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王の剣士3 「剣士」
【第四章】


 彼等――剣士の一族に出会ったのは、それほど昔ではない。レオアリスが生まれる僅か一年前、ほんの十八年ほど前の事だ。  訪れる地に災いを呼ぶとして疎んじられる種族をそう呼んだ。
 疫病、災害、飢餓。偶然か必然か、そう呼ばれる一族は確かに、災いのある場所にその姿を見られる事が多い。根拠のない迷信に近いものではあったが、石を以て追われる事が常だった。
 カイルが長として一族を率いるようになってから、どれほどの時が流れたのだろう。数年か、数十年か。常に疎まれながら生きるには、例え様ようのない長い月日だ。
 一箇所に落ち着く事が叶わず、各地を点々としながら漸く北の山脈の麓に辿り着き、誰も住み着くもののない凍った大地の上に、細々とした村を作り上げた。一年の半分近くが雪で閉ざされるそこでなら、誰からも忌まれる事なく、ひっそりと暮らしていけると思ったのだ。
 その山脈の更に奥に広がる深い森、黒森の中に、彼らの――剣士の一族の里があった。
 剣士の存在を知った時、村人の誰もがこの地を離れる事を考えた。自分達が忌み族と知られれば、おそらく剣士達はこの村を、瞬く間に滅ぼしてしまうだろう。
 だが――ここを出て再び彷徨う事は、抑えがたい疲労を伴った。剣士達の存在を恐れながら、それでも安住を求める心を捨てられないまま、不安の内に日々を過ごした。
 けれども、日々の中で剣士の一人とも出会う事はなく、次第に恐れる気持ちは薄れ、不安は和らいでいった。
 誰も、この地には来ない。
 もはや憎しみをぶつけられる必要はないのだと。
 一度目の厳しい冬を越し、短い春を終えようとしていた頃の事だ。
 薬草を摘みに数名で森の中に入り、そこで一人の若い男に出合った。
 初めカイル達は他者の存在に怯えさえ覚え、極力係わり合うのを避けようと、すぐにその場を離れるつもりだった。
 だがその青年は周囲を見回し、しきりに思い悩む様子が見て取れる。カイルが思わず道に迷ったのかと声をかけると、青年もまた驚いた顔をしたものの、どこかほっとした色を浮かべた。
 どうやら家にひどい怪我を負った者がいるらしく、薬草を探しに来たのだがどれが効くのだか良く分からないのだ、と下生えに眼を落として手を付けかねたように溜息をつく。
 確かに森の中は様々な野草が至る所に生え、薬草に疎い者にはどれが何の効能を持つのか、一見して見分けは付かないだろう。カイルは周りを見回し、一番良く効く薬草を見つけると、それを示した。
「お前さんは運がいい。今の時期しか花を咲かせんものじゃが、その花弁なら、深い傷でも七日ほど塗布しておれば塞がるじゃろう。ただ磨り潰せばよい」
 そう告げると青年はひどく嬉しそうに笑い、礼を述べて教えられた薬草を摘むと森の奥に消えた。
 他者と関わる事には僅かな不安を覚えた。反面、もうずいぶんと長い間他者と言葉を交した事すらなかった自分達にも、まだ礼を言ってくれる者があったのだと、その事が心を暖めた。
 数日後、その青年がふらりと村に現れた。彼は驚く村人達の前に、森で獲ったらしき獣を差し出した。
「あんた達のお陰で助かった。結構マズイ傷だったんだ。これはその礼だ」
 自分達は肉を食べないのだというと、精悍な面にばつの悪そうな色を浮かべる。
「そりゃ逆に悪い事をしたな。ま、狩っちまったし、里に持ち帰って食うか。――別の礼をするよ。何がいい?」
「特には。それよりも、あの薬草のみでは傷は塞がっても、体力まではなかなか回復しないじゃろう。今、煎じ薬を持ってくるから、戻ったらそれを飲ませてやるといい」
 青年は驚いたようにカイルを見ると、再び嬉しそうな顔を見せた。
「礼に来て、また助けられるとはな。――俺は、ジン。この奥の里に住んでる。最初に言っておくが、剣士ってヤツだ」
 長老の顔に浮かんだ驚きの表情を眺め、青年は面白そうに笑った。
「やっぱり知らなかったな。安心しろよ。何も取って食う訳じゃない」
 それから、今まで周囲に集っていた村人達が怯えるように後退ったのに気付き、困ったように黒い髪をくしゃりと交ぜる。
「剣士ってそんなに印象悪いか?」
 カイルは慌てて首を振った。
「い、いや。すまんの。わしらは――剣士を見たのは初めてじゃて、少し驚いておるのだ」
 それはただの言い訳というだけでもなく、本当に彼には好ましい印象しか抱いていなかった事もある。それに剣士とはもっと恐ろしい姿なのだろう、と漠然と考えてもいた。
「それならいいけどなぁ。でもここに移り住む時、周りの奴等から俺達がいるのは聞いてたんだろ?それでわざわざ住み付くんだから随分胆の据わった奴らだって、うちじゃ話題になったんだ」
「……いや、知らなんだ」
「何だ、怖がってない訳じゃなかったんだな。でも珍しいぜ、こんな辺境に好んで住むなんて。一年の半分近くが冬だ。あんまり寒さに強そうにも見えないけどなぁ」
 それについては曖昧な返答しか出来なかった。青年は残念そうな様子しか見せず、取り繕ったように聞こえなかったかどうかは分からない。
 自分達が忌み族と呼ばれる者である事を知られれば、この青年はやはり剣を抜くかもしれない。
 今までどれほどそれを経験しただろう。
 浴びせられる石つぶて、罵声、嫌悪の眼差し。時には武器を以て追われた。
 けれど青年はそれ以上詮索する事もなく、受け取った煎じ薬にもう一度礼を言うと帰っていった。

 それからしばしば、青年は村に姿を見せるようになった。
 よほど怪我人を癒せた事に感謝しているらしく、あれ以降は獣こそ持ってこなかったものの、何かしらを手土産に持ってきては、村人達と言葉を交わした。
 一人の時もあれば、数人を伴う事もあった。怪我をしていた剣士を伴って現れた事もある。
 その男は青年より十は見た目も上で、髭を蓄え、一見して学者風にも見える。
「俺の義兄なんだよ。見た目はこれだけどすぐかっとなっちまってな、お陰で要らん負傷が多いんだ。この通りすっかり良くなったけど、今回ばかりはさすがに爺様達に会わなきゃ死んでたぜ」
 青年の口調は軽やかだったが相当に深刻な傷ではあったのだろう、男はゲントと名乗り、カイル達に歩み寄りその手を取ると、気難しいそうな顔に子供のような笑みを浮かべ、やはり何度も礼を述べた。
 剣士達はカイル達の生活に興味を持ち、術や薬草について様々な質問をし、またカイル達では困難な作業を良く手伝ってくれた。
 カイル達の種族は元々力も強くない。自分達で建てたあばら家は、先の冬に雪の被害を受けあちこちが壊れていたが、それを補強してくれたのも彼等だ。木を伐る時は斧など必要とせず、一人剣士が黒森まで行って斬ってくるという。
「やり過ぎるとヴィジャが怒るから、結構気を使うけどな。けど意外とそこが剣の制御の訓練にもなる。だから一番制御飛ばし易いヤツに行かせるんだが、大抵ゲントかな。良く失敗して伐りすぎてるが」
「義兄に冷たいと思いませんか」
 彼はカイル達に訴えるように溜息を向けたが、黒森の樹を伐ること自体カイル達には恐ろしい事で、何とも返事をしかねた。カイル達は森に入るのでさえ常に細心の注意を怠らない。
 しかし黒森に暮らしている事さえ、彼等は楽しんでいるようだった。
「失敗するとどうなるのじゃ。殺されてしまうのか」
 村人達が恐々と身を乗り出すと、青年はあっさりと笑った。
「それは無い。まあヴィジャは優しいから、二、三日出してくれない程度さ。けど奥に行っちまうとでかいのがいるからな。ゲントはそれでこないだ一戦交えて、腹を半分喰われかけて帰ってきたんだ」
 黒森の奥深くには、強大な魔物が棲むと言われている。その魔物に喰われかけたと聞いて、カイルは驚いた。あの時渡した薬草は、そこまで深い傷に対応できるものではない。第一そんなものと戦うなどと、想像も及ばないものだ。
 剣士の回復力の高さ、戦場での強さを垣間見た気がした。

 彼等が村を訪れるにつれ、次第に彼らの事も判ってきた。
 里人の数はそれほど多くは無い。青年を含め、里にいるのは全部で二十名にも満たない小さな部族のようで、皆外見は若いが成人ばかりで、幼い子供は無かった。
 青年は中でも一番若かったが、どうやら一族の長であるらしかった。「一応、まとめ役が要るから」剣士達の誰もが笑ってそう言い、実際彼等の中にも長というほど取り立てた上下関係は感じられない。
 ただ青年が常に首に掛けていた青い石のついた銀の飾り、それは長が受け継ぐものなのだと聞いた。
 「誰が一番強いのか」やはり興味を覚えてそう尋ねると、皆迷わず青年を挙げる。実際に彼が剣を持つ所を見た事などなかったが、剣士達の誰もが彼を誇りにし、その強さに憧れを抱いていた。

 夏も盛りになる頃には、カイル達の不安は薄れていた。
 巷で殺戮者として恐れられ、自分達が存在を知られる事を恐れていた剣士達は、付き合ってみれば自分達と何ら変わる事はなかった。
 そして不思議と、全く性質の異なるはずの彼等と気が合った。
 ただ切り裂く存在として恐れられていた剣士。何がそうさせていたのかは分からないが、もはや彼らを恐れる気持ちはどこにもなかった。
 ただ、自分達が忌み族と呼ばれる者である事実を、彼らに告げられないでいる事に対する罪悪感は、日増しにカイル達の中で大きくなっていった。
 隠したくないという思いと、告げる事で彼らの視線が変わる事を恐れる気持ち、その二つが常にカイル達の心の中にあった。

 ある時、青年が一人の女性を連れてきた事がある。冬の前だっただろう。
 芯の強さを感じさせる、凛とした美しい女性だった。青年と同じ漆黒の髪が、しなやかに背の半ばまで流れている。
「紹介するよ、俺の妻だ」
 彼女は青年の傍らで頭を下げ、穏やかに微笑んだ。
「これはまた、美しい女性じゃの」
 当然カイル達と美の基準など違ったが、自然とそう口から出たのは、内面から照り映えるような美しさを感じたからだ。その理由は、すぐに分かった。
「いい女だろ。けど剣も気も滅法強くてさ。口説き落とすのは命懸けだったんだ」
 こっそりカイルの耳元で囁き、隣から向けられた視線に慌てて顔を引き締める。それから集まっていた村人達をぐるりと見渡した。
「この冬を越したら、子供が生まれるんだ。そろそろ雪も降り始めるし、そうすると暫らくは連れて来れないから、紹介しておこうと思ってさ」
 その場の者達は皆顔を見合せ、それから口々に祝いの言葉を述べる。彼女の内から零れる光は、ますます輝きと柔らかさを増したように思えた。
 青年は少し照れくさそうではあるが、その上には待ち遠しくて仕方がない様子が見て取れる。
 カイル達もまた、自分達の事のように喜びを覚えた。
 青年の義兄、彼の妻の兄のゲントは二人の肩に手を置き、やはり嬉しそうに破顔した。
「剣士なんて戦うばっかりが頭にあって、他は二の次でな。我々の一族に漸く生まれる子供だ。待ちに待った子だ。きっと、いい子が生まれるだろう」



 その言葉に、レオアリスは形容しがたい表情を浮かべた。
 右手が、服の中に納めた銀の飾りの辺りを押さえる。
 その子供――それがおそらく、レオアリスの事なのだろう。
 戸惑いと、思慕、喪失。
 そんなものが入り混じったその顔を、長老は悲しげな瞳で見つめた。



 その夜、村人達は誰からともなく、それを告げる事を決めた。
 もし疎まれるとしても、他から耳に入るよりは、自分達から告げた方がいいと思ったのだ。
 告げようと決めたものの、そうするのに数日はかかっただろうか。
 彼らの表情が、どう変わってしまうのか。
 こうして他者と交流する事が、どれほど心安らぐ事か、どれほど失いがたいものか――。
 それは初めて手に入れた安らぎだ。
 今更それを失ったら、この先の放浪は耐え難い苦痛を伴うだろう。
 それでも意を決して告げたのは、どうしても、これ以上隠していたくなかったからだ。それは彼等の信頼を裏切る事になる。
 そして、忌まれたとしても、彼らの手にかかるのであれば、その方がいいと。
 だが、恐れていたような反応は全くなかった。
 まるで裁断を待つ面持ちで顔を伏せた村人達を前に、剣士達は少し途惑ったように顔を見合わせる。それから先ずは青年が、半ば苦笑しながらも申し訳なさそうに口を開いた。
「緊張してもらって悪いが、最初から知ってるよ」
 村人達が耳を疑ってざわめく様を、彼等はどこか面白そうに眺めた。
「そりゃこんなとこに来るんだ、ある程度訳有りだろう。第一俺達の方があちこち行くからな。自然と耳には入る」
「それで……」
「それでって言われてもなぁ」
 青年は腕組みし考え込むように天井を見上げた。
「……我らは、災いを呼ぶと」
「呼べんの?」
 逆に興味深々といった態で問い返され、カイルは返答に詰まった。そんな事は今まで考えた事もなかった。
「い、いや……」
「呼べないんだろ? じゃああまり意味はない。まあ、迷信なんてのは大体がそんなもんだ」
 自分達の恐れと不安が滑稽に思えるほどあっさりと、彼等はそれを笑い飛ばした。
 剣士というものが皆そうなのかは分からない。だが確かに、迷信など気にも留めない程の強さが彼等の中にはあった。
 カイル達の喜びがどれほどであったか、言葉に言い表すのは難しい。
 肩の力が抜け、安堵に座り込んだ村人達の背を、剣士達の手が軽く叩いた。
 ただそれが全てで、これまでの放浪の苦痛を癒し溶かすのには、それで十分だった。

 冬に入って、世界が雪に閉ざされ始めても、村と剣士の里とは互いに行き来を続けていた。
 そんな中でふと疑問に思った事がある。
 出会ってからずっと、彼等は全くと言っていい程、戦場に出る様子がなかった。通常、戦場にいる事の多い彼等がこんな北の辺境に定住している事もまた疑問ではあったが、尋ねるとあっさりとその答えは返った。
「俺達は主持ちじゃないからな。必要な時に要請を受け、自分達が気に入った戦いなら参加する。気楽なもんだろ」



「主持ち……?」
 黙ったまま聞いていたレオアリスが、その言葉に引かれるように顔を上げる。
 懐かしむように細めていた眼をレオアリスに向け、カイルは頷いた。
「そうじゃ。剣士には二通りあると彼は言っておった。自由意志で戦う者と、主を持つ者。わしはどちらが良いのかと問うた」



「よりけりだな。そこに条件がある訳でもないし、必ずしも主って概念でもない。だが剣士にとって、剣を捧げるべき相手を得る事は、何にも勝る存在理由だ。剣士ってのは言ってみれば抜き身の剣だ。主を得る事は、剣を収める鞘を得る事に等しい」



「剣を、捧げるべき相手――」
「お前は既に見つけておるじゃろう」
 窪んだ瞳を、じっとレオアリスに据える。その前で、自分の中の想いに答えを見つけたかのように、レオアリスの瞳の光が強さを増す。
 カイルはそれを暫らく見つめていたが、再びゆっくりと語りだした。
 今まで懐かしむように語っていた声に、痛みを堪えるかのような響きが混じる。
「彼等との交流は、今までの放浪の苦痛を全て和らげるようなものじゃった。それは思い返せば短い日々であったが、その間我らは自分達が忌まれるものである事も、ここが死と隣り合わせの厳しい冬を持つ北の凍土である事も、全く気にはならなかった。だが――それでも確かに、我らは忌み族と呼ばれる者だったのだ」



 きっかけは、北方辺境軍の村への地税調査だった。
 軍は彼らが何者であるかに気付き、そこにある事を疎んだ。
 軍に正式に、忌み族を排除せよと命が下されている訳ではない。
 忌み族とは根を辿れば、貧しさや日々の苦しさを転化する為により低い位置のものを創り、心を慰める為に創られた蔑称であり、長い時を経て一般の中に流布するようになった、謂わば迷信に過ぎないのだから。
 ただ単に、このような北方の辺境にある軍は王都の軍とは違い、地の者達で多く構成されている。迷信もまた、彼等の中では、現実感を伴って生きていた。
 出て行けと迫る彼等と、押し問答を繰り返す日々が続いた。
 偶然にも、その年はいつにも増して厳しい寒さが続き、近隣の村でも多くの者達が寒さと飢えの為に死んだ。
 この厳しい冬は、あの村の者達が呼んだのだと、いつしかそんな噂が流れ出していた。
 彼等さえいなければ、自分達の生活はもっと楽なはずだと。
 凍りつくような一日を越す毎に、兵達の顔にも憎しみの色が募る。
 そして、冬が漸く折り返し点を迎えた頃、耐えかねた警備軍の一小隊が村へと押し入った。
 彼等は入り口近くにあった家に火を放った。村人達が凍った大地を耕して作っていた薬草畑にも、燃え盛る松明を投げ入れる。
 それから――止めようとして飛び出した一人を、斬り捨てた。
 それは今までによく見た光景だった。ひと時なりと身を落ち着けた土地で、終わりはいつもそれとあまり大差ない形で訪れた。
 だが、その時そこに、剣士達の一人が居合わせたのだ。彼は村人達の薬草によって命を取りとめたあの男だった。
 村に来ていたのは僅か一小隊のみだったが、彼はそれを全て斬り捨てた。
 それが王の軍でなければ、結果は違っていたのかもしれない。



 囲炉裏の前に座り、炭の上に視線を落としたまま動かないレオアリスに、カイルは痛みを宿した声でとつとつと語る。
「辺境の一小隊とはいえ、軍に剣を向ける事、それはすべからく、彼等を王に対する反逆者とする事であった。例え王が事実を知り、軍を咎め罰したとしても、それは王の領分。他の者が手を出せば、反逆者となるのは当然じゃった。それは瞬く間に、反乱という名に形を変えた」
 暗い夜が高波のように押し寄せる。それはカイル達には成す術もなかった。
「この辺境に向けて、軍が差し向けられた。わしらは自分達の命に代えたとしても、それを止めたいと願った。――だが、既に事態は取り返しの付かないところまで進んでいた。もはやわしらの問題ではなくなり、わしらの陳情など、辺境軍を統括する司令官は一切省みる事は無かった」



「済まない。わしらがこんな所に移り住んだばっかりに、こんな事になってしもうた」
 だが、詫びるばかりのカイル達に、青年はいつも見せるのと変わらない笑みを浮かべた。
「気にするな。いいんだよ、俺達は。元々闘う為に存在するんだ。それが友人の為なら、最高だろう」
「しかし、お前達が反逆者など……!」
 青年はカイルの肩を一度叩くと、漆黒の瞳に深い光を刷く。
「…………前にも言った事があったよな。剣士にとって、剣を捧げるべき相手を得る事は、他の何にも勝る存在理由だと」



「わしらは剣を捧げる相手とか、そんな大したものではなかったが、確かに友人同士じゃった」 彼等を懐かしみ、誇る、その祖父の顔を、レオアリスは瞬きもせず見つめている。
「剣士の一族は強く、差し向けられた軍を悉く打ち破った。雪解けの季節になっても、北方軍は未だに彼らの一人も討ち取る事が出来ずにいた」
 ただそれ故に、事態は膠着化し、問題はすり替わったまま、引き返しようの無いものになって行ったとも言えるだろう。
「――やがて、王は近衛師団を差し向けた。近衛師団第二大隊には、当時最強の剣士として恐れられていた、バインドがいたのだ」



 近衛師団第二大隊が派兵されたと聞いた時、初めて剣士達の間に緊張が走った。
「第二大隊――という事は、バインドか」
 全員がその意向を伺うように、壁際に寄りかかっていた青年を見る。バインドの名はカイル達の耳にも届いていた。最強と謳われる剣士。
 その男が、この地に来る。
 青年は少しだけ面倒そうに口元に笑みを刷いた。
「バインドね、やっかいだな。もう少し早い段階で交渉に持ち込んでおくべきだったか」
「どうする?」
「どうするも何も、仕方ない。俺がやるよ」
 そう告げた顔は、どこか面白がっているようでもあった。

 その夜は、いつにも増して空気が冴えていて、上空に昇った臥し待ちの月が、遠く彼方まで光を投げかけていた。
 青い光に浮かび上がった夜の中に青年が立っている。森の奥に視線を注いでいる青年に近寄ると、彼は振り返りカイルを認めて笑みを浮かべた。
「多分、今日か明日にでも生まれるぜ。なんて名前にしよう。ま、もうあいつが決めちまってるかも知れないけどな」
 ふいに俯いたカイルを見て、不思議そうな表情を浮かべる。
「どうした」
 済まないと詫びたかった。本当ならどれほど身重の妻の傍にいてやりたい事だろう。詫びる言葉を飲み込んで、カイルは青年を見上げた。
「男の子じゃったかの」
「あいつはそう言ってるけどなあ。生まれてみないと判らないさ。けど、これだけは判る」
 可笑しそうに笑う。
「絶対、俺より強くなるぜ」
「お前よりもか。まだ生まれてもおらぬのに、親馬鹿というやつじゃの」
「俺達の子だからな。実際、あいつは俺より怖ぇんだ」
 そう言って、青年はまた陽気な笑い声を立てる。こんな時でさえ陽気さを失わない青年を、カイルは救われる気持ちで眺めた。
「教えたい事が、山ほどあるじゃろう」
「そうだな……」
 そしてふと表情を改める。再び里の方角に引き締まった顔を向けた。
「一番伝えたいのは、剣に呑まれるなって事か」
 それがどういう意味か判らず、カイルは青年の横顔を見つめた。
「剣士はともすれば、自らの剣を抑えきれずにそれに食われる。俺はそういう奴を、何人も見てきた」
 青年の上に、どこか翳りの色が浮かんだ。出会ってから初めてのその表情に、カイルはふと不安を覚えて青年を見上げる。
「その可能性があると?」
「剣士なら誰でも、その可能性は無くはないのさ。だから、俺達は生まれてすぐ、一旦剣を封じられる。剣の力に、身体と心が耐えられるようになるまでな。赤子の内に下手に暴走でもしたら、剣に内から裂かれちまう」
 口調はいつもと変わらないままだが、その声にはどこか思案する響きがある。青年の瞳が里へと引き寄せられるのを見て、カイルは自分の裡の不安が更に頭をもたげるのを感じた。
「ジン」
 不安の正体を測れないまま青年の名を呼ぶと、細められた瞳にいつにない懸念の色を浮かべ、呟いた。
「――剣が、二本だ」
「二本? それは、珍しい事なのか」
「珍しいな。聞いた事が無い。――生まれる時に、あるいは」
 それはカイルに向けられたというよりは、自分自身に確認するように呟かれた。だがすぐに、青年はいつもの笑みを戻した。
「まあ、それも言ってみりゃ、明日以降の楽しみってとこだ。取り敢えずは、バインドを倒さないとな」
「出来るのか?」
「さぁな。あれと戦うのは初めてだ。剣を合わせてみない事には何とも言えない」
 そうは言うものの、青年の上には揺るぎない自信が垣間見える。
「まぁ、そんなに心配すんな」
 こうして彼が笑っている以上、大丈夫なのだと、何も問題はないのだと、カイルはほんの少しだけわだかまる不安を、心の奥に押しやった。

 その翌朝、近衛師団第二大隊が、黒森に到着した。





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