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一つの世界が存在する。 広大な世界は複数の国家に分かれ、絶えず大小の紛争がどこかで発生している、そんな世界だ。 未だ開拓されず手付かずの豊かな自然が世界を満たし恵みを与える一方で、その過酷さからも無縁ではいられない。 人の世のような科学技術の発達はないが、自然界に満ちる力を活用、流用する術を知っていた。『法術』と呼ばれるそれらは、日常の生活に根ざすものから戦闘に利用される破壊的な力まで様々にあるが、基本的は学問や才能により得られ、全ての者が自由に使えるものではない。一般的に多くの者は、自らの足で歩き、手で作り、身体と力を行使して生活していた。 この世界には発達した言語能力と生産能力、そして形成される社会という意味においても、人間だけではなく多種多様な種族が存在する。人と同様の姿を持つ種から半獣族、半鳥族、水棲族、多種多様な種があるいは種族ごとに村を形成し、あるいは主要な街に混在していた。寿命は種族により異なり、僅かに数年しか寿命を持たない種もあれば、中には永遠に近い時を過ごす種もある。 太陽は東から昇り、西へと落ちる。 夜を追うように朝は訪れ、そしてまた夜を迎える。 地を耕し作物を作り、石を削り組み上げ街を形成する。 食事をし、眠りにつき、笑い、泣き、怒り、嘆き、苦しみ、喜びを得ながら日々を生きる。 世界には、連綿と続く生きとし生けるもの達の営みがある。 大陸の西部に位置する王国アレウス・エクゼシリウムは、大陸で最も広大で富裕な国土を有していた。 現王の在位は長く、既に三百年に渡り安定した それは王の有する力によるものだ。長い統治を可能としてきたそれ。 この世界には法術と呼ばれる自然界の力を用いる術があるが、王の持つ力は法術とも次元を異にしていた。 王の版図を北から南に旅しようとした場合、整備された街道を行ったとしても馬で五ヵ月、ほぼ半年を要する。 東に峻険ミストラ山脈、西に古の海バルバドス、南に灼熱の砂漠アルケサス、北に黒森ヴィジャが行く者の足を阻み、そこから先は数多くの小国が乱立し生まれては消える、争乱に満ちた土地が広がる。王国の四方を取り巻く生者を寄せ付けぬ酷地は、逆にそれら小国の侵入を阻む絶好の塁壁でもあり、それが王国が長期の安定を保っている大きな要因でもあった。 ただ四方の辺境のうち、古の海バルバドスには、王と同等の時を生き続ける海皇と呼ばれる存在が深淵の世界を治め、領土内ではありながら王国とは一線を画していた。 およそ四百年前、バルバドスとの間に大きな戦乱があり、百年もの長きに渡り、西方の辺境部は激しい戦乱に覆われた。双方共に多数の死者を出した戦乱は、三百年前に両国の間に不可侵条約が結ばれる事で漸く決着を見、以来大きな戦乱はなく、時折小規模な争いが発生する他は国内は安寧を保っている。 国内は王の統治のもと、四大公と呼ばれる四つの公爵家、十の侯爵家、及び九十九家の諸侯がそれぞれの領地を治めている。 国の政務を司るのは、大別して四つの機関に分かれる。 内政を司る内政官房、長は四大公の一角、北方公ベール。 治水、土地、生活を司る地政院、長は東方公ベルゼバブ。 財務、商工業を司る財務院、長は西方公ルシファー。 治安、軍務を司る軍部、正規軍の長に南方公アスタロト。 内政官房は他の三部門を総括、調整する役割も果たしている。 また正規軍とは別に、王と王城を守護する王直属の軍である、近衛師団があった。 王都アル・ディ・シウムはその意味を「美しき花弁」と言った。街が王の居城を中心に、丁度円を描くように複層的に形成されている為だ。 王城に行くに従って各層ごとに高くなっていく構造になり、王都そのものが小さな山のように映る。最長部に高く伸びる尖塔は空に近づき、晴れた日には瓦や窓が陽の光を弾くのを、遠く離れた街からも見ることができた。 王都の道には石畳が敷かれ馬車道と歩道とに分けられている。複数の階層を持つ建物が、壁や屋根、窓の枠の色調や、街全体の俯瞰に至るまで計算されて立ち並ぶ。場所によって街並みは複数層に分かれ、高い橋梁によって結ばれている地区も見られた。 全体を歩いて抜けようとすれば丸一日はかかるが、王都内の随所に法術による「 所々に人々が憩うための広場が設けられ、街の中を水路が王城を中心に放射状に伸びる。水路を小船で行き交う者たちの多くは商人達だ。当然の事ながら王都は、国内においてもっとも商工業が盛んで、特に商業は各地から街道を通って様々な品々が集まる。街には活気が溢れ、通りには深夜でも商売の屋台が軒を連ねていた。 街の外周には軍の演習場があり、更に先には数里に渡って深い森が広がる。その森を縫うように、街道が各方面に伸びていた。 王都の中心である王城もまた、幾層にも分かれた構造をしている。 城壁と深い水を湛えた堀ががぐるりとめぐらされ、王都の街並みと一線を画していた。城壁には東西南北、四つの「外門」があり、門を潜ると第一の層がある。 第一の層は兵舎で、王城の最端部を取り囲むように正規軍の東、西、南、北方四軍の兵舎がそれぞれの方位に広がり、及び近衛師団兵の宿舎もそこに位置する。 第二の層は軍の士官の屋敷が立ち並ぶ区域だ。 第三の層に行くには、さらに「中門」を潜る必要がある。そこには貴族諸候の屋敷が並ぶ。諸候はそれぞれの領地に居城を持つが、王都に上がった際にこれらの屋敷に居起している。 第四層は再び城壁に仕切られ、四方にある門が王城の「正門」となる。その内部には広大な、美しく整えられた庭園が広がり、その庭園を抜けると漸く、王の居城が現われる。黒と銀を基調にした石を組んで造り上げられた、優美な線を描く数十の尖塔が、周辺から中央に向かって次第に高くなりながら聳え建ち、見る者を圧倒していた。 王が実際に住まうのはその中央の一角で、そこを「居城」と呼び、それ以外は公的な役割を果たし、謁見の間や四大公の執務室、内政官房、地政院、財務、軍本部などの各部署があった。 一等参謀官ロットバルトは、空席のままの執務机に視線を向けた。 少し、戻りが遅いか。 整った面を中庭へ面した窓に向ける。硝子を隔てた中庭は午前の明るい陽光に満ち、平穏な表情を見せている。 近衛師団第一大隊大将レオアリスと、その副将であるグランスレイが王への謁見の為に王城に上がってから、既に二刻が経とうとしていた。飛竜を使えば、王城とこの近衛師団士官棟の間は、往復に四半刻も掛からない距離だ。 だが前の謁見が長引くことなど珍しくもないことで、途切れることなく行われる王への謁見は、一つの案件に対して半刻の時間も与えられることはなく、下手な説明で時間を長引かせれば、謁見の間を出た時に、待っている他の諸侯達の厳しい批判の視線を浴びることになる。 近衛師団は王を守護する王直轄の部隊だが、大隊大将の地位ではさほど王に謁見する機会は多くはない。十日に一度の定例の謁見に加え、時折急な案件が入った時くらいだろう。 レオアリスは王への忠誠が深く――というよりも、ただ純粋に王を慕う気持ちが強く、王への謁見の前後はいつも嬉しそうだった。 ともかくその時は、ロットバルトが完璧なまでの説明資料を整えるのだが、今回は違った。 早朝、近衛師団総将を通じて、王の召喚を受けたのだ。 「結構遅ぇなぁ」 ロットバルトの考えを代弁するように、クライフも空席の机を眺めて呟いた。 クライフは第一大隊を組織する三つの中隊の中将の一人で、左中右の中隊の内、中軍の指揮を執る。南方出身者特有の褐色かがった肌の色、明るい茶色の髪と鳶色の瞳がその性格を物語っているようだ。 「そうね」 緋色の髪をかき上げて、左軍中将フレイザーも立ち上がり、窓の傍に寄ると、レオアリス達が帰ってくるだろう中庭の回廊を眺めた。 王の召喚を受けて謁見に赴くことなど滅多にない。皆その案件が何なのか、気に掛かっていた。 加えて帰りが遅いのでは、何か大きな問題があったかと、そう想うのも無理は無い。 「我々がじりじりして待ったってしかたないよ。お戻りになれば説明があるだろう」 クライフとフレイザーに対して、右軍中将ヴィルトールは年長者らしく、いつもの穏やかな口調でそう言うと目を通していた書類を閉じた。 「そろそろ演習場にいく時間だけど、どうしようか?」 午前中は各中隊の訓練が、王都円周部の演習場で行われるのが通例だ。中将が毎回指示を出さなければ始まらない訳ではないが、定刻に姿を見せなければ、既に演習場に集っているだろう揮下達は何かあったのかと気を回しもするだろう。ロットバルトは少し考えてから氷を思わせる蒼い瞳を上げた。 「もう少し待ちましょう。もしいずれかの隊に指示か下るようなら、ここに揃っていた方がいい」 「そうだね」 「何の用なんだろうな?早朝出仕前だろ、急ぎの案件か」 「お前が最近、遅刻が多いからじゃないか?」 ヴィルトールが長い銀灰色の髪を揺らし、同じ色の瞳を向けて親指で首を掻く仕草をして見せると、クライフは陽気そうな顔を引きつらせた。 「アホか? んなもんわざわざ王が口出すかよ」 「あら、師団の任免は王の勅令よー。この間の監査に引っ掛かったんじゃない?」 「ははは……んな。止めろって。大体それだったらこいつの方がずっと素行悪いだろ?」 冗談と分かっていながらも、フレイザーにまで脅されて、クライフは苦し紛れにロットバルトを指差した。ロットバルトは椅子の背もたれに肘を掛けて寄り掛かり、冷めた視線を投げる。 「私の、どこが素行が悪いんです」 「女関係」 ロットバルトは男というには整いすぎた顔に、優雅に笑みを浮かべた。 「人聞きの悪い。友人が多いだけですよ」 「てめェの友人は女ばっかか?!」 「ご紹介しましょうか?」 「え、マジ? ……って、ふざけんな!」 「最低な会話ね……あ」 呆れ果てた色を浮かべていたフレイザーが、窓の外に視線を止めて執務室の扉を振り返る。二人が漸く戻ってきたのだと彼女の表情から見て取り、他の三人も席を立った。すぐに扉が開き、レオアリスとグランスレイが執務室に入った。 大将であるレオアリスは、青年と呼ぶにもまだ若い。大柄なグランスレイの肩辺り程の細身の身体を、今は王への謁見に際して着用する正装に包んでいる。襟元の詰まった丈の長い上衣に肩から纏う長布、全身を統一している黒色は近衛師団を表す色でもある。 年齢は十六歳、近衛師団の中で最も若く、副将グランスレイとは、親と子程も年が離れて見える。 普段は明るい表情を浮かべる漆黒の瞳の中に僅かにある翳りに気付き、迎えた中将達は軽い違和感を覚えた。 常ならば王に謁見した後などは、その頬の上には隠しても嬉しそうな色が伺えるのだが、今朝はどこか憂欝そうに見える。 「遅くなった。ちょっと地政院に寄っててな」 そう言うと、レオアリスは纏っていた長布を外して椅子の背に放り、身を沈めるようにして腰掛けた。束の間眼を閉じ考え込むように顔の前で指を組んでいたが、瞳を上げると前に立つ中将達を見渡した。 「ミストラに行く」 「ミストラ? ミストラ山脈ですか?」 グランスレイ以外の全員が、驚いた顔をレオアリスに向け、その漆黒の瞳を見返した。 ミストラは王都から馬で約二ヵ月半を要する、東の辺境に連なる山脈だ。好んで訪れる者はほとんどなく、彼等にとっても険しく荒れた、無用の土地といった印象が強い。 そのミストラに、一体何の用があるというのだろう。 彼等の疑問の視線を受けて、レオアリスは前に立つグランスレイに眼を移した。 一つ頷き、グランスレイが慎重なまでの手つきで四人の前に差し出したのは、一通の書状だ。 その表面に捺されている紋章を眼にし、四人は息を飲んだ。 たった一つ刻まれた、双頭の蛇の紋。 執務室に掲げられている近衛師団の軍旗にも、同じ紋があしらわれている。 黒地に暗紅色の徽章。 黒は王の直轄軍を。 暗紅色のそれは、王の紋を表す。 書状の表にはそれ以外何も印されてはいなかったが、それだけで、王の勅旨だと判った。 「これは……」 グランスレイはその書状を、一番近い位置にいるロットバルトに手に取るように促す。 ロットバルトが手に取るのを躊躇っていると、レオアリスが再び口を開いた。 「構わない。取れ」 深く頭を下げそれを受け、ロットバルトは書状を開いた。三人の中将達も、横から覗き込むように視線を落とす。 流麗な字体が僅かに数行したためられている。直接眼にする機会は多くはないが、おそらく王自身の蹟によるものだろう。 それは、近衛師団第一大隊大将であるレオアリスに直接指示を下すものだった。 東の辺境、ミストラ山脈に棲む、ある種族の調査と保護。 書かれているのはそれだけだ。 ロットバルトが書状を閉じると、再びグランスレイが書状を取り、レオアリスに戻す。レオアリスは書状を机の上に置き、中将達を見渡した。 「ヴィルトール、ロットバルト」 呼ばれた二人が、その場で姿勢を正す。 「ヴィルトール、右軍全騎をすぐに動けるように整えろ」 「承知致しました」 ヴィルトールが左腕を胸に当て、一礼する。再び姿勢を整えると、ヴィルトールは僅かに首を傾げてレオアリスを見た。 「サランバードには通達しますか」 サランバードは正規東方軍の辺境軍が駐屯する街の名であり、その管轄化で行動する場合は事前に一定の作戦内容を通達するのが常だ。しかし、レオアリスは首を振った。 「状況に応じてその必要も出てくるだろうが、今はいい。アスタロトには了承を取ってある」 ヴィルトールは再び一礼すると、今度は退意を告げて執務室の扉へと向かった。右軍の準備を整えるために一度演習場へ向かうのだろうヴィルトールの姿を見送ってから、レオアリスはロットバルトに視線を戻す。 「ロットバルトには、俺に付き合ってもらう」 作戦行動の図面を引くのかと思っていたロットバルトは、秀眉を上げてレオアリスを見つめた。 「上将に? まさか、貴方が直接行かれるのですか?」 「そうだ。先ほど王にお会いした時、直接指示は戴いた」 「何故……」 疑問を口にしかけたロットバルトを、レオアリスは片手を上げて制した。 「悪いが質問は後だ。今回の動きはグランスレイと確認してある。ヴィルトール達にはグランスレイから説明するが、ロットバルト、事は急を要する。まずは旅装を整えて一刻以内にここに戻れ。……ああ、旅装は私服でいいぜ」 「飛竜を?」 「頼む。そうだな……緑燐を二騎がいい」 その言葉に、四人はレオアリスの顔に再び驚いた視線を向けた。 レオアリスの――大将級が騎乗する飛竜は銀燐、また近衛師団の飛竜は黒燐と定められている。緑燐は民間で主に利用されている飛竜だ。 レオアリスの顔の上に視線を向けたものの、漆黒の瞳の中には違和感の要因は覗けない。ロットバルトは喉元まで出かかっているだろう幾つもの疑問を抑え、一礼した。 「飛竜は私が用意するわ」 フレイザーに礼を述べてロットバルトが退出すると、レオアリスも席を立った。 「俺も準備をしなきゃな。グランスレイ、後を頼む」 「承知しました。飛竜の準備が出来次第お呼びします」 グランスレイの言葉に頷くと、レオアリスは黒い瞳に僅かに憂鬱そうな色を刷いたまま、物問いたそうな中将達の前を抜け、自らも旅装を整えるために執務室を出た。 |