朝になってもジウスの現われる気配は無かった。レオアリスの黒い瞳の中に、翳りの色が浮かぶ。 「仕方ない、行こう」 もし来た時の為にと、宿に言伝だけ置いて、二人は宿を出た。昨夜は暗くて判らなかったが、ミストラ山脈は既に街の東を阻むように、高く目前に連なり聳えている。山脈の尾根から湧き出したかのような厚い雲が、空を塞いでいた。 街の門へと歩き出そうとした時、抑えた声が掛けられる。振り返ると、路地の陰に中壮の男が立ち、二人を素早く手招いた。昨日宿にいた男達の中に見た顔だ。レオアリスが歩み寄ろうとするのをロットバルトは一度止めたが、それを手で押さえて男に近寄る。男は二人が自分の方へ来るのを見て、更に数歩、細い路地の奥に退った。 「何の用だ」 レオアリスが問うと、男は誤魔化すような笑みを浮かべる。 「あんたら、サンデュラスの商人と会えたのかと思ってな」 ロットバルトが傍目には分からない程度の、警戒の色を蒼い瞳に浮かべる。男の眼に少しの間視線を注いでから、レオアリスは首を振った。 「――残念ながら、会えなかった」 「なるほどなぁ」 男は一人納得したように頷くと、二人に意味ありげな視線を向けた。 「何だ?」 「……今はものが少ねぇ。分かんだろ?」 「何の事だ?」 石の壁に手を付いてレオアリスの瞳に浮かんだ光が鋭さを増す。男はその光に僅かにたじろいだが、浮かべた笑みを崩さないまま両手を軽く広げた。 「とぼけても無駄無駄。わざわざサンデュラスの奴と商売するなんて、目的は一つしかねぇよ。忠告しといてやるが、一般にゃ知られてなくたって聞く奴が聞きゃあすぐ判る」 「――」 「別に軍に突き出そうってんじゃ無い。ただ、せっかくエザムからはるばる来といて手ぶらで帰るんじゃ、商売上がったりだろ。ま、おたくら商人風にも見えねぇから、単に道楽かもしれねぇがよ。……街に直接行けば、もしかしたら手に入るかもしんねぇ」 「……どこで」 「教えてやんなくもねぇが……」 そこで言葉を切り、右手の掌を上に向け、親指と人差し指の二本の指を軽く弾く。レオアリスは小さく溜息を吐いた。 「場所と、店なら店の名前。幾らだ」 「そうだなぁ。場所で十、店の名で五。銀貨でな」 銀貨十五枚といえば王都でも中流の住民達のひと月分の稼ぎに相当する。レオアリスは話にならないというように大きく息を吐いた。 「アホか。確証も無い情報に誰がそんなに出すかよ。合わせて五」 「十四。その後ろのキレイなのは金持ってんじゃねぇのか?見たとこ、十五なんてそいつの着てる外套一枚にもならねぇぜ。なぁ」 男は探るような目つきでロットバルトに顔を向けたが、レオアリスはそれを無視して短く言葉を告げる。 「六」 「……十三でどうだ」 「六。たった二言喋るだけでそれだけ入るんだ、十分美味しいだろ」 「十二!」 レオアリスがただ肩を竦めて譲る気の無い事を見せると、男は大げさに息を吐いた。 「ちっ。……先払いだ」 突き出された男の掌の上に、取り出した銀貨六枚の内、三枚だけを乗せる。 「……ガキのくせにしっかりしてやがんなぁ。――鍵屋通りのエルロイって店に行ってみな。そこなら金次第で、ま、ほぼ確実に手に入る」 受け取った硬貨を懐にしまって男が路地を出るのを見送り、レオアリスは重い息を吐いて路地に寄りかかった。視線を上げた先には、建物に一部切り取られた灰色の空が見える。 「あんなのが多いのか。思った以上に流れてるな」 真偽はともかく、ここまで簡単に情報が手に入るのは、決していい傾向ではない。アリヤタ族の内臓の密売が、想像以上に容易く、一般化している事をも意味する。 「一件一件上げても埒が明きません。根元を押さえればそこから張った根を伝える。まずはサンデュラスに向かいましょう」 頷いて、レオアリスは壁に預けていた身体を起こした。 |