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王の剣士3 「剣士」
【終章】


 前方で王城の尖塔が朝日を弾いた。
 薄紫の夜明けが東へと後退していく空に、小山のような王都の影が現れ、見る間に視界に迫るように近づいて来る。周囲を囲む広大な森の中に浮かび上がる巨大な都、アル・ディ・シウム。
 そこに、王が座す。
 様々な想いが心の裡を過ぎる。ただその多くは、温もりを伴うものだ。
 レオアリスは大きく息を吸い込み、静かに吐き出した。
 随分と久しぶりに戻ってきた気がする。
 急かす心のままに飛竜を駆ろうとして、王都の上空を旋回する複数の飛竜の姿があるのに気付き、レオアリスは手綱を引き速度を緩めた。真横から差す太陽の日差しに、飛竜達の姿は濃い影のようだ。やや遅れて、ロットバルトが乗騎を寄せる。
「こんな早くに……何かあったのか」
「カイは戻った時、何も告げはしなかったのでしょう?」
「特にはな」
 レオアリスの使い魔は、村を出る時に帰都を知らせに飛ばしたが、取り立てて異変を知らせてはいない。
 ただ、ここのところ立て続けに軍が動いている。バインドの件が終わったとは言え、早朝から飛竜が王都の上空を旋回している事に、少なからず緊迫感を覚えた。
「どこの隊だ?」
 この間にも、王都はゆっくりと目前に近づいて来る。ロットバルトは蒼い瞳を細めて次第にはっきりしてくる王都の上空を透かし見た。
「――近衛師団ですね」
「師団? 何で上を飛んでるんだ。訓練は予定して無いだろ」
 何か緊急の案件でもあったのかと、レオアリスがハヤテを急がせようとした時、彼方の飛竜が一騎、二人に気付いたのか、速度を上げ近づいて来た。
 それを合図に、北の演習場から飛竜の一隊が一斉に上昇する。飛竜に驚いた鳥達が周囲の木立から追われるように羽ばたき、騒然と羽音を響かせた。
「何――」
 飛竜の黒い鱗が陽光を弾き、黒雲のように王都の北側の空を埋めている。
 飛竜の上に立てた棚引く旗は黒地に暗紅色の双頭の蛇、紛れもない近衛師団の軍旗だ。
 飛竜を駆る騎手の姿が肉眼で捉えられる程に近づき、レオアリスは身を乗り出した。
「一隊……」
 先頭の飛竜の上に立のはグランスレイだ。クライフの中軍がそのすぐ背後に続き、左右にそれぞれ、フレイザーとヴィルトールの左右軍が展開している。
「――ほぼ、一隊全騎じゃねえか……」
「そのようですね。ただ離脱もその後の飛空も乱れが無い。見事な編隊ですよ。儀礼の際の空域展開の見本だな」
 今度の御前演習に取り入れましょうか、と感心したように口元に手をあてたまま、ロットバルトはレオアリスに瞳を向けた。
「いや、お前、何をのんきに……」
 レオアリスが驚きを通り越して、呆れた声を上げる。全隊がこうして動く事など通常ではほぼ有り得ないのだが、第一大隊の飛竜は一糸乱れぬ編隊のまま次々に飛来すると、レオアリス達の周囲に滑り込むようにぐるりと取り巻いた。
 黒旗が風に靡き、音を立ててうねる。
 呆気に取られてハヤテの上に立ち尽くしているレオアリスの前で、グランスレイが飛竜の上に立ったまま、深く上体を折る。
 フレイザー、クライフ、ヴィルトール、そして第一大隊の将校と隊士達が、一斉に敬礼を向けた。
「ご無事の帰還、お慶び申し上げます、大将」
 グランスレイの低い声が、静まり返った大気に溶ける。
 二、三度口をぱくぱくと動かしてから漸く現状を飲み込み、レオアリスは顔に血を昇らせた。
 この為だけに、早朝にもかかわらず彼等はずっと待っていたのだ。
 レオアリスはまだ顔を赤くしたまま一度俯き、再び顔を上げて彼等を見回した。
「――今、戻った」
 黒雲のように密集した飛竜達の上から、大きな歓声が上がった。
「こういう場合、将校は兵に対し手を振るなどして応えるのが慣例ですよ」
「手……?」
 手を振って応えるというと、祝祭などの折に王や高位の貴族がやるあれだ。優雅で華やかな印象が強く、王やアヴァロンが行う場合は威厳に満ちている。レオアリスには一番苦手な分野だ。
「……いや……俺にはちょっと……」
「慣例、というよりは、一軍の将としての義務ですね。兵の士気を上げるも落とすも、上に立つ者次第でしょう。まあ一言演説されるという手もありますが」
「義務……?」
 実際は剣を挙げて応えて見せれば、それだけで十分なのだが、義務と言われてレオアリスは真剣に眉を顰めて考え込んだ。
 ロットバルトは考え込んでいるレオアリスの横を離れると、正面のグランスレイへ乗騎を寄せた。第一大隊全軍を動かす許可を、誰が出したのかと、その点が気にかかる。
 この件に関して、王は軍を動かす事を禁じている。バインドを討った以上、既にその範疇ではないにしろ、緊急時でもなく大隊全騎を動かす事は、許可がなくては出来ないはずだった。
 歓声はまだ続いていて声は聞き取りにくかったが、グランスレイは頷いた。
「アヴァロン閣下には、飛空演習を行うと申請して許可を戴いている」
 グランスレイの顔に浮かんだ表情に、ロットバルトは苦笑を洩らした。
 規律規則を重んじるグランスレイがこうした選択をするのは、かなり思い切ったはずだ。
「……何だ」
 グランスレイが渋い顔でロットバルトを睨む。
「いえ。派手な演習ですが、たまには必要でしょう」
「――今回は、我々だけではなく」
 口を無理に引き結んだままのグランスレイの声に重なるように、鋭く、だが朗らかな声が降り注いだ。
「剣士、レオアリス!良くぞ戻った。王はお待ちかねだ!」
 上空に、磨き上げられた濃紺の鱗の飛竜が浮かんでいた。飛竜の青い瞳が挨拶をするように瞬く。レオアリスが言葉を発する前に、アスタロトがその上から、ひょいと顔を覗かせた。
「お前さぁ、こういうとこでがっちり固まっちゃってどうすんの? 情けないね。もうちょっとぱぁーっと行けよ、ぱぁーっと。せっかく派手に迎えてやったんだからさぁ」
 華やかな面に、に、と笑みを広げ、アスタロトは手を振った。呆気に取られて言葉を失っていたレオアリスも返すように笑う。
「――何が派手だ。大体お前が何でこんなとこにいるんだよ」
「だって、面白いじゃん。お前がどんなカッコいいこと言ってくれるのかと思ってさ」
 悪戯っぽくけらけらと笑い、アスタロトはハヤテの上に飛び降りた。レオアリスの正面にふわりと浮かぶと、黒い艶髪が風に靡いて零れた。
 握った拳でレオアリスの胸をトンと叩く。
「ほら、応えてあげなよ。皆朝っぱらからお前が何言うか楽しみにして来てんだから」
「……」
 ぐっと詰まり、レオアリスは周りを見回した。周囲の隊士達の顔には、レオアリスがどんな事を言うのか、半ば面白がっている表情が浮かんでいる。ここまで注目されると、余計何も出てこない。レオアリスは恨みがましい瞳を、にこやかに微笑むアスタロトに向けた。
「しょおがねぇなぁ。――上将!」
 じれったそうな声と共に隊士達の中からクライフの飛竜が進み出ると、クライフはハヤテの上に飛び移った。主以外の者に乗られ、ハヤテが不機嫌そうに鋭く息を吐き出す。
「ちっと我慢してくれよ。お前のご主人の為だ」
 クライフはハヤテへそう声を掛け、レオアリスを肩に担ぎ上げる。
 レオアリスは慌てふためいた声を上げたが、クライフは構わずぐるりと隊士達を見回した。
「バインドを討った剣士だ! 俺達の大将だぜ!」
 朗々としたクライフの声に重なるように、再び歓呼の声が響く。
 クライフはレオアリスの顔を見上げ、カラカラと笑った。
「上将ぉっ、ほら、奴等に何か言ってやってくださいよ」
 レオアリスは赤面したまま何とか逃れる手は無いものかと周囲を見回したが、逆に期待に満ちた顔に迎えられ、やがて観念したかのように顔を引き締めるとハヤテの上に降り立った。
 この位の責務は果たせて当然なのは確かだ。
 アスタロトが期待に瞳を輝かせて、食い入るようにレオアリスを見つめている。
(くそ、何の期待だ)
 レオアリスはその顔をじろりと睨み付けた。
(きっちり、格好いい事言ってやろうじゃねぇか)
 喉の調子を整える為、一度軽く咳払いして顔を上げる。
「こ……」
「こ?」
 じっとらそこにある全ての視線が集中する。どんな戦場にある時よりも、付け加えれば、王の前にある時よりも、緊張した。
(――やっぱ、何も出てこねぇ……)
「……これからもよろしく……」
 一瞬の沈黙が生じた中を、涼やかな風が吹き抜ける。
「史上稀に見る、迷言ですねぇ」
「――少し厳しく、大将としての在り方を学んで戴かねば」
 アスタロトの爆笑が、晴れ渡った空に響いた。





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