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王の剣士4 「かりそめの宴」
【第三章 「癒えぬ思い」】


 合同とはいえ、内部の演習前の雰囲気というのは意外と落ち着いたものだ。中将達が一刻前に演習場に入るのは部隊での戦術確認の為で、まずは少将及び小隊長を集めて戦術の打ち合わせを行い、その後各部隊が参集している前でその日の戦術を説明する。
 演習の中では各部隊が持つ旗を奪えば、勝敗は決する。
 レオアリスは王都外周に広がる西の演習場へ飛竜を飛ばし、第一演習場の厩舎に降ろした。銀翼の飛竜に、隊士が駆け寄る。
「おはようございます! もう少し後にいらっしゃるご予定では?」
「隣行ってくる」
「隣――第二演習場ですか? 西軍がいますよ」
「そう、それ。ハヤテを頼むよ」
「合同演習には……」
「時間までに戻る」
 朝から正規軍に何の用だろうかと気にする隊士に手を振り、レオアリスはハヤテの長い首を叩いてから厩舎を出た。
 西第一演習場は王都外周の街道沿いにあり、すぐ向かいに王都を取り囲む高い城壁と王城の尖塔が見える。第二演習場はその第一演習場の奥に、第三演習場と並ぶように位置していた。
 大隊が揃って演習を行える規模を持つ第一演習場より半分の面積の為、今日正規第一大隊はワッツの中隊のみの訓練なのだろう。それもまた、話をするのには都合がいい。
 ただ、第一演習場は正規軍一大隊を――近衛師団一大隊千五百名の倍の数に当たる、三千名を収容できるのだ。
 それを計算に入れていなかったせいで、第二演習場に辿り着くだけで四半刻ほどの時間が掛かってしまった。
(しまった。ハヤテに乗ってくれば良かったな)
 戻る時間を考えると、ワッツと話せる時間は半刻も無い。レオアリスは足を早め、第二演習場の門を潜った。
 門を潜ると、左手に二階建ての長方形の建物がある。これが訓練中の兵舎となり、休憩所や一応炊き出しもできる。石組みの実用的な造りはどの演習場も同じだ。
 騒めく兵舎の扉を押し開けると、レオアリスの姿を見付けた正規兵はいきなりの近衛師団大将の訪問に驚いたような、戸惑ったような顔を見せた。
「王の――いえ、大将殿、どのようなご用件で?」
 畏まって上ずった声に、レオアリスは何か具合でも悪いのかと首を傾けた。
「いや……ワッツ中将はいるか? 少し時間を貰いたいんだが」
「はっ! し、少々お待ちください、只今お呼びしますので……こちらへ」
 兵士がさっと合図すると、三人の別の兵士がレオアリスの傍に寄りきびきびと敬礼する。
「応接室にご案内致します」
「応接室って、別に――」
 見ればいつの間にか、入口の周囲に十人ばかりの人だかりが出来ている。
 このままでもいいと言おうと思ったが、何となく居づらくなってレオアリスは兵士に前後を挟まれるように丁重に応接室へと案内された。
「こちらでお待ちください。お待たせして申し訳ありませんが、ワッツもすぐに参りますので……」
 堅い口調で述べられ扉が閉ざされると、長椅子が向かい合わせに二つ置かれた応接室にぽつんと一人、レオアリスは少し呆気に取られて立ち尽くした。
「いきなり堅苦しくなったな、正規……」
 前はワッツを尋ねても大抵敬礼は欠かさないものの、わざわざ別室に案内される事など無かった。皮張りの長椅子に座って待ったものかどうか考えている内に、木の板を張った廊下を踏む重量を感じさせる足音が近付き、軋んだ音を立てて扉が開いた。
 のしりと体格のいい男が身体を入れる。剃り上げた頭と岩のような顔に身長は六尺五寸を超え、筋肉に包まれた腕は丸太のように太い。いかにも百戦錬磨といった堂々たる大男だ。
 余談だが、いつだったかレオアリスが、将来ワッツやグランスレイみたいになりたいよな、と言ったらグランスレイにまで笑われた。
(くそ。だって剣士なんて言ったら皆そういうの想像するじゃねぇか)
 まあそれはたまに夢見るだけにしておいても、実際体格だけの話ではなく、見た目とは裏腹にワッツは中々の知恵者で、兵士達の信望も厚い。将という位が良く似合う。
 ワッツはレオアリスの近くに寄ると踵を鳴らし、右腕を厚い胸に当て敬礼した。
「お久しぶりです、近衛師団大将第一大隊大将殿。お待たせして申し訳ない」
 太い声でそう言うと、扉が閉ざされるのを待ってから、今度はにやりと笑う。
「おう、何でぼうっと突っ立ってんだ、座ってろよ」
 ばしん、と背中を叩かれ、思わず二、三歩前に出てしまった。
「いや、いつもと違って応接室なんかに通すからさ」
「たりめぇだ、王の剣士をそこいらにほっぽらかしとく訳にゃいかねぇだろうが。いくら俺ンとこの隊だってその辺の分別はあらぁな」
「――」
 レオアリスが顔を曇らせたのを見て、ワッツは太い眉を上げた。
「何だ」
「――王の剣士って、皆そればっかり言うけど」
 漸くレオアリスが長椅子に腰掛けると、ワッツも正面に腰を降ろした。重さで長椅子が窮屈そうに軋む。
「どう受け取っていいか判らねぇって面だな」
「いや、そうじゃない、ちゃんと判ってるつもりなんだ。けど俺の認識が合ってるのか……」
 ワッツはじっとレオアリスの顔を眺めてから、腕を組んで長椅子の背に寄りかかった。
「王の剣士は王の剣士だ。俺が知ってる限りじゃ、最高位の呼称だぜ」
 今そんな事を言われても、ある意味脅しに近い。レオアリスは引き攣った笑みを浮かべて固まり、それから溜息と共に頭を抱えた。
「何でそんなふうに呼ばれ出しちまったかなぁー」
 十七歳の少年らしい、おそらく心の底からの素直な言葉に、ワッツは声を立てて笑った。レオアリスの恨めしそうな瞳が迎え打つ。
「いや、笑うかそこで」
「――ま、呼ばれたもんは呼ばれたんだ、仕方ねぇ。有難く受け取っとけ。重要なのはそいつをどう生かすかって事だろう。どっちかっつうと誰も呼ばなくなったら仕舞いだぜ」
「――あんまり脅さないでくれよ……」
「いいじゃねぇか。お前にゃかっちりした補佐役がいるんだからよ、その辺の采配は任せて気楽に構えときゃ」
 クライフと似たような事を言う。それだけその方面でのロットバルトの言葉は的を得ているという事だ。
「ついさっき、自覚が足りないって言われたばっかりだ」
 それが原因かとワッツはにやりと破顔する。
「ま、その通りだな」
 レオアリスは複雑な顔をして頬杖をついていた身体を起こし、長椅子に座り直した。
 十七か、早いな、とワッツが思ったのは、出会った時はまだ十四歳そこそこだったのにそれから過ぎた歳月と、十七で既に王の剣士などと呼ばれる地位にある事、その両方にだ。
 こうして向かい合っている分には、まだ年齢相応の姿でしかない。身長こそ伸びたが、性格は昔のままだ。
「……けど、俺はお前にゃ合ってると思うぜ。いや――今はちっと早えかもしれねぇが、お前ならその呼び名に見合うようになれるさ」
「――」
 結局レオアリスは、その呼び名を心底嫌がっている訳ではない。彼自身にとって、それは誇りだ。
 彼一人だけの問題ならば。
(自覚が足りねぇ、か。意外と厳しいねえ)
 だがそれも仕方ない。ワッツは剃り上げた頭をつるりと撫でた。
「で、何だ、愚痴か?」
「違う違う、そんなんじゃなくて――」
 しまったという顔をして、レオアリスは手を振った。あと四半刻ほどでここを出なければ、近衛師団の演習の開始に間に合わない。
「聞きたい事があって来たんだ」
「俺に?」
 何があったかと訝るワッツの前で、レオアリスはそれまでと違う、近衛師団大将としての表情を浮かべた。
「ここだけの話だ。だからあんたに聞きたい」
「――」
 ワッツもいかつい顔の中の小さい眼を細める。
「最近、西に動きはあるか?」
「西?」
「西海」
 ぐ、と身を乗り出すと、ワッツの太い首は軍服の襟をはち切れさせそうだ。
「――バルバドスか。またえれえ名前が出てくるな」
 ワッツの声がすうっと低くなる。
 バルバドスとは、西海を指す地名だ。
 バルバドス、西海、古の海。幾つもの呼び名は、それだけ長い歴史をその土地と関わってきた表れでもある。
「何も聞いてねぇな」
 あっさり言って、逆にワッツの方が問い返した。
「何かあったのか? 先日シアンのとこに来た絡みか」
 シアンはワッツにレオアリスが尋ねて来た事を告げていたようだ。それに頷いた上で、レオアリスは首を振った。
「判らない」
「――」
 レオアリスの瞳がワッツの瞳の奥の、その光を捉える。
「判らない、が、王は示唆された」
「詳しく聞こう」
 ゴドフリー邸で起った出来事を掻い摘んで語る間、ワッツは身を乗り出して両膝に腕を置いたまま、厳しい顔でレオアリスを見つめていた。
 レオアリスが口を閉じてからも、今聞いた話を暫く吟味するように瞳を細めていたが、やがて身を起こし短く息を吐いた。
「――西はどうも一々騒がしくていけねぇ」
「どう思う?」
「どうってもなぁ――ゴドフリー侯爵からは特に調査依頼は入ってねぇし、最近の第七軍の報告じゃバルバドスの話は上がって来てねぇ。至って平穏なもんだ。……けど確かに、王は状況を見ろと仰ったんだな」
「そうだ。だからまだここだけの話にしたい」
 ワッツはまた暫く太い腕を組んで低く唸っていたが、それを解いて頷いた。
「判った。ウィンスター殿に聞いとこう」
「そうして貰えると有難い」
「ただ、出てくる情報は無さそうだがな。王が西海の可能性を口にされる段階になって、第七が沈黙してるって事はあり得ねぇ」
「情報がなければ、それはそれでいいんだ」
 ワッツは長椅子の背凭れに寄りかかり、固い筋肉に覆われた首を擦った。
「だけどそういうのは何だ、お前んとこの参謀官がとっくに調べてんじゃねぇのか」
「いや、あいつは今――」
 ふ、とレオアリスが口を噤む。ロットバルトはイリヤを調べている。
 だがどちらかと言えば、通常は西海を優先させるものではないだろうか。
「――」
(イリヤの方が重要なのか――? でもじゃあ何で、話を聞こうとするのを止める?)
 考え込んだレオアリスを見てワッツはまだ何か口を開きかけたが、壁際の時計を見てレオアリスに顎をしゃくってみせた。
「そろそろ時間じゃねえか? 師団は合同演習だろ」
「あ、ああ、そうだ……」
 もう少し突き詰めて考えた方がいいとは思ったものの、意識の先に引っ掛かったものは掴みきれずにするりと落ちた。
「有り難う。邪魔して申し訳ない」
「いや」
 ワッツはそう言って、長椅子を軋ませて立ち上がった。レオアリスの前に立って扉に歩み寄り、把手に手を掛けて、その手を止める。
「けど、嫌ぁな予感がするな。こりゃ勘だがよ」
 振り返ったワッツの顔には、いつにない深刻な色が浮かんでいる。事態が差し迫った場面でしか浮かべない色だ。
「大元じゃなりを潜めてる西海が王都で動いてる――静観しろったって、どの段階までか」
 何か事が起こってから動いたのでは間に合わないが、かといって何も判らないままに表立って動いては、西海との均衡を崩す。
 そしてそれよりも、ワッツには漠然とした懸念があった。レオアリスがこの件に関わる事そのものにだ。
「お前、今回関わったのは偶然かもしれねぇ。――だが、手ぇ引く時期を間違えんなよ」




「手を引く時期、か……」
 呟いたレオアリスの顔を、横に立っていたグランスレイが見つめた。ちょうど演習場の兵舎を出たところで、目の前には広い演習場の草地が広がっている。
「手を――? 何の事ですか?」
「いや、ワッツがそう言ったんだ。確かに成り行き上で俺達が関わったが、本来はうちの管轄じゃないもんな」
「その通りかもしれません。我々は最初に関わった分、気をとられ過ぎているとも言えます。まだアヴァロン閣下からも特段の指令はありません、もう少し離れて様子を見てもいいかと」
「うん……」
 演習はフレイザーの左軍に軍配が上がった。周囲では演習を終えた隊士達が次々と飛竜に乗り、それぞれ午後の訓練の為に次の演習場へと移っていく。
 右軍がこのまま午後もここを使う事になっている。レオアリスとグランスレイは一度士官棟へ戻り、また午後に三軍の訓練を個別に見て回る事になる。
「気にかかるのは私も同じです。どれも正体がはっきりしない状況ですから」
「そうだな」
「当面はワッツからの情報を待つ事でしょう。取り敢えず今は、ロットバルトが午後戻った時に改めて対応を検討しましょう。何かを掴んでいるようでしたから、もう少し詳しい話を聞いた方がいい」
 レオアリスはグランスレイの顔を見上げた。
「お前もそう思うか?」
 グランスレイが薄い緑の瞳に微細な光を刷く。
「――俺もだ」
 レオアリスが頷いた時、いきなり彼ら二人の足元が翳った。翳ったのは二人の丁度真下、いや、真上だけだ。
「? ――飛竜か?」
 足元に落ちた影を見て、それから頭上を振り仰いだ途端、高く上った太陽の光の中から人影が降った。
「うおっ」
 さっと避けた、丁度レオアリスが立っていた場所に人影が勢い良く着地し、腕を伸ばしてまだ驚いたままのレオアリスに飛び付く。
「レオアリス〜! 何で最近遊んでくんないんだよー!!」
「アスタロト!?」
 上空を紺碧の空よりも青い飛竜が滑るように旋回している。アスタロトはぎゅうぎゅうとレオアリスの首に回した腕の力を強めた。
「いっつも忙しいとか何とか言ってさぁ!」
「実際忙しいんだ……大体お前なぁ、降りる前に一声掛けろ! 潰す気か!」
 取り敢えず、いつまでも抱きつかれたままではちょっと困るので、レオアリスは何とかアスタロトの腕を引き離した。
 正面に来た顔を見て、確かに久しぶりだな、と思う。
「……第一お前、十七にもなってぽんぽん抱き付くのは」
「そんな事より、お前、いっつもいっつもファルシオンとばっか遊んでずるいっ」
 そんな事、で片付けられると何やら悲しいものがあるのだが、そんな事をアスタロトに言っても仕方が無いと、レオアリスはいつものように溜息をついてそれを流した。
「遊んでって、そう見えるかもしれないけどなぁ」
「遊びだろっ」
「――まあそうだけど。でも、」
「ずるいずるいずるい! 私とも遊んでよーっ!」
 アスタロトはぶんぶんと首を振り、それに伴って黒く長い艶髪が背中を跳ねた。
 絶対、ファルシオンの方が大人に見える。
 絶世の美女、と世間一般には流布しているこのおそらく十年後くらいならそれにふさわしい落ち着きを持ってくれるのではないだろうかと周囲が密かに願って止まない少女は、これでもアスタロト公爵家当主だ。ついでに正規軍総将でもある。
 大丈夫かな、正規……と正直頻繁に思わないでもないが、「炎帝公」と呼ばれる全てを凌駕する炎を操り、いざとなれば周囲を驚かすほどの行動力を持っていた。
 そしてレオアリスにとっては、一番気の置けない友人だ。と言うより。
 レオアリスは腕を組み、しみじみ呟いた。
「俺達って、同年代の友人他にいないもんなぁ」
「失礼な、達って言うな、達って。私にはアーシアが居るもん。お前より一人多いもん」
 かなり空しいアスタロトの反論を聞き流しながら、レオアリスは腕組みをしたままふう、と息を吐いた。
 置かれている状況が状況だから仕方ないと言えばそれまでだが、アスタロトの気持ちは良く判る。
「判った。明日か、明後日――」
「今日」
「ええ?」
「だって演習終わったんだろ? この後暇だろ」
「暇じゃねぇよ、午後にだって個別の訓練があるんだ。大体この後って、お前だってこれから正規の演習見て回るんじゃないのか?」
「速攻行って、速攻帰ってくるから! 半刻、じゃなくて四半刻で戻る!」
「いや、仕事しろ」
「まあまあ、上将、よろしいのでは」
 グランスレイは二人のやり取りにようやく割り込むと、普段は厳しい眉根を和らげ、暖かなものの混じった苦笑を浮かべた。
「公のご要望を無碍になさらずとも」
「ご要望って、こいつのはホントに単なる遊び……」
「だからファルシオンと遊んでばっかでずるいって」
 もどかしくなったアスタロトは、レオアリスの一筋だけ伸ばした髪の毛をぐいっと引っ張った。
「いて! ああもう、判ったって。けど、今日の今日じゃ昼飯くらいだぜ」
「ええーっ?」
 アスタロトは深紅の瞳を不満そうに見開いたが、渋々と溜息をついた。
「……仕方ないなぁ、いいよ、それで」
 仕方ない、とは自分が言う事ではないだろうか、とレオアリスが独りごちる。その横でアスタロトは肩を竦めて一歩離れると上空を見上げた。
「アーシア!」
 呼び声に答えてゆるやかに旋回していた青い飛竜が、ふわりとその場に降り立つ。同じ碧玉の瞳がレオアリスに向かって明るく瞬き、レオアリスも答えるように手を振った。
 アスタロトはすたすたと歩み寄り、低く伏せたアーシアの背中に乗った。
「じゃあ、ここの前辺りにいてよ、西外門の辻あたり」
「ああ」
「ハヤテ連れてね」
「判った」
 ハヤテと聞いてちょっと瞳を輝かせたレオアリスの姿にアスタロトは嬉しそうに笑い、アーシアの首を叩く。
 アーシアの青い翼が風を煽り、一息で上空に駆け上がる。ぐるんと青空に弧を描き、アーシアは第二演習場の方へとあっという間に飛び去った。
 アスタロトが去ると、一瞬鮮烈なまでに賑やかだった分、演習場はやけに静かに思えた。
「悪いな、グランスレイ。午後ちょっと遅れる」
「いえ、あまり急いで切り上げずとも、ゆっくりして来てください」
 アスタロトの言葉ではないが、確かにレオアリスが職務を離れるのは久しぶりだ。それに今の状況の中では、少しばかり仕事を忘れるのもいい。
 グランスレイの思惑を読み取ったのか、レオアリスもさっぱりした笑顔を見せた。
「なら久しぶりに、思いっきり剣を振り回そうかな」
 王都の中やこうした演習場では、レオアリスが思いきりその剣を振るのは難しい。だが頼んでみてアスタロトが結界を張ってくれるなら、どこか空いている演習場で久々に遠慮無しに剣を抜きたかった。
「――それも宜しいでしょう」
 グランスレイは僅かな気がかりの色を瞳に浮かべ、深く頷いた。
 レオアリスがこの王都で、剣を抜きたいという思いを抑えているのはグランスレイも常々に感じている事だ。剣を思うままに振るいたいと考えるのは剣士ならば当然の事、そして王都ではそれは容易な事ではない。
「では、私は先に士官棟に戻ります。午後はお任せください」
「いや、ちゃんと戻るって」
 グランスレイは笑って頷き、厩舎へと足を向けた。
「さてと、俺も行っとくか」
 アスタロトは四半刻などと言ったが、本当にそれ位で、下手をしたらそれより早く戻ってきそうだ。ハヤテを、と言っていたからには、少し飛ぶつもりかもしれない。
 今日は晴れているし、ハヤテと遠出するのも悪くないな、とそれを考えた瞬間には、たった今まですぐ戻ると言っていた事など早くも忘れて、レオアリスは足取り軽く厩舎へと歩き出した。




 そのぴったり半刻後、アスタロトはレオアリスとの待ち合わせ場所に降り立ち、きれいな頬をぷくりと膨らませていた。
「何だよ、あいつ来てないじゃないかっ。やっぱり止めたとか言うつもりじゃないだろうな」
「まさか。レオアリスさんは約束したらちゃんと守りますよ。師団でまだ用があるんじゃないですか?」
 青い髪をした少年――アーシアはアスタロトを宥めるように微笑んで、街道の辻を見回した。
 王都へ向かう街道と、王都をぐるりと取り囲むように巡る街道が交わるこの辻は行きかう人々や商隊の荷馬車で賑やかだが、レオアリスもハヤテを伴っているはずだから来ていたらすぐに判る。
「もう、失礼なヤツだなぁ」
「まあまあアスタロト様。ちょっと待ってましょう、すぐにいらっしゃいますよ」
「今すぐ来なかったら、絶対奢らせてやる」
 ぷう、と更に頬を膨らませ、アスタロトはすぐ傍の樫の木に寄りかかった。



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