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王の剣士2 「絶滅種」


十三


 近衛師団兵によって警備隊長以下、幹部、隊士達が拘束される中、右軍少将ファーレイが足早にレオアリスに近寄り、左腕を胸に当て敬礼した。
「上将、掌握完了しました。現在、本隊は山中の四方に展開中です」
 差し出された士官服の上着をロットバルトが受け取り、レオアリスの肩に掛ける。
「この先の路地に、三名ほど捕らえてある。行って引っ張って来い。それから、子供がいるから、その子等にこれを」
 銀貨を手渡され、ファーレイは不思議そうな顔をしながらも頷いた。
「村を確認したか」
「時間的に、そろそろ中将が入っているはずです」
「なら、俺達も行こう。飛竜を」
 踵を返しかけたレオアリスをファーレイが引き止める。いつになく口篭り、目で棟の入り口を示した。
「それが、上将。地下に……」


 一階の突き当たりに地下へと下る狭い階段があり、一段降りる毎に黴て淀んだ空気が重く落ち身体に纏わりついてくる。
 それから、血のこごった臭気――。
「こちらです」
 扉を押し開けると、途端にその臭気は濃さを増した。検分していた兵達がレオアリスの姿を認め、胸に左腕を当て迎える。彼等の顔には任務によるものだけではない疲労の色が濃く浮かんでいる。
 レオアリスはぐるりと室内を見回した。それほど広くはないその中には、入って右手の部屋の三分の一ほどが鉄格子に仕切られた檻になっていて、扉の正面奥には閂と錠が幾重にも付けられた頑丈な木の扉があった。配置の位置からすると、そこから外部へと出る扉のようだった。
 そして部屋の左手には、薄汚れた作業台が置かれていた。点々と赤黒く飛び散りこびり付いているのは血だ。
 床の木の板は染み込んだ血で黒く光り、その上にも檻の中にも、白い毛が散っている。
「何か判った事は」
 ロットバルトの問いに、檻を調べていた兵が顔を上げた。
「詳しくは判りませんが……置いてある水が古くはありません。おそらく数日前まで捕えられていた者達がいたのではないかと思われます」
 ロットバルトは台にこびり付いた血に指を滑らせた。血はすっかり乾いている。
「さすがにいつ処置されたのか、これでは判りませんね」
 ロットバルトの言葉に、レオアリスは厳しい表情のままその台に視線を落とした。
 新たに入室した兵がファーレイに近寄り、何事かを耳打ちする。ファーレイは頷くとレオアリスに顔を向けた。戦場など見慣れているはずのこの剛直な少将の顔にも、押さえ難い嫌悪の色が見える。
「上将。奥の地下牢に、男が一名繋がれているようです。ひどく衰弱していますが、ジウスと名乗り貴方への面会を希望していると。今回の密書を送った者だと言っているようですが、お会いになりますか」
「――どこだ?」
 ファーレイは一礼し、兵に頷く。兵は先に立って扉を出ると石組の廊下を右へと進んだ。
 角を曲がった先に鉄の格子戸があり、内側に向って開かれている。その奥は、左右に独房が五つずつ並んでいた。
 左の二つ目の独房の前に近衛師団兵が立ち、格子の奥の薄暗がりにうずくまる影が見える。
 男はやつれた身体を壁にもたせかけて座っていたが、入ってきた少年を見て不思議そうな表情を浮かべた。続いて扉をくぐったファーレイとロットバルトと見比べる。
「お前がジウスか?」
「君は……?」
「師団第一大隊大将、レオアリスという」
「レオ――剣士、君が?」
 ジウスはぽかんと口を開け、ファーレイに睨まれて慌てて首を振った。痛めた身体のまま、深く頭を下げる。
「し、失礼いたしました!」
「ここは満足に休めないだろう。部屋を……」
「いえ!」
 咳き込むような激しい響きに、レオアリスはファーレイに向けかけた身体を戻した。ジウスの顔に浮かんだ焦燥の色に眉をひそめる。
「私の事よりも、ここにいたアリヤタの家族を、保護してください」
「――どういう事だ」
「貴方は、あの部屋をご覧になりましたか」
 レオアリスは黙ったまま、先を促す。ジウスはしばらく躊躇い、唇を噛んでいたが、やがて思い切って顔を上げた。
「私は警備隊の一小隊を預かっておりました。警備隊の役割は改めて申し上げるまでも無く、街の警備と、ミストラ山中を回り、アリヤタ族を狩ろうとする者を取り締まる事です。しかし、もうずいぶん前から、もう一つの役割は放棄してしまった」
 ジウスは自らを恥じるかのように再び項垂れ、視線を膝の上に載せた手に落とした。
「――密猟者を手引きするどころか、ここ数年では隊が半ば公然と密猟に関わっている」
 膝を掴んだ手が、僅かに震えている。
「もちろん、どの隊員も最初から密猟に手を染めていたわけではありません。初めのうちは警備隊の職を得て、任務を全うしようと皆真剣でした。今でも、それが完全に失われたとは思わない。けれど二年前、それまで僅かにでも採れいていた作物が、病害によりほとんど全滅してしまいました。その時からです。隊長、ジェビウスがサムワイル男爵からその話を受けて来ました」
 ジェビウスはサムワイル男爵に食料の支援を依頼した。その見返りとして要求されたのが、アリヤタ族の内臓だったという。サムワイルは上納した分だけ、食料や薬を支援した。裏を返せば、それがなければ支援はなかったということだ。
「王都に支援を求めようとは思わなかったのか」
「王都!? 王都が何をしてくれるんです!? これまでこんな辺境の街に、少しでも眼を向けていたんですか!」
 思い掛けないほどの強い拒絶と不信の響きに、レオアリスは押し黙った。それは、先程のジェビウスと同じものだ。ジウスがはっとして、束の間激高した顔を隠すように頭を垂れる。
「……すみません。あなた方は今回こうして動いてくださった。確かに、我々は最初から、王都に話をすべきだったのかもしれません。王都でなくとも、少なくとも、辺境軍に」
 ジウスは石牢の壁に眼を遣り、窓のないその壁の向こうを見透かそうとするように目を細めた。その先にはミストラの尾根がある。
 外敵の侵入を阻む堅牢な城壁。天然の防御。
 そして、慈悲を持たない威容。
「私は、この街で生まれ、育ちました。飢饉がなかったとしても、この街は貧しい。ミストラから吹き降ろす寒風に晒され、農作物もろくに実をつけません。取り立てた産業も無く、王都からも遠く、交易も儘ならない。ですから、ある意味、そうして自分たちの暮しを守っていくのは、仕方の無い事だと思っていました。――王都の方には判らないでしょう。口にする物は水ばかり、子供等は生まれても多くは飢えで死に、親から見離されて路地で生きる。……そんな土地もあるのです」
 ジウスの声には抑えようとしても抑えきれない怒りと苦しみが滲んでいる。それはこれまでこの街で過ごしてきた分だけ、彼等が重ね上げてきたものだ。
 ロットバルトはレオアリスの横顔に視線を落とした。そこには何かの感情の色は無い。ただ黙ったまま、ジウスに瞳を向けている。
 ややあって、レオアリスは微かな溜息を含んだ声で、低く問いかけた。
「何故、報告する気になった。報告したとして、王の勅令に背いた罪を減ぜられる保障はどこにも無い」
「――アリヤタ族に、直接お会いになった事は」
 唐突な問いに、レオアリスは僅かに驚いたように眼を見開いた。
「……ないな」
「つい先日、私は初めて、彼らと僅かばかり話をする機会がありました。おかしいとお思いでしょうが、それまで一切口を利いた事は無かった。利かない様にしていました。彼等もまた我々と同様に生きているものだと、気付きたくなかったのです。――けれど、先日、隊士達が四名のアリヤタ族を捕らえてきました。偶然にも、その晩の見張りは私一人だった」
 アリヤタの男はジウスに向かって、家族だけは逃がして欲しいと、そう言った。妻と、まだ幼い子供達だ。
 彼等だけは、どうしても生き延びなければいけないのだと、アリヤタの男は言った。
 ジウスにも妻と子がある。妻子を食べさせる為だからこそ、そうして密売に手を染めたのだ。ここで彼等を逃がす事は、自分の妻子を飢えさせる事だ。逃せば、悪くすればジウスが殺される。
 けれど――。
 迷うジウスの耳に突き刺さるように、アリヤタの男の言葉が飛び込んできた。
 気付けば、ジウスは檻に手を掛けていた。
 ジウスは再び、震える手に視線を落とす。
「私は、彼等を逃がしました。いたたまれなかった。正義感や義憤など、そういったものからではなく……ただ事実に、耐えられなかったのかもしれません」
「いつ、どこへ向かった」
「三日前の晩に。どこへかは、見届けられませんでした。けれどおそらく、彼等の村へ――。追っ手は、多分出たでしょう。私は捕えられ、判りませんが」
 顔を上げ、三人を見渡す。
「どうか、あの家族を」
 ジウスは口にし難い、何かを搾り出すように言葉を繋ぐ。
 目を逸らしたい罪と逸らし難い罪から身を隠そうとするかのように、両手で頭を覆った。
「――彼等は……」
 その言葉を聞き終えるか終えないかの内に、レオアリスは身を翻した。
「ファーレイ、飛竜を貸せ! ロットバルト、来い」
 石造りの廊下を駆ける間にも、ジウスの言葉が、頭の中で繰り返し響く。


 『彼女は、アリヤタの――』


 鋭い羽音を立て、飛竜が空へ駆け上がる。
 警備隊の敷地を覗き込むように集まっていた住民達が、驚いた顔を上げ、ミストラ山脈へ駆ける二騎の飛竜を見送った。




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renewal:2007.04.30
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