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王の剣士4 「かりそめの宴」
【第二章 「波紋」】


 アヴァロンの指示は意外な事に、直接王へ報告を上げるようにというものだった。しかも指定された時間は、翌朝の朝儀のすぐ後だ。
 執務机の上に残された便箋を取り上げ、レオアリスはその文字を何度か追った。グランスレイの伝言が記された紙には、それ以上の詳しい記述は無い。
(想定よりも重要な件だったって事か……?)
 レオアリスはまだ部屋に残っていたロットバルトとヴィルトールを振り返った。
「王へ直接って事だが、他には何も?」
 レオアリスの問いに二人とも首を振る。
「いえ、我々にもそこに書かれた事と同じ内容しか仰ってはいません」
「少し険しい顔はしてましたが、それ以上は」
「そうか……」
 もう一度、レオアリスは文面を追った。おそらくアヴァロンも特に、それ以上の細かい指示をしていないのだろう。
 法術院ではシアンと一緒に幾つか文献をひっくり返したが、昼の件を謎解く手がかりは見つからなかった。レオアリスは便箋を畳み、机の抽き出しに閉まった。
「とにかく明日、王へご報告しよう。それとロットバルト、悪いが明日ちょっと、文書宮で調べてもらえるか」
「承知しました。――やはり気になりますか」
「うん――。管轄じゃないと判っててもな。ひょっとしたら王からは調査の命が下るのかもしれないし、一通りは調べておきたい」
 レオアリスの言葉に頷き、ロットバルトは席を立った。
「思いの外、慌ただしい一日になってしまいましたね」
「さすがにこうなるとは予想もしてなかったな。誰と会ってどんな会話したか、大体すっ飛んだ」
 それを聞いてヴィルトールも笑いながら立ち上がり、掛けてあった外套を手に取る。
「じゃあ軽く仕切り直しませんか。といっても私の隊は今日夜番なんで、酒は入れませんが、夕飯はまだでしょう」
「そうだな。思い出したら急激に腹減って来きた。どこに行く?」
 園遊会ではろくに食事も取れなかった事を思い出し、今更ながらに空腹感が持ち上がった。何と言ってもレオアリスは十七歳、もうあと数ヶ月もすれば十八歳を迎えようという育ち盛りだ。
「この時間なら食堂位では?」
 壁際に置かれた時計を見れば、針は十刻近くを差している。今頃から街に出ても食事処はあまり期待できない。ヴィルトールもレオアリスも特に拘り無くあっさりと頷いた。
「管轄を離れる訳にも行きませんしね」
「がっつり食えればいいや」
 兵士達の利用する食堂は小洒落た感じとは無縁だが、味と量は保証されている。彼等近衛師団や正規軍の居る第一層は王都の街と城門で隔てられていて、更に手頃な価格帯の区域まで離れている為に、大体仕事帰りに寄るところは何だかんだ言いつつ、この食堂が主なのだ。
「クライフとワッツが飲んだくれてるかも知れませんね」
 ヴィルトールの言葉にレオアリスは先ほどのシアンとの会話を思い出した。
「そういや、ワッツにこの間の特訓ばれたらしいぜ」
「あれまあ。副将が知ったら地の底まで落ち込むなぁ。お前があの二人を踊らせたりするからだよ」
 できた者から抜けていくやり方だったせいで、最後に残ったグランスレイとクライフが組む事になったのだ。
 舞踏で。
「仕方ないでしょう。無駄にフレイザー中将に残って戴く訳にもいかない。まあさすがに、あの光景を見た時は私も後悔しましたよ。精神面に良くない。できれば見たくはなかったな」
「素直ね」
「……グランスレイには黙っとこうな」
 そんな会話をしながら、三人は執務室を離れて食堂へと歩き出した。




 翌朝、レオアリスは近衛師団の執務室には向かわず、直接王城に上がった。
 レオアリスが向ったのは公的な執務室ではなく、居城の王の私室だ。案件自体がゴドフリー侯爵の邸内で起きた私的な要素の強い内容であった為だろう。
 朝儀の後、王は一旦私室に戻る。その時間にこうした内々の案件が上げられるのが常だった。
 王の部屋は何時ものようにしんと静まり返り、筆を走らせる音が心地よく流れている。足元に敷き詰められた毛足の長い絨毯は深い緑、一本一本の糸が少しずつ色彩を変えて織り込まれ、まるで風の渡る草原にいるようだ。
 跪いていたレオアリスは、王が手を止めたのを感じて、伏せていた顔を上げた。
 王は筆を置き、レオアリスへと静かな視線を向ける。緊迫と安息、その二つが交じり合い全身を包むのを感じながら、レオアリスは口を開いた。
 レオアリスの報告を聞きながら、王のその金色の瞳にごく微細な光が移ろう。レオアリスの言葉に含まれている何かに、確かに興味を示している。
 全てを聞き終えるまで言葉を差し挟まず、レオアリスが口を閉ざして暫らくしてから、王は解答ではなく問い掛けた。
「そなたは果たしてそれを何だと思う」
 王からの問いに、レオアリスは一度視線を落とす。昨夜の夕食の時も結局ずっとその話をしていたのだが、判然としていない。
「――正直に申し上げて、判りかねます。法術で生み出された生物のようにも見えましたが、ゴドフリー侯爵邸の防御陣が反応しておりません」
 法術院では引き続きシアンが調べてくれているはずだが、あれはレオアリス達が知る法術とは異なるものだと、そんな気がしていた。今は王立文書宮の文献を、ロットバルトが調べている。
 ただ、判ったとしてどこまで自分達が関わるべきか。調査を任せて欲しいと、王に自分から奏上すべき内容なのかも判断しがたい。
 考え込む瞳をしたレオアリスに、王は束の間ただ視線を向けていたが、やがて立ち上がり、執務机を離れた。身に纏った力の片鱗が空気を揺らし、レオアリスの皮膚にもはっきりと感じられる。
 王は庭に面した硝子扉にゆったりと歩み寄り、窓の外に視線を向けた。
 何気なく追ったレオアリスの視線の端に、青い色が揺れる。王が立つ硝子扉の、左下の辺りだ。
 それは小さな星を幾つも散りばめたかのような、薄青い花弁の花だった。曇り一つ無い硝子扉の向こう、庭の片隅に密やかに咲いている。
 その色が、束の間、レオアリスの意識を引き付けた。
(ミオスティリヤ――。珍しい、季節は過ぎたのに)
 忘れな草だ。夏から秋の初旬にかけて咲く。
 そういえば先日もちらりと目にした気がする。その時も、珍しいと、そう思ったのを思い出した。
 まるで枯れる事を忘れたかのような、柔らかい青。
 その密やかな慎ましい花が、王の庭に植えられている事に意外さを覚えた。
 窓の外に顔を向けていた王が、視線だけをレオアリスに投げる。
「異界」
「異界?」
 呟くように告げられた聞き慣れない言葉に、レオアリスは王の横顔を見つめた。その上にある表情は読み取り難い。
「西方の海は知っていよう。久しく凪いでいたが」
「――」
 西海バルバドス。西の辺境に位置する、海皇の領海だ。
 『大戦』と一言で言えば、それはこの古の海との長きにわたる戦乱を意味する。
 西の辺境で起きた長期の戦乱は国力を疲弊させ、人心を荒廃させた。戦火は街や村、畑や野山を焼き、甚大な被害をもたらした。
 大戦は、両国の間に不可侵条約が締結されて終焉し、以来三百年の間、両国間は平穏を保っている。
 今では西の辺境もその傷痕を感じさせないほどに回復したが、大戦の記憶は書物や口伝えに語り継がれ、忘れ去られる事はない。
「まさか――、昨日の者は西海の生物だと」
 レオアリスの頭に浮かんだのも先日のイリヤと同じく、西海との不可侵条約の事だった。
 ただ、レオアリスも条約がどこまで制限しているのか、詳しくは知らない。条約は軍を以て境界を侵す事を禁じていたはずだが、互いに一歩でも踏み込めば、それも条約違反となるのか。
 変わらない王の表情には、どちらとも答えは無い。
「対応は、どのように。ゴドフリー侯爵に詳細な捜査を申し入れますか」
「その必要はない。ゴドフリーの近くでは、最早何も起こるまい」
 思いがけず、明確な言葉だった。
「――」
(王もやはり、狙いはゴドフリー侯爵ではないとお考えなのか……?)
 彼等の狙いは、イリヤ・キーファーだと――。それとも、それ以外の何かが、王には見えているのだろうか。
「そなたは暫く、推移を注視せよ」
 王の言葉はそれだけだった。
 レオアリスは静かに頭を下げ、立ち上がった。
 閉じていく扉の隙間から、窓辺に立ち庭園へ視線を向けたままの、王の姿が見えた。



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