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王の剣士4 「かりそめの宴」
【第一章 「変わる季節」】


「寒くなってきたね。冬柊の月もそろそろ終わりだからか、朝晩が冷えて」
「年を越す前に、雪が降るかもしれないなぁ」
 通りの店先で話し込んでいる男達の言葉が耳に届いて、イリヤは建物の壁際に寄りかかったまま、つられるように低い空を見上げた。確かに今日は肌寒さが一段と増している。
 あの土地ではほんの一月前までは、まだ青い花が咲いていたのに、王都ではもうその気配すら無かった。
(まあ――こんな都会じゃ咲かない花だ)
 咲けない、と言うべきかもしれない。
 目深に被った外套の被きの下から見上げれば、少し鈍い色をした空が広がっている。
(――雪)
 音にならず、ただ大気に微細な色彩が零れた。
 王都には、雪が降るのだ。
 王都の生まれでありながら、幼い頃からずっと西南の暖かい土地で育ったイリヤは、この十八年間雪を見た事が無い。
 これまでは特に見たいと意識した事も無かったのだが、最近になって――特にこの一月の間、雪とはどんなものだろうと時折考えるようになっていた。
 「北方」という言葉を、耳にする機会が増えたからだ。
 それはここ最近、王都を賑わせている話題のせいでもあった。北は今、一躍注目を集めている地方だ。
 先ほどの男達の会話でもその名が出るだろうと思っていたら、案の定、すぐにそれが聞こえてきた。
「王の剣士は北方出身だろう、この寒さはやっぱり何てことないのかね」
 イリヤは視線だけずらして、男達の横顔を眺めた。一人は店の主人のようだ。王都でも主要なこの大通りに大きな店を構えているのだから、手広く商売をしているのだろう。
 店の硝子窓の向こうに並んだ商品を見ると、高級品を扱う雑貨屋のようだった。
「北の辺境といったら年の半分は雪が降っている所らしいものなぁ。私はこの間、北のフォア出身の奴に辺境はどんな所なんだって聞いたら、フォアも雪は降るには降るが辺境とは比べ物にならないってさ。真冬は道も閉ざされるらしいぞ」
「へぇー、それじゃあ商隊も送れないじゃないか。惜しいな、辺境の物を仕入れたら今だったら飛ぶように売れるんだろうに」
「あの御前演習の翌日に商隊を出すくらいじゃなきゃ、この冬は間に合わないさ」
「デントの所がちょうど北に送ってて……ほら、足留めを食っただろう先月、アス・ウィアンの前で」
「ああ――正規軍が封鎖してた」
「それで手前で逗留している内に今回の話を聞いて、急遽商隊を北に引き返させたって話だ。王都で商売を始めて日が浅いが、相変わらず目が利くじゃないか。災い転じてって奴だよ。あそこは元々、彼を贔屓にしてたからな。何でも王都に来る前に知り合ったとか」
「それじゃそろそろ戻ってくる頃か。目ぼしいものを揃えてきたかな」
 男達が熱心に話しているのは商売の事についてだが、その中心にいるのが、先月の末に行われた軍の御前演習で新たに脚光を浴びた、一人の少年だ。
 と言ってもそれまで全く無名だった訳ではない。
 近衛師団第一大隊大将、レオアリス。
 三年前、僅か十四の時に王の御前試合を制した少年は十六にしてその地位に就いた。これまでも何度と無く、こうして王都の中や、それからイリヤの育った小さな街でさえも、人々の口に昇った名前だ。イリヤも一度ならず口にした事がある。
 そこまで人々の関心を呼んだのは、レオアリスが『剣士』だからだ。
 剣士とは、戦闘を得意とする種族、いわゆる戦闘種の一つで、中でも最も高い戦闘能力を誇る種族だ。身の裡に剣を宿し、剣士一人いれば百の兵を抑えると言われ、恐れられる。
 種としての数も少なく、稀な存在だ。
 これまで彼の名は、剣士である事と、その歳の若さ、そして貧しい辺境の出身である事から、特に子供達には強い憧れを以って呼ばれてきた。
 それが最近新たに別の色を帯びて語られるようになったのが、先の月の御前演習がきっかけだった。
 ――王の剣士、と――。
 王が自らレオアリスを「我が剣士」と呼んだ事から、その呼称は軍のみならず、こうして王都全体に瞬く間に広がった。
 そのレオアリスが、北方の辺境の出身なのだ。
 以来この男達のように、何かにつけて人々の話題の中に取り込まれ、様々な思いと共に語られている。
 例えば『剣士』という特異な存在として。
 そしてまた、その過去について。
 イリヤの注意深い視線の先で、男達はずっと話を続けている。
「しかし、大丈夫なのかね」
「またそれか。平気だろう、王が自らお認めになったって言うじゃないか」
「それはそうだが、反乱を起こしたんだろう」
「生まれる前の話だろう。それに王がお認めになったんだ。何とかってもう一人の剣士を倒して――」
 イリヤは視線を戻した。もう目新しい話題はない。
 その事なら、イリヤの方が詳しいほどだ。
 レオアリスの過去と先月あった紛争については、先日近衛師団から上がった報告書を手に入れて読んでいた。
(雪か……、降るといいな)
 鈍色の広がる低い空を眺め、再び独りごちる。
 ちょうどその時、まだ話を続けている商人達の、その店の扉が開き、一人の少女が胸に抱えた荷物と共に出てきた。
 一度辺りを見回し、壁ぎわに立つイリヤを認めると、ぱっと頬を輝かせて小走りに近付く。イリヤと同じ年頃の少女だ。
「イリヤ」
 遠慮がちな声に呼ばれて、イリヤは空に向けていた瞳を通りへと下ろした。すぐ傍まで来ていた少女を見つけて、頬に笑みを浮かべてみせる。
「ラナエ。久しぶりだね」
 少し大人しげな顔は、本当に久しぶりに見るものだ。瞳は明るい茶色で、頬にはまだ僅かにそばかすが残っている。
 前は背中まで流していた亜麻色の髪を、頭の後ろで丸くまとめているのが記憶の中と違う。
 幼馴染のこの少女、ラナエと最後に会ったのはイリヤが故郷を出る前だったが、僅か二ヶ月ほどの間に随分と垢抜けたように見えた。
 王城のお仕着せの白い襟が、ラナエの外套の襟元から覗いている。イリヤはさり気なく辺りに視線を巡らせたが、ラナエの服装に気付いた者はいないようだった。
「こっち」
 素早く手を取って、イリヤは通りの脇道に入った。大通りの人目から逸れた所で止まり、彼の頭を覆っていた被きを肩に落とす。
「イリヤ――」
 ラナエは唇を震わせ、感極まったように現れたイリヤの顔を見つめた。瞬きも忘れたその瞳に、イリヤはにこりと微笑んだ。
「どう? 元気だった?」
 ラナエに注がれる二つの瞳は、初めて見た者でも一度で覚えてしまうような、印象的な色だ。左の瞳の色は緑柱石のような緑、右の瞳は、淡い金。
 短めの髪は色素の抜けたような、白。光の加減によっては、ごく淡い銀にも見える。
 何も被らずに通りに立っていたら、行きかう人々の視線を全部集めてしまいそうな姿だ。それをイリヤも判っていたし、その状態でラナエが王城付きの女官だと気付かれたらあまり都合が良くないから、イリヤは彼女をこの路地裏まで連れて入ったのだ。
 ラナエはイリヤの顔を見つめながら、そこに想いを込めるように、細い両手の指先を絞るように組んだ。
「元気よ。イリヤこそ――。王都に来たって聞いて……、すごく会いたかった」
 あと少しばかりのきっかけがあれば、ラナエは街にいた頃のようにイリヤに抱き付いていただろう。ただイリヤはそのきっかけを待つ事をせず、代わりに彼女の両手を包み込むように握った。互いの体温が温かく行き交う――そこで何かを押し留めるような、他人行儀の触れ合いだ。
 少し低い位置にある瞳を覗き込む。
「僕もだ。本当はすぐにでも会いに行きたかったけど、君のいる所は僕なんかじゃ簡単には入れないだろう。あまり宿下がりもできないって言うし――。今日は大丈夫だったの?」
 ラナエは手に伝わる温もりに悲しそうに眉を寄せたが、すぐ微笑を浮かべて顔をそっと振った。静かに繋いでいた手をほどく。
「宿下がりではないのだけど……王城に上がったばかりだから、あとひと月はしないと中々自由にお休みをいただけないの。今日はこの辺りにお使いがあって、それで連絡をしたのよ。――ごめんね、本当は家に戻れたら一番良かったのに」
「いいよ、僕は日がな一日勉強してるだけで時間は融通が利くしね。まぁ大変だよ、付け焼刃で礼儀作法やら政治やら、いきなり大量に詰め込まれてさ」
「ごめんなさい……父さまが」
 彼にそれを押し付けている自分の父を思って、ラナエは顔を伏せた。大した事無いよ、と笑って答えて、イリヤは俯けたラナエの丸く結った髪の辺りに、良く見なければ気付かないほどの微細な光を宿した瞳を落とした。
「どう、――殿下はどんな方? お元気なんだろう」
「ええ、お元気よ、とても」
 ぱっと上げたラナエの面には、暖かな愛情に近いものが浮かんでいる。
 ラナエが第二王子ファルシオン付きの女官となって王城に上がったのは、先月の初めの事だ。
 下位の貴族や裕福な商人達の間では、そうして娘を王城に上げるのは習慣でもある。
 ラナエの父は、西方エルフラントの街を所領するキーファー子爵であり、その為、王城に上がってすぐ、王子付きの女官として配属されていた。
「とてもお優しくて、お可愛らしい方なの。まだ四つなのに、すごくしっかりしていらして。お体がご丈夫ではないと伺っていたからどうなのかしらと思っていたけど、そんな事感じさせないくらい、いつも走り回っていらっしゃるわ。あなたに」
「ラナエ」
 はっと口元を押さえ、ラナエは微笑んでいるイリヤに気まずそうな瞳を向けた。ごめんなさい、とその瞳が言っている。
 イリヤはそれを見ないふりをして、口元を綻ばせた。
「君はすっかり、王城の人間らしい言葉遣いになったね。見た目も洗練されていて何か驚いたよ。それに、ファルシオン殿下の事、まるで弟みたいに思ってるようだ」
「イリヤ、あたしは」
 イリヤは柔らかい面のまま、ラナエの言葉を断ち切った。
「彼は良く来るの? 手紙ではそう言ってたよね」
 舌の上に乗っていた言葉をゆっくりと飲み込み、ラナエはイリヤの瞳から逃れるように瞳を逸らし、頷いた。
「ええ……時折、ファルシオン様がお呼びになるわ」
「そう。彼は最近ファルシオン殿下のお気に入りらしいものね」
「――イリヤ」
 ラナエは彼の名を呼んだが、イリヤには届いてもいないように感じられた。左右の二つの瞳が、奥底に光を宿している。
 そこに今映しているのは、目の前のラナエではない。
「もしかしたら、殿下の護衛役って事なのかな」
「ねぇ、イリヤ」
「王の剣士か――。それだけ、王の信頼が厚いんだ」
「イリヤ、ねぇ」
「ラナエ」
 それは先程よりももっと有無を言わさない口調で、ラナエは数度唇を震わせてから、結局それを閉ざした。
「父上にもお伝えしておくよ、――君が元気そうだったって事」
 これでもう、束の間の再会は終わりなのだ、とイリヤは微笑んでいる。
 ラナエは色の失せた頬に陰を落とし、そっと唇を噛んだ。
「……ええ。父さまはお元気?」
「娘の君がいなくて、寂しい思いをされているのじゃないかな。今日会ったと聞いたら喜ぶよ」
「……ええ」
 二ヶ月会っていない肉親の話にも、ラナエの頬に差した陰はますます濃くなったように見える。その前で、イリヤの笑みは変わらない。
 何の憂慮も無さそうな、優しく穏やかな微笑みだ。
「もちろん僕も、会えて嬉しかった。君は王都に来てすごく綺麗になったよ。――そう言えば、今じゃ僕達は兄妹なんだよね。何か変な感じだ」
 イリヤは可笑しそうに笑ったが、その笑みは硝子の作り物のようだと、ラナエは思った。
 多分それを壊しても、硝子は砕けて散るだけで、元には戻らない。
 それ程に、どうしようもなく離されてしまったのだと。
「今度はゆっくり、王城の事とか、殿下の事とか色々聞かせてよ。この前の書類はすごく役に立った」
「――」
「じゃあまた、ラナエ」
「また――、イリヤ、兄さん」
 イリヤはにこりと微笑み返し、再び被きを目深に被ると、ラナエの肩を優しく促すように押して通りを出た。
 二人は黙ったまま少し離れて、暫く葉を落とした街路樹が並ぶ通りを歩いていたが、イリヤは途中で脇道に逸れ、そしてラナエは王城に向かって一人広い通りを歩き続けた。



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