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王の剣士3 「剣士」
【第四章】


 雪がひとひら、にび色の空から落ちて地に辿り着く前に溶けた。
 次第に数を増し、ゆっくり、やがて次々と、終りなく落ちてくる。瞬く間に茶色の土や枯草が白く覆われていく。
 周囲を深い森に閉ざされ、背後には低く幾つもの山が連なる。そしてその更に奥には、再び鬱蒼とした森が広がっていた。
 北の辺境を覆う黒森、ヴィジャ。それを抜けた先は最早、王の版図ではない。
 外界から隔絶された土地に、寄り添うように建てられた粗末な家々。その上にも、白い幕が容赦なく降り募っていく。
「これが始まったら、ここは暫くの間は雪の中だ」
 ロットバルトを振り返り、レオアリスは懐かしむように空を見上げた。この北方の辺境では、冬は一年の内の半分近くにも渡り、世界を閉ざす。
「よく、ずっと雪が降ってくるのを見てたな。――何か案外飽きないだろ」
 様々な軌跡を描きながら落ちてくる雪は、見ていてつい引き込まれる。この村で、雪が音もなく降ってくるのを眺めながら、色んな事を取り止めも無く考えた。
 それは一族の事だっただろうか、自分の未来の事だっただろうか。
 一番は、この厳しい地で、決して豊かではなく、それでもこの土地に寄り添うように暮らしている、彼等の事だ。
 白く染まり始めた細い道を、自分が暮らした家へと向う。
『そなたの育て親に会うといい』
 彼等はどんな事を知っているのだろう。もう大抵の事では驚かないと思いながらも、僅かな不安と、久しぶりに祖父の顔を見れるという懐かしさに、レオアリスは足を早めた。


 長老は時期外れの帰郷に、驚いた顔を上げた。
「珍しい事じゃ。年に一度しか帰らぬ奴が」
 そう言いながらも、手にしていた書物を脇に積み上げた本の山の上に置くと、嬉しそうに立ち上がり、囲炉裏の一角を開けてレオアリス達を手招いた。
「お久しぶりです」
 ロットバルトが会釈をすると、長老は表情の読み取りにくい鳥に似た顔の上に、確かに笑みを載せる。
「まだ、これの傍にいてくださるか。有難い事だ」
「どういう意味だよ」
 囲炉裏の前にあぐらをかいて座り込み、レオアリスは祖父を睨んだ。
「周囲に支えてもらわねば、お前のような若造が、まともに上になど立てまいて」
「――知ってる」
 長老は自分もレオアリスの前に腰を降ろしながら、少し意外そうに顔を傾けた。囲炉裏に掛けられた鍋から湯を器に酌み、二人の前に置く。仄かな香草の香りが狭い室内に漂った。
「ほお。成長したものだ」
 からかうような響きにレオアリスは不満そうに顎を逸らせた。
 けれど、レオアリスが望むままに動けるように、グランスレイを始め、一隊のそれぞれが様々な配慮をしている事は、良く判っている。普段口に出す事こそないが、自分一人で生きているのではない事は、常に実感していた。レオアリスが今の位置にいるのは、彼らが在ってこその事だ。
 自分の一族は王に対して反乱を起こしたという。
 本来ならば近衛師団にいるどころか、生を持っている事すら不思議な立場だ。
 それでも今ここにいるなら、それはその時その時に、誰かが手を差し伸べてくれて来た結果なのだろう。
 既にレオアリスの中に迷う心はない。自分が望むのは、近衛師団にあって王に仕える事だ。何故その事に、ここまで強い思いを感じるのかは分からない。
 だがその事は今回の件を経て、今まで以上に強く心の中に根を下ろしている。
 木のはぜる音と共に、囲炉裏の中の炭が崩れる。レオアリスは赤く熱を発する炭火に向けていた顔を上げ、長老の落ち窪んだ瞳を捉えた。
「教えて欲しい事があって来た」
「――ほう」
「めんどくさいから単刀直入に言うぜ。俺の一族について教えてくれ。それから、――バインド」
 長老はしばし、じっと囲炉裏の上に視線を落としていたが、やがて深い溜息と共に顔を上げた。
「知ったか」
 肺から押し出すようなその声には、苦しみと、どこか開放にも似た安堵の響きがある。
「バインドが、王都に現れた」
 弾かれるように長老は腰を浮かせた。その拍子に脇に積んであった書物が崩れる。表情の掴みにくいその顔に激しい驚愕と憎悪が交じり、身体を支える為に付かれた手が、囲炉裏の縁の木枠を強く握り締めた。
「――まさか。……死んだと」
「……思われてたみたいだな」
 祖父の見せた激しい感情に驚きを覚えながらも、レオアリスは立ち上がると祖父の横に行き、崩れた本を拾い上げた。
「相変わらずごちゃごちゃしてんなぁ」
 所狭しと書物や薬草が積み上げられた壁際にそれらをまとめて置き、改めて祖父の脇に座り直す。再び、じっとその顔を見つめる。
「――生きてて、まだ斬り続けてる」
「……会ったのじゃな。バインドと」
「ああ」
 長老はすぐに呼吸を落ち着け、静かにレオアリスを見た。既にその面からは憎しみの色は影を潜め、入れ替わるように深い悲しみが広がっていく。
「――どこから、話すべきか。……やはり、我等とお前の一族との関わりからじゃろうの……」
 口を閉ざせば聞こえるのは、囲炉裏の炭のはぜる音と、沸きあがる湯がしゅんしゅんと立てる音だけだ。
 降り続ける雪に音を吸い取られるような静寂。
 長老は暫らく黙ったまま、立ち昇る湯気を追う様に視線を上に向けていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「――我らは、かつて忌み族と呼ばれた」





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renewal:2007.08.18
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