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王の剣士4 「かりそめの宴」
【第二章 「波紋」】


 夕刻になって近衛師団に戻りその後一刻ばかり、レオアリス達は今日の一件について改めて状況を確認した上で、報告書を纏めた。
 レオアリスが仕上がった報告書に目を通し署名を済ませると、グランスレイは報告書を封筒に収め、近衛師団総指令部に届ける為に席を立った。
「先ずはアヴァロン閣下へご報告し、王への報告の上げ方について指示を仰ぎます。おそらく御前に上がらなくとも報告書の提出だけで充分だとは思いますが」
 言葉を切ってレオアリスを見たのは、それでいいかと確認する為だったが、レオアリスは特に異論を示さずに頷いた。何にせよ、事はゴドフリー侯爵家の邸内で起きている。それ以上の事は手が出しようが無い。
 ただ、暫く瞳を閉じて考え込んでいたレオアリスは、迷いを吹っ切るようにして席を立った。
「――俺もちょっと出てくる」
 既に外套を羽織っていたグランスレイが訝しそうな顔を向ける。
「どちらに?」
「法術院に行ってくる。そんなにかからないと思うが、戻ってなかったら机に伝言残しといてくれ」
 アヴァロンの指示の件だ。文書での報告に留まるだろうとは思いながらも、アヴァロンがこの件をどう判断するのか、できれば今日中に知りたかった。
「承知しました。しかし余り」
 グランスレイの慎重な視線を受けて、レオアリスも真面目な顔を返す。
「判ってる、管轄外だ。けどやっぱ気になってな」
 レオアリスが気に掛けるのはグランスレイにも良く理解できる。直接侵入者と相対している上に、彼は元々法術を糧にしていた。
 そのどちらの経験も、明確な答えを導き出せていない。
「残ってなくてもいいぜ」
「院に行くなら、院長に見つかんないように気を付けてくださいよ」
 クライフがにやりと笑って片目を瞑る。
「解剖されるのはごめんだからな」
 笑ってそう返し、扉の横に掛けていた外套を羽織りかけたところで、まだ盛装のままでいた事に気が付いた。さすがにこれで法術院の門は潜りにくい。
「着替え……」
 見回してもある訳がないと思っていたら、フレイザーが心得た顔で休憩室の扉を指差した。
「隣に掛けてありますよ。どうせあの場にはそんなに長くはいらっしゃらないと思ってましたから」
「マジ? 助かった」
 準備のいいフレイザーに礼を述べて隣の部屋で士官服に着替え、少し解放された気分を味わいながらレオアリスは執務室を出た。



 法術院は王城の東の区画に、王立学術院と肩を並べるようにしてある。法術を志す者達が国中からこの場所に集い、日夜術の研鑽を積み重ねている、正にこの国の法術の中枢とも言うべき場所だ。
 ここで高い技術を習得し、軍の法術士団やいずれかの領主の専属になる者、また街で店を構える者など様々だ。レオアリスの村のように法術院とは関わらずに独自に法術を扱う者達もいるが、全ての法術の系統はこの法術院にその根を持つ。
 レオアリスが着いた頃には既にすっかり陽は沈んでいたが、王城は城壁の篝火と窓からの灯りで夜空にくっきりと浮かび上がっている。その中で法術院の建物は、その内で行われている秘めやかな技を示すように、朧な輪郭を纏っていた。
 扉を押し開けると、まず様々な香の匂いがどっと押し寄せる。院に属する法術士達が思い思いに好きな法術を研究しているせいで、遠慮や配慮というものを知らない。
(毎回思うけど、良く死人出ないよなぁ)
 絶対いつか、交ざり合った香や薬草の成分がとんでもない結果を引き起こすと思うのだが、幸いまだそういう事件には至っていないようだ。
 基本的に法術士は、自分の研究にしか興味の無い質の者が多い。院を出て外界に活躍の場を求める者はまだ常識的だが、法術院に籠もって研究を続けている輩は、外界と隔絶しているというか、世俗を超越しているというか、とにかくそういう者が多かった。
 第一にここの院長アルジマールが曲者だ。国内最高位の法術士として名高く、現存する全ての法術に精通していると言われている。
 以前一度だけ会った事があるが、その第一声が
『剣士っていいねぇー、お腹の中どうなってるのかなぁ、見たいなぁ』
 だった。
 目はうっとり遠くを見ていて、彼が何を想像していたのか、それを考えるだけでもかなり恐ろしい。身の危険を感じるというのは正にあの状況だ。
(あん時はマジで怖かった……)
 出掛けのクライフの忠告をきっちり肝に命じ、院長に見つかる前に目的を果たしたい。
 知った顔がいないかと見回したところで、もってこいの人物が大量の書物を抱えて廊下をやって来るのが見えた。
「シアン」
 呼びかけて近付くと、シアンと呼ばれた若い女はにこやかな笑みを返した。この院の中で、輝かんばかりに爽やかな空気を纏っている。
「あら、お久しぶりですね」
「持つよ、それ」
 レオアリスはシアンが両手に抱えていた十冊ばかりの書物を取り上げ、途端にずしりと腕にかかった重量に、よくもまあこんなに持って来たものだと苦笑を零した。シアンは小柄な細っこい女性だ。
「いいですよ、近衛師団大将にそんな事させられません」
「いいから。どこに運ぶ?」
 シアンが取り返そうとするのを止め、レオアリスは本の向こうのシアンに目を向けた。
「じゃあ私の研究室に。助かりました、欲張り過ぎちゃって」
 明るく笑った顔には、薄っすらとだが額の左から耳にかけて、似つかわしくない傷が走っている。
 彼女とレオアリスはおよそ四年前に出会った。
 レオアリスが生まれて初めて故郷を飛び出し、西のカトゥシュの森で、黒竜と対峙した時の事だ。
 シアンは当時正規軍法術士団の少将で、その時黒竜から受けた傷が元で一線を退き、法術院に入った。
 顔の傷は完全には消えなかったが、それを負担と相手に受け取らせない、明るくて感じのいい笑顔が彼女の魅力だ。
 今も隣を歩くレオアリスに、どこかからかうような笑みを向けた。口調も公の立場から、親しい友人のそれに戻っている。
「そう言えば第一大隊は、最近秘密の特訓してたんですって? 踊れるようになった?」
 レオアリスの眉根がみるみる寄せられる。
「何で」
 知っているのかと言い掛けて、それが愚問である事にすぐ気が付いた。
 情報源は当然、シアンの夫だ。
「あのおっさん、意外と耳聡いなぁ」
 夫をおっさん呼ばわりされても、シアンは怒る様子もない。
「クライフ中将の口が軽いのよ。まあ締め上げたって言ってたけど」
「だろうな。クライフはあれに関しちゃ、絶対自分からは言わねぇもん。ワッツが逆様にして振ったんじゃねぇの?」
「あはは、目に見えるわね」
 ワッツは正規軍西方第一大隊の中将で、彼等もレオアリス達近衛師団第一大隊と同じ区画に駐屯している。非常に体格に恵まれた、見た目もかなり強面な男で、クライフのいい飲み友達だ。
 何より、シアンと同様に、レオアリスとはカトゥシュ森林以来の付き合いになる。
 ワッツが中将に昇任し第一大隊に配属されたのはレオアリスが中将になってからで、出会ってから一年半振り位の再会だったが、いつの間にかちゃっかりシアンと結婚していた事に驚いたものだ。
 でも、ワッツもシアンも互いに目が高いと、心底思う。
 シアンはまだ笑いを含ませながら、自分の研究室の扉を開けた。
「机の上に置いてもらえる?」
「置く場所無くないか?」
「あら、じゃあ床でいいわ」
 足元に少しばかりの隙間を見つけ、レオアリスは本の山をそこに下ろした。既に山脈ができている。この辺りはさしものシアンも、法術士という括りから抜けきる事はできなかったようだ。
「本当にありがとう。王の剣士を使っちゃって申し訳なかったわね」
「シアンまでその呼び方かよ」
 複雑な顔を見せたレオアリスを、シアンがおかしそうに見つめる。
「心底の敬称よ。私もワッツも、貴方がそう呼ばれるようになって本当に嬉しいわ。ワッツなんてあの人、今から孫が逃げ出すくらい自慢するつもりでいるわよ」
 レオアリスに椅子を勧め、手早くいれた紅茶を目の前の卓に置く。
 自分も向かいの椅子に座り、それから、シアンは真面目な顔になった。今度は友人よりも、法術士としての顔だ。
「それで、どうしたんですか? 法術の関係で何か?」
 ただ思い立ってわざわざ法術院まで茶飲み話をという時間でもない。シアンは既にレオアリスの話を聞く準備を済ませている。
「どうぞ。私の段階では外に出しません。もちろんワッツにもね」
「ワッツはいいけどさ。はっきり言ってうちの事件でもない。だから一般的な例って事で話を聞きたいんだが」
 シアンは先を促すように頷いた。
「防御陣。あれを掻い潜って発動できる法術の可能性はどれだけあるかな」
 かなり大雑把な括りにも関わらず、シアンは頬を引き締めた。
「防御陣なら私よりずっと適任者がいますけど。ボルドー中将」
「まだそこまでじゃなくていいんだ」
 シアンもそれ以上強くは勧めず、一度背筋を伸ばし、真っ直ぐにレオアリスを見つめた。
「破る事は可能です。要は術者の力関係ですから。性質を読み解いてその反対の系統で防御陣以上の力をぶつければ、それは保たないでしょうね。でも、今の言い方だと違いますね?」
 レオアリスが頷く。
「陣は反応もしてない」
 シアンは睫毛に縁取られた瞳を見開いた。そこに彼女が驚いた事がはっきり現われている。
「――擦り抜けた?」
「そうだ。その場合、想定される理由は何がある? 法術じゃない場合とか?」
 問いかけるレオアリスの瞳は鋭く、つられるようにシアンの表情も、正規軍の少将だった頃のように引き締められた。
「防御陣は必ず、法術だけではなく物理的な力にも働くものです。例えばアスタロト様の炎にも、貴方の剣にも、反応はする。防げないでしょうけどね。それが全く反応しないとなると――、……防御陣の構成を全て読み解いて無効化した場合か、」
 シアンの瞳が薄い燭蝋の光を弾く。
「全く想定もしていない、我々が知らない術式、もしくは力の場合です」



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