三
太陽は日ごとに地上に近づき、風も吹く向きを変え、北から冷たい空気を運んでくる。
ただ、空は見事に晴れていて、低い陽射しが大気を暖めていた。
演習場を抜けていく冷えた風に、レオアリスは一度瞳を閉じた。
静かに息を整え、瞳を上げる。
演習場を取り巻く観覧席とそこにひしめく大勢の視線が、演習場の中央に立つレオアリスへと注がれている。
その正面の高い位置に、王の座す玉座があった。
すぐ下の席でアスタロトが手を振るのが見え、レオアリスは口元に苦笑を浮かべた。
(あいつ、何を暢気に観覧してるんだ。俺のひとつ後じゃねぇか)
この後にアヴァロンの演武があり、最後にアスタロトが正規軍将軍としての演武を見せる予定だ。その二人の演武はレオアリスにとっても楽しみの一つでもある。ゆっくり観るためには、まずはこの場を問題なく乗り切る必要があるが、今はそれもあまり気にしてはいなかった。
(ま、後処理は頼んでるしな)
レオアリスは一礼すると、右手を鳩尾に当て、剣を引き抜いた。
青白い光が演習場に満ちる。
現れた長剣に、ざわめきと溜息が場内に広がった。
その響きが消える前に左手を上げ、再び鳩尾に当てる。
ずぶりと、沈む。
場内が息を呑む。
力が、身体の内から吹き上がってくるのが感じられる。その力に靡くように、レオアリスの纏う長布が翻った。
深い呼吸と共に、一息に引き抜く。
解放、尊厳、意志。
レオアリスの瞳が王の姿を捉える。
左右の剣が呼応するように、眩い輝きを放った。
二本の剣が空を切り裂き、時折呼び笛のような高い音を立てる。
広い演習場で、レオアリスが二本の剣を操る。
静から、一転して動へ。
風を巻くように空を切り裂き、空で止める。黒衣が動作に合わせて翻る。
舞という響きから想像される優雅さは少ないが、剣が青い尾を引いて大気を切り裂く様は、だがやはり、見る者を惹き込む程に美しかった。
「満足〜」
身を乗り出すようにその動きを眺めていたアスタロトは、言葉どおり満足そうに息をついた。御前演習が行われている第一演習場には多くの諸侯が列席し、この演目に言葉を忘れて見入っている。
視線の先のあるのは、レオアリスに対して意趣のある者にさえ、それまでの批判を一時忘れさせる光景だ。
「二刀の剣士か……」
感嘆して呟く彼等の顔をちらりと眺めて、アスタロトは笑った。
その存在は、王国にとって悪い事ではない。
視線を演習場へ戻す。アスタロトはまだレオアリスとゆっくり話をしていなかったが、聞きたい事への答えは全て、視線を注いだ先にあった。
「良かったですね」
傍らのアーシアが穏やかに笑う。その言葉が何に向けられたものなのか、敢えて確認する必要はなかった。
「うん。――これからまた、楽しいな」
王は拾い上げた赤子を、その村に預けた。名を与え、いずれ成長した時に、望むのであれば、自らの元に来させるようにと。
それが復讐の為であったとしても、落胆する事はなかっただろう。
剣士とはそういうものだ。
自らが守ると決めたものの為の、剣。
だが、レオアリスは仕える事を望んだ。
そうなると、不思議と過去を知らせる事に躊躇いを覚えるようになる。
いずれ過去を知った時、この剣はどこに向くのか?
自分にか、それとも。
その剣を恐れた訳ではない。
ただ、剣士にとって主を得る事がその最大の喜びであるように、自らの為の剣を得る事は、その者にとっても喜びだろう。
であればこそ、その剣を失う事に、躊躇いを覚えたのだ。
明確な言葉で言うのならば、絶対の信頼、を。
バインドがレオアリスの前に現れた時、王は僅かに自問した。伏せ続けるか、全てを明らかにしてみせるか。
だが敢えて、レオアリスが自ら知るままに任せた。
その剣が何を選ぶのか、干渉を与える事なく、それを見てみたいと思ったのだ。
今――全てを知ったレオアリスの瞳の中に、今までと変わらないそれが見える事に、僅かに安堵している自分に苦笑する。
『いずれ得られるだろう、王よ。貴方なら』
時は思わぬ方向へ流れる。
淡々と流れていく時の一幕一幕は、意外と興味深いものだ。
レオアリスが剣を納め、その場に片膝をつく。黒衣がその身体を追って、ふわりと落ちた。王の高座に対して一礼すると、水を打ったように静まり返っていた場内に、歓声が響く。
王が立ち上がると、場内は再び静まり返り、その言葉を待った。
「――見事な剣舞であった」
低い静かな声が朗々と演習場内に響き、レオアリスが一層深く頭を下げる。
「先のバインドとの一戦によって、そなたは名実と共に、この国に於いて比類無き剣士となった。――我が名付け子にして、我が剣士。そなたを得た事を誇りに思う」
場内に満ちた驚きが、すぐに波のような歓声に代わる。
(――最高の、後ろ盾だ)
アスタロトが笑みを浮かべる。
王自ら、諸候の前でそう告げる事の意義は計り知れない。
(……まあ、あいつにはそんな事どうでもいいかな)
レオアリスの頬に浮かんだ、誉められた子供のような喜びの色を認め、アスタロトはもう一度、満足そうな笑みを浮かべた。
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