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王の剣士3 「剣士」
【第一章】


 執務室の扉を開けたとたん、レオアリスはぎょっと後ずさった。
 それもそのはずで、部屋に一歩踏み込んだそこに、壁がある。思わず後ろを振り返って自分が確かに扉を潜ったのを確認し、もう一度改めて壁を眺めた。
 扉の前一面を覆い尽くすように、何かが天井まで積み上げてある。
「……何だ、これ」
「ああ、お気を付けて。左右に通り道は開いてますので、そこを抜けてください」
 ロットバルトの声が壁の向こう側から聞こえ、左右を見ると確かにやっと一人抜けられそうな程の隙間があった。触れると崩れそうなその壁に注意を払いながら、漸く朝の光に満ちた部屋に出る。
 何となく詰めていた息を吐いて改めて振り返り、壁を眺め、執務机の前に座っているロットバルトに視線を向けた。
「……で?」
「今朝早くアスタロト公がおいでになって、置いていかれました。土産と仰っておられましたが、お心あたりが?」
 そう言えば昨日、どこかに行くと言っていたが……。昨日の別れ際のアスタロトの悔しそうな顔が脳裏を過った。
「――あ、の野郎ォ」
 つまりは意趣返し、だろう。
「何でも、丁度時期で沢山出ていたからとか何とか」
 色とりどり、様々な形の小さい箱が天井までぎっしりと積みあがったそれは、どこから手を付ければ崩さずに取れるのかすら判らない。
「お前、見てたわけ?」
「ええ。それは見事な手際でしたよ」
「止めろよ……」
 思わず額に手を当てると、ロットバルトはわざとらしいほど意外そうな色を浮かべてレオアリスを見た。
「私が、公のなさる事をですか?」
(出来るだろ……)
 普段アスタロトが羽目を外した時などは容赦無く厳しい事を言ってのけるくせに、と思いはしたものの、レオアリスはただ肩を落として室内を見回した。
 要は単に面白がっているだけだ。ヴィルトールもフレイザーも、口元には今にも吹き出しそうな笑みが見える。一人グランスレイだけは、曖昧な表情を浮かべて僅かに視線を逸らせている。一度深い溜息をつき、レオアリスはもう一度目の前の壁を見上げた。
「いっそ、崩すか」
「いえ、もうすぐ崩れます」
 ロットバルトが書類から眼を離さないまま、あっさりと告げる。
「はあ?」
「クライフ中将がまだ出仕しておりませんので……」
 その言葉が終わらない内に、扉が勢い良く開く音と共に、クライフの声が響いた。
「すんませんっ遅刻……っぎゃああぁあ!」
 ぶつかる音に合わせ、見事なまでに雪崩を打って、壁が崩れ落ちた。


「お前なぁ、何のつもりだ」
 王城の第三層にあるアスタロトの館の一室で、広い庭園に面した露台の椅子に座り、レオアリスは目の前の華やかな顔を睨んだ。アスタロトはしてやったり、と言わんばかりに白い頬に得意げな微笑みを浮かべる。
「ふふん。嬉しいだろ。今回はちょっと遠出したんだ。そこの風習とやらでは好意を抱いてる男に女が贈るらしいぞ。つまりお前はこの私に好意を抱かれてるって事だ。誇りに思え」
「阿呆か」
「普通は一つらしいけど、私なんてあれだけたくさん?」
「馬鹿?」
「全部食えよ」
「――はぁ」
 にっこり、と満面に笑みを浮かべたアスタロトの華やかな顔に、返す言葉も見つからず、レオアリスはただ大きな溜息をついた。
 アスタロトが持ってきた物に、おいそれと手を触れる訳にはいかないとか何とか理由を付けて、あれは崩れたまま、誰も片付けようとしない。多分レオアリスが戻った時まで、床の上で通行の邪魔になっているのだろう。
 ちなみにレオアリスはここに来る時、窓から出てきた。グランスレイやロットバルトがどうしているのか想像すると笑えるが、戻ったらあの片づけが待っているのかと思うとうんざりする。
 アーシアが申し訳なさそうな苦笑を浮かべ、二人の前に暖かい紅茶を注いだ白い陶磁の茶器を差し出した。
「すいません、レオアリスさん。一応、お止めしたんですが……」
「仕方ない。お前が謝る必要はないさ。苦労するよな、お前も」
 アーシアはとんでもございません、と慌てて手を振ったが、アスタロトはもっともらしく頷いた。身を乗り出し、白い藤椅子をきしりときしませる。
「そうだ、謝る必要ないぞ。あれ積むの苦労したんだから。最初行った時もうロットバルトがいてさ、あいつ意外とくそ真面目だよね?、絶対怒られると思ったけど何も言わないから安心してたのに、途中まで積んだらグランスレイが蹴つまずいて崩したんだ。あいつでかすぎ。もぉー、せっかくのヒトの苦労をさぁ」
「……」
 アスタロトが滔々と話し続ける横で、生真面目なグランスレイが手伝う訳にもいかず、かと言って止める訳にもいかずに困惑している姿が眼に浮かび、レオアリスは乾いた笑いを漏らした。それを知ってか知らずかアスタロトはすぐに得意そうな顔を向ける。
「すっごい高価なものもあるんだぞ! 一粒三百ルス!」
「さ、三百!?」
 馬鹿かお前は! と言いそうになったが、却って呆れてしまい、レオアリスは口を閉ざした。
 アスタロトが食べ物、特に甘いものに対しては金に糸目を付けないのはいつもの事だ。ちなみに三百ルス、銀貨三枚あれば、大体王都の下層あたりでひと月部屋が借りられる。
「もお、さすがに持ってったお金が底つきるかと思ったぁ。でも私の分は隣の部屋一杯買って来たから、十日は保つかも」
 組んだ手の上に形の良い顎を載せ、至福の表情を見せる。という事は、あんなものが部屋一杯を埋めているのだろうか。隣の部屋と一口に言うが、隣は相当に広かったはずだ。
「……頭痛ぇ……」
「大丈夫か? 風邪?」
「……」
 アスタロトの顔を眺めれば、紅い瞳は心底心配そうだ。レオアリスは頬杖をつき、これで本日何度目になるか判らない溜息を洩らした。
「何か疲れて見えるな、気を付けろよ。お前意外と繊細じゃん?」
「……」
 誰のせいなんだと言いたい気持ちを飲み込み、レオアリスは席を立った。
「何だよ。もう行くのか」
「文句を言いに来ただけだしな。俺も暇だよ、全く」
 アスタロトはつまらなさそうに唇を尖らせたが、ふと思いついたようにレオアリスを見上げる。
「そうだ、お前、今度の御前、剣舞やるの?」
 御前とは、年に一度、王の天覧の上で行われる総合合同演習の事だ。正規軍、近衛師団全ての兵が参加し、祝祭のように華やかに行われる。
 将校や剣の優れた兵達が演武や手合わせを行うのが通例で、大将級はそれが必須となっている。レオアリスが他者と剣を合わせるのは困難なため、選ぶとすれば剣舞くらいなのだ。
 舞とは言っても型に近い。前回の御前演習の折りに一度見ただけだが、静から動へ、あの青い剣が大気を切り裂く様はアスタロトのお気に入りだ。だがレオアリスはあまり気乗りのしない顔を見せた。
「そうなりそうで気が重いんだ。また会場壊すのもなぁ……」
「そんな些細なこと気にすんな。なんなら私がバッチリ術掛けてやるから」
 レオアリスのうんざりした顔にも理由はある。舞とは云え剣士が剣を抜くとなれば、何も術を施さない場で行うには危険が伴う。前もって厳重な結界を張り巡らすなど、周囲に損害を与えないよう対策を講じる必要があった。その為に設けられる会議など居心地が悪い事この上ない。
「平気かよ」
「まかせとけって。楽しみにしてるからな。王なんか、お前がぶっ壊した方が喜ぶんじゃないか」
 疑わしそうな視線を向けるレオアリスに対し、アスタロトはに、と自信に満ちた笑みを浮かべ、白い円卓の上に頬杖をついたまま、空いている右手をひらひらと振った。
「今度は一緒に行こうよ。いい店見つけたんだ」
「……そうするよ。またあんなモン持って来られちゃ敵わねェし。アーシア、ごちそうさま」
「お気を付けて」
 アスタロトと会釈をするアーシアに軽く右手を上げて答え、レオアリスはアスタロトの館を後にした。



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renewal:2007.07.16
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