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王の剣士3 「剣士」
【第二章】


 バインドが王都に現れてから、四日目の朝を迎えた。
 薄紫と輝くような朱が入り交じる明け方の空は、地上でどんな事があろうと、ただ色を移ろわせていく。
 窓の向こうに変わる事なく上がる朝日を眺め、レオアリスは溜息をついた。記録を調べる事しかできていないにも関わらず、疲労は日々積み重なるように身体に纏いついている。
 浴室に行き、蛇口を捻ると壁面に設けられた管から勢い良く水が降り注ぐ。部屋着のままなのも構わず、頭を突っ込むようにして水を被った。
 明け方の冷えきった水が肌を叩き、寝不足気味の頭が漸くすっきりとしてくる。雨のように注がれる冷たい水の中で、浴室の壁に片手を当てたまま、瞳を閉じた。
 今日は公休日に当たる。午前中の時間を利用して、王立文書宮へ行ってみるつもりでいた。そこで何もなければ、自分一人の力で探れる範囲は、探し尽くした事になる。
 その後、どうするか……。
 単純に、やはりただの偽りだったと切り捨てる手はある。いっそそうして蓋をしてしまいたい誘惑は強かった。
 けれど、ずっと引っ掛かっているのは、グランスレイの様子だ。
 昨日のグランスレイの姿が脳裏を過る。
 何を知っているのか。――何故、黙っているのか。
 その事がずっと、レオアリスに煩悶を投げ続けていた。
 勢い良く注いでいた水を止め、滴る雫ごと煩悶を振り払おうとするように頭を振った。
 身支度を整えて表に出ると、既に夜明けの色は消え、良く晴れた高い空が見渡せる。通りに沿って右手には官舎の塀が延び、左側は常緑樹の植え込みが続いている。秋の日差しが樹々の葉や石畳に照り映え、冷えた大気を少しずつ暖めていた。
 館の門を出て少し歩いた所で、レオアリスは足を止めた。そこが、バインドと初めて遭遇した場所だ。まだ舗装の亀裂もそのままになっている。
 深く生々しい傷を晒しているものの無機質に語らず、そこから得られるものは無い。
 引き寄せられる視線を振りほどき、レオアリスは第一層へ向かった。


 早い時間にも関わらず、執務室には既にロットバルトの姿があった。ロットバルトは不意に入って来たレオアリスの顔を見て、意外そうに眉を上げた。
「どうなさったんです、随分お早いですね。それに今日は公休では?」
「さすがにこんな時にのんびり休んでる訳にはいかないからな。情報は?」
「未だ変化はありませんね。どうせ軍議があっても大した内容でもないでしょう、息抜きくらいされても文句は言われませんよ。遠乗りにでも行かれたら如何です。カイを置いていっていただければ、緊急時でも連絡は可能でしょう」
「そうだな……」
 ハヤテは王城への行き帰りばかりで、すっかりふてくされた様子だ。心引かれた様子で少し考え込むように黙ったレオアリスに一度視線を向けてから、ロットバルトは書類を整えて卓上へ重ねて置いた。
「申し訳ありませんが、私は午前中に少々時間を頂きます」
「用事か?」
 ロットバルトの手元に積み上げられている書類の山を眺めながら、何か急ぎの案件があっただろうかと、レオアリスは特に意図も無く聞き返した。
 返った言葉に、視線を引き上げる。
「シスファン大将が、昨日から帰還されているそうです」
「シスファン――」
 一度それを口の中で反復してから、思いがけない名にレオアリスは驚いて瞳を見開いた。
「まさか。昨日の軍議じゃ、何も言って無かったぜ。第一軍議に出席してない」
「そのようですね。私も表立って聞いた訳ではありませんが、辺境を空けて秘密裡に帰還するだけの理由があるのでしょう。……今回の件と無関係とは考え難い」
 正規東方軍第七大隊大将、レベッカ・シスファン。第七軍、いわゆる辺境軍を統括する彼女が、アスタロトや軍の召喚がなく帰還する事は考えられない。
 ロットバルトの言うとおり、秘密裡に、重大な案件を以て召喚されたと考えるのが妥当だろう。
 バインドの件に関わりがあるのだろうか。
(この時期だ。それ以外……)
 どこが、何の為にシスファンを召喚したのか。
『剣士と向き合うのは、いつ以来かな』
 不意に、いつかのシスファンの言葉が耳を打った。
 鼓動が早まる。
 確かに、シスファンはそう言っていたはずだ。
 その時はただ額面どおりに受け取っていたが、今その言葉は、無視できない響きを孕んでいた。
「――」
 バインドの事を知っているのか。――十七年前を?
 早い鼓動に合わせるように、目まぐるしく疑問が入れ替わる。
 答えへの期待と不安。
 レオアリスは逸る気持ちを押さえ込むように、両手を握り込んだ。
(……会って、話を――)
 けれど、秘密裡に上がっているのであれば、通常の面会を求めてもはぐらかされるだけだ。
 ロットバルトは暫くその様子を見ていたが立ち上がり、執務机を回ってその前に出た。
「面会の申し入れは受け入れて戴いています。任せて戴いても?」
 跳ねるように顔を上げ、レオアリスはロットバルトを見上げた。整った面に浮かんだ表情は、普段と少しも変わっていない。
 レオアリスは僅かに躊躇った。
 バインドの言葉に捉われ過ぎていると自分でも判っている。けれど、それを自分の中でどう方向付ければいいのか、それが未だに見えていないのだ。
 しかし自分には政治的な駆け引きなどは向かない。例え面会したとしても、無駄に終わるだろう。ロットバルトならその術に長けている。
「――何を聞けばいいか、俺にもはっきり判ってない」
 まだ迷ったままのレオアリスに対し、ロットバルトは対照的な表情を浮かべた。
「無論、明確な指示を出される必要はありません。逆に現時点では、私個人の範疇で動いている事に留めておいた方がいいでしょう」
 ロットバルトは特に急かすでもなくそう言うと、執務机の縁に軽く身体を預けた。
 この三日間、迷うだけ迷って来た。それで何が前進した訳でもない。
 レオアリスは深呼吸をするように、大きく息を吐いた。
「……頼む」
 口にしてみて漸く、胸の裡に重くわだかまっていたものが、僅かだが軽くなった気がする。
 ロットバルトは頷くと、先程卓上に置いた書類を取り上げ、レオアリスへ差し出した。
「せっかく出ていらしたのなら、ご確認を」
 レオアリスが受け取ると、口元を皮肉っぽく歪める。
「調査報告と申し上げたいところですが、残念ながら何も得られておりません。午後まで待って戴くしかありませんね。この後のご予定は?」
「王立文書宮に行くつもりでいる。……一つくらいひっかかるかもしれないしな」
 期待半分といったところだ。ただ先程までは無ければ手詰まりになると思っていたが、今はもう一つ別の道が開けている。
「可能性はあるでしょうね。では、午後に館にお伺いして、ご報告いたしましょう」
「……スランザールに話を聞くのが早いかな」
「さて……話が伺えれば非常に有益でしょうが、口を開いたら開いたで、あの方の講義はきりがありませんからね。まあ、お戻りが明日にならないようにお気をつけください」
 ロットバルトの的を得た物言いに可笑しそうに笑い、深く頷いてからレオアリスは手にした数枚の綴りを開いた。
 そこに記されているのは、主に内務官房の人事関係者の名だ。既に引退した者や現在別の部署へ異動している者の名もあるが、基本的に軍部の人事に関わっていた者のようだ。
 ここまで調べていてくれたのかと、驚きと、もう一つ別の想いが胸の内に湧き上がる。
「情報が無さ過ぎますね。表立って聞く事が出来ない分、拘束力が弱いのは仕方ありませんが……」
 レオアリスはそれを閉じ、一度壁に掲げられた近衛師団の軍旗に瞳を向けた。
 誰かを頼るのなら、自分もそれに対して誠実であるべきだ。
「俺の持ってる情報が、少しならある」
 レオアリスとしては、ずっと一人で持っていた事に後ろめたい気持ちがあったが、ロットバルトは意外な顔もせず、蒼い瞳を促すように細めた。

 
 半刻後、レオアリスは士官棟を出ると、今度は王城へと向かった。
 ハヤテを厩舎に預け、正門を潜る。見上げれば、王城の尖塔は首が痛くなるほどに高く聳えている。
 王がそこに座す事を考えると、こんな状況でさえ、確実に心が浮き立つのが判る。
『仇の』
 浮かんで来ようとするざわめきを押さえ、唇を引き結ぶと、レオアリスは高い扉を通り抜けた。正面の広く長い階段の横を抜け、長い廊下を何度か曲ると、王城の中庭に造られた回廊に出る。その先に、王立文書宮があった。
 白い花崗岩を格子状に組み合わせた回廊の壁面からは、左右に美しく整えられた中庭が広がっているのが見える。紅葉した樹々と秋の草花、常緑の植え込みが均整を取って配置されていた。
 この辺りで行き交うのは、多くは文官達と王立学術院の学士や学生達だ。時折いかにも意外そうな視線が、士官服姿のレオアリスの上を過ぎていく。
 回廊は途中で十字に交差して分かれている。レオアリスはそのまま正面の道を進み、行き止まりにある両開きの扉の前に立った。扉には知の象徴を表わす意匠である、葉を茂らせた年経た樹木が一面に彫られている。
 外側に取っ手は無く、レオアリスは扉に両手を置いて、重く大きな扉を押し開けた。
 軋んだ音を立てて開いた扉の奥には、天井の高く取られた広間が左右に広がり、天窓から差し込む幾筋もの光と舞い散る埃の中に、壁にずらりと並べられた書物を浮かび上がらせている。両奥の壁には、それぞれ次の間へ続く、上部を弓状に作られた通路が設けられていた。
 ここの蔵書量は近衛師団文書保管庫の比ではない。この国の開闢当初からの膨大な量の書物や記録が、文書宮の幾つあるのかすら分からない部屋の一つ一つに整然と収められている。そしてその長スランザールもまた、王城の諸官達の間では、開闢と同時にここにいるのだと冗談混じりに噂されていた。
 それほど彼の知識は深い。うっかり何かを尋ねようものなら、朝に来たはずが気付けば深夜を迎えていたという事もしばしばあった。
 スランザールは王立文書宮長と王立学術院長を兼任するこの国随一の賢者であり、その知識故に古くから王の相談役を務めている。
 レオアリスが扉の正面に置かれた机に近づくと、スランザールは分厚い書物に突っ込むようにしていた顔を上げ、首を突き出すようにして小さい目を更に眇めて、皺に埋もれた真っ白な眉を動かした。長く豊富な髭が口元を覆い隠しているため、その声はいつもくぐもって聞こえる。
「ずいぶんと久しいの。お前のような小僧っ子はもっと進んで知識を身に付けねばならん。それを怠るとは何事か。たるんどる」
「いきなり説教かよ。忙しかったんだって」
「それがたるんどる証拠じゃ。寝食を惜しんで勉学に勤しまんか」
「相変わらず口うるせえなぁ」
 レオアリスは眉をしかめたが、本気で煩わしいと思った事はなかった。威厳と愛敬が同居しているせいか、相対するとつい笑いが込み上げてくる。
 こんな時に自分でも驚くほど気持ちが軽くなっている。一歩か半歩か、前進している気がしている事もあるが、目の前の存在が持つ空気のせいもあっただろう。
 この老公はどこか、故郷の育て親に似て懐かしい。
「なあ、爺さん」
「スランザール様と呼ばんか、無礼もん。第一お前のような不勉強者の孫を持った覚えはないわ」
 スランザールはレオアリスよりふた回りも小さい姿で、胸を反り返らせた。だが幾重にも重ねた長衣から突き出た腕は枯れ木のように細く、皺と長く白い髭に覆われた顔は、あまり威厳があるとは言い難い。
「様って玉かよ。それより聞きたい事があって来たんだ」
「自分で調べてから来んか。普通は下調べをした上で、尚且つ分からないところに関してのみ、目上の者に聞くものじゃ。丸投げで聞こうとする時点でなっとらんわ」
「調べたよ。全然出てこねぇ。だから、ちょっと頼る事にした。だったら爺さんに聞くのが一番だろ?何だって知ってるじゃないか」
 スランザールはその言葉を聞いた途端、にんまりと満足そうな表情を浮かべた。
「ふん。して、何が聞きたい」
 ほっと息をつき、身体を乗り出す。
「バインド。俺と同じ剣士で――」
「ほああ!」
 突然奇声を上げたスランザールに、レオアリスは思わず後退った。ぽかんと口を開けたまま、まじまじとスランザールを見つめる。周囲で書物を閲覧していた幾人かも、何事かと驚いた視線を向けている。
「……な、何だ?」
「わしゃ忙しいんじゃ。もう行け、あっちへ行け。こんな所で油を売っとる暇があったら仕事をせえ」
 せかせかとそう言うと椅子から飛び降り、広げていた本を掻き集めるようにして小さい身体に抱え込み、さっさと机の奥の扉に消えようとする。
「ああ? ……ちょっと……おい、待てって! ――じじいっ!」
 あっけにとられて見送りかけていたレオアリスは、慌てて机を飛び越え、スランザールの服の裾を掴んだ。
「こりゃ、離さんかい!このスランザール様の服を掴むなんぞ、数百億年早いわ!」
「あんた生まれてねェだろうっ!って、そうじゃなく!」
 じたばたと細い手足を振り回して暴れる老人を、何とか机まで引き戻す。
「無礼もん!か弱い老人を何だと思っとるんじゃっ」
 やっとの事で椅子に座らせると、スランザールは膨れっ面でレオアリスを睨み付けた。
「あのなぁ……。信じらんねぇな、もう」
 思わずレオアリスは肺の空気を全て吐き出すような溜息を漏らした。これがこの国の頂点に立つ大賢者の取る態度だろうか。
「……いいから、教えてくれよ。知ってんだろ」
「知らん」
 スランザールはまるっきり駄々をこねる子供のように、レオアリスから顔を背ける。
(――俺、ここに何しに来たんだっけ)
 夜明けを眺めた時の気分と今の状況では、数刻しか経っていないとは思えない程だ。
 机の上に両手をつき、そっぽを向くスランザールに頭を下げる。
「頼むよ。スランザール様」
「知らんっ」
 レオアリスは大きく息を吐き、身体を起こすと、スランザールの皺ぶいた顔を見下ろした。
「ふぅん。あ、そ。知らねぇんだ。情けねェなぁ、知のスランザールともあろう者が、知らない事があるなんてな」
「何を言うか、このわしに知らぬ事などない!」
 レオアリスの挑発に心底憤ったと言わんばかりに、スランザールの枯れ木のような手が古びた机をばんばんと叩く。レオアリスは、に、と笑みを刷いた。
「じゃ、教えてくれ」
 スランザールは釣られたように口を開きかけたが――不意に厳しい表情を浮かべて再び閉ざしてしまった。
「爺さん」
 促すようにレオアリスが呼んでも、じっと落ち窪んだ瞳を向けたまま、動こうとしない。
「……何だよ」
 黙ったままの老人にレオアリスは眉根を歪めた。
 また、同じ反応だ。誰もが同じように口を閉ざす。
「一体皆、何を隠してるんだ。バインドって名前に何がある?」
「知らなくて良い事もある」
「知らなくていい? 奴は剣士で、俺を知っていた。知らなくていい事なんて無い」
 睨み付けるレオアリスの視線を、スランザールは無言で受け止める。レオアリスは纏い付く何かを振り払おうとするかのように、握り込んだ拳を鋭く振った。
「いい、自分で調べるさ」
「記録など無いよ」
 足音も荒く書庫へ向おうとしていたレオアリスは、その言葉に老公を振り返った。スランザールの真っ白い眉の下の小さな眼には、どこか思わしげな光がある。
「過去など、逐一掘り返さずとも良いものじゃ。掘り返したところで、後悔しか生まぬものもある」
「――そうやって誰も彼も上っ面ばかり言うな。それで気にならない訳がないだろう」
「お前自身の為じゃ」
「――俺の為、か」
 レオアリスは一度だけスランザールに視線を向け、踵を返した。
「だったら皆、やり方を間違えてんだ」


「何だ、暗い顔してるなあ」
 鈴を振るような悪戯っぽい声がかかって振り返れば、アスタロトが王城と文書宮を繋ぐ回廊を歩いて近づいてくるところだった。
 相変わらず軍服は着ていない。首に巻いて背中に流した繊細な織りの白い布。前の開いた同じ白い長衣の下に、丈の短い青の上下を合わせている。首や肩、腕に纏う銀の装飾品が歩くのに合わせて微かな音を立てる。
「尤も、連日あんな会議じゃ暗くなるのも無理ないか。私ももう疲れた」
 レオアリスはそれには曖昧に頷いて、アスタロトが自分の前まで来るのを待った。純白の花崗岩を細く繊細に組み合わせ光を取り込んだ回廊に、アスタロトの艶やかな髪の漆黒が鮮やかだ。
「気にするなよ。奴らだって分かってるんだ。お前の剣を止められるヤツが、軍にどれだけいる?」
 そう言ってから、アスタロトはレオアリスの表情に眼を止め、首を傾げた。黒い艶やかな髪が肩にさらりと零れる。
「……それが気になってるんじゃないんだ?」
 回廊の白い格子壁に寄りかかり、レオアリスはアスタロトを見た。
 アスタロトの様子はバインドが現れる前も後も、あの軍議の中でさえ、全く変わらない。
 多分アスタロトも知らないのだろうと思いながらも、レオアリスは問い掛けた。
「――お前、十七年前の事ってなんか知ってるか?」
 レオアリスの問いに、案の定アスタロトは長い睫毛に縁取られた瞳を丸くする。
「十七年前? 知るわけ無いだろ。お前私をいくつだと思ってるんだ、お前と同い年だぞ。他のヤツに聞けよ、ベールとか、ファーとかさ。二人とも無駄に長く生きてんだし、知ってるんじゃない?」
 呆れたように細い肩を竦めると、剥き出しの肩にかかる細い鎖がしゃらりと音を立てた。
 アスタロトの言うファーとは、同じく四大公の一人、西方公ルシファーの事だ。レオアリスもこれまで幾度か面識を得てはいたが、四大公などそう簡単に会える相手ではない。アスタロトが特別なのだ。
「大体、十七年前の何についてな訳?」
「よく分からないが、多分師団」
 シスファンの事を問おうかとも思ったが、思い直した。それはロットバルトに任せてある。アスタロトも目に見える言動ほど実質は無軌道な訳ではないが、嘘の上手い方ではない。
 もしシスファンの喚問がアスタロトの預かり知らない所で行われているとすれば、正規軍に余計な亀裂を与えかねない。今は少しずつ動いた方がいいと、そう思った。
「はぁ? そんな事しかわかんなくて聞いてんの?おおざっぱなヤツだなぁ」
「お前に言われたくねぇな」
 アスタロトは軽やかに、舞踊を踏むように回廊を抜け、大広間を過ぎ、警備の立つ扉を出る。扉を警護していた近衛兵が二人に向かって敬礼する。
 アスタロトが話しながら先に立ってどんどん歩いていくため、レオアリスは自然、アスタロトの後を追うような形で王城の正門に向かった。
「それじゃ、師団のヤツに聞けばいいじゃんか」
「……聞いた」
 ちらりと紅い瞳だけを向ける。
「ふうん。……なあ、どっかいこう」
 ふいにくるりと振り返ると、レオアリスの腕をわしっと掴み、ぐんぐんと引っ張って歩き始める。
「ちょっと……待てよ、おいっ」
「いいところあるんだ〜。最近お気に入りで、しょっちゅう行ってんだけど、お前まだ行った事ないだろ?」
「待てって。今はそんな時じゃねェだろう。それに俺ちょっと用事が」
 空を見上げれば、太陽は真上近くに昇っている。午後にロットバルトが戻れば、何がしかの答えが聞けるだろう。出来れば館に戻っていたかった。しかしアスタロトは腕を離す気配はない。
「堅いことばっか言ってるから、そうやって暗〜い顔になっちゃうんだ。大体こうして待ってて事態が変わるか?事態起こしてんのは私達じゃない。もし何かあれば知らせが来るさ」
 会話の途中も足を緩めず、アスタロトはずんずんと黒い玉石の敷かれた道を進んでいく。先日とは逆に、レオアリスは半ば引きずられるようにアスタロトの後を歩くはめになった。
「上将?」
 正門から王城内に向かう途中だろう、丁度通りかかったヴィルトールがその様子に驚いた顔を向けて足を止める。
「これは、公。ご無沙汰しております。で、上将、どちらへ?」
 アスタロトに一礼し、ヴィルトールが首を傾げる。
「アスタロトに聞いてくれ……」
「よく言った!」
 諦め半分のレオアリスの言葉ににっこり微笑んで、アスタロトはヴィルトールに手を振ってみせた。
「ちょっと借りる。上層の『アル・レイズ』に行くから。知ってるだろ?」
「は?」
「近いし、後で返すから心配すんな。じゃあね〜」
 言うが早いか、レオアリスにもヴィルトールにも口を挟む暇を与えず、アスタロトはレオアリスの腕を掴んだまま、さっさと正門に向かって歩き出した。ヴィルトールがあっけに取られている間に、正門の外に消える。
「……あの方に捕まったら、暫らくは戻らないだろうな……」
 ぼそりと呟いて、今の事を見なかった事にすべきか否か、ヴィルトールは僅かに思い悩んだ。グランスレイはまた溜息を吐くだろうが、
「ま、公が相手じゃお止め出来なかったのも無理はない。正直に報告するか」
 再び歩き出したヴィルトールは、目の前にある場内への巨大な扉に目をやり、自分の用件を思い出してグランスレイの代わりのように溜息を吐いた。
「内務か。どうせなら私じゃなく、ロットバルトを召喚してくれればいいものを」


 正門の脇で衛士と談笑していたアーシアが、アスタロトに気付いて顔を上げる。
「アスタロト様。ずいぶんとお早いお戻りですね」
 それから背後のレオアリスに改めて気付くと、にこりと柔らかい微笑みを浮かべた。
「レオアリスさん。こんにちは」
「お前も元気そうだな、アーシア」
 レオアリスが疲れた様子をしているのに気付いて、アーシアは心配そうに眉根を寄せた。
「随分お疲れのようですね。やはり今回の件に関して、お忙しいんですか」
「っていうより、お前の主人のお陰でなぁ」
「はは。それは、もう……諦めていただくしか」
 小首を傾げて爽やかな笑みを浮かべた少年を眺めて、レオアリスは改めてがっかりと肩を落とした。
「アーシア。『アル・レイズ』に行くぞ」
「ええ?よろしいんですか?」
「いいも悪いも私が決めるの。こいつの話、聞いてやんなきゃいけないしな」
 アスタロトが細い顎を振り向け、改めてレオアリスは彼女をしげしげと眺めた。ただ気のままに動いている訳でもないと判っていながら、アスタロトには時折驚かされる。
 自分を見つめるレオアリスに対し、アスタロトはいつもの得意そうな笑みを見せた。
「さて、外門まで出るのもめんどくさいし、このまま行くか」
「……このまま? 俺、ハヤテが……」
 レオアリスが皆まで言い終わる前に、左腕にアーシアを抱え込み、右手でレオアリスの腕を捉えたまま。
 アスタロトの姿はその場から消えた。



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