐに判った。




 正規兵達はレオアリスの姿を見ても驚いた様子は無かった。アスタロトが事前に連絡をしていたからだろう。
 玄関前に立っていた三名は大将位に対する敬礼を向け――しかし、その面には来訪を歓迎している訳ではないという思いが、隠す事もなく浮かんでいる。
「任務を邪魔するようで悪いが、少し確認させてもらいたい」
「どうぞ。お話は伺っております」
 前へ出て、案内する素振りを見せたのは隊の小隊長だろうか。二十代半ばほどで、軍服を見ればやはり小隊長を示す紀章があった。
「どこをご覧に?」
 レオアリスは瞳を細め建物全体を見上げた。
 もう法術の気配はないと言っていい。朝のあの時でさえ、ごく微かな残り香だったのだ。
「そうだな……」
「ごゆっくり、いくらでも捜して頂いて構いませんよ」
 視線を戻すと、小隊長は薄い笑みを浮かべてレオアリスを眺めていた。
「さすが近衛師団はずいぶんゆとりを持ってらっしゃっるようで」
 そこには他の管轄に首を突っ込むとは、という含みが込められている。
 レオアリスは敢えて平然と肩を竦めてみせた。
「俺だけはな。他は忙しいんだ」
「ああ、だから供もお連れにならず、お一人で。まさか剣士殿ともあろう方がお一人で来るなんて、何か隊内に問題でもあるのかと思いましたよ」
「至って平穏だよ」
 出掛けに相談した際、グランスレイはやはり賛成ではなかったが、アスタロトに頼まれては断る訳にも行かないと、渋々頷いた。
 誰か同行させようと言ったが、それは止めた。
 極力、近衛師団の立場での関わりを出さない方がいいと思ったからだ。
「俺は偶然気付いただけだから、任務じゃなく単なる証人的な立場での協力に過ぎない。ところで、入っても?」
「――どうぞ。屋敷の主に先ずはお引き合わせします。くれぐれも余り刺激しないでくださいよ」
「手間をかけて申し訳ない」
 レオアリスが言い返してくると思っていたのか、肩透かしを食らったような顔になって小隊長は扉を示した。
 小隊長とレオアリスが邸内に入る姿を追って、誰のものか、小さな舌打ちが聞こえた。
「あんなガキが大将なんて、近衛はどうかしてる」
「剣士ったって、剣士は軍にゃ向かないっていうじゃないか」
「戦闘種ってよ……戦闘狂だろ、薄気味悪いぜ」
「よせよ、聞こえたらお前斬り殺されるぜ」
 素早く囁き合う声と抑えた笑い。
 小隊長は聞こえなかったかのように扉を閉ざしたが、口元に薄笑いを浮かべている。
 レオアリスにしてみれば、批判は気にならない。
 というよりは、気に掛けないようにしている。
 自分の状況を考えれば、当然あるものだろうと理解はできる。
 ただ、近衛師団大将としては正面切って批判を受け入れていると取られるのは避けるべきで、そこが難しい。
 かと言って、下手に不快な表情でも見せれば余計つつかれる。
 あと数年、相応に年齢が上がれば、批判も少し鳴りを潜めるだろうか。
(年齢だけ理由にしても仕方ないか)
 そもそも剣士であることはこの先もずっと変えようがない。だから年齢のこと以上に、自分がこの立場に相応しいと認められるよう努力を重ねていく必要がある。
 何より、王を守護する近衛師団として、相応しく。
 批判を受けて仕方がないと言っているだけでは、自分をこの大将に任じた王の意思すら裏切る事になってしまう。
 それは絶対に嫌だ。
 王の期待に叶う存在でありたい。
 その願いがどこから来るのか、故郷の村にいて王の姿を見たことが無かった時でさえ――レオアリスの中にそれは核のようにあった。
「――こちらです。二階へ」
 レオアリスの沈黙をどう思ったのか、小隊長はどことなく視線を逃がすと、先に立って玄関広間の正面にある階段を昇り出した。




 邸内は主の財力を感じさせる内装で、優美な曲線の手摺を持つ階段を昇った二階の、廊下の左奥に主の部屋があった。
 廊下の反対側の奥には正規兵が二人立っている。おそらくそこが失踪した娘の部屋なのだろう。
 案内されたのは応接間のようだった。一階に正式な応接間があるのだろうが、ここは主人がごく親しい客と談笑する為の、小ぶりのものだ。色彩鮮やかな絨毯の上に、椅子が幾つか置いてある。
 ここにも正規兵が壁際に三名ほど立っていて、屋敷の主は蒼白な顔を伏せるようにして中央の椅子に座っていた。
 五十歳半ばほどの主はレオアリスの姿を見て訝しそうな顔をしたが、名乗ると改めて軍服を確認するように見つめ、次第に瞳に希望の光を浮かべた。
「剣士殿――、で、では貴方が……近衛師団も娘を捜してくださるのですか!?」
 近衛師団も、という言葉の先には、王も、という意味が含まれている。
 それをぴりりと感じ、レオアリスは改めて気を引き締め、慎重に口を開いた。
「正式な任務ではありませんが、娘さんを見つけ出せるよう、できる限りのご協力はします。少し、邸内を拝見してもよろしいですか?」
「もちろん―― !」
 主は咳き込むように言って、何度も頷いた。
「では何か手掛かりでも?」
「ここを朝通りかかった時に、気になった事があります。それを確認して、何か判れば確実に彼等に伝えます」
 レオアリスは正規兵達を確認するように振り返り、これには彼等も真剣な面持ちで頷いた。
 主はその場を離れようとしたレオアリスの手を押さえ、ぐっと握った。
 正面から視線が合い、主の青ざめた瞳の光にレオアリスは息を詰めた。
 微かに震えているその手に、痛いほどの力が籠められている。
「どうか――、どうか娘を、あの子を無事に――」




 主の部屋を出て、廊下を真っ直ぐに娘の部屋へと向かう。その間にも、特に法術の気配を感じる事はなかった。
 娘の部屋はいかにも少女らしい、可愛らしい部屋だった。ここにいる正規兵は幾ばくか気後れした様子で、レオアリスもやはり彼等と同じように、捜査の為とは言え踏み込むのは躊躇われた。
 少女らしい部屋だからというだけではなく、こんな出来事には相応しくない場所だと、そう思える。
 小さな前室と、その奥の部屋には白い天蓋のついた寝台。窓辺に掛けられた日除け布は薄桃色に白い小さな花を散らしている。
 背の低い衣装棚に、化粧台の上には化粧品より人形やぬいぐるみの方が多く乗っていた。思ったよりも随分若そうだ。
 年齢を尋ねると、すぐに答えが返った。答えたのは室内に居た、四十歳くらいの兵士だ。
「十三歳と言っていました」
「十三――」
 まだほんの子供だ。
 レオアリスは室内をぐるりと見回した。日差しが明るく室内を染め上げ、法術の気配は全くない。
 朝よりも近付いたはずがこれでは、協力をしたくてもしようが無いと、そう思えた。
「いなくなったのに気付いたのは、朝になってからか?」
 やはり先ほどの正規兵が頷いた。
「そのようです。家人が起しに来て、部屋に居ないのに気付いたそうで。それが朝の七刻ぐらいでしょう」
「その時の様子は……何か変わった事とか」
「窓が開いていたそうです。その、露台への窓です」
「窓――」
 その正規兵が指差した窓は、通りに面して設けられていて、言葉通り露台に繋がっている。それは今も開いていた。
「露台……露台か」
 そう呟いて、レオアリスの漆黒の瞳にぱっと光が閃いた。
「見ても?」
 扉の前にいた小隊長が面倒そうに肩を竦める。
「どうぞ。しかし全く痕跡はありませんよ。侵入した跡や、降りる為に縄を括り付けたような跡も。我々だって確認しましたがね、もう一度見ても改めて見つかるものなんて」
「それは、多分その通りだ」
 ただ、レオアリスはもう一つ、はっきりと思い出した。
 あの時、何かが光を弾いていて、それがレオアリスの眼を止めたのだ。
 窓硝子が太陽を反射させているのかと思ったが、そうではなく、露台の辺りで何かが光を弾いているのだと――
 肩に纏った長布を翻しレオアリスは露台へと部屋を横切った。その様子に、年配の正規兵が後を追う。
「何か――」
 レオアリスは左右に広い露台をざっと見渡し、正規兵へ顔を向けた。
「光を弾きそうなものを捜してくれ。大きさや形状は何でもいい」
「光、ですか」
 年配の正規兵は不思議そうな顔をしたものの、すぐに下を向き、それから白い御影石を貼った露台に身を屈めて捜し始めた。レオアリスも膝をついて、視線を低くする。
 何をしているのかと、小隊長やもう一人の正規兵も、顔を見合わせて窓辺に寄った。
 一軍の大将が地面に手をついて捜査をするなど、まず有り得ない。
 笑おうとしたが上手くいかず、逆に二人とも同じように露台に目を凝らした。
 ほどなく、しゃがみ込んでいた年配の正規兵がレオアリスを振り返った。
「これは? 割れてますが」
 硝子戸の影になった辺りを指差す。
 欠片を合わせれば小指ほどの大きさの、薄い乳白色の水晶が、白い露台の窪みに落ちて割れていた。
「水晶か――」
 レオアリスはその前に屈み、革手袋をはめたままの指先で、一番大きな欠片を拾い上げた。
 陽光にかざすと、水晶は内部できらりと光を屈折させ、反射させた。
 ふっと漂った、ごく微かな、法術の気配。
「多分触媒だ。水晶……」
 どこかで――、いや、ついさっき聞いた。
 クライフが指で大きさを示して見せた――
「大将殿?」
 膝をついたまま黙り込んだレオアリスの顔を覗き込むように、年配の兵士が問いかける。
「いや。有難う」
 レオアリスは立ち上がり、水晶の欠片を小隊長に手渡した。
「これを法術院の分析に。アスタロト公へは後からご説明するが、俺が感じ取った気配はおそらくこれだ。こいつの出元を捜すといいだろう。そこから辿れるかもしれない」
「承知しました」
 レオアリスの瞳を見てその重要性を感じ取ったのだろう、小隊長はそれまでの反発を一時忘れてすっと頷いた。
 小隊長が水晶を大切に布に包むのを見ながら、レオアリスはこの後すべき事を考えていた。
 クライフの示した水晶。
 この朝に、下層の人ごみで、ひったくりに盗られた鞄に入っていたものだ。
 おかしな事に、あの場で誰も、持ち主だと名乗り出なかった。
(偶然か、それとも)
 あの鞄に入っていたものが、この水晶と同じ物だったとしたら
 レオアリスは少し足早に、館を後にした。








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renewal:2009.08.22
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