五
土に鉄を入れると、思った以上に硬い手応えが返った。
イリヤは一度手を止めて、骨に響いた鉄の鍬を見る。
街道を敷いた際の余りの石が埋まっているらしく、土より石を掘る手応えが多い。ほんの少し、掌二つ分も掘れればそれで用は足りる。それだけなのに意外と労力がいるものだ。
足元には白い小さな壺が置かれていた。その中に入っているのは
「骨。もしくは花」
誰も聞く者の無いままにイリヤはそう呟いて、余りの馬鹿馬鹿しさに笑った。
イリヤが今埋めようとしているのは、あの男、ビュルゲルと名乗った西海の使者が残した四つの使隷だった。
珠になったそれらを壺に収めて蓋をしたものの、それだけでは心許ない。それに手元に置いておくのも躊躇われ、考えた末に埋めてしまおうと思い立ち、朝に一人館を出た。
これを利用するつもりは、イリヤには全く無かった。こんなものを使っても、まるでいい事はない。問題が擦り替わってしまうだけだ。
西海などに邪魔をされたくはなかった。
遥々王都まで来たのは何の為か。差し伸べられた手を取らずに。
自分の目的は――。
だからあれからずっと、その目的に近付く方法を考えていた。
何とか壺を埋めて土をならし、ただ剥がしてしまった下草ばかりは戻しようもなく茶色い土が覗いていたが、陽が高く昇る頃にはその作業も終わった。
息は上がっているが、長い間屋外にいたせいで身体はすっかり冷えきっている。
「――なんにも無かったな」
こんな簡単に埋められるとは思っていなかった。昨夜のようにまた水が吹き出すのではないかと、それを恐れて壺に触るのも遠慮がちだったのだ。肺の底から溜まった息を吐き出し、イリヤは疲労と安堵に傍の木に凭れかかった。
西外門の辻からほど近いこの場所は、街道に面した方に赤茶けた煉瓦塀の建物があり、周りにも疎らながら木が生えていて、王都をすぐそこに見ながら意外と人目には付かない場所だ。
建物が目印になるという考えを、イリヤは自分では余り意識していなかったが。壺は煉瓦の壁と楠の樹の間に埋めた。
埋め終わったのだし寒いし、早く館に帰りたいと思いながらも、疲労が強くイリヤは樹の幹に寄りかかったまま地面の上に座った。
息を吐くと大気に白く跡を残して散った。あっという間に消えたそれを、イリヤの二つの瞳が虚しく追う。手を伸ばしても掴めない、その形。
(――どうすれば、近付ける……?)
煉瓦塀の建物の屋根の上からは、遠く王城の尖塔が覗いている。歩いたとしてもたった二刻で辿り着く場所。故郷に居て、そして何も知らなかった頃とは雲泥の差だ。
あそこに――いる。
その事が鼓動を早める。
こんな近くに。それがイリヤの鼓動を早める。
だが今のイリヤでは、あの中に入るのも難しい。
養父キーファー子爵も希望してすぐに面会できる訳ではなく、また面会を申請する尤もらしい理由もない。
だから、近付くにはキーファー子爵を通してよりももっと、具体的な確実なやり方でなくてはいけないのだ。
イリヤの頭の中にあるのは、まだぼんやりとした像だった。
けれど、一番手っ取り早いやり方だと、そう思っていた。おそらく、他の何よりも、イリヤを父に近付け、イリヤの目的を達成させてくれるだろう。
だから――、ラナエにはイリヤの目的は言えなかった。
イリヤを養子に迎えたキーファー子爵も、イリヤがそんな事を考えているとは思ってもみないに違いない。そんな事を考えるなど、狂気の沙汰でしかないから。
だがその狂気は、母親の死と過去の開示をきっかけに、イリヤの中に確実に芽生えていた。
あそこに――あの窓のどこか。
「いるんだな……」
答えはない。
一度として、イリヤの呼び掛けに応えた事などない。
ぶる、と震えが走る。
だがそれはこの寒さのせいだ。汗をかいた後ずっと屋外の寒気に晒され、身体が冷えきり悪寒がしてきている。
(そろそろ帰らなきゃ――)
少し離れたところに細い用水路がある。しゃがみ込み、冷たい水に手を浸して土埃を洗い流すと、イリヤは少しぼうっとする頭を振って立ち上がった。
(風邪をひくかもな)
考えてみれば昨夜から一睡もしていない。帰って、暖かい寝具にくるまって眠りたかった。
ふいにばさり、と大きな翼が大気を打ち、イリヤははっと上空を振り仰いだ。
「飛竜……」
上空に、漆黒の鱗を纏った飛竜が次々飛来している。それらはすぐ近くにある軍の演習場に降り立っているようだ。何か訓練があるのだろう。
「近衛師団だ――どの……」
飛竜の鱗の色ですぐにそれと判る。あれが、第一大隊ならば――、レオアリスが来るのではないだろうか。
待つ程もなく、イリヤは自分の予感が正しかった事を知った。
銀翼の飛竜が王都から真っ直ぐに、樹々の向こうの青空を滑る。瞬く間に通り過ぎたが、その背にある人影には見覚えがあった。
飛竜は旋回し、演習場に降りていく。
イリヤは太陽を見上げ、もう一度その場に座り直した。
そのひとを思い出すといつも、朧気な影のように感じる。
たった数ヶ月前まで生きていたのに、もうずっと昔のひとのようだ。
いや。ずっと、ずっと前に消えたはずの女だ。
彼女は
(イリヤは)
死んだ、はずなのだから。
『ミオスティリヤ――』
ああ、だから。
だから母は自分をその名で呼んだのだ。
せめてもの手向けに。
『今度の近衛師団第一大隊大将は、十六歳だってさ』
『知ってるよ、皆知ってる。当然だよ、剣士だろ』
街で他の少年達が良く話題にしていた。
イリヤもまた、同じ年頃なのにと感心し、そして羨望も感じた。
でも仕方ない、彼は特別だ。剣士だから、自分とは違う。
そう、――特別だ。
『王の剣士』
何故
彼だけが
がくん、と身体が揺れて、イリヤははっと眼を開いた。
樹に凭れかかったまま眠ってしまっていたようだ。
冷えた身体が強ばり、氷になったように感じられる。
「やばい」
慌てて立ち上がり、イリヤは辺りを見回した。太陽はまだ空の真ん中辺りにある。
イリヤにはっきりした時間は判らなかったが、彼はほとんど二刻もの間、そこでじっとしていた事になる。
演習が終わったのか、再び空が賑やかになり、漆黒の飛竜が飛び交い始めていた。
その影を追いながら、やがてイリヤはうっすらと笑った。
「俺は、運がいい――」
銀翼の飛竜が飛ぶ。付き従う騎影は見えず、たった一騎だ。
そしてそれは王都の中へ戻る事なく、すぐそこ、煉瓦塀の建物の向こうに降りた。
イリヤの頭の中で、漠然としていた像が急速に形を結ぶ。
問題はレオアリスの降りた場所が人通りの多い街道辻だという事だが、それで通行人の記憶に残っても、反ってイリヤの目的にはちょうどいい位だ。
こんな機会は滅多に無い。西海がまた下手な手出しをしてくる前に、そしてキーファー子爵達が現実を受け入れる前に、イリヤは行動に移す事に決めた。
足元には水が流れている。先ほど手を浸したから判る。指先に触れただけでも痛いような、冷たい水だった。
イリヤはその水を両手に掬い、何度も、頭から被った。
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