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王の剣士3 「剣士」
【第四章】


 降り募る雪と灰色の雲の幕の向うで、太陽が次第に高く昇っていく。
 レオアリスは戸外に出て雪を踏みしめ、雪雲に覆われた薄い太陽を降り仰いだ。
「昼までには止みそうだな」
 一足先に戸外に出ていたロットバルトが振り返る。足元には膝下まで雪が積もっている。
「この足場では、少々動き辛いのでは?」
 一歩踏み出そうとするだけでも雪が纏いついて、足は重りを付けたように感じられる。この中で普段通りに動くのは困難だ。だがレオアリスは事もなさそうに首を振った。
「問題ない」
 ずっとここで育ったのだ。むしろ地の利はレオアリスにある。
 カタリと音をさせてカイルが戸口から姿を現し、レオアリスの前に立つと彼の顔をじっと見つめた。
「……無事に戻れ」
 祖父の顔を見つめ返し、レオアリスは口元に笑みを刻んだ。
「心配すんなって。すぐ戻るよ」
 飛竜へと歩き出しかけたレオアリスを、カイルが呼び止める。
「何だ?」
 カイルは暫らく黙ったままだったが、やがて首を振った。
「いや……」
 そして顔を上げ、訝しそうなレオアリスを見上げる。
「一つだけ、伝えておかなんだ事がある。本当は三年前に伝えるべきだった事じゃ」
 カイルはそれまでの思いを振り切るように、レオアリスの瞳を覗き込んだ。
「レオアリスよ。王がお前を、炎の中から救い上げた。――そして、名をくださった」
 レオアリスの張り詰めていた表情の上に、内側から光の透けるような感情が差す。
 驚きと、もう一つ、
「名を――」
 手足の先に暖かい血が行き渡るような感覚。
 それに何と名前を付ければいいのかは分からないが、自分の中にある感情を確かに肯定するものだ。この村で、王の御前試合があると聞いた時、ひどく急かされる気持ちを感じた事を思い出す。そして、王と相対する時に、常に抱く思い。
 尊敬、畏怖、憧憬――
 ただ一言では、言い表せない感情。
「……その誇りが、お前をこの先、前へと進ませるのじゃろう」
 いつか、青年が言った言葉が、カイルの心の中に浮かんだ。
『剣士にとって、剣を捧げるべき相手を得る事は、何にも勝る存在理由だ』
 レオアリスは自分の手でそれを見つけた。剣士としての、存在理由を。
 ならば、レオアリスがこの村を離れる事が、どれほどの喪失感を伴うものであっても、もうカイルにそれを妨げる理由はない。
「必ず戻れ」
 まるでそう言わなければ戻らないとでも考えているかのように、カイルが念を押す。レオアリスは祖父の様子に安心させるように笑い、背を向けて歩き出した。握った拳を高く掲げる。
「そんなに心配すんなよ。いい知らせを持ってきてやる」
「――」
 一瞬、レオアリスの姿に、あの夜の青年の姿が重なる。
 鼓動が跳ねた。
 カイルが再び差し出しかけた手を、ロットバルトが押さえた。カイルの眼の中に浮かんだ恐怖に似た感情を認め、それを打ち消すように穏やかな笑みをみせる。
「……あまり心配なさらなくとも大丈夫でしょう。これは王が彼に与えた任務ですから。王はそれが可能だとお考えです。だからこそ、それに応えられると、そう思いますよ」
 カイルにとっては、それは辛い響きにも聞こえただろう。だが、「剣士」としてのレオアリスにとって、その事は彼の力となるものだ。カイル自信が一番、その事を知っている。
「……そうかもしれん」
 カイルは皺ぶいた顔を伏せ、足元に積もった白い雪を見つめた。
 静かに降り募る雪は、全てを覆い隠しても尚満足する事を知らないように、ゆっくりと落ちてくる。
 ロットバルトがレオアリスを追ってその場を離れ、彼等の乗った飛竜の姿が雪の幕の向こうへ消えても、カイルはじっと足元の雪を見つめていた。
 ごく小さな、誰の耳にも届く事の無い呟きが、雪に紛れて散る。
「――後悔する事、それ自体を避けたい選択は、取り返しのつかない事実を目の前にして初めて、そこに選択が存在していたと気付く。たった一つ、揺るぎなく、取るべきだった正しい選択が確かにあったと」
 カイルは静かに瞳を上げ、レオアリスの向かっただろう森の奥へと、視線を向けた。

 王が約束し、毎年村へ届けられた書物。王都との交流があった為か、いつしか周囲の者達から、忌み族という見方も薄れ消えていった。
 意識とは単純で愚かだ。
 容易く周囲の状況や言葉に流され、向く先を変える。
 だがそれを責める気にも、憤る気にもならなかった。
 あの場所へ、レオアリスを連れて行ったのは一度きりだ。
 幼いレオアリスは、ただじっと不思議そうに、崩れた家々と自分達を見つめていた。何も告げられない事が辛く、その姿を見る事は心に刃を差し込むように耐え難かった。
 そこには崩れ、草に覆われた廃墟以外何も無い。
 小さな手を握るはずの、力強く暖かい手も、優しく柔らかい手も。
 そこに満ちていたはずの、笑い声も。

 しんしんと、雪のように想いは降り続け、心の底に静かに積もり続ける。



 静かに、深く、凍り付き、溶ける事を知らない雪のように。






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