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王の剣士2 「絶滅種」


十五


 アリヤタ族の村は、折り重なる山脈の奥深く、深い谷のその中腹にあった。
 普段ならひしめく木々に遮られ、上空からそれと知る事は出来なかっただろう。しかし今、夕闇の落ちかかった空に、険しい斜面の中腹から幾筋もの煙が立ち昇っていた。
 何があったのか、漠然と想像は付く。酒場にいた男達の言葉。

『明日になれば』
『これが、最後の――』

 彼らは、最後の狩りをしたのだ。
 村の上を師団の飛竜が数騎、ゆっくりと旋回している。
 飛竜の上から、凍りついたようにその光景を見つめているレオアリスに、ロットバルトは促すように口を開いた。
「……制圧は完了しているようですね。残党を捜しているのか――上将?」
 ふいにレオアリスが眼下の斜面に向けて、飛竜を降下させた。
「何を――」
 それを追ったロットバルトの視界も、木々の間から覗く白いものを捉える。
 薄闇の中ではっきりとそれが捉えられたのは――、その数が一つのみではなかったからだ。
 二人は飛竜から降り立ち、ゆっくりとそれに歩み寄った。
 目にしたものを咄嗟に理解するのは難しかっただろう。
 夕闇が辺りを覆っていたせいではなく、信じ難い光景故にだ。
 夕暮れの中まばらな木立の間に、点々と、白と赤黒いものが転がっている。土や短い下生したばえも、飛び散った飛沫にまだらに赤黒く濡れている。
 純白の毛皮が見えるのは僅かだ。
 腹を割かれ内蔵を抜かれた死骸が、点々、点々と転がっている。
 数十体もに及ぶ、その数。
 まだ乾ききっていない、ねっとりとした血の臭いが全身を押し包む。
 思考が白くなる程の怒りを――、これ程の怒りを、この光景に感じるというのに
 何故、これを引き起こす者がいるのか。
 己の欲と利益の為だけに、これが出来るものなのか。

 それとも、相応の理由さえあれば、許される行為だろうか。

 押し黙ったレオアリスの背中に視線を向けたまま、ロットバルトは静かに息を吐いた。
 (……一つだけ言えるのは)
 売買は、需要と供給によって成り立っている。
 欲する者もまた、間接的にこの殺戮に加担している。
 手に入れようとする者の欲が、それによって利益を得ようとする者の欲を刺激する。
 欲する者がいるからこそ、この光景は現実として、今ここにあるのだ。
「上将……」
 レオアリスは振り向かないまま、更に数歩その光景に歩み寄り、両手を握り締めた。搾り出すような、聞き逃しそうな程の微かな声が、ロットバルトの耳を打つ。
「俺は、これをやろうとしたのか」
 ロットバルトはただ黙ったまま、レオアリスの僅かに覗く頬の線に視線を向けた。
 答えを求めている訳ではないのは、その響きから判る。ただ自らを突き詰めようとする自問だ。
 何が正しい選択なのか。
 もちろん、直接の原因は売買に関わる者達にある。けれどおそらく多くの者が、この光景を前にすれば、自らに問いかけずにはいられまい。
 自分はこれを、この光景を、作らずにいられるか?
「――行こう」
 視線を落とさないまま、レオアリスはそれに背を向けた。


 飛竜が地面に降り立つのももどかしく、その背から飛び降りると、レオアリスは燻る村の中央に立つ右軍中将ヴィルトールの姿を認めて駆け寄った。
 兵達が一斉に跪いて迎える。
「アリヤタ族は」
 木を組んで作られた家々からは燻った煙が上がり、あちこちに警備隊士らしき者達の倒れ、或いは近衛師団兵によって取り押さえられている姿が見える。ロットバルトも傍へ寄り、ヴィルトールと視線を交わしてから、その指差す先に視線を向けた。
 少し離れた場所に、周囲を近衛師団兵に囲まれるようにして、保護されている半獣達が見えた。犬に似た身体を持ち、全身を純白の毛並みに覆われた美しい姿をしていたが、今はそれも土と血に汚れ、誰もが疲れ果てたように座り込み、俯いている。
 その数は十体にも満たない――。
 レオアリスは焦燥の入り混じった瞳で、彼等を見渡した。
「……この中に、街から逃れてきた者達はいるか。幼い子供と、その親だ」
 レオアリスの言葉にヴィルトールは一旦彼等を見渡してから、首を振った。
「ここにいるのは成獣ばかりです。今のところ、子供は見当たりません」
 レオアリスは強張った顔のまま黙り込んだ。その手が強く握り締められる。
「――早急に探させろ。まだ山中にいるかもしれない」
 ヴィルトールが頷き、数名の兵を呼び寄せる。レオアリスはアリヤタ族に歩み寄り、胸に左腕を当て一礼した。
「近衛師団第一大隊大将、レオアリスと申します」
 身を寄せるように座り込んでいたアリヤタ族の内、年を経た一体が、疲れ果てた眼をあげた。
「王の名の下に、あなた方を保護する。――また、かつて術士として呪術の売買に携わっていた者として、できる限りの事はしよう。別の地を用意してもいい」
 敢えて告げただろう術士という言葉にも、その眼に憎しみの感情を浮かべる事すらない。
 アリヤタの老人はゆっくりとその顔を横に振った。
『……必要ない。我々はこの地で生まれ、この地で生きてきた。何も持たず何も無かったが。そしてこの地で死んでいく。――今更、この地を離れる気はない』
 長い年月の末に疲れ果て、しわがれた声。レオアリスは身体を起こし、その落ち窪んだ眼を見返した。
「そんな事に甘んじるのか? すでに滅びかけているんだ、このままここにいても、何にもならない」
『他の地に移っても、もはや変わりようがないだろう』
「しばらくの間軍の警護も付けよう。警備隊は新たに組織する。安全な地で暮らして行ける」
 だが、アリヤタ族の顔の上に浮かんだのは、望みを持たない諦めの色だ。
 誰もが、再び俯いて動かない。
 アリヤタの老人は、白い毛に覆われた顔の裡で少し笑ったようだった。
『貴方は、何故我々の内臓が術具として利用されるようになったのか、ご存知かな』
 レオアリスは戸惑ったように、ただ首を振る。続く言葉は、その場の全ての者の言葉を奪うのに、十分なものだった。
『――我等は、自ら売ったのだよ。……自分達の、内臓を』
 僅かばかりの食料に、代える為に。
 燻る熱の篭った筈のその場が、やけに寒々しく感じられる。
 誰からとも無く、詰めていた息をゆっくりと吐き出す。
 どこまで行けば、底辺に辿り着くのだろう。
 辿り着いたところで救いの無いそれを見たいとは思わないが、それでも、そう思わずにはいられないものがある。
『……我々が、術具として捕獲されるようになったのは、我々自身の愚かさ故でもあるのだ。かつて貧しさを嘆き、我々は話し合った上で、村に伝えられていたそれを、外界に売った。それは我々の飢えをしのいでくれた。初めの内我等は、まるで穀物でも取引するかのように、半ば得意げに、それを売買したものだ』
 それは彼等が思った以上に容易く、高額で取引された。村は一時潤い、これでもう飢えなくて済むと、誰もが喜んだ。
 だが。
『無論、それが何から創られたか、一切を伏せたが――いずれ探り当てられた。亡くなった一族の身体から、我々はそれを作っていた』
 とつとつと、疲れと諦めだけを滲ませた声が続ける。
『出すべきではなかった。我々は、別の道を探すべきだったのだ。だが、今更それを言ってももう遅い。結果はご覧のとおり』
 老人は首をめぐらせ、燻り続ける打ち壊された村を示した。もはやこの場所に住む事は難しいだろう。
 けれども、本当に失った物は、それではない。
「だからこそ、これからは……」
 だが、その先の答えは判っていた。アリヤタの男が、ジウスに告げたではないか?
 老人の声が低く低く、熱の燻るその場を這う。
『無理なのだ。……術具には、女の方が価値が高かった。――この村にはもう、女はいない。最後の一人は、もう何日も前に連れて行かれた』
 その場にいた全員が、押し殺したように息を呑み、ただ黙ったまま白い半獣達を見つめた。
 『彼女は、アリヤタ族の最後の女だ』
 アリヤタの男は、ジウスにそう言ったのだ。
 彼女を失えば――アリヤタ族は、滅ぶ。
 アリヤタ族が、この先子を成し、再びその数を増やしていく事は、もはやあり得ない。
 燃え残っていた柱が音を立て、燻った煙と灰の中に崩れる。
 レオアリスは尚も抵抗するように言葉を継いだ。
「彼等は逃がされたと聞いている。今、軍が山中を押さえている。まだ分からない」
『我々が滅びるのなら、その理由は、この身のうちにある』
「やめてくれ! そんな事を納得するのか!?」
『……我々はここで滅びて行く。子孫を増やそうにも、子を産むものがいないのだ。我々の身体から作られた呪物でさえ、失われたそれらを再生させる事は出来ない。……もはや止める手立ては無いのだよ』
 どんな秘術も、失われた命を戻す事はできない。
 失うのは驚くほど容易く、取り戻す事は至難だ。
 そして多くは、失われて初めて、その事に気付く。
 失うのは何故、そんなにも容易い?
 何故、考え直し、やり直す猶予を与えてくれないのか。
 正しい選択は、どこにあった?
 レオアリスは、自分の中で何かが、微かに脈打つのを感じた。鼓動と合わさるように、一定の脈動を刻む。
 老人の、穏やかとさえ言える声。
『戻す術も知らないままに、我々はそれに手をつけた。もう、終わりにしたい。――我々はこの地で、ゆっくりと最後の時を待とう』
 打ちのめされたような静寂の中、レオアリスは自分の中で鳴る鼓動を数えた。鼓動と重なり合っていた脈拍が、次第に鼓動を超えて大きくなる。
 飛竜の羽音が響き、一頭が村の外れに降りた。視線が向けられる中、二人の近衛師団兵に押しやられるように、数人の男達が降ろされる。
 続いてまだ小さなアリヤタの子供が走り出ると、戸惑ったように辺りを見回し、仲間の許に駆け寄った。一人が腕を広げ、その身体を抱きとめる。まだ母親から乳を与えられる程の年だ。地面に下ろされた麻袋から、乾いた血がこびり付いた白い毛が覗いている。ロットバルトが歩み寄り、その前に膝を付くと袋の口を開けた。腹部を切り裂かれた白い身体が、レオアリスの眼にもちらりと映る。アリヤタ族が悲痛の声を洩らした。
「これは?」
 傍らの兵にロットバルトが顔を向ける。
「母親です。幸い、その子供だけは無事でしたが……」
 立ち尽くしたままその光景を見ていたレオアリスの視界を、一瞬何かの映像が過ぎった。
 家を舐める炎。血。
 誰かが、倒れて……

 どん。

 身体の中で、激しく叩きつける音に、レオアリスは視線を鳩尾に落とした。
「……上将?」
 ロットバルトが様子に気付いて顔を上げ、訝しそうに眼を細めた。
 レオアリスの身体の周りを、かすかな青白い光が取り巻いている。
 剣光――。レオアリスの剣が纏う光だ。
 胸元の青い石の付いた飾りを、震える右手が握り込んでいる。まるでそこで手を支えているかのようだ。
 その手が、引き寄せられるように下がり、鳩尾に当てられた。
 黒い瞳が、苦しげに歪められたかと思うと、レオアリスは崩れるようにその場に膝を付いた。鳩尾を掴んだ手は、込められた力の為に血の気が失せ、白い。
「上将!」
 手を当てているのは、レオアリスの剣――彼の十三対目の肋骨がある辺りだ。
 最初は、剣を出すつもりなのかと思った。
 だが、違う。
 抑えようとしているのだと、そう気が付いて、ロットバルトは立ち上がる。
「……寄、るなっ」
 噛み締められた歯の間から押し出される声。
 一歩踏み込んだ途端、鞭のように叩きつける風が、ロットバルトの頬を弾いた。刄が掠めたかのように、皮膚が裂ける。
「な」
「退け……っ」
 自分の中で荒れ狂う何かを抑えるように身体を屈めたまま、レオアリスは上空を指差した。一瞬の躊躇の後、ロットバルトは背後を振り返った。
「ヴィルトール中将! 退去を! 飛龍で上空へ」
 不審そうに振り向いたヴィルトールの眼が、蹲ったレオアリスの姿を捉える。
「上将? ロットバルト、何が……」
「分かりません。ただ、退けと」
 何かが砕ける音に振り返る。
 レオアリスの足元がひび割れ、陥没している。
 ヴィルトールは踵を返し、本隊へと走った。
「アリヤタを飛竜に乗せろ!全騎上空へ上がって待機!急げ!」
 その指示を背後に聞きながら、ロットバルトは再びレオアリスに身体を向けた。だが、踏み出そうとした足は、何かに圧されでもするかのように、前に進まない。
「お前、も、行け」
「しかし」
「いいから、早、……っ、あ」
 レオアリスの瞳が大きく見開かれた。
 地面に衝いていた腕が、がくんと折れ、額が地面の上に落ちた。身体を包む青白い光が、急激に強くなる。
「あ、あああっ」
 肺から吐き出されるような悲鳴。レオアリスの足元から、放射状の亀裂が走った。
 立ち尽くしていたロットバルトの腕をヴィルトールが掴み、強引に飛竜の上に引きずり上げ、一息に上空へと駆け上がる。
 一瞬後、突風が起こり、レオアリスを中心に巻き上がった。
 周囲の木々が巨大な斧で断ち切られたかのように、次々と倒れていく。
 山肌に亀裂が走り、次の瞬間、轟音とともに斜面が陥没した。
 崩れ落ちる土砂がレオアリスの身体ごと、燃え残った村を飲み込んでいく。
「上将!」
 上空を旋回する飛竜の背中から身を乗り出し、ロットバルトは崩れ落ちる土砂を覗き込む。飛び降りようとした肩をヴィルトールが抑えた。
「これは一体、何が」
「……分からない。今まで、見た事がない。ただ、力が暴走してるとしか」
 もうもうと立ち上った土煙が、青白い光に切り裂かれる。
 光は急激に膨れ上がり、爆発した。
 崩れ落ちた土砂が、爆発の衝撃に、上空へと吹き飛ばされる。
 降り注ぐ土砂の幕の向こうに、未だに蹲ったままのレオアリスの姿を捉え、ロットバルトは僅かに息を吐いた。
 山はその斜面の半分が、抉られたように崩れ落ちている。
 これほどの力の噴出を無理に身の裡に抑え込もうとすれば、レオアリス自身も無事で済むとは思えなかった。
 苦痛を表すように明滅する光。
 (どういう事なんだ?)
 レオアリスの姿を捉えたまま、ロットバルトは素早く思考を巡らせた。
 これまでに積み重ねられた幾つかの要因。危うさを感じる時は確かに数度あった。
 しかし直接の切っ掛けは、おそらくあのアリヤタの女の死だろう。
 それがレオアリスにどんな影響を与えた?
 だが今は原因を考えている時ではない。レオアリスの意識が保たれている間に抑えなくては、あの状態ではいずれ苦痛は意識を飲み込む。
「……何とかして抑えなくては」
 何とかして、とは随分無策だとロットバルトは我ながら呆れた。何の為の参謀官か。
 けれどこの状況では、確実な手段などそうそう思いつきもしない。
 苛立つ思考を抑え、ロットバルトはヴィルトールを振り返った。
 一つ。だがその方法は。
「……術士は?」
「いるが、」
 剣士を抑えられる術士など、そうはいない。ましてレオアリスほどの剣士だ。その暴走を抑え込めるとしたら、四大公か……。
 続く言葉を飲み込み、ヴィルトールはすぐ横を飛んでいる飛竜を手招いた。程なく、隊の術士三騎がヴィルトールの傍に乗騎を寄せる。
「これだけか。……一時的にでもいい。抑えられるか?」
 術士達は不安を隠せないままお互いに顔を見合わせたが、それでもヴィルトールに頷く。
「全員でやれば、おそらく……」
「では、すぐに取り掛かれ」
 青白い光は球状になり、不規則に拡縮を繰り返している。
 光が広がろうとする度に、斜面が崩れ落ちていく。
 術士達は光を囲むように飛竜を散開させると、その場で詠唱を始めた。
 詠唱と共に、それぞれの術士の足元から光の筋が中央に向かって走り、上空に白く光る法陣が結ばれていく。


 身体の中で力の塊が外に出ようともがく。
 抑え込もうとする度に、全身の骨が軋むような激痛に、意識が混濁する。
 鬱蒼とした森を照らす炎と、
 焼け爛れ、崩れ落ちる家。その崩壊の音。
 自分に覆い被さるように倒れ掛かる、
 紅く染まった身体。
 頭の中で何かが弾ける。


 激しい音と共に、近衛師団兵の詠唱が断ち切られ、形を結びかけていた陣が消滅した。
「だめです! 弾かれてしまう」
「まだだ、もう一度……」
『これを』
 ふいに声がかかり、ヴィルトールは声の主に視線を向けた。
 傍らの飛竜に乗せられていたアリヤタ族の老人が、抱えていた袋から黒い塊を取り出し、差し伸べる。
 彼らの内臓から造られた、触媒。
『術を強化できる。使いなさい』
 ロットバルトが息を吐く。それが唯一、今できる確実な方法だ。
 ヴィルトールは戸惑ったように、その塊を見つめた。
「……気持ちは有り難いが、それを使う事を、上将はお許しにならないだろう」
『我々の意思でお渡しするのだ。気にする事はない』
 目の前に出された触媒を使えば、今の状態を抑えられるのだろう。だが。
「――躊躇している暇はありません。ここで抑えなければ、結果は目に見えている」
 光の中心に目を据えたままロットバルトに、ヴィルトールはまだ迷った目を向けた。ロットバルトが肩越しに視線を寄越す。
「最善の策は、それしかない。言い訳は後で考えましょう」
 レオアリスがどれほど厭おうと、今ここで失う訳にはいかず、ましてやこの暴走をただ見ている訳にもいかない。
 ヴィルトールは蒼い瞳を覗き込み、軽く溜息を付いた。
「……仕方ない」
 ヴィルトールの考えもまた、ロットバルトのそれと違いはない。アリヤタの手からその黒い塊を受け取ると、ヴィルトールは背後を振り返った。
「他の者達は街の手前まで退け。残るのは術士だけでいい。……それと、あなた方の内どなたか一人、残っていただきたい」
 触媒を差し出した老人が頷く。
 ロットバルトはヴィルトールの手から、アリヤタの触媒を受け取った。乾いて軽いはずのそれは、ひどく手に重く感じられる。
 詠唱が流れ出し、レオアリスがいる谷の上空に、再び光の法陣が結ばれていく。
 今度は全ての像が完全に結ばれ、陣は光を増した。
「どうやる?」
 ヴィルトールがアリヤタを振り返る。
『陣の中心に、投げ入れるだけでいい。それで術は強化される』
 陣の下では、青白い光球がじりじりと膨らみ続けている。ロットバルトは手にしていた触媒を投げ入れようと、腕を上げた。


 繰り返し、激しく明滅するように現れ、消える映像。
 その度に、身の裡の脈動が強さを増す。
 (――こんなものは、知らない)
 炎に包まれ、崩壊する家々。
 繰り返し。
 目の前に転がる、血に塗れた身体。
 繰り返し。
 (やめろ、知らない!)
 上空に異様な気配を感じ、レオアリスは瞳を上げた。
 青白い光を通して、そこに何かがある。
 アリヤタの……。
「よせ!」
 身体を起こそうとした瞬間、全身の骨が砕けそうな程に軋んだ。
 意識が霞む。
 急速に広がった闇が、足掻く意識を呑み込んだ。


 ――よせ。
 たった一度だけ、レオアリスの声が聞こえた。
 すぐに光の中に埋もれる。それと共に、光が急激に膨らんだ。
 ロットバルトは僅かに躊躇した腕を、再び持ち上げる。
「聞けませんね。貴方が罪を感じる必要はないと、申し上げたはずだ」
 法陣の中央に向かって投げ入れようとした瞬間、法陣が激しく明滅した。
「! 何だ……」
 水に浮いた糸のように、ぐにゃりと歪む。
「上将?」
「違う……」
 ヴィルトールが灰がかった鋼色の瞳を見開き、上空へ向ける。ロットバルトはその視線を追った。
 歪んだ法陣の上空に、大気が渦を作っている。
 雷鳴のような響きと激しい圧力の塊がその中心から叩きつけ、山肌に生える木々が嵐に煽られるように大きくうねった。
 渦の中心が、地上に向かって膨らむ。
 大気の固まりから巨大な手が生まれていく。
 山を一つ掴めそうなほどのその手は、僅かに金色の光を纏った。
「……王……!」
 畏怖の響きを露わに、ヴィルトールは飛竜の背の上に跪いた。打たれたように、ロットバルトも膝を折る。
 中空に出現した手は、地上に向かって伸びると、その指を広げ、膨張を続けていた光を掴んだ。




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