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王の剣士3 「剣士」
【第二章】


 士官棟への通りを歩くロットバルトの姿を認め、クライフは走り寄ってその肩を叩いた。
「ロットバルト! どこ行ってたんだよお前。探してたんだぜ。ヴィルトールも気付いたらいねえしさ」
「少し私用で」
 ロットバルトが歩いてきたのは城下に出る外門のある方向だ。その方向とロットバルトの顔を見比べ、クライフはにやりと笑った。
「私用? まさか女に会いに行ってたとか言うんじゃぁねえだろうな」
「当らずとも遠からず、ですね。いい勘だ」
「マジで!? お前なぁ、勤務中だぞ」
 ロットバルトの口振りはまるで作戦行動を読み上げるようで、冗談なのか本気なのか、今一つ判別が付かない。大して答える気が無いのか、ロットバルトはクライフを眺め、その件を打ち切った。
「何の用です? 貴方がわざわざ私を探すとは珍しい」
「そんな事ねぇだろ。いっつも仲いいじゃん俺等」
 冷めた視線を向けるロットバルトに構わず、肩にがっと腕を回し、クライフはそのまま声を落とした。
「お前どう思う? 今回の件」
「……どう、とは?」
 ロットバルトは特に表情も変えず問い返したが、クライフの問い掛けの根にあるのは、昨日のロットバルトとグランスレイとのやり取りだ。
「だからさ、剣士だよ。何か全体がはっきりしねぇ。奥歯に物の挟まった感じだろ?」
「抽象的ですね」
「だから聞いてんじゃねえか」
 クライフは周囲をさり気なく見回してから通りを歩き出した。陽は中天を過ぎているが、今の季節はどことなく空気が肌寒い。通りの街路樹はすっかり茶や黄に染まり乾いて、後は散るのを待つだけだ。
 兵舎の並ぶ通りを抜けて士官棟へと歩く間、隊士達が二人が通り過ぎるに従って立ち止まり、敬礼を捧げる。クライフは手を上げて答えながら、改めて隣に視線を向けた。
「お前は何か知ってんじゃねえかと思ってさ。副将に何か言ってたよなぁ」
「おや、よく覚えてますね」
「おい……」
 眉をしかめるクライフを一度確かめるように眺め、ロットバルトは視線を前方へ戻した。
「残念ながら私も、大した情報は持っていませんよ」
「ホントかよ」
 疑うというよりは、意外そうな響きだ。ロットバルトとしてもはぐらかすつもりではなかったが、確実な情報は持っていないのは事実でもある。レオアリスに示したように、表立って探る事は出来ない状況下では、得られた情報は無かった。
 シスファンとの面会も結局は、ロットバルトの推測をある程度補っただけに過ぎない。
 やはり一番明確な情報を得られるのは、グランスレイが口を開く以外にないのだろう。
「……確かに、副将は我々に隠している事があるのでしょうね。我々と言うよりは上将に。もちろん、全ての情報を開示する事が物事を優位に働かせるとは限らない。出すにしても時期はある」
 真実を知る者達が隠しているのはレオアリスとバインドとの関わり、そしてバインドそのものについてだ。
 あれほどの力を持つ剣士が、何故記録として留められていないのか。
 全く情報を持たない存在など無い。意図的に殺されない限り。
 情報を殺せるのは誰だ?
 グランスレイに、シスファンに口を閉ざさせる存在は。
 そして、そうまでして殺したい情報、その事実が何なのか。
 バインドは現在、軍の、王国の敵だが、十七年前は。
(違うはずだ。少なくとも単純にそこに分類できるものではないだろう)
 隠し事をする場合は、身内に都合の悪い事の方が圧倒的だ。
『恐怖さ』
 自嘲するような響きだった。
(やはり、バインドはかつて軍に所属していたと考えるべきだろうな)
 その上で、レオアリスとの関わりがどう生じてくるのか、一番の問題はそこだ。
 バインドがレオアリスと同じように、「暴走」を起した事があるのか。
(そうだとすると、少し不味い)
 内務がシスファンに証言を求めたのがミストラでの状況だとすれば、朧げに事の外郭が見えてくる気がする。
 蓋をされた過去と、剣士に対する反応、レオアリスに対する殊更の批判。
 レオアリスを補佐すべき立場にあるグランスレイの沈黙。
 知らせないようにしているのは、何の為か。
 数少ない断片を繋ぎ合わせて無理やり形作るとすれば。
 ロットバルトは自分が取る道を、そこから想定してみる。
 隠すのは、レオアリスがバインドと直接の繋がりがある場合。
 もしくは。
(同じ事を引き起こす可能性がある場合だ)
「おーい。一人で考えるなよ! 暗えなぁ!」
 黙り込んだロットバルトの肩を思い切り小突いて、クライフはその顔を覗き込んだが、思考を中断されて冷え切った視線に迎えられ、そのまま肩を縮めた。
「すんません……」
「……私の意見は取り敢えず置いておきましょう。貴方は今回の事をどう捉えているんです?」
 クライフは一旦ロットバルトを眺めてから、視線を戻し、表情を引き締めた。
「――外門を破っといて、何をするでもねぇ。割に合わねぇ行為だよな」
「成程、破城は貴方の専門分野でしたね」
「そう、だから奴の目的は元々狭ェんだ」
 立ち止まり、戦場にある時のような厳しい眼をロットバルトに向ける。声は囁くように低い。
「目的は上将だろうな」
「――その発言は、上将の立場を悪くしかねない」
 返す声は更に低く、向けられた氷のような視線にも、クライフは動じる事無く、にやりと笑った。
「俺はもしそうだって、変わんねぇ」
 ロットバルトはその眼を見据えていたが、ややあって口元を歪めた。瞳に刷いた凍る色が薄れる。
「――そこに答えがありそうですね」
 レオアリスの立場に。
 グランスレイの態度、隠された情報は、ロットバルト達が想定している以上に、レオアリスを中心にある可能性が高い。
「けど、砦の崩しどころが見えねぇんだよなぁ」
 クライフらしい表現にロットバルトも頷く。
「ただ崩れないだけならましですが、思わぬ所から決壊するのが恐い」
 想定外の所から崩れた場合、事態は必要以上に悪くなりかねない。ただでさえレオアリスは批判の多い不安定な位置にある。それは避けるべきだ。
(それも、少しくらい手を打つか)
「いい加減今度、副将にはっきり聞いてみようぜ。ごちゃごちゃすんのはめんどくせぇ」
「直球ですねぇ」
 その言い草にロットバルトは苦笑を浮かべたが、実際この問題は外堀を埋めようとしても埋まり切らないのかも知れなかった。いっそ危険を無視してでも、直接門に手を掛けた方がいい結果を生むかもしれない。
「今日にでも俺から聞いてみる。あの人だって何か理由があって黙ってんだろ。だからって一人で考える事でもねぇけどな」
「不本意ですが、同意しますよ」
「何で一言多いの? ……と、ヴィルトールじゃん」
 近衛師団士官棟の入口に着いたところで、通りの左手からヴィルトールが歩いてくるのが見えた。足を止めた二人の前まで来ると、ヴィルトールは軽く右手を上げた。
「珍しく真剣な顔してるけど、女の子に振られたかい?」
 誰が、とは言っていないものの、自分に真っ直ぐ向けられた顔にクライフは顔をしかめた。
「それは俺に言ってんのか?」
「私の訳がないでしょう」
「何で言い切る……」
 繊細な色硝子が嵌め込まれた扉を潜り、冷えた広間を通って明るい陽射しの満ちた回廊に抜ける。四角く中庭を囲んだ回廊の正面が、彼等の執務室になる。少し前に中将以上の執務室を一部屋にまとめたところ、業務の効率が良くなった。
 右手に見える中央の噴水が鳴らす涼やかな流水音が、静かな回廊内に彩りを添えている。
「そういや、お前はどこ行ってたんだ?途中から顔が見えなくなったけどよ」
「うーん。まあ面倒くさい用事って言うかねぇ」
「めんどくさい用? 奥さんのお使いか?」
「何でそれが面倒なんだ? 人参一本買うのも、どんな手料理になるのかと考えたら楽しいじゃないか」
「ああ、そう……」
 閉口したようにクライフが顔を逸らすのを眺め、それからロットバルトの蒼い瞳に向かって、ヴィルトールは穏やかな笑みを見せた。
「そういう楽しい事じゃあなくて、面倒で時間の無駄なだけの事だよ」
「訳わからねぇな」
 クライフは眉をしかめただけだが、ロットバルトは心の裡で苦い息を吐いた。
(それも当然か)
 シスファンが辺境から呼ばれた以上、あの時ミストラにあった第一大隊の者が召喚を受けない訳が無い。
 ヴィルトールの口調も表情も穏やかそのものだ。明言しないながらも口に出して見せるという事は、おそらく問題はないのだろうが、状況を問うべきかどうか、ロットバルトは思考を巡らすように瞳を細めた。
「そうだ、ロットバルト。内務でヴェルナー侯爵から言付かったんだ」
「――何の用です?」
 注意深く見なければそれとは気付かないが、眉根に苛立ちを覗かせたロットバルトの顔を眺め、ヴィルトールは内心苦笑を浮かべた。ロットバルトが僅かなりともこうした表情を見せるのは、この名を聞いた時くらいだ。
「私などに用件の内容までは仰らないよ。けれど、午後にでも一度屋敷に戻るようにとの仰せだ」
 ロットバルトは一度ヴィルトールに眼を向け、すぐに浮かべた表情を掻き消すと、口元に笑みを刷いた。
「判りました。後程時間を見て出向きます」
「そうだね。ああ、それから上将は公に引っ張られて『アル・レイズ』に行かれたよ。戻りは遅いんじゃないかな」
「アル・レイズ?」
 クライフが聞き馴れない響きに眉を上げる。
「どこの街だ?」
 ヴィルトールは大げさに溜息をついた。
「お前はだから振られるんだよ」
「だから俺がいつ振られたってんだ?」
「最近城下の一層に出来た料理店ですよ。まあ、連れて行けば女性は喜ぶでしょうね」
「そういう心遣いがないから振られるんだ」
「いい加減にしろよ……」
 クライフはそう言いながらも、今度使おうと口の中でそれを復唱し直している。
 丁度その時、執務室の扉が開いた。顔を覗かせたフレイザーが取っ手に手を掛けたまま、扉の前で立ち話をしている男達を不審そうに見回す。
「貴方達、何をやってるの? 窓から姿が見えたのに入って来ないと思ったら、こんなところで井戸端会議?」
 クライフは一度視線を天井に向けてから、フレイザーに向き直った。軽く咳払いして、口を開く。
「フレイザー。今夜アル・レイズに行かねぇ?」
 フレイザーは束の間クライフを眺め、柔らかく微笑んだ。
「また今度ね」
 そのまま扉が閉ざされる。クライフは暫く黙った後、両脇を睨んだ。
「……使えねぇじゃねーか」
「阿呆か」
「直球過ぎるんですよ。誘うにのも時と場所というものがあるでしょう。第三者が居るところでなどと、第一に誠実さが感じられない」
「はぁ。もう使えない情報は忘れるべきだよ」
 クライフは二人を睨んだものの、文句を言う代わりに力なく肩を落とした。
「フレイザーって、好きなヤツいんのかなぁ」
 どちらかといえば自問自答の溜息に近かったが、ロットバルトとヴィルトールは項垂れたクライフの頭ごしに顔を見合わせた。ロットバルトが珍しく、優しいとさえ言える笑みを向ける。
「……仕方ありませんね。私でよければ相談に乗りますよ」
「何だ、その哀れみの篭った眼は」
「ただ、私はこれまで一度も女性に振られた事はないので、どこまで参考になるか判りませんが」
 ヴィルトールもまた、クライフの肩に手を置いて頷いた。
「そうだな。クライフの為だ。及ばないだろうけど力になるよ。飲み明かすなら付き合うからね」
「――てめェら、喧嘩売ってンなら……」
 ふと口をつぐみ、回廊の入り口を振り返る。
 慌ただしい足音が硬い大理石の廊下に響き、すぐに一人の兵が回廊に姿を見せた。近衛師団兵ではなく、正規軍の下士官服を纏っている事に、三人は顔を見合わせた。正規との連絡調整を行う事務官が遅れて駆けてくる。
 正規兵と事務官は執務室の前に立つ三人の中将を見て、緊張した面持ちに安堵の色を浮かべ、走り寄った。



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