二
「いつも思うが勿体ないねぇ。このまま売ってもいい金になるぜ」
ウルドは担いでいた少女を、揺れる船倉の床にどさりと下ろした。
エマの法術によって深い眠りに落ちているせいか、少女が目を覚ます様子はない。ただ少女の目元には憔悴と泣き腫らした跡がある。
攫われて来てからずっと閉じ込められ、恐怖はこびりつくように彼女達を捉えていた。眠っている方がましな状態とも言えるだろう。
エマはウルドを睨んだ。
「ちょっと、荷物みたいに扱うんじゃないよ。それに人形のがずっと高値で売れるさ。永遠に老いも変わりもしない。十年もすりゃこの子らだって感謝するかもね」
「ふん、口調がユンガーに似てきたなぁエマ。ま、俺は生身の女の方がいいね。十年くらい経った方がよ」
「あんたの趣味なんざ聞いちゃいないよ、そう真っ当でもないくせに」
エマも少女を下ろし、片手で豊かな髪を跳ね上げる。
「無駄口叩いてないで、さっさと残りの娘を運んでちょうだい。時間が無いよ」
堰の開く十一刻まであと半刻、残り三人の娘と――アスタロトを船に移さなければいけない。
「判った判った。そんであのお嬢ちゃんはどうするんだ? まだ眠らせてねぇみたいだが、暴れてせっかくの船を焼かれちゃ困るぜ」
エマは少しだけ声を落とし、少しだけ眉を潜めた。
「いいんだってさ。ユンガーは観察したいんだろ――いつもの事さ。まあ娘を一人、脅しに連れてれば手も足も出せやしない」
ユンガーはいつも、人形作りに取りかかる前は、対象を観察した。一つ一つの表情、仕草。
何をする訳でもなく、ただ観察する。
本来の性格や表情を丁寧に拾い上げ、人形の表情や仕草に活かす為だ。
ウルドはうんざりと眉をしかめた。彼にしてみれば、ユンガーの趣味などさっぱり理解できない。あれを欲しがる相手がいるのだから、全く世の中判らないものだ。
そうは言っても商売が成り立つからこそ、ウルドはこの仕事を引き受けているのだが。
「お前、ユンガーとは長いんだろ。奴はいつからああだったんだ?」
ウルドはもともとエマとは昔馴染みだったものの、ユンガーと組んで仕事をするようになったのはここ一年ほどの事だった。
エマがウルドの商業網を頼ってきたからで、以前から王都とその近隣で裏の仲介業を営んでいたウルドは、ユンガーの人形を引き受けた。
だが、ユンガーの過去については全く知らない。
「長いったって五年程度よ。会った時にはもう今と同じように人形を作ってたからねぇ」
エマが初めて見た時も、人形はユンガーの横にいた。
今と全く変わらない、あの右側の人形だ。
ユンガーが最初に成功させた、人間から作り出した人形なのだと聞いた。
もう一体は何度か入れ替わったが、あの右側の一体だけはずっと変わらない。
何度か売って欲しいと請われているが、ユンガーは全くその気は無いようだった。むしろその要望は彼を怒らせるものだ。
あれだけは特別――
「まあ、俺は分け前さえ貰えりゃいいがね」
「そう思うならさっさと仕事しなよ。あと残り三人を運んでおいて」
「お前はどうすんだ、俺ばっかりに押し付けんなよ」
エマは紅い唇を吊り上げてみせた。
「あたしはお嬢さんを迎えに行くのよ。お友達連れてね」
アスタロトは完全に、待ちくたびれていた。
もう何刻経ったか判らないのに窓を叩く合図すら無い。だだっ広く何もない部屋は考える事しかできなくて、考えるだけで行動できない状態は辛い。
せっかくここまで来て、攫われた娘達は目と鼻の先にいるのにだ。
きっかけがあれば、助ける為に動けるのに。
「遅い――遅すぎる。アイツ何やって」
「何が遅いんだい?」
ふいに声を掛けられ、はっとして顔を上げると、いつの間に来たのか扉の横にエマが立っていた。
アスタロトは息を呑んだ。エマの後ろに影のように立つ一体の人形――そして、人形の腕に抱えられているのは、十三、四の少女だ。
眠っているのか、黒い真っ直ぐな髪が俯いた頬に落ちかかり、瞼を閉じているせいもあってあどけなさすら残っている。
エマが少女を連れている理由は、聞かなくても判った。
「――」
睨み付けたアスタロトの視線を、エマは笑みで受け止めた。
「おいで。これから王都を出るのよ」
アスタロトはそっと息を抑え、素早く窓を見た。時計など無く時刻は判らないが、深夜に近いように思える。
(何やってるんだ、レオアリス……)
エマは豊満な胸を強調するように腕を組み、満足気な笑みを浮かべた。アスタロトが軍の救援を待っている事などエマ達にはお見通しだ。
だが、これまでこの倉庫の周辺や表の船に、兵士らしき者が近付く気配は無かった。兵士どころか、雨のせいか人影すらない。
あと四半刻で堰が開き、船が出る。
王都を出てしまえば、エマ達の――、ユンガーの勝ちだ。
「残念だったけど、あんたの助けは来なかったねぇ。正規軍も頼りないじゃないか。大事な総大将がここにいるってのに」
嘲る言葉に対し、アスタロトは挑発するような瞳をエマへ向けた。
「正規軍が頼りないかどうか、試してみれば」
エマの赤い唇が上がる。
「ふふ、そんな言葉で待ったりしないわよ。あんたは正規軍の兵を犠牲にする気なんて無いんだろ。さあ、もう船が出る、おとなしく歩いてちょうだい」
「船――」
アスタロトは口中でその言葉を繰り返した。
予想していなかった事態に、アスタロトの面に少なからず驚きが走る。エマはアスタロトの驚きを見て取り、再び紅い唇をにんまりと吊り上げた。
「そう、船よ。この雨で運河の堰が開く。どういう仕組みか、あんたには大体判るでしょ? 王都ってのはホントにすごいよねぇ、きちんと考えられて造られてる。お陰で堰を開いてる間は何にも邪魔されずに船を出せる。この雨はまるでユンガーの味方をしてるみたいじゃないか、ねぇ」
だからもう諦めなよ、とエマは優しい声を出した。
「あと半刻後には王都とも永遠にお別れ――せめて別れを惜しんでおいたらいい。さあ、おいで」
同情たっぷりの言葉とは裏腹に、エマの後ろでは人形が眠っている少女の顔に手を掛ける。
一度はエマを睨み付けたものの、アスタロトは両手を握り締めて感情を押さえ込み、部屋を出た。
(船――)
非常に不味い状況だ。まだこの場所すら伝えられていない状態で王都を出てしまえば、ユンガー達を追う手がかりは途切れてしまう。
外部から完全に切り離され、助けの期待できない状態で、ユンガーの人形から娘達を取り戻さなくてはいけなくなる。
(私一人で、人形を抑えられるか? 娘達に傷を付けずに――)
ずっとそれを考えていたのだ。けれどどう考えても、昼間の状況から抜け出せない。
人形はおよそ二十体はいる。せめて人形達を一ヶ所に集めなくては。
(やっぱりユンガーを捕まえて、脅して解放させるとか)
それでもユンガーが娘を殺そうとすれば、アスタロトは手を下ろす他無い。
アスタロトはエマと人形に挟まれて、倉庫から表に出た。
外に出ると、あれだけ降っていた雨は小降りになってきていて、上空の雲が晴れてきているのが判る。もう今にも止みそうだ。
すぐ目の前には運河があり、暗い水の上に、白い帆を張った帆船が揺れていた。ぼんやりと浮かび上がるような姿に、心臓の鼓動が早まる。
周囲に意識を向けても、運河の水が船底や岸壁を叩くだけで、アスタロトの待っている音を聞き取る事はできない。
来ていないのか――間に合わなかったのか。
ここを見つけられなかったのか。
(そんなはずはない。レオアリスは絶対に来る)
エマがアスタロトの背中を押す。少女を抱えた人形がアスタロトの脇を抜け、船へと向かって歩いていく。
否応なくアスタロトも船に向かった。
「準備はいいか?」
地政院の運河管理官は堰の水量調節壁を開く為、一抱えもある円形の把手を掴み振り返った。
雨は漸く止んでくれたが、予想通り水位は大分上がっている。目盛りの危険域まで、あと一寸、親指の先程度しかない。
もう一人の管理官も頷いた。他の堰も用意を済ませているだろう。
「ああ、丁度いい頃合いだ。合図の鐘と同時に開こう」
堰を開く時だけは、深夜であっても王都各所の時計台の鐘を鳴らす。
開く時間を合わせる為と運河周辺や王都全域への周知、また万が一、運河を通行しようとする者に危険を報せる為でもある。
待つほどもなく、すぐ近くの時計台が合図の鐘を鳴らした。
一つ。
管理官は両手に力を込め、重い把手を回し始めた。
|