峻険、ミストラの尾根に阻まれて、東の街道はその役割を終える。 山脈は至る所に切り立った壁面を覗かせ、剥き出しの岩肌に所々張り付くように捩れた樹が生えている。 主要な街道から逸れたこの街、サンデュラスも、元々は山脈を越える旅人のために宿場として設けられたものだ。しかしミストラを越えればそこは地図無き荒涼とした大地が広がり、敢えて険しい山を越えようという者は皆無に近い。 唯一とも言える山中への登り口のすぐ手前に、サンデュラスの石造りの家々が大地にへばり付くように建てられ、荒廃した空気を重く纏っていた。建物の灰色の壁は煤け、今日の曇天の空と、街の向こうに聳える幾重もの山脈に圧迫されるように、全体が寂れ、縮こまって見える。 ロットバルトは被きの下から街の様子を手早く見回し、横を歩くレオアリスに視線を向けた。 「組織的に売買を行っているとしても、利益が街に還元されている様子はありませんね。それよりも、街の活気自体が感じられない」 その言葉どおり、大通りにまばらに店は出ているが、それすらこれまでの街道沿いの街に見られたような屋台組みの店は少なく、多くは路上に布を敷き、或いは籠を置いて商品を並べているだけだ。 無気力な街、と、印象はそれだった。 どこか荒んだ空気の中、ぽつぽつと店を並べる寂れた様子に眼を向けながら、二人は通りを抜けていく。日中だというのにそこを歩く者すら少ない。旅人が珍しくないのか、それとも無関心なのか、店の奥に座る住民達は二人が通り過ぎるのを暗い目つきでただ眺めている。 王都から遠く離れ、取り立てた産業もない、商益とは無縁の街。 この街を領封する領事館も名ばかりで、本来在るべき領事は警備隊の長が代わって務めていた。警備隊の長は領主により任免された者がその任に就くが、隊士達の多くは地の者ではなく、近隣から集められている。辺境のさほど重要性の高くない街では、こうした形態が取られることが多い。その分任務に対する意識が薄いのは、仕方のない事だとも言えた。 それだけが全てと言ってしまえるものではないが、荒廃と貧困、それに根差したものが今回の原因になっていることは否めない。 「警備隊の詰め所となっている領事館は、通常街の中心部に造られます。おそらくここも同様でしょう。だからと言って、直接尋ねていって問い質しても、まともな答えは期待できませんね。証拠を掴まなければ話になりませんが……。ジウスを探しますか」 「そうだな……」 ジウスを探すにしても、確実な当てはない。まさか警備隊士を捕まえて尋ねる訳にもいかない。レオアリスは暫く考え込むように通りを眺めていたが、またすぐに歩き出した。せっかく支払った情報料を無駄にすることは無い。 「まず、例の店を探そう」 そう言うと時折細い路地を覗き、壁に示された銅版の通り名を確認していたが、何度目かにあの商人の言った路地を見つけて入り込んだ。 暫く細い路地を歩き、突き当りの建物の前で立ち止まる。寂れて今にも崩れそうな外観をしていて、傾いだ看板には男の言った名前と、宿と記されているものの、ロットバルトにはとても客を泊める場所とは見えないようだ。 「……ここに、お入りになるんですか?」 「そんな顔すんな、ここの奴らに見られたら反感買うぜ」 「純粋に驚いたんですよ。良くこれで倒壊しないな」 レオアリスは宿の扉にかけた手を一旦下ろし、呆れた顔でロットバルトを見上げた。 「お前時々意外な事知らないよな。まあいい、中に入る前にその感想は引っ込めろ。ついでに、お前はしゃべらなくていい。お前がその調子で口を利いたら余計な揉め事になりそうだ。ただでさえその格好、ここじゃ浮くからなぁ」 「残念ながら」 「ったく……ま、それでいいんだけどな」 一人納得したようにそう言うと、再び扉の取っ手に右手をかけた。 軋んだ音を立て扉を押し開くと途端に複数の笑い声が耳を打った、開いた扉に気付き、声はさっと静まり返る。薄暗い中で幾つかの顔が、一斉に入り口に向けられた。 カルドレの宿と同じように一階は酒場になっていて、昼間だというのに酒瓶を抱えた男達が四人、円卓を囲んでいる。 荒んだ視線が、この場にそぐわない来訪者を上から下まで眺める。ひゅうっと高く口笛が鳴り、男達は顔を寄せて小声で二言三言交わすと、再びどっと粗野な笑い声を上げた。 「よお」 男達を気にする素振りもみせず、レオアリスは慣れた様子で奥に進むと、店と厨房とを分けている壁から張り出した横長の卓越しに、店主らしき男に声をかけた。ロットバルトもレオアリスに従って店に入り、男達の様子をそれとなく眺めながら長机の前に置かれた丸椅子に腰掛ける。 いでたちはてんでばらばらだが、四人とも腰帯に長剣を差しているのが見える。薄笑いを浮かべたまま、男達が二人に視線を投げた。 「ここはお前のようなガキが来る場所じゃない。帰んな」 店の主の初老の男は、レオアリスを見もせずに煩わしそうに手を払った。レオアリスは動じず、卓の上に左腕を乗せる。 「よく言われる。ま、しょうがないだろ?どんな仕事も選べるが、年齢ばかりは選べない」 「……何の用だ。宿か? 宿なら表通りにある」 「だから。そこじゃ用が済まねェから、こんな為りでわざわざここに来たんじゃねぇか」 そう言うと懐から一枚の銀貨を取り出し、卓の上に投げた。 ロットバルトはレオアリスの手馴れた遣り取りを呆れたように眺めていたが、銀貨の音に円卓を囲んでいた男達の目の色が変わるのを捕らえると、僅かに手を動かし、外套に隠した剣へと近づけた。 「すげぇ、こりゃ銀貨か。お前、何者だ」 「俺というより、金はそこのお方が出してんのさ。物好きな方でね」 男達は納得したように、ロットバルトをじろじろと眺めた。 (全く……) この為にわざわざ、こういう場所で浮く自分を同行させたのかと、ロットバルトは心の中で溜息を吐いた。 更に言えば、外見だけ取ってみれば、二人とも軽視されこそすれ、警戒されることはほとんどないだろう。男達は全く疑う様子が無い。 レオアリスの声が低くなる。 「秘術が、お好みだ」 椅子を蹴立てて、男達が一斉に立ち上がる。 「このガキ……ッ」 「おっと、騒ぐのは止めてくれ。あんたらにしても、俺達にしても、騒ぎは全くありがたくない。そうじゃないか?」 その言葉に眼を見交わし黙り込んだ男達の目の前で、レオアリスは懐から小さい袋を取り出して卓に落とした。硬貨のずっしりとした音が、暗い店内に響く。 「どこで手に入るか、それだけでいい」 初老の男は呆然とした目つきで硬貨の入った袋に手を伸ばしながら、レオアリスとロットバルトを値踏みするように交互に眺めた。 「……今はない。最近は、モノが不足しててな」 レオアリスの眼が僅かに細められる。 「いつならいい」 店主はにやにやと薄笑いを浮かべ、首を傾げてみせた。 「ちっ。欲を張ると為にならないぜ。――あと一枚」 そう言ってレオアリスが取り出したのが金貨だと見て、店主の顔が驚きと喜びに引き攣った。レオアリスの指が金貨を跳ね上げる。とっさに伸びた店主の手を押さえ、目の前で金貨をチラつかせた。 「……あ、明日だ。今、仕入れに山に入ってる。明日になれば、どっさりとここに届くさ。ほとんど最後の品だ。加工にゃちょいと時間がかかるが、何、大した日数はかからねぇよ。あんたらは運が良かったな」 一瞬レオアリスは顔を強張らせたが、そのまま金貨を店主の手の中に放った。店主は手に取った金貨を眺め回し、大切そうに懐にしまい込んだ。二人の遣り取りを固唾を呑んで見守っていた男達が、一気にざわめく。中心人物らしき男が立ち上がり近づくと、卓の上に手を付いて店主に顔を近づけた。 「おい、エルロイじいさん、まさか独り占めする気じゃねぇだろうな。誰のお陰で無事に商売してると思ってんだ」 自分の隣の椅子に腰掛けた男の顔に、レオアリスが視線を向ける。 「どう分けようとあんたらの勝手だ。けど、明日になってここの警備が立ち入るなんて事はないんだろうな」 そう問うと、エルロイは金を数えながら意味ありげな薄笑いを浮かべた。 「警備ねぇ。警備ならそこにいるぜ。自己紹介したらどうだ、ガストン」 驚いて振り向いたレオアリスの顔を見て、円卓にいた男達がどっと笑い声を上げる。 「おいおい、バラすなよ。辺境軍にタレ込まれでもしたらどうするんだ」 卓に座って、エルロイの手元の硬貨を一緒になって数えながら、ガストンは店主と顔を見交わす。 「同じ穴の ガストンの言葉に、レオアリスは凄惨とも言える笑みを口元に刷いた。それを、男達は満足したための笑いだと勘違いしたようだ。再び騒がしい笑い声が店内に響いた。 「しない。安心しろよ」 一旦男達をぐるりと見回して、再び卓の奥の主人に視線を戻す。 「だが、こいつらはどの程度なんだ?いざって時に役に立つのか」 どっと笑い声が上がる。エルロイは口元を歪め、空気をこするように笑った。 「お前の隣のが、副隊長様だよ。役に立つどころじゃねぇ。いくらでも揉み消せらぁな」 「……へぇ。そりゃ、すげぇ。警備隊まで絡んでるとは、驚いたぜ」 レオアリスが口元に浮かべているのは笑みではない。怒りだ。今にも剣を抜きかねない程の怒り。それが何故この男たちに伝わらないのか、その事がロットバルトには不思議だった。 自分達の行為が非難されるべきものだとは、露ほども疑っていない。いや、それは既に、この男達の間では日々の生活に磨耗され、感覚を無くしている。 もしここで二人の立場と目的を明らかにしたとして、彼らが納得して事が丸く納まるということはあり得ないだろう。 レオアリスは一瞬だけきつく眼を閉ざした。 「明日、また来る」 椅子から滑り降り、ロットバルトを促して扉へと向かう。それ以上声をかけられる前に、騒々しい音を立てる扉を閉ざした。 大またに大通りに向かって歩くレオアリスの後を追いかけ、ロットバルトはその隣に並んだ。 「上将。今の男達を抑えますか」 「……いや、それより先に本隊を抑える。――カイ」 レオアリスの声に、どこからか微かな鳥の鳴き声が答える。伝令使――レオアリスに常に付き従う使い魔だ。離れた場所へ、一瞬で意思を伝える能力を持っている。 レオアリスは姿の見えない伝令使に向かって、サンデュラスの近隣に伏せさせた右軍への指令を、低く素早く伝えていく。 「軍を山中に進め、制圧しろ。制圧に入る前にサランバードに一報を入れろ」 ロットバルトは瞳を鋭く細めた。 正規東方軍第七大隊の駐屯地、サランバードに動きを伝えるという事は、この時点から事態は公然のものとなった事を意味する。そして公然のものとなった以上、王の命が無い限り、近衛師団の行動を妨げるものはない。 「一小隊は警備隊の本部へ回せ。俺達もまずは本部へ向かう。……行け」 姿の見えない羽ばたきが一瞬聞こえ、すぐに掻き消える。 大通りに向かって再び歩き出そうとした時だった。 「なあ」 幼い声がかけられ、ロットバルトの外套の裾が引かれる。眼を向けると、そこにいたのは数えで十にも満たない少年だった。 薄汚れたボロ布のような服を纏い痩せこけたその少年は、振り返ったロットバルトを見上げた。 「兄ちゃんたち、術士さんだろ」 「……ああ」 「なら、買ってくれよ。いいもんがあるんだ」 ロットバルトは傍らのレオアリスにちらりと視線を走らせた。レオアリスが眼だけでそのまま話を聞けと促す。 「買えって、何を」 「こっち。付いてきて」 そう言って素早く走り出すと、少年はすぐ手前の家と家との細い路地に入り込んだ。後を追いかけて路地を曲ったが、すでに少年の姿は見当たらない。 足を止めて薄汚れた路地を見渡していると、入り組んだ家の二つ先の角から、先程の少年が顔を出した。 「こっちだよ」 大人が通るには狭い路地を進み角を曲がると、そこにはすぐ背後を山脈の斜面として申し訳程度の空き地があり、木を組んで造られた隙間だらけの小屋が一つ建っていた。その場にいた五、六人の子供たちが顔を上げる。全員が少年よりも更に幼い。一様に薄汚れ痩せこけたその姿に、二人は思わず足を止めた。 空き地の奥には小屋に隠されるように、石で組んだ窯のような物が置かれ、上部に設けられた煙突からは白く細い煙が途切れる事無く上がっている。 少年は小屋に入り、程なく何かを大切そうに抱えて戻ってくると、包んでいた布をそっと開いた。そこには掌より少し大きい、黒い塊が載せられている。 「――これが……」 燻されて艶やかな光を帯たそれは、一見しただけでは炭のようにしか見えない。 レオアリスは黒い瞳をきつく アリヤタ族の内臓から造られた、触媒。 少年は声を潜めてロットバルトを見上げる。 「こっそり隠しておいた、とっておきだよ。ここで燻してるんだ。店で売ってるものよりも上物だぜ。買ってくれる?」 「何故、俺に?」 「だって金持ってそうだもん。あの店に入ったって事は、こいつがいるんだろ?あの店より絶対安いよ。銀二十でいいからさ」 安すぎる金額に二人が驚いた顔を見交わすのを、少年は高いせいだと勘違いしたのか、慌てて言い値を下げた。 「じゅ、十五とかでもいいよ。でもこれ以上は下げないからな。十五でギリギリなんだから」 市場価格は、その軽く百倍は降らない。だがこの子供たちは、それすらも知らないようだった。おそらくあの店の男達は、ここで子供らに取ってきた内臓の加工をさせながら、それをただ同然の値段で買い取っているのだろう。背後でゆっくりと煙を吐き続ける古びた窯。真っ黒に汚れた衣服と手足。 「……悪いが、買う事は出来ない」 ロットバルトの代わりに、レオアリスが答える。少年は不満そうにレオアリスを見上げた。 「何で? 金無いのかよ。じゃあ、幾らだったらいい?」 レオアリスが僅かに唇を噛み締め首を振ると、ひどくがっかりした様子で項垂れた。 「なんだよ、ちぇっ」 それから、思いついたように再び二人を見上げた。その瞳にはどこか怯えたような光がある。 「あ、あのさ。兄ちゃんたち、いい人そうだからオレ声かけたんだ。これのこと、あの店には言わないでいてくれる?」 「ばれたら困るのか」 「殺されちゃうよ、オレ」 手にした包みを握り締め、少年はぬかるんだ足元に視線を落とした。裸足のままの足が、泥に塗れている。 レオアリスが周囲を見回すと、手を止めてじっと自分達を見ている子供等も、皆一様に怯えたような顔をしている。 「――分かった。言わない」 子供たちはほっとしたように息を吐き、ようやく明るい笑顔を見せた。ロットバルトはその場をレオアリスに任せ、今入ってきた路地の入り口に戻るとその壁に寄りかかる。 レオアリスは膝に手を付いて身を屈め、子供達と向き合った。 「お前達、ずっとそれを作って暮らしてるのか?」 「そうだよ。大人はやりたがんないんだ。どうせ食い物は領事さんとこで貰えるからさ」 「食い物? 領事館で食料を配ってるのか?」 少年の言葉にレオアリスは眉を潜めた。領事館で食料を配給するというのは、非常時以外にあまり聞いた事は無い。そもそも配給しなければいけない事態になっているとの情報は王都ではなかった。 ロットバルトを振り返ってみても、彼もただ首を傾げただけだ。 飢饉か災害か、いずれにせよ、王都へは情報が伝わるはずだ。しかし子供は気にした様子もなく頷いてみせる。 「うん。でも、オレたちはあんまり貰えないし、だからこうやって稼いでんだ。オレなんか、うんと小さいときからやってる。だから結構腕がいいんだぜ」 得意そうに見上げてくる少年に、レオアリスは微かに表情を翳らせた。 「……それが取れなくなったら、どうするんだ」 レオアリスの問いかけに、少年は困ったような瞳を上げた。 「もう少ないのは知ってるよ。――無くなっちゃったら、そりゃ、困るよ。雇ってくれるとこなんてないし。他はまだちっちゃいし」 そうすると、この少年が子供達を世話しているのだろうか。自分以外の子供達をまだ小さいと言えるほど、目の前の少年も年を取ってはいない。 それでも、彼らを支えているのは自分なのだと、そんな自負が少年の眼の中にある。 「それでも、いつかはなくなるだろう」 そんな事を真剣に考えた事など無かったのだろう、少年は暫らく戸惑って視線を彷徨わせていたが、つと顔を上げた。 「そうしたら、オレ、剣士になるんだ」 「剣士?」 「そしたら、王様に仕えられるだろ」 少年の言葉に、子供達がきゃあきゃあと笑う。笑いながら口を開いたのは少年よりも少し年下の少女だった。女の子だからだろうか、大人びた口調だ。 「何言ってんの。剣士なんて生まれつきじゃないとなれないんだから。あんたには一生無理。あきらめなさいよ」 「うるさいな! なるんだったら」 「なれないって言ってるでしょ!」 「なれるよっ!」 今にも噛み付かんばかりに顔を突き合わせて睨み合う二人を、レオアリスの手が引き離した。 「やめろって。仲良くしとけ」 二人は一旦顔を見合わせ、舌を出してからそっぽを向いた。レオアリスは二人の頭に手を置いたまま、ロットバルトを振り返る。 「お前、見たろ。こーゆーのをガキっていうんだ。俺とは大分違うだろ」 家の壁に身体を凭せ掛けたまま、突然何を言い出したのかとロットバルトは眉を上げて上官を見たが、すぐに黙ったまま口元に笑みを刷いた。 どうやらこの旅で散々子ども扱いされた事を、だいぶ気にしていたらしい。 「ちっ……むかつくな」 きょとんと自分を見上げた二人に気付き、視線を落とす。 「まあ、剣士にはなれなくても、剣は使えるだろう。訓練を受けて軍に入ればいい」 「剣士がいい」 きっぱりと言い切る少年に、レオアリスは首を傾げた。 「何で剣士がいいんだ?」 「レオアリスみたくなる!」 いきなり自分の名前を出され、レオアリスはぎょっと身を引いた。 「は?」 「何だよ、兄ちゃん知らねぇの? 王様に仕えてて、この国で一番強いんだぜ!」 「だから、なれるわけないっていってんのに。ばっかじゃないの?」 「うるさいったら。レオアリスだって、俺たちみたいに家も着るものも無かったんだぞ!」 「いや、そこまでじゃ……」 気まずそうにぼそりと呟いたレオアリスを見て、ロットバルトは再び口元を歪めた。どうやら巷間には、そういう話が流れているようだ。 大分尾ひれも付いていそうだが、貧しい中から立身出世したとあれば、特にこうした少年達にとっては強い憧れの対象なのだろう。 「でも、ちゃんと王様に仕えられた。だから、俺だって頑張って、強くなって王様に仕えるんだ。そしたら、皆で王様のいる都に行って、飯だって腹いっぱい食べられる。そしたらもう、ぶたれたり蹴られたり、しなくてすむじゃないかっ」 今にも泣き出しそうになりながらも強い思いを宿す瞳を、レオアリスはじっと見つめた。少年の前にしゃがみこむと、その頭に右手を乗せてくしゃりと撫ぜる。 「――いいじゃないか。頑張れよ」 途端に顔をぱっと輝かせ、少年が女の子を勝ち誇って眺める。 「ほらみろ、なれるって!」 「なれるとは言ってないじゃない。もう、変なこと教えないでよお兄ちゃん」 「はは……」 少女の利発さというか、この年齢ならではの大人びた口調に、レオアリスは何とも返事のしようが無いままに笑いを漏らした。それから、彼等にもう一度視線を戻す。 「さっき言ってた、領事館で食料を配ってるのって、本当なのか?」 子供達は顔を見合わせてから、口々に頷いた。 「ほんとだよ」 「いつも?」 「うん。最近はもうずっと」 レオアリスとロットバルトが顔を見合わせる。 「けど、オレあれは嫌だな」 意外な少年の言葉に、レオアリスは再び彼の顔を覗き込んだ。 「嫌って、食料を配るのがか?」 「うん。だって、皆そればっか当てにしてさ。最近なんもしなくなった。あんなのあるからいけないんじゃないの?」 逆に問いかけられ、レオアリスは言葉に詰まって眉を寄せた。 「そりゃま……自分で稼げるなら、その方がいいだろうな」 「そういったら、大人なんか怒るしさ。ばっかみたいだよ。もっと働いて稼いだほうがいいに決まってんじゃん」 「ん……」 領事館で配られる食料。それは間違いなく住民の救済用だろう。では、今回の件の根底にあるのはそれだろうか。警備隊による組織的な売買は、大量の食料を購入するためか? しかし、どう考えても先程の男達がそうした目的のために動いているようには見えなかった。 「ロットバルト、お前はどう……」 その瞳がふいに細められ、入ってきた路地に向けられた。ロットバルトも寄りかかっていた壁から身体を起こし、レオアリスの近くに寄ると路地に向き直る。 すぐにどやどやと複数の足音が聞こえ、先ほどの酒場にいた男達が空き地へと走り込んできた。子供達が悲鳴を上げ、小屋に走り込む。 「このガキども! 何やってやがるっ」 「やっぱり隠し持ってやがったな!」 少年の抱えていた包みに気付いて、目を剥き出す。少年がびくりと後ずさった。 ガストンは大股に近づいて少年の手から包みを奪うと、いきなり足を振り上げた。 靴の先が少年の身体を蹴り上げる寸前でレオアリスに足を払われ、ガストンが正面から地面に叩きつけられる。 呆然と顔についた泥を拭い、まだしゃがみこんだままのレオアリスを睨み付けた。 「てめぇ……っ」 「ガキ相手に凄むなよ」 「丁度いい、お前ら二人に用があったんだ」 男達が手に抜き身の剣を提げ、二人を取り囲む。ロットバルトは外套を払い、僅かに体勢を落とすと剣の柄に右手を掛けた。鞘を掴んだ左手の指が剣の鍔に添えられる。 ロットバルトの背後で、背中合わせにレオアリスが立ち上がる。取り囲んだ男達の顔を眺め渡し、レオアリスは 「何の用だ。俺達が用があるのは明日だぜ」 「明日来る必要はなくなったんだよ」 正面に立ったガストンが、笑いを含んだ声で答える。その言葉に返すように、レオアリスは冷ややかな笑みを浮かべた。 じわり、とその場の温度が下がる。 「俺は、欲をかくなと、言わなかったか?」 取り囲んでいた四人は、レオアリスが身に纏った空気に一瞬怯んだが、互いに眼を見交わすと一斉に剣を振り上げ、切りかかった。警備隊士だというだけあって、それなりに訓練された動きだ。 「子供らの前だ。殺すな」 「手間ですね」 放ちかけた剣を鞘に戻し、ロットバルトはそのまま左手で鞘ごと剣を突き出した。柄が左にいた男の鳩尾にめりこみ、男が泥の上に崩れる。 更に一歩踏み込み、右の男の腹部に膝を叩き込むと、呻いて下がった顎を剣の柄で弾き上げる。声も無く倒れた男に眼もくれず、レオアリスを振り返った。 残りの二人は既にその足元に重なるように倒れている。 「一人連れてこい」 そう命じて路地に出ようとし、レオアリスはふと立ち止まると振り返った。小屋の前で震えていた少年を手招く。おずおずと近寄った少年の前にしゃがみ、その眼に視線を合わせた。 「仕事をやろう。こいつ等を縄か何かで縛って、逃げられないようにする。どうせ暫らく目を覚まさないだろうが、念のためだ。後からここに来る兵士に引き渡せ。これで報酬は五。やるか?」 「五?!」 少年は一瞬躊躇うように倒れている男達を見回したが、すぐに勢い込んで頷いた。それから感嘆の色を浮かべて、もう一度ぴくりとも動かない男達に眼を向けた。 「兄ちゃんたち、すげぇ強いんだな」 「ちゃんと訓練すれば、お前も強くなれる。ほら、それよりお前の仕事だ、きちんとやれよ。前金は三。残りはこいつらを引き渡したときだ」 ロットバルトは倒れたままの男達の顔を一つ一つ覗き込み、ガストンを見つけると、その身体を肩に担ぎ上げた。 手にしっかりと銀貨を握り締めながら、少年はちらりとレオアリスの顔を見上げる。 「ホントにちゃんと残りくれんの?兵隊なんて、すぐ知らないって言う」 レオアリスは少しだけ黙って、少年の鳶色の瞳を覗き込んだ。 「嘘は言わねぇよ。俺の名を出せばいい」 「兄ちゃん、名前は?」 「レオアリス」 少年はぽかんと口を開け、瞳を大きく見開いた。 ロットバルトの肩に抱え上げられたガストンの姿に、通りにざわめきが広がる。何事が起こっているのかと住民達が遠巻きにその様子を見守る中、二人は領事館の門の前に立った。 領事館は敷地をぐるりと石積みの高い壁が取り囲み、街からの視線を拒んでいる。石の上に鉄の張られた分厚い門扉の前には、二人の隊士が槍を手に立っていたが、それに構う事無くレオアリスは歩み寄った。 呆けた顔でその様子を見ていた隊士たちは漸く我に返り、押し止めるように手にしていた槍を二人の前で交差させた。 「な……何者だ! ここをどこだと……」 「開門しろ」 あまりに当然の如く告げられ、隊士達は目の前に立つ二人を、ぽかんと口を開けたまま見返した。 「何をバカな事を……許可なく立ち入らせる訳には……」 「この男なら許可も必要ないでしょう」 ロットバルトが担いだままのガストンを顎で示して見せる。未だ意識を失ったままのガストンの顔を覗き込み、漸くそれが誰かに気が付いて隊士達は驚いた声を上げた。 「ふ、副隊長!?」 「貴様等、どういうつもりで……!」 「急ぎの用だ。もう一度言うぜ、開門しろ」 「……ふざけるな!」 隊士達が二人の前に槍を突き出す。どこか及び腰ではあるものの聞き入れる気配の無い姿勢に、レオアリスは一度だけ視線を空に投げた。 「仕方ねぇな。まぁ、こんな要求をひょいひょい通したら警備兵失格だ」 面白そうな響きを滲ませながら、レオアリスは右手を持ち上げると、その鳩尾に添えた。漆黒の瞳に青白い陽炎に似た光が過る。その瞳を真っ直ぐに向けられ、隊士達が息を呑んだ。 「罪が無ければ後で直してやる。けど、黒なら自前だぜ」 ずぶりと――右手が沈む。 右手は何の抵抗もなく手首の辺りまで飲み込まれ、青白い光が零れた。 レオアリスの周囲の空気が、肌を切るように研ぎ澄まされている。意識して抑えなければ、思わず退きそうになる、圧迫感――。 それは引き出された右手にいつの間にか握られた、一振りの長剣から発せられていた。 何の飾り気もない、だが見る者の心を吸い寄せる、冴えた刃。 剣士の 剣士は主に、左右の腕のいずれかを剣に変化させる。 だがレオアリスは違った。 レオアリスは二対の肋骨を変化させ、二振りの剣を持つ。その剣は剣士の中にあってさえ稀だ。 剣が青白く明滅する。 隊士達が目を見開き、声にならない呻きを洩らして後ずさる。 「まさか、剣……」 「どけ」 有無を言わさぬ響きに弾かれ、隊士達が道を開けた。どこか楽しそうに笑い、レオアリスは手にした剣を振り抜いた。 空を断つような衝撃音と共に石と鉄の門扉が真っ二つに割れ、内側に向って倒れ込む。 隊士達が声を上げてその場にへたりこむのを尻目に、レオアリスは地響きと共に舞い上がる砂煙の中へ無造作に足を踏み入れた。 剣を右手に提げたまま、厚みのある門の上に乗って歩く。ロットバルトもガストンを担いだまま、レオアリスの後に従った。 「上将」 「何だ?」 「黒なら警備隊を接収しますから、どちらにせよ修繕費は師団持ちですよ」 「――わざわざ指摘すんなよ……」 背後のロットバルトに一度嫌そうに視線を向けてから、レオアリスは倒れた門の向うにひょいと降り立った。 轟音を聞いて前庭に飛び出してきた警備隊士達が、門の崩れた様に呆然としたまま、二人を遠巻きに眺めている。 ロットバルトは漸くガストンを地面に放り出すと、いかにもうんざりとした顔で肩を竦めた。 「一応私は参謀官なのですがね。本来こうした労働には向いていない。今後検討してください」 「言ってろ」 二人の会話の内容までは聞き取れないものの、あまり緊迫感のない彼等の様子に遠巻きにしていた警備隊士の一人が近寄ろうとしたとき、彼等の足元で放り出された男が身動いだ。 呻いて起き上がったその顔に気付き、再び隊士達が騒めく。 「副隊長!?」 ガストンはきょろきょろと辺りを見回し、漸く自分が詰め所にいるのを悟ったのか、よろめきながら立ち上がり隊士達に向かって声を荒げた。 「こ――、こいつらを捕まえろ!し、侵入者だ!何をしてる、早くしろ!」 一瞬の沈黙の後、敷地内が騒めきを増す。遠巻きに見ていた隊士達がバラバラと飛び出して、レオアリス達を取り囲んだ。 ガストンが後退りしてその輪の後ろに下がり、二人を振り返った。 「捕えて、牢にぶち込んでおけ!」 槍や剣が一斉に中心に向かって倒される。レオアリスは取り囲んだ切っ先に一向に構わず、ガストンに向かって足を進めた。その身から、青白い陽炎のような空気がゆらりと立ち上がる。 レオアリスとその手に提げた抜き身の剣から発される強烈な圧迫感に圧されるように、取り囲んだ槍の輪が歪んだ。 レオアリスの正面にいた隊士が引っ繰り返った声で制止を叫ぶ。 「と、止まれ、止まれっ!」 「アリヤタに関する虚偽報告と密売の助長。今更知らないとは言わせない」 レオアリスは冷えた視線を、ガストンの上に据えた。 「な、何なんだ、お前ら」 「軍だよ」 ガストンの顔が引き攣り、瞬く間に青ざめる。兵達もまたざわめいてお互いの顔を見回した。 ガストンは暫らく慌てたように取り囲んだ隊士達と、その輪の中にいる二人を見比べていたが、数に分があると判断したのかすぐに薄笑いを浮かべた。 「ぐ、軍だと? どこの軍だか知らねぇが、たった二人で、何をしようってんだ?」 「もちろん、警備隊は今日限りで任を解かれる。いずれ王都で裁判が行われる。お前等に正当な理由があるなら、弁明はそこでしろ。下手に抵抗をすれば、この場で俺が斬る」 凍てつく眼差しに圧され、ガストンは唸り声を上げた。傍らの隊士の槍を掴むとレオアリスに向って振り上げる。 ロットバルトが剣の鍔を弾く。 高い金属音が弾け、砕けた刄が散った。 瞬きの内に――自分の喉元に伸びた白刃と、レオアリスの身体に届く前に砕けた槍を呆然と眺め、ガストンは引き攣るように喉の奥を鳴らした。 レオアリスは 視線を向けた先でレオアリスの身体を覆う青白い光が、微かに明滅する。 ロットバルトが喉元で止めた剣を僅かにずらすと、ガストンは骨を失ったかのようにその場にへたりこみ、砕けた槍を不思議そうに見つめた。隊士達が再び押されるように後退る。ガストンの喉元を剣で追いながら、ロットバルトは蒼い瞳に凍りつく色を浮かべた。ガストンの眼が慌しく二人の上を交差する。 「何……なんだ……」 ロットバルトの手にした剣の切っ先が、ガストンの喉に氷の感覚を突き付ける。生命を冷やされるその感覚にガストンは喉を鳴らした。 「どこまで、誰が関わっているのか、答えてもらいましょうか」 「何を……」 口調だけは穏やかな響きでも、背筋を凍らせる蒼い瞳には柔らかさの欠片もない。知らぬ顔をしてみせれば、躊躇いもなく首を落としそうだった。 「い、言えば命は」 「斟酌しますよ」 ロットバルトが魅惑的とも言える笑みをその頬に刷く。ガストンは意志を計りに掛けるように視線を彷徨わせたが、再び喉を鳴らした。 「――た、隊長、それから、サムワイル男爵だ。命令を出しているのは」 あらかたの予想はしていたものの、ガストンの口から出たサムワイルの名にレオアリスは眼を細めた。一旦堰を切ると、ガストンは自分を救う道を探して忙しく口を開く。 「お、俺は二人に命令されたんだ。そうだ、仕方なかったんだよ! 逆らえねぇ。大体ほとんどはサムワイル男爵に上納して、俺達は大した上がりを貰ってない。いや、食料、そうだ、食料と交換にして、こ、この街の為だ! この街を」 ふいに、大気が震えた。 生木を引き裂くような音と光が走る。 「ロットバルト!」 レオアリスが警告の響きを発すると同時に、ロットバルトはガストンの襟首を掴んで力任せに放り出し、自分もそのまま飛び退いた。 彼等のいた場所に数条の光が突き刺さり、轟音と共に石畳が捲れ上がる。 驚愕の声と騒めきが、領事館の正面に張り出した露台に集中する。 チリと放電を帯びた風に黒髪を巻き上げながら、レオアリスはそこに立つ男を見上げた。 灰色の髪をした痩せて背の高い男だ。理知的な面の痩けた頬には引き攣った怒りが張りついている。男の左手には、雷光の余韻がはぜていた。 「ジェビウス!?」 ガストンは露台に立つ男と、抉られ煙を上げる今まで自分のいた場所を愕然と見つめた。 (警備隊の長か。あれは) その手にしている物は、つい先刻あの少年達が見せた物と同じ、炭の様な黒い塊だ。術の効果を飛躍的に高めるための、触媒。 (術士か) 「あ、あんた何考えて……俺まで……」 「口封じでしょうね」 淡々と告げられたロットバルトの言葉に、再び突き付けれた剣の冷たさも忘れ、ガストンは茫然と口を開け露台を振り仰いだ。 露台に立つ警備隊の長、ジェビウスは苛立ちの籠もった眼でガストンを睨め付けた。 「役立たずめ。私欲で勝手に売りさばくからこうなる。貴様などとっとと殺しておけば良かったわ」 「何……」 再び雷光が閃き、ガストンヘと走る。レオアリスは右手の剣を振り抜いた。 生じた剣風が雷光を断ち切る。 ジェビウスは驚愕に見開いた眼を、ゆっくりとレオアリスに向けた。 「……剣で、雷撃を断つだと?」 「ここで証人を殺されても困る。無論、お前もその一人だけどな」 「――何者だ? 名乗る位の時間は与えてやろう」 男の自信を表すように、手にした黒い塊が雷を纏う。レオアリスはその塊を見据えたまま、軽く息を吐いた。 「名乗って事態が好転するか? ……まあいいや。俺は、近衛師団第一大隊大将、レオアリス」 引き攣った声が、広場のあちこちで上がる。 その名を知らぬ者はいまい。最高位の剣士。 そして、近衛師団が動く意味を。 「レオアリス……」 「け、剣士」 「何で、近衛師団が……」 「王が」 ジェビウスの顔が青ざめ、引き攣り、それから憎しみに彩られた。隊士達の絶望の入り交じった呻きを掻き消すように、ジェビウスの哄笑が広場に響く。 「剣士だと? ははは! こんなちっぽけな街に、王も随分と小心なのだな! 無用な街は滅ぼせとでも言われて来たか!」 レオアリスは一瞬だけ、瞳に怒りの色を灯した。だがすぐにそれは軽い疑念の光に変わる。 ジェビウスの憎しみを含んだ哄笑は自暴自棄の響きを孕んでさえいる。その響きを消さないまま、ジェビウスはレオアリスを見下ろした。 レオアリスの瞳が暗い視線を受けとめ、射返した。 「……王の御意志はアリヤタ族の保護だ。その過程で、禁じられた捕獲、売買を行っているものがあれば、いかなる理由であろうと処罰される」 「は! アリヤタ族の保護! 処罰、処罰だと!?」 ジェビウスは背を反らせ、狂ったように笑いだした。レオアリスは黙ったままその様を眺める。 「何を保護し、何を処罰するのだ! 王などこの辺境に目も向けていないではないか! この辺境がどれほど厳しい地か、王が僅かなりと理解していると?」 「――」 「アリヤタの保護! 保護でも何でも勝手にしろ。代わりにこの街を滅ぼすがいい!」 「……生きる為に、アリヤタの命を奪うのは、正当な権利か」 一瞬、ジェビウスは顔を強ばらせた。 「――その通り。我々の権利だ。生きる為に使って何が悪い?」 「それで、この街は救われたのか?」 レオアリスの言葉はただ街の様子から受けた印象によるものだったが、ジェビウスは一気に激高した。 飢餓を生む大地の貧しさ。救済と思われた支援、年々減り続ける街の生産力、住民達の無気力な顔。私利私欲の売買。 間違っていたと? 「――貴様ごときに何が判る!」 青ざめ震える身体を手摺りに両手を付いて支えながら、ジェビウスは吐き捨てた。伏せた顔から、絞り出すような声が洩れる。 「王が何を知っている……」 ただ形ばかりの触れを出して、辺境の貧しさに何も手を打たないなら。 「王など――」 顔を上げ、目の前の剣士を睨み据える。 「王こそが、滅ぶがいい」 静寂が、広場を打った。レオアリスが大きく息を吐き、拳を握りしめると正面からジェビウスを見つめる。 「取り消せ。俺はその言葉を見過ごせない」 「王の犬が」 暫し睨み合い、レオアリスは瞳を閉じた。 「警備隊を拘束する。大人しく命に従い、王都での裁判に委ねろ」 既にそれは勧告ではなく、感情、同情の入り込む余地の無い、近衛師団大将としての命令だ。ジェビウスは激しく歯軋りをしたあと、弾けるように笑った。 「王の裁きなど!」 左手を高く掲げ、叫ぶように詠唱を口にする。 「抵抗は意味がない」 「……いかに剣士と言えど、この力の前には何の役にも立たん!」 ジェビウスの手から雷光が迸り、レオアリスの右手の剣を撃った。 剣が弾き上がる。石畳の敷かれた足元が衝撃で捲れ、細かい土くれを全身に叩きつける。 放電のように一瞬、雷光が爆ぜながらレオアリスの身体を走った。 「ッ」 僅かに見開かれた瞳が、弾き上げられた剣を眺め――、笑った。 「面白ェ」 剣士として持つ好戦的な一面がその姿を覆うかのように、青白い光が身体を取り巻いてゆらりと立ち上がる。 ジェビウスは速い詠唱を唱えた。手にした黒い塊の周囲で空気が歪む。 立て続けにレオアリスの上に降り注ぐ雷の矢が、地面を砕き、土煙を巻き上げる。煙は瞬く間にレオアリスの姿を覆った。 その様を息を呑んで眺めていたガストンの口から、歓喜に似た引き攣った笑いが漏れる。 「……は、ははっ」 殺されようとした事も、首に白刃を突き付けられているのも忘れたかのように、ガストンは勝利を確信して身を乗り出した。だがロットバルトは顔色一つ変えていない。 次第に煙が晴れ、そこに少しも変わる事なく立つ、レオアリスの姿が現われる。 ジェビウスは露台の手摺に手を付き、晴れていく土煙に目を見開いた。 「――馬鹿な……!」 レオアリスの右手に提げられた剣が一閃し、立ち籠める煙が切り裂かれ、霧散した。 「ここまでか? なら、それを使っても無駄だったな」 露台へと一歩踏み出したレオアリスから後退りながら、ジェビウスは再び左手の塊を掲げた。 「無駄だと言ってるだろう」 「慢るな、剣士!」 吐き捨てる言葉に、レオアリスが眉をしかめる。 「貴様が王の命を受けようと、ここは貴様等などが来る場所ではない!これまでどおり王都で安穏としていろ!」 レオアリスはジェビウスの顔にじっと瞳を注ぐ。視線に射られ、ジェビウスは口篭った。周囲との距離を測るように一度視線を巡らし、レオアリスは露台に向き直った。 青白い剣がゆっくり輝きを増す。 「……もう一度言うぜ。大人しく投降し、王の判決を待て」 剣を右手に提げたまま、ジェビウスへと歩み寄る。怒りに顔を歪め、ジェビウスは左手を高く掲げた。 詠唱とともに左手に膨れ上がった光が、周囲を染め上げる。 掻き集められた光が大気を介して伝わり、肌を焦がすようにチリチリと震えた。 光は警備隊の本部全体を飲み込もうとするかのように広がり、隊士達の頭上に差し掛かる。 隊士達が恐怖に押され、押し合うように逃げ出した。 「消えろ!」 叩きつけるように放たれた光球に向って、レオアリスが石畳を蹴る。 同時に振り抜いた剣が青白い帯を引いて 刀身が光球を捉え、一瞬レオアリスの姿は、光に飲み込まれた。 構わず、剣を振り切る。 耳を聾する炸裂音が響き―― 直後に、光球は跡形もなく消えた。 呻き声を上げたジェビウスの手の中で、黒い塊が砕け散る。 それを茫然と眺め、ジェビウスはその場に崩れるように座り込んだ。 逃げ出し掛けていた隊士達もまた、レオアリスの剣が光球を砕く様を声もなく見つめていたが、再び我先に、倒れた門に向かって駆け出した。 ふいに、複数の翼のはばたきが耳を打った。 風が巻き上がり、広場に立ち竦む隊士達の上に影が差す。 上空を見上げた隊士達から、口々に驚愕の声が上がる。 建物の上の空を十数騎の飛竜が旋回していた。 黒鱗の飛竜の上に掲げられた軍旗は、黒地に暗紅色の双頭の蛇。 「近衛師団……!」 最早逃れようも無く、隊士達は手にしていた武器を地面に落とし、誰からとも無くその場に膝を付いていく。 飛竜は隊士達を取り囲むように、広場に次々と降り立った。 レオアリスの声が広場を支配する。 「王名において、これより警備隊は我々第一大隊の指揮下に置かれる。隊長以下幹部は速やかに我が前に出頭せよ!」 |