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王の剣士3 「剣士」
【第二章】


 協議はその時点で中断された。北方軍大将ランドリーがその幕下を伴い、慌ただしく議場を後にする。アスタロトもまた、王への報告の為に席を立つ。
 俄かに慌ただしい空気に包まれた議場内で、レオアリスはまだ自席に腰を降ろしたまま、その動きを見送った。
「どう思う」
 傍らのアヴァロンがレオアリスに視線を向ける。
「――バインドかと。奴の左腕の剣は、炎を纏っていました」
 エザムの街を焼いたのはその炎だろう。レオアリスにはあの男が嬉々として街を焼き尽くす様が見えるような気がした。いや、その光景を、自分は見た事がある。
 かつて……。
 赤い炎が記憶の片隅で揺れる。
 いつだ?
 嬉々として剣を振るう。
 木々が炎の中で捩れ、家が崩れる。
 裂け目から紅い炎が傾れ込み、
 誰か、が……
「!っ」
 不意に目の前が紅煉に染まった。
「上将?」
 突然椅子を蹴立てるように立ち上がったレオアリスに、グランスレイは咄嗟にその背に手を充てた。一瞬だけ、手によろめきかけた身体の重みが加わる。
 虚ろに開かれていた瞳に、光が戻った。
「……上将?」
「何だ」
 グランスレイの声に含まれた懸念の響きに対して、レオアリスは事も無さそうに問い返す。まるっきり、自分の変化に気付いていない声だ。
「……いえ」
 レオアリスの背後で、グランスレイとアヴァロンの瞳がちらりと交わされる。
「ぼうっとしてるな。座れよ、レオアリス」
 トゥレスが呆れたように笑ってレオアリスに席を指し示すと、漸く自分が立ち上がっている事に気付き、レオアリスは机の上に視線を落とした。
 何を考えていたのだったか。
 少し疲れているのか、頭が重い。
 グランスレイに声をかけられる前、確か
「左……」
 アヴァロンの呟きにレオアリスは視線を上げた。
「――何か、気になる事が?」
「いや。それより、今後の動きについてだが」
 レオアリスはアヴァロンに正面を向けると姿勢を正す。他の大将もまたその前に立った。
「エザムの調査は北方に任せ、各隊は王城の警護を固めよ」
「バインドであった場合は、どのように」
「残念ながら今の議論が中断してしまった以上、北の管轄に手を出す訳にもいくまい」
 レオアリスが悔しそうな表情を浮かべるのに気付き、アヴァロンの厳しい顔に苦笑が過ぎる。
「そう焦るな。我等としても外門を破られた責は果たさねばならん。公と直接話をしよう」
 アヴァロンは席を立ち、大将達が一斉に敬礼する中、長布を翻して扉へと向かった。一歩遅れて、二、三隊の大将達も退出する。
 第二大隊大将トゥレスは扉の外でアヴァロンに並び、厳しさを浮かべているその顔を眺めた。
「俺は嫌ですよ、剣士とやり合うのは。俺は見た訳じゃありませんがね、またうちの隊を全滅させるのは遠慮したい」
「案ずる必要はない。ただ、決断を間違えれば、あの時よりも被害が甚大になる可能性は否めんな」
「……したくない決断にならなければいいんですが」
 トゥレスは一度議場内を振り返った後、左腕を胸に当てて敬礼し、踵を返した。



 アヴァロンや他の大将らの退室を見送り、レオアリスは再び席に深く腰掛け、椅子の背に身体を預けた。傍らに立つグランスレイが首を傾けてその顔を見下ろす。陽はすっかり上空へ上がり、窓から差し込む光は細く議場内は翳りを漂わせている。
「上将。お疲れであれば一度屋敷に戻られては。昨夜からずっと不休で動いておいでだ」
「大丈夫だ。それにお前等だって同じだろう」
 そう言ったものの、レオアリスは思い直したようにグランスレイの顔を見上げた。
「――いや。悪いが、やっぱり少し一人にさせてもらえるか」
 グランスレイが覗き込んだ漆黒の瞳には、いつもと違った色はない。
「では、何か変化があればお呼びいたします」
「一隊の警備は、朝ロットバルトが作った案でいいだろう」
 グランスレイは胸に左腕を充てたまま、束の間上官の表情に視線を落としたが、もう一度軽く頭を下げて議場の扉へ足を向けた。
 レオアリスは背もたれに寄り掛かったまま目を閉じ、思考を巡らせる。
 どうしても違和感が拭えない。確実とは言えないものの、一部の者達はおそらく何かを隠している。
 そしてそれを口にする事を、どこか恐れているようにも見えた。
 自分に対してなのか、それとも自分を含めた他の者達全体に対してなのか。
 考え過ぎだと否定されればそうなのかもしれないが。
 過去。
(どこか……書庫へでも行って調べる方が早いか)
 閉ざしていた瞳を上げる。その途端、離れていた所から遠慮がちにレオアリスに視線を向けていた女官と目が合った。どうやら議場の片付けの邪魔になっていたようだ。
「悪い、もう行く」
 長い間考え込んでいた事に苦笑を浮かべて立ち上がり、申し訳なさそうに頭を下げる女官の傍を横を通り抜ける。
(何を調べればいい?)
 分かっているのは、三点だ。バインドという名と、剣士である事。
 そして、自分の生まれた頃と一族に、何らかの関係があるという事。
 調べない方がいいんじゃないのか。
 ちらりと浮かんだ警告にも似た考えを、レオアリスは敢えて打ち消した。
 調べて、あの男の言葉を否定する。
 侵入者が混乱させるために言った偽りに過ぎないのだと、それを確信する為にも、調べてはっきりさせなくてはいけない。


 第一層、近衛師団総司令部の棟の外れから石造りの階段を地下へと下り、薄明かりの灯る短い廊下を進むと、すぐに古びた木の扉がある。近衛師団の文書保管庫だ。
 近衛師団に関わる全ての文書・記録が収められ、管理されている。
 ここに足を運んだのは、軍に入ってから既に何度目か知れない。
 もともとレオアリスは書物に囲まれて育ったため、すこし湿った紙独特の匂いが漂うこの場所は好きだった。軍という性質上、特定の用事が無い限りはここに立ち入る者は少ない。
 誰も来ないから煩わしさもなく、好きに過去の記録や戦術書などをひっぱり出しては読み耽る事もしばしばあった。おかげで管理官とも親しくなって、基本的に持ち出し禁止の書物も度々借り出している。
 だが、今日こうして書庫に足を運んでみて、改めて、レオアリスは自分が生まれた当時の記録を見た覚えが無い事に気付いた。
 こんな事でもない限り考えもしない事ではあるが、各年代にあった事で大きい出来事はそれなりに記憶しているものの、順に並べかえてみると、レオアリスの生まれた年代に当てはまるものは無い。
 書庫の扉を抜け、管理官のアンケスに片手を上げると、アンケスもにこりと笑みを浮かべた。
「こんにちは。今日は何の書物を?」
 アンケスの背後には書物が収まった書棚が、ずらりと壁のように並んでいる。アンケスに欲しい書物や見たい内容を告げれば、この書士はすぐに取り出してきてくれる。
 整理途中なのだろう、雑然と書物の積まれた受付用の机の前に立ち、レオアリスはその背後の書棚に瞳を向けた。
「十七年前の前後一、二年、記録を全部出してもらえるか」
「全部ですか? お待ちください。でも結構な量ですよ」
「かまわない」
 アンケスは軽く頷くと、書物を取りに奥に並んだ書棚に消えた。程なく戻ってきたが、数冊の綴りを手にしてしきりと首を傾げている。
「どうした?」
「いえ、……おかしいなぁ。ずいぶん少ないんですよ、他の年代と比べて」
「少ない?」
「ええ。例えば、前後はそれぞれ二、三冊ずつくらいあるんですが、丁度お探しのところだけ、これ一冊ですね。連番ですから間違いはないかと思いますけど」
「……へえ。ま、いいや。ちょっと借りるぜ」
 レオアリスは微かに眉をひそめたが、アンケスはそれには気付かず、綴りを机の上に置きレオアリスに向かって差し出した。
「どうぞ。返却はお好きな時でいいですよ」
 綴りを受け取って礼を述べ、書庫を出る。総司令部から西の区まではさほどの距離は無い。兵達や城内の様子を確かめるため、ハヤテを先に戻し、レオアリスは通りを歩く事にした。
 通りを行きかう兵達の上には慌しさと緊張感が漂ってはいるものの、まだそれほど逼迫した様子はない。薄い雲を輝かせ青く晴れ渡った空の下では、昨夜の事、そしてエザムの事はどこか現実感がなく感じられる。
 しかし北方軍は既に臨戦態勢にあるはずで、その空気は時を置かず、第一層全体に伝わるだろう。
 西の区に入ったところで、ヴィルトールの揮下の少将、ファーレイがレオアリスを認め、足早に近寄ってきた。多少緊張の面持ちではあるが、普段通りの落ち着いた顔をレオアリスに向ける。
「兵達の様子は?」
「警備を固めよという指示を既に頂いておりますので、師団は落ち着いたものです。正規が少々混乱気味ですが」
「仕方ないな。議場も似たようなもんだ」
 レオアリスの苦りきった声に、ファーレイはある程度議場での様子を想像できたのだろう、困ったものだと言うように苦笑を浮かべる。それから再び厳しい顔を取り戻した。
「それで、エザムが……」
 口にするのを恐れる様子が、ファーレイの面に過る。レオアリスも頷いた。
「その一報で混乱したんだ。北方が調査の兵を出すと思うが、まだ状況は殆ど判ってない」
「そうですか……」
「師団がすべきは、まずは王城の警護だ。いずれ王の命があるかもしれないが、今はな」
 そう言いながら、一番動きたいのは自分自身なのだと、レオアリスは胸の裡で笑った。
 謎掛けなどくだらない。実際に動いてしまえば、考える余裕など無くなる。実際はそうしたくて堪らないのだ。
 王の命さえ下れば。
 けれど、この件に関して――。
 どくりと、心音が高鳴る。
 自分に、王の命は下るだろうか。
(――いや)
「では、失礼致します」
 ファーレイはレオアリスの煩悶には気付かず、ただ頷いて退意を告げた。
 手にした綴りが、存在を訴える。それを強く握りしめ、レオアリスは離れかけたファーレイの背に声をかけた。
「……ファーレイ、お前」
 ファーレイはすぐ振り返ったが、問いかけようとして、レオアリスは結局口を閉ざした。誰にでも聞けばいいというものでもなく、第一ファーレイは十七年前はまだ近衛師団にいなかったはずだ。
「いや……。動きがないままだと兵達が動揺するだろう。すぐ状況は伝えられるだろうが、その前に流れてくるようだったら教えてくれ」
「承知致しました」
 敬礼し、再び歩き出したファーレイを暫く見送り、レオアリスはひとつ頭を振って、士官棟へ向かった。
 早朝に会議が始まったにも関わらず、王城から総司令部の書庫に寄って戻ってくれば、既に時刻は正午も近い。第一大隊の士官棟が通りの先に見えたところで一度立ち止まり、ふと思い直して、士官棟の手前で道を逸れた。執務室でこの綴りを開く事は、何とは無く憚られた。
 士官棟の背面の壁を右手に見ながら棟の裏手に出ると、そこには小さな裏庭がある。棟の反対側は高台のように張り出した造りになっており、そこから王都の街並みが見渡せた。王都の構造そのものが、王城を中心に緩やかな階層を重ねている為に、こうした高台は多くあった。
 空に向かって開けたそこからは、王都から各方面へと延び、一旦深い森の中に消えていく街道が、白い帯のように映る。
 この西側からは見えないが、北の街道が森を抜ければ、エザムの街がある。馬であれば一日足らずで着く距離でしかない。今、北方軍が調査を向けているはずだ。
 バインドと遭遇すれば激しい戦闘になるだろうが、既にエザムにはバインドはいないだろうと、レオアリスは思っている。
 尤も、まだエザムについてバインドだと決まった訳ではない。今は調査の結果を待つしかなかった。
 街並みから視線を外し、草を踏んで裏庭を歩き中央の噴水の辺りで足を止めた。噴水はずいぶん前に枯れ、存在も忘れられたような庭で、ここに来るのはほとんどレオアリスしかいない。少し息抜きをしたい時に、よくここに来ていた。我ながらそういう場所を見つけるのが上手い、と思わず苦笑を零す。
 噴水の脇に座り、ひび割れて崩れかけた縁石に寄り掛かると、手にしていた綴りを眺めた。
 暫らくそうしていたが、やがて息を吐き、表紙に手を掛けて、ゆっくり、項を捲る。
 心音がやけに煩い。こめかみの辺りを、血液がどくどくと巡っていくのが鮮明に判る。
 注意深く、前年、目的の年、翌年と全て目を通したが、通常の任務と演習の記述があるだけで、特にこれといった記述は無かった。
 レオアリスは暫く息を止めるように飲み込み、綴りを見つめた。
 拍子抜けした気分さえ覚える。
「――」
 もう一度全ての記述に目を通したが、やはり何も変わったところを見つけられなかった。手の中で綴りを幾度もひっくり返して弄びながら、レオアリスは自分の行為を笑った。
 気にし過ぎて、滑稽だ。
(何もないじゃないか。何があると思ってるんだ?)
 目的の年だけ少ないのが気になるが、一冊だけという年がこの年以外に全く無い訳ではないだろう。
 あの男――バインドが言った事が正しいとも限らない。むしろ、適当な偽りを言っていると考える方が、正しい考え方かもしれない。
 『お前の生まれた頃だ』
(気にしすぎだ)
「何もない」
 今度は声に出して呟いてみる。だが、それは自分の耳へすら、どこか力無く届いた。
 グランスレイの態度。議場に一瞬だけ満ちた、戦慄にも似た空気……。
 否定をしようとすればするほど、与えられる反応が疑問を投げかける。
「何もなかったじゃないか」
 もう一度、切り捨てるように呟いて、綴りを脇に置き両手を頭の後ろに組むと、レオアリスは瞳を閉じた。
 瞼の裏に、昨夜の光景が甦る。
 焔を纏った、紅い剣。
 レオアリスと同じ剣士。自分以外の剣士を、始めて目にした。
 剣を止められた感触を、つい先程の事のように思い出す事が出来る。
 驚き。
 男の言葉への疑念。
 それから、確かに沸き上がった、もう一つの感情――。
 あれは。
 閉じた瞳の奥に、ちらりと紅い陰が揺れる。
 体内で、もう一つの鼓動が小さく脈を打った。
 震えるようなその鼓動が、断続的に響く。
 それは剣の声だ。よく、知っている。
 顕現する事への歓喜を、剣を振るう瞬間に伝わる感情を、こうしている今も思い出す事が出来る。
 更に覗き込めば、剣もまた手を伸ばす。


 ――自分の、深淵を。


 ふいに身体を引きずり込まれるような、一瞬の剥落感を覚え、レオアリスは跳ね起きた。
 荒い息をつき、自分の鳩尾に視線を落とす。
 何も変わった事はない。剣は静かにレオアリスの中に眠っている。
「――」
「上将。やはりこちらですか」
 呼吸を整えようと息を吐いた時、水気の無い草を踏む音と聞き慣れた声が掛かった。瞳を上げると、沈み始めた太陽を背にロットバルトが歩いてくるところだった。
 金髪が陽光を弾くせいで表情はあまり見えない。だが、レオアリスの脇に置かれた綴りを見て、僅かに眉を潜めたようだった。
「副将がお呼びです。エザムについて緊急の軍議が招集されました。議場へお越しいただきたいと」
 ロットバルトの髪が薄く赤い夕光を纏っている事に、いつの間にそれ程時間が経っていたのかと驚きを覚える。眠っていただろうか。
「ああ、悪ぃ。――動きは」
「特にはありませんね。まあ、昨日の今日で王城の警備は膨れ上がっています。この状態で尚、城内に忍び込もうという輩もいないでしょう」
「まあな」
 服に付いた草を払って立ち上がり、綴りを取り上げる。士官棟に足を向けたレオアリスの背に、ロットバルトが声をかけた。
「上将」
 呼び止める声にレオアリスが振り返る。その顔に、落ちてゆく西日がきつく差した。
 振り返ったその先に、落日が城下の町並みを、緋く深い光の中に沈めている。
 レオアリスは振り返ったまま、動きを止めた。
 瞳が、落日に光を吸い取られたかのように色を消し、手にしていた綴りが足元の草の上に落ちる。
「上将……?」
 訝しそうに歩み寄ったロットバルトの前で、レオアリスの身体が揺らぐ。
 ヒヤリとした感覚が、ロットバルトの背筋を過った。それが何か捉えきれないまま、咄嗟に腕を延ばす。
 倒れこむ肩を支え、その顔を覗き込み、ロットバルトは感じた寒気の理由に気付いた。
 同じなのだ。暴走を起こしたあの時と――。
 だが、今、何がそれを呼び起こしたのか。
 あの時はおそらく、切り裂かれたミストラ族の姿に触発されたのだ。
 まだ動かないレオアリスの身体を支えたまま、ロットバルトは背後を振り返ったが、特にこれといったものは見当たらない。
 ただ夕照に沈む王都が映るだけだ。
 レオアリスの身体が、大きく鼓動を刻む。
 草の上に落とされた瞳は、何か別のものを見ている。
 呼吸が乱れていくのを感じ、ロットバルトは素早く頬を打った。
 乾いた音と同時に、レオアリスの視点が定まる。
「……痛ぇ」
 少し強く打ち過ぎたようだ。レオアリスは赤くなった頬を手の甲で擦り、訳が判らないといった顔で目の前のロットバルトを眺めた。
「――失礼。ぼうっとしておられたようなので」
「ぼうっと? 俺が?」
 まったく心当たりがないのか、レオアリスは自分の行動を思い起こそうと瞳を眇めた。
「いえ、気のせいでしょう。失礼しました。それより、急がないと軍議に遅れます。また余計な皮肉は聞きたくはないでしょう」
 ロットバルトはそれを押し止めるように告げ、レオアリスを促す。
 今、思い出させるべきではない。それがレオアリスにどのような影響を与えるのか分からないが、ここは王都だ。
「ハヤテは? 戻ってるか?」
「戻っていますよ。一人で帰されて、少々不機嫌なようですがね」
 ロットバルトの言葉にレオアリスは笑って、出口へと足を向けた。
「不機嫌なのは、最近遠乗りに行かせて貰ってねぇからだ」
「そうですか? 前に副将から咎められてから、まだ半月ほどしか経っていないと記憶しておりますが」
「ひと月は経ってるだろ」
 レオアリスは眉をしかめ、ロットバルトの澄ました横顔を見上げた。ロットバルトは昨夜のバインドの告げた言葉を聞いているが、いつも通り、変わらない表情でしかない。
「――」
 レオアリスが探しているものを伝えれば、この参謀官の方が上手く探し出すだろう。
 一度問われたように、伝えた方がいいのかもしれない。
 少しだけ迷い――、結局レオアリスは何も告げないまま視線を戻した。
(まだ、もう少し、事の全体が掴めてからだ)
 口にするのが怖いのかと問われれば、レオアリスはそれを否定するだろう。
 けれど確実に、それはレオアリスの中にあった。


 王城へ向うレオアリスの後ろ姿を見送り、ロットバルトは再び先程の方向を振り返った。既に陽は落ちきり、薄赤い夕闇が辺りを覆っている。
(――何だ)
 先程のレオアリスの様子は、ミストラの時と同じようで少し違う。あの時は押さえられていたものが、一つを切っ掛けに一気に弾けたような状況だったが、今回は。
 ロットバルトは当てはまる言葉を探した。そう……。
 曖昧なのだ。明確な原因が見えない。
 確実に言えるのは、レオアリスの変調に、バインドが関係しているという事だけだ。
 レオアリスが話を向ける気になるまで待つつもりでいたが、今の様子を考えれば、それでは対応が後手に回りかねない。十七年前に何があったのか、把握しておく必要がある。
 レオアリスは近衛師団文書庫を調べていたようだが、先ほどの様子ではおそらく何も得るものは無かったのだろう。
(文書での記録は無いと考えた方がいいかもしれないな。とすると、人か……)
 少なくとも十七年前から情報を得る地位にあり、剣士についても一定の知識がある人物。
 思い当たる相手はいる。幾人かは面会も得られるだろう。
 手持ちの札は少ないが、多く見せるのはそれほど困難ではない。
 ただ、事実が何か、そこが全く見えていない以上、札の引きを間違えれば、レオアリスの立場を悪くもしかねなかった。
(剣士。剣士か……)
 これまで漠然とした疑問しか持っていなかったが、思った以上に、剣士という種に関する情報は少ない。
 ロットバルトはもう一度、完全に陽の落ち切った西の空へ視線を投げ、執務室に足を向け歩きだした。



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