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王の剣士3 「剣士」
【第二章】


 「雰囲気悪ぃね。何っかピリピリしてやがる」
 昼食時で混み合った食堂内を見回し、クライフは顔をしかめた。この三日というもの、兵達の中にも重苦しい空気が漂っている。それは見えないものへの不安であり、見えるものへと転じていく不満だ。
 クライフの前で、フレイザーは手にした陶器の茶器を口許に寄せる。ふわりとした湯気と花の香りに翡翠の瞳を僅かに細めた。
「上層部の様子は表には出てこなくても、何となくは伝わるものよ。外門とエザム、二つの状況だけしか判っていないし、その後のバインドの情報が無い中では、何をどうすればいいのか不安にもなるわね」
 二人が今いる食堂の中にもそれがはっきりと見て取れる。これまでは近衛師団、正規軍双方の兵がさほどの問題もなく混在していたここで、今はくっきりと両者の間に線引きがあった。それぞれが食堂内の左右に分かれて固まり、目が合えば互いに睨むか視線を逸らすようになっていた。
「ちぇ、せっかくフレイザーとの食事だってのに、こんなんじゃ雰囲気出ねえよなぁ」
「あら、何の勘違い?」
 クライフが情け無さそうに顔を歪めた時、奥の席が俄かに騒がしくなった。怒鳴り声と床の上に食器が散らばる派手な音が響く。クライフは眉をしかめたまま立ち上がった。
「ったく、馬鹿が」
 口の中で呟き、ずかずかと大股で騒ぎの方へと足を進める。
「そもそも、お前等が外門を守れなかったのが問題だろう!」
 正規兵の一人が目の前の近衛師団隊士を睨み付けると、隣で立ち上がった正規兵も声を上げる。
「そうだ! 王城の守護が聞いて呆れるぜ!」
 正規兵達から囃すように同意の声がかかり、今度は近衛師団の他の隊士達が立ち上がった。
「エザムの二個小隊を壊滅させといてよく言うな。力不足は正規の方じゃねぇのか!」
 同意と野次が双方から飛び交い、瞬く間にそこにいた兵達が集まり、騒々しさが一段と増していく。
「大体お前等の大将は何やってんだ? さっさと出て奴を討てばいいのによォ」
「そうだ、どうせ同じ剣士でなきゃ何もできないんだ」
「実際、怖くて出らんねぇんじゃねぇのか?」
「ふざけるな!」
「おい、聞き捨てならんぞ!」
 近衛師団兵達が一斉に色めき立つ。
「びびってんなぁ正規の方だろう! 捜索に手ェ抜いてんじゃないのか!?」
「何だとォッ」
 まさに掴み合いになりかけた瞬間、左右から同時に叱責の声が飛んだ。
「いい加減にしろ、テメェ等!」
「ガキみてぇに浮っ付くんじゃねぇ!」
 雷に討たれたようにさっと静まり返り、兵達はそれぞれ自分達の後方で仁王立ちになったクライフと、正規軍中将ワッツの厳しい表情を見つめた。
 ワッツは集まっていた兵達の間に巨体を押し込むようにして中央まで行くと、ぐるりと居並ぶ顔を見渡す。細い眼の中の鋭い眼光を浴びせられ、兵達は熱が冷めたように顔を伏せた。
「一体何やってんだ? お前等は。この狭ぇ中でお互いに非難し合ってるのが正規と師団の実体か。王城の守護は師団の役割だが、正規軍一隊が王都に駐屯しているのが何の為か、それを忘れてる訳じゃないだろうな? そんなんで王都が守れるか」
 一つ一つの顔を覗き込むように視線を向けるワッツに対し、兵達は言葉もなく畏まる。呆れ顔で眉を一つ上げ、ワッツは兵達の向こうのクライフを振り返った。
「クライフ、テメェもビシッと言ってやれ」
「……てめぇが全部言っちまったよ」
 息を吐き、首筋を掻くクライフの隣でフレイザーが微笑みを浮かべた。
「ワッツがいてくれて良かったわね。貴方殴って止めるつもりだったでしょう」
「んな事は……」
 ワッツがにやりと笑う。
「クライフが先に仲裁に入ってたら、俺も参戦してたぜ。その方が意外と発散できたんじゃないか、なあ?」
 ワッツに同意を求められ、兵達は慌てて首を振った。
「と、とんでもございません!」
「遠慮すんなよ。溜まってんだろォ」
 目の前にいた不幸な正規兵の肩を力一杯揺すり、ワッツは豪快な笑い声を上げた。
「はいはい、そこまでにして頂戴。言うことは他にあるでしょう」
 パンパンパン、と両手を打って兵達を振り向かせ、フレイザーは改めて彼等の顔を見渡した。
「苛立つ気持ちは良く判るわ。でも、上層部からの指示が無い限り、言ってしまえばあなた方に責任は発生しないの。気楽に構えるのね」
 フレイザーの柔らかい笑みと口調に緊張をほぐされたのか、兵達の顔から強ばりが取れる。一番端にいた兵が顔を上げ、おずおずと口を開いた。
「しかし、何も指示が無いのでは……」
「不安かしら」
「エザムを壊滅させる程の相手です。奴がまた来たら、俺達に対抗できるんでしょうか」
「おいおい、そんな事でどうする」
「しかし……相手が剣士では」
 再び不安そうに顔を見合せた兵達の前で、フレイザーはにっこりと笑って腰に手を当てた。
「あら、忘れたの? 王都には上将がいらっしゃるわ。貴方達、バインドがどんな相手か判らなくても、近衛師団第一大隊大将は知ってるでしょう。王の御前試合を見ているんだから」
 その言葉で完全に不安が晴れた訳ではないだろう。しかし兵達の顔からは、先程までの怯えにも近い色が大分薄れている。フレイザーはもう一度、安心させるように彼等を見回した。
「そう遠からず結果は出るわ。それは私が予想する通りになるでしょうね」
 フレイザーもまた、バインドという剣士がどれほどの相手なのか知っている訳ではない。だが彼女の瞳にはレオアリスに対する強固な信頼があり、それは兵達へ静かに広まっていくようだった。
「さあさあ、ぼうっとしてんなよ。午後の訓練があるだろう。とっとと飯を食っちまえ」
 ワッツが彼等の背を追い立てるようにして元いた席に戻す。再び大人しくなった食堂内を眺め、クライフとフレイザーも卓に戻った。
「すげぇ。惚れなおした」
「あらそお? それより、困った状況よね」
「それより……」
 項垂れかけたものの、フレイザーの瞳に覗いた深刻な色に、クライフも表情を引き締め直す。
「いつまで軍議ばっかり続けるのかしらね。一言討伐を決めれば、後は動くだけなのに。結局、上将しか剣士を抑えられないんだから」
「でも正規の管轄になっちまってんだろ?」
「まだそれすら決まってないのよ。だけど正規の管轄になって、誰が剣士と闘うの?」
 そう問われて、クライフは恐る恐る口を開いた。
「……アスタロト様とか?」
「馬鹿言って。あの方を動かすのなんて相当の一大事、それこそ大戦並みよ」
「今だって一大事だろ――それに剣士だって同じだ。前の大戦じゃ、剣士の力がでかかったんだから。何て言ったっけ、大戦の剣士。……まさかそいつじゃねぇよなぁ」
「違うわよ。ジンでしょ。今はどうしてるのか知らないけど」
 最早三百年も前の話だ。フレイザーにしても歴史の一端として知っているに過ぎない。その当時から軍にいたのはアヴァロンぐらいだろう。
「上は結局ぶるってんだろ。だからさ」
 フレイザーはクライフの物言いに咎める視線を向けたが、そのまま視線を落とした。
「――そうね……」
 ふと黙り込むと、まだぎこちないながらも兵達の交わす声がざわざわと聞こえてくる。フレイザーは冷めた紅茶を一度掻き回し、ただ匙を置いた。
「……あの人、また迷ってるのかしら」
 呟きを耳に止め、クライフが顔を上げる。
「あの人? 誰?」
「えっ? あっ、やだわ、何か言った?」
 途端にフレイザーは顔を真っ赤に染め、クライフの眼から逃げるように右手を上げて遮った。
「何かって、……」
「とにかく、もう迷ってる時じゃないのは確かよ。どうにか……決断してもらいたいものね」
 そう言い置いて、フレイザーは席を立ち、まだ微かに赤い頬に手を当てるようにして、足早に食堂の出口へ向かった。
「ちょっと、フレイザー……。――誰の事だよ……くっそぉ」
 拳を握り締めたものの、向ける先も無い。クライフも一度自分の頬を軽くはたいて席を立った。


 クライフが士官棟へ戻ると、先に食堂を出たフレイザーとヴィルトールがいるのみで、他はまだ戻っていないようだった。
「上将は?」
 席に着いて椅子の背に身体を預け、ヴィルトールに顔を巡らせる。何かの書面を読んでいたヴィルトールは、それを伏せて顔を上げた。
「お二人ともまだだよ。けどもう戻るだろう」
「長ぇなぁ。決まったのかな」
「さて……」
 丁度そう言っている間に、扉が開き、グランスレイが入ってくる。
「お疲れ様です。上将は?」
「公と少し話をされている。程なくお戻りになるだろう」
「それで……」
「まだだ」
 眉をしかめ短く告げただけで、グランスレイは自席に向かった。ヴィルトールが立ち上がり、グランスレイの傍に寄ると、先程まで見ていた紙を渡して一言二言何事か告げる。グランスレイは再び眉をしかめたが頷いた。
 ヴィルトールが紙を畳んで懐にしまった時、再び扉が開いた。彼等は同時に顔を向けたが、入って来たのはロットバルトだ。
 余りに一斉に視線を向けられた為、ロットバルトが思わず足を止める。
「何だ、お前か」
 身を起こしかけたクライフは、また元のように椅子の背に寄りかかった。
「何だと言われても。……上将はまだお戻りではないんですか」
「まだだし、まだ決まってないってよ」
 ロットバルトは何も言わず、ただ呆れたように肩を竦めて机へ向かう。何とはなしに会話は途切れ、クライフは暫く窓の外を眺めていたが、それをグランスレイへと戻した。
 つい先程の食堂での諍いが思いだされ、軍議が決着しなかったと聞いただけで、はいそうですかと黙ってもいられない。
「……副将、いつまで放っておくつもりなんです」
「何の話だ」
 クライフは立ち上がり、グランスレイの机に近寄った。
「決まってんでしょ、上将に対する批判とか、言わせっ放しでいいのかって事ですよ。軍議じゃまともに対策も練らないでそればっかって話じゃないですか」
 クライフほど表情には出していないものの、フレイザーやヴィルトールの顔の上にも同様の思いがあるのを見て取り、グランスレイは苦々しい溜息と共に頷いた。
「そればかりが上がっている訳ではないが、連日飽きもせず、口がさない輩ではある」
「ちっムカつくな。今度は俺を連れてってくださいよ。がつんと言ってやる」
 掌に拳を当てながら、腹立たしげに室内を歩き回るクライフを眼で追って、フレイザーが苦笑交じりの声をかけた。
「我々の立場では臨席できないのよ。仕方ないでしょう」
 基本的に正規軍、近衛師団全体にかかる軍議に出席が認められるのは、大隊の副将までだ。その規定でいけば出席者は圧倒的に正規軍側が多い事になる。それもクライフには不満だった。
 ヴィルトールが自席に着いたまま、クライフを見上げる。
「お前までそんな事でどうするんだ? 大体お前が出たら、余計面倒な事になるだけだよ」
「だからって黙ったままでいられねぇだろ。第一、下にまで広がっちまってギスギスしてんだ。さっきなんて乱闘寸前だぜ?」
 クライフが食堂の一件を掻い摘んで報告すると、グランスレイは苦々しい息を吐いた。
 あの場ではひとまず収まったものの、全体的な問題は解決したとは言えない。上層部の不協和音が確実に隊内にも伝わって、普段なら気にならない事まで不和の要因になっている。
 このままの状態が続けば、兵達の不安はますます大きくなっていくばかりだ。
 フレイザーが与えた安堵も、このままレオアリスなりが動かなければ、時もなくまた焦燥と疑念に変わってしまうだろう。
「批判を言わせねぇか、軍を出すか、せめてどっちかになんねぇと収まりませんよ」
 しかしグランスレイはクライフに同意せず、厳しい表情のまま首を振った。
「上将が黙っておられるのだ。我々が下手に口出しすべきではない。だがいつもの批判に過ぎん」
「ったく、正規にゃそんな時じゃねぇって、誰も言う奴はいねえのかよ」
 それまでは口を開かずその様子を眺めていたロットバルトは、グランスレイに蒼い瞳を向けた。
「それだけですか」
「……何がだ」
「何。それ以外にまだあんの?」
 束の間、ロットバルトはグランスレイに視線を注いでいたが、すぐに口元に微かな笑みを浮かべた。
「いえ。……私も、少々苦言を申し上げるべきと思いますが。それに、批判についてはいずれにせよ結果を出せば消えていく話ですが、意識に蒔かれた種が芽を出してからでは、刈り取るのは困難でしょう。……兵にも一定の情報は必要ですよ」
 グランスレイは一度その瞳を見返しただけで、何も言おうとはしない。代わりにクライフがグランスレイに抗議の篭った視線を向ける。
「ロットバルトの言うとおりだ。上将が黙ってたって、副将から苦情ぐらい言ってくださいよ。放っとくからどんどん広がってくんです」
「俺が何だって?」
 丁度その時、王城から戻ったレオアリスが入り口で立ち止まり、執務室内の様子に驚いた瞳を向ける。険悪という程では無いにしろ、どこか睨み合うような雰囲気がある。
「何かあったのか」
「上将が批判を受けてるってのに、黙ってる事は無いって話です」
「……ああ」
 不服そうな色を隠さないクライフの様子に苦笑を漏らし、レオアリスは室内を横切って自分の執務机まで行くと、ひょいと机の上に座った。
「別に。気にしても仕方ない」
「腹立たないんですか? 俺は気に食わねぇっスよ。俺らの大将を何だと思ってんだ」
 本気で怒っているらしいクライフを眺めて、レオアリスは宥めるように笑った。
「落ち着けよ。……まぁ、お前らには悪いけど、少しの間我慢してくれ」
「俺達はいいんです。そうじゃなくて」
 クライフは尚も言い募ろうとして、レオアリスの瞳に浮かんだ光に気付き、漸く息を付いた。バインドの件が片付けば、今持ち上がっている批判も少しは減るのだろう。その瞳は、自分がバインドを斬るのだと、見る者に告げている。
 ただそれは、安堵の他にもう一つ、一瞬の戦慄に近い感覚をクライフに与えた。
「……判りました。上将にお任せします。でも、早いとこ決着つけてくださいよ。正規の奴等も結果を見せりゃ納得するしかねえでしょうし」
 クライフが退るとロットバルトが入れ代わりに進み出て、書類を手に彼らを見渡した。演習の布陣図だと気付いて、クライフは呆れた声を上げた。
「こんな時でも演習やんのかよ」
「バインドに動きが無く、事態が近衛師団の管轄下に無い以上、我々の打つべき手は態勢を整えておく事以外に無いでしょう。必要以上に特別な行動を取る事もない」
「俺はどっちかっつうと、バインドがさっさと動いて実戦になった方がいいな。その方が兵も落ち着くんじゃないか?」
 クライフにしてみれば、いつもの軽口程度の発言だった。
「軽々しい事を口にするな!」
 鞭を弾くような響きがあった。予想外に厳しい口調に、クライフだけではなくその場の全員が、グランスレイに驚いた視線を向ける。
「え……っと、――申し訳ありません」
 クライフが圧されたように頭を下げる。レオアリスは黙ったまま、グランスレイの僅かに逸らされた横顔に視線を注いだ。グランスレイの表情には、どこか苦い色がある。
 だが、それ以上の変化が無いのを見て取り、レオアリスは微かな苛立ちの交じった溜息をついた。



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