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王の剣士4 「かりそめの宴」
【第一章 「変わる季節」】


 国王直轄軍、近衛師団第一大隊大将。それがレオアリスの立場だ。
 僅か十六歳にしてその地位に任ぜられてから、一年が過ぎた。まだ十七歳と近衛師団の中でも最も若く、来年の若葉の季節に十八を迎える。
 短く切った漆黒の髪の、後ろ一筋だけを鳥の尾のように、背の半ばまで長く伸ばしている。
 瞳も髪の色と同じ漆黒。ただ髪のそれよりも深い、眩しい光を宿した漆黒だ。整った顔立ちだがそれより気さくな印象が勝っていて、道を尋ねたら迷わず目的地まで案内してくれそうだ。
 ただ今はまだ少し少年らしさを残した顔も、あと数年もすれば精悍さを増してくるのだろう。
 レオアリスの姿を一見すれば、鍛えられているものの細身の体格で、一つの武器も身に帯びてはいない。
 通常、近衛師団総将アヴァロン以外は王の御前で剣を帯びる事は禁じられているが、これから王の許へ赴く為とは別に、レオアリスは常に、戦場に於いても、その身に武具を纏う事は無かった。
 その必要が無いからだ。
 剣はある。――彼の身の裡に。
 おそらく誰も、その外見だけでは、彼がその身に恐るべき剣を宿しているとは思わないだろう。
 だが今や誰もが、レオアリスの持つ剣を知っている。
 種としての数が少ない剣士の中でも、レオアリスは特殊とさえ言える剣士だった。
 剣士の持つ剣は通常一振りだが、レオアリスの剣は二本。腕ではなく、十三対目の肋骨を剣に変化させる。
 これまでに、レオアリスと同じ特徴を、そして二振りの剣を持つ剣士はいない。
 その剣の秘める力と、今や誰もが真っ先に思い浮かべる称号。
 それは、少なからず彼の立ち位置を変えていた。



 カツン、と靴底が固い床を踏む音に、レオアリスは自分の緊張が高まっていくのが判る。
 王の居室へ向かう廊下。限られた者しか入れないその場所は、特に足音を消し難い艶やかに研かれた大理石が敷かれ、落ちた針の音すら感じ取れそうなほど静まり返っている。
 視界を遮る物の無い真っすぐな廊下に、近衛師団兵が十間ほどの間隔を置いて、まるで彫像のように立ち、その前を通り過ぎると彼等は視界を遮らない範囲で、大将であるレオアリスに礼を向ける。
 この場では王の居室の警護が第一義であり、例えそこを通るのが四大公であっても、跪いて視界や動きを遮ってしまうような礼はしないのが決まりだ。
 レオアリスも彼等に軽く眼で挨拶を返しながら、固い足音に耳を傾けた。
 カツンと靴音が響く度、緊張も踊る。
 最奥の一枚の扉の前で、レオアリスは足を止めた。彼をここまで先導して来た係官二人は、この扉の前でレオアリスに場所を譲る。
 この扉を潜るのは、レオアリス一人のみだ。
 いつも感じるが、階下の王城に比べ、王の居室の付近はとても簡素な造りだ。だが決して見劣りするものではなく、極力無駄な装飾を排した、身を引き締めるような重厚な造り。
 質実剛健、という表現が、ぴたりと当てはまる。
 主を体現するような、ふさわしい造りだ。
 おとないを告げ、中からの返答を待って、レオアリスは扉を開いた。
 重く厚い扉を開ければ、それまでの緊張はゆっくりと、冷えた澄み渡った大気が身体を包み込むような、身を引き締める、だが心地よい感覚に変わる。
 それはレオアリスが特に感じる感覚なのかもしれない。
 身の裡の剣が覚える、畏敬。
 扉の奥に一歩進み、レオアリスはその場に跪いた。
「――御前に。議場へ臨席されるお時間です」
 扉の正面に、広い黒檀の机が据えられている。三方の壁は全て書棚で埋められ、レオアリスの位置から右手側に、壁一面の硝子戸がある。その先には、先ほどファルシオンと出逢った庭園と同じように、青々とした小振りの庭が見える。
 何かの書類に視線を落としていた王は、黄金の瞳を一度、跪くレオアリスに投げた。
「暫し待て」
 低い、威厳に満ちた声は心地良い。
 ファルシオンが一生懸命に父王の威厳を真似しようとしていた様子を思い出し、レオアリスは口元に笑みを浮かべた。
 一度、了承の意味で顔を伏せてから、身を起し、視線を窓の外に転じる。
 ここは王の私的な書斎だ。静けさの保たれた部屋には、外部の音は一切入ってこない。
 窓の外には穏やかに陽が照り、次第に寒さが厳しくなる季節の、束の間の安息のような一日を伺わせる。
 室内に流れる、王が筆を動かす音。
 書類を捲る時の、紙が立てる微かな乾いた音。
 窓の外の庭園を何の気なしに眺めていたレオアリスは、その片隅にふと瞳を止めた。
 青い――
(ああ、珍しい……)
「ファルシオンが勝手を言って困らせておるようだな」
 レオアリスは瞳を王の上へ戻した。
 問いかけた王の声には、微かな苦笑が含まれている。それはこの威厳に満ちた王であっても一人の親なのだと感じさせる、特別な瞬間だ。
 「勝手を」というのは遊び相手の話ではなく、剣を見せろと命じられている事を差すのだろう。
「――いえ。お言葉に添う事は致しかねますが……おそらく、物珍しくお思いなのでしょう」
「物珍しいか」
 レオアリスの生真面目な返答に、王の声に笑みが交じる。
「確かに、そなたは稀な剣士だ。その剣を見たいと思うのも当然」
 愉しげとさえ言える言葉に、レオアリスは困ったような顔をした。
「ですが」
「良い。そなたの判断は正しい。不必要な場所で剣を抜くのは、いらぬ争乱の元だ。――それがそなたにとっての不利な材料となる事もあろう」
 例えば――レオアリスが王子の前で剣を抜いた時、誰かがそれを王子に害をなそうとしたと言えば、それが偽りであっても「信じる」者は出てくるだろう。
 レオアリスの立場はまだ完全に安定してはいない。
 レオアリスの意志に拠らない過去は、また彼の意志とは関係なく、政治的な材料として利用される可能性は高い。
「――」
 それが判っているのかどうか、考え込んだレオアリスの表情に、王は微かに苦笑に近い色を浮かべた。
 この若い剣士にとって、政治や策略など未だ意識の外だ。だが、王城内は上辺の壮麗さほど、美しい場所ではない。
 今後レオアリスが王城に在り続ける為には、様々な考え方を学ぶ必要がある。
「陛下」
 レオアリスは暫く迷った後、顔を上げた。面と向かって尋ねていい事なのかは判らなかったが、尋ねるのは王がその話題に触れている今しかないと思ったのだ。
「私がファルシオン殿下の近くにいる事で、迷惑がかかりはしませんか」
「気になるか」
「それは……」
 自分自身はそれを受け止めた上で、王に仕えると決めている。
 レオアリスの過去に発生する猜疑は、レオアリス自身の手でこれから拭っていかなければならないものだ。
 だが現時点では、その自分が王子の近くにあって良いものか――それがレオアリス自身には、判断できなかった。
 レオアリスの言葉が途切れたのを見て、王は微かに瞳を細めた。
「そなたも知っている通り、あれには兄が一人いた。生きておれば、そなたと同じ年頃だ」
 王の面に一瞬だけ、悼む色が過り、すぐに消えた。
「――」
「あれも知っている。そして色々考えるのであろう」
 王はレオアリスの戸惑いを読み取ったように冷厳な面に笑みを刷いたが、特に言葉を継ごうとはしなかった。
 レオアリスは跪いたまま、視線を庭園へ投げた。
 先ほど庭園を駈けてきた、幼いファルシオンの面差し――そして目の前に座す王の威厳に満ちた姿。
 その間に、もう一つの面差しを想像できる気がする。
 第一王子は、名前すら持たない。
 生まれて間もなく、まだ名付けられないままに、短い生を終えた。
「――」
 『王はお前に、名をくださった』
 レオアリスの祖父、カイルが告げた言葉だ。
 十七年前――燃え盛る炎の中から、生まれたばかりの自分を救い上げた腕。
 与えられた、名前。
 その前、僅か一年にも満たない間に、名付けられる事無く消えた命。
「そなたを名付けたのは、名が必要と思えばこそだ。そなた自身の名だ。考え込む必要は無い」
 王の声は静かに、だが的確にレオアリスの心の内を見抜き、笑った。
「よくそなたの祖父達が認めたとは思うがな」
「――祖父達は、いつでもこの名で呼んでくれました」
 漆黒の瞳に浮かんだ色を見て、王はまた微かに笑みを浮かべた。
 彼の祖父達が呼んだその名を、誇る色だ。
 王はまた暫く筆を動かしていたが、やがてそれを机の上に置いた。それを見て、レオアリスも立ち上がる。
「今日の議題は、そなたにも興味深いものだろう」
「私に、ですか」
 何だろうかとは思ったが、王はそれに対して、直接的な答えを返しはしなかった。
 王の言葉は多くの場合、謎めいて、簡単には相手に答えを与えない。
「物事は一つの意味だけしか持っていない訳ではない。それを学べ」
 レオアリスの問いかける瞳に静かな視線を返し、王は暗紅色の長衣の裾を揺らして廊下を歩き出した。
 窓の外では風が静かに、庭園の草花を揺らして過ぎる。



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