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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第三章 「潮流」

十五

 交易組合の幹部の一人、オスロは湾の入り口を塞ぐように停泊しているマリ王国海軍の船団を振り返り振り返り、交易組合の会館への坂道を上がっていた。
 額に滲んでいるのは冷や汗だ。それを時折乱暴に拭い、急な傾斜の石畳の通りを上がりながら、口の中でぶつぶつと一つの事を繰り返した。
「約束が違う――どういうつもりで」
 あの男、西海のヴェパールがオスロにした約束は、ただ交易組合でのカリカオテ達の立場を弱めて、オスロが新たに交易組合の長になると、そういうものだったはずだ。
 マリの海軍が出てくる話など無かった。
「どういう――」
「オスロ!」
「!」
 急に声をかけられてびくりと顔を上げる。ファルカンとザインが坂道を半ば駆け下りてくる。気付けばオスロは会館の前を行き過ぎようとしているところだった。
「どうした、会館に行くんじゃないのか」
「い……いや」
 二人は張り詰めた厳しい顔をしていて、それがオスロを睨むように思え、オスロは息を潜めた。計画を知っていた事がばれたら、ただでは済まない。
 ザインが自分を斬るかもしれないと思い、それよりもファルカン達船団は、オスロを袋叩きにして海に放り込んでも飽き足りないだろう。
 汗が後から後から吹き出してくるが、身体は冷えきって芯から寒かった。
「大丈夫か」
 傍に来たファルカンは青ざめているオスロを励ますように肩を叩き、海を睨んだ。
「俺達もあれを見て、慌てて下りて来たんだ。すっかり停泊したな」
 組合の会館は港から少し坂を上がった港全体を見下ろす位置にあり、沖に停泊しているマリ王国海軍の船団が良く見えた。
 まだ状況がはっきりした訳ではないものの、九隻もの軍船が横一例に並んだ姿は、明らかな意思を突き付けて来ている。
 威嚇の意思だ。
 そして離れたこの場所からでも、マリ王国海軍の誇る火球砲の砲門が、まるでそこだけ浮かび上がるように存在を誇示して見えた。
 道には住民達が出てきて、不安気な顔を海に向けている。次第に海を眺める人の数は増えてきた。
 もう半刻も経たない内に、レガージュの全てが軍船の到来を知り、不安と疑問が満ちてくる。
 これから何が起こるのか――漠然とながらも、最悪の事態を想定しないではいられないかもしれない。
「――」
 最悪の事態――街に砲撃が加えられ、戦いになる事だ。
 オスロには住民達や、ファルカンやザインよりも明確に、その事態を想定できた。
(ヴェパールは何を……)
 初めから、あの男は。
(まさか)
「大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」
 ファルカンが顔を覗き込み、視線を上げたオスロはその向こうのザインと目が合った。咄嗟に視線を逸らす。
「い、いや――平気だ」
「とにかく入ろう。カリカオテ達はもう待ってるだろう」
 ファルカンはオスロの様子を自分達と同じ不安からだろうと片付け、交易組合の門を潜った。
 カリカオテと他の二人の幹部は既に全員会議室に集まっていた。先日、ゼ・アマーリア号が沈んだ報せを受けた時と似た状況だが、ずっと重苦しい空気が漂っている。
 あの時からずっと、ゆっくり緩やかに、坂を転げ落ちていたのかもしれなかった。
 ザインとファルカンの顔を見ると、緊張に張り詰めていたその空気が僅かにほどけた。オスロは二人の後からそっと部屋に入り、自分の席に着いた。カリカオテが白く長い髭の賢者のような顔に深い皺を刻んで立ち上がる。
「今呼びに行こうとしていたところだ。二人とも、あれを見たか」
「ああ――困った事になった」
 楕円形の卓の、カリカオテが座っている背後が広い窓になっていて、港が見える。
 マリ王国海軍の船団も。
「困った事どころか、一番最悪の事態だ。火球砲がいつ飛んで来てもおかしくないぞ」
 ビルゼンの言葉が少し弛んだ空気を、再び重苦しく揺り戻す。
 決して大袈裟ではなく、紛れもなく、今彼等はその危機に瀕していた。ファルカンはカリカオテを見た。
「マリ海軍からは何か連絡は……通達とかは来ていないのか」
「いや、まだだ、何も――ああやって停まってから、動く気配が無い」
 走ってきたせいで少し汗ばんだ額を拭うように手を当て、ファルカンは低く呟いた。
「何故何も言って来ない……普通何かしら、向こうの目的を言ってくるもんじゃないか」
「――何を言いたいか判るはずだと、そういう事なんだろう」
 ザインがゆっくりとそう言った。室内の視線がザインに集中する。
「ゼ・アマーリアを沈めた責任を取るか、それとも街を焼かれるか」
 明瞭に告げられた言葉が、さっと室内を冷やした。オスロが首を縮め、うろたえた様子でカリカオテとファルカン、そしてザインを見比べる。
「か、考え過ぎじゃないか――そんな悪い方にばかり……」
 ファルカンとザインを上目遣いでちらりと見て、早口で続ける。
「そ――そもそも、本当にマリがそれを知っているのか、判らないじゃないか。よく考えてみれば、彼等にそんな時間はないんじゃ」
 何を甘い事を言っているのかというように、ザインがオスロに厳しい眼差しを向ける。ザインと目が合い、オスロは逃れるように視線を逸らした。
「なら何故マリの海軍がここにいる。ゼ・アマーリアの事以外で海軍が十隻も揃って、何の用事があるんだ?」
 あたかも自分が責められているように、オスロが落ち着かなく視線を彷徨さまよわせる。
「そ、それは――しかし、こんな事は、おかしい」
「落ち着け、オスロ。気持ちは判るが、とにかくマリの軍船がいるのはどうしようもない」
 エルンストが自らも宥めるように言ってオスロの背を叩く。
 違う、俺はこんな事は聞いていないんだ、と、何かの間違いに決まっていると――そう口走りそうになるのをオスロは辛うじて堪えた。
「この件は」
 ザインはぐるりと室内を見た。
「仕組まれた事だ、全て」
 その声はやけにはっきり響いた。
 オスロは音を立て息を呑んだがそれは彼だけの話ではなく、カリカオテもエルンストもビルゼンも、驚いた表情をザインに向けている。
 ファルカンが素早くザインの顔を見る。だがザインの視線はファルカンには向けられない。敢えてファルカンを無視していると、そう感じた。
「ザイン」
 ファルカンの呼び掛けはザインの言葉に遮られた。
「俺は今回の件は、西海が仕組んだものだと確信している」
 ぎょっとして、室内にいた者は皆、ザインの顔をまじまじと見つめた。
「西海――」
「ま、まさかザイン、何を言って」
 オスロは唇を震わせ、一度手のひらで血の気の失せた頬を撫でた。傍らでカリカオテやエルンストが、呆気に取られたような、恐ろしいものを見るような目をザインに向ける。
「そ――んな馬鹿な事が、あるか」
「西海が、何の為に」
「理由は知らない。だが捕えて吐かせれば判る」
「ザイン!」
 ファルカンは堪らず制止の声を上げたが、ザインは構う気配もない。口を挟む事を許そうとしないザインをじっと見つめた後、ファルカンは口元を引き結び視線を落とした。
「考えてもみろ、余りにも我々に不利な状況が揃い過ぎている。オスロ、お前もさっき言ったはずだ。沈んだ報せを受けてマリ本国から海軍が来るには時間が足りない。どんなに急いでも半月は掛かる距離があるんだからな」
「――そ、そうだが」
「それが今、港に海軍の船団がいるって事は、あらかじめ彼等はこの近海にいたという事になる。そこに誰かが、ゼ・アマーリア号の沈没を知らせた」
「まさか、マリも始めからぐる・・だと」
「いいや、俺はそうは思わない。ゼ・アマーリアが沈んでいる以上、マリが加担しているとは考えにくい。だからこそ――」
 ザインは一旦言葉を切り、室内の顔触れを見回した。
「レガージュは関わりが無いと証明すれば、マリ海軍は引くだろう」
 力強く、確証すらあるような声だ。必ず困難を切り開けると、保証している。
「本当に、マリが引くのか」
 オスロが食い付くように顔を上げた。
「しかし証明と言っても、ザインどうやって」
 すっかり釣り込まれてカリカオテが尋ねる。
「簡単だ。この件を仕組んだのが西海だと証明すればいい。――本当に沈めた者を捕えて突き出せば、全て説明できる」
 今度は別の理由で、全員が黙り込んだ。
 西海の関わりを証明するという事は、裏を返せば西海との争いの火種を作るという事だ。
 落ち着かない不安感が室内に漂ったが、ザインは意に介さずカリカオテを見た。
「証明は俺がやろう。カリカオテ、いいな」
「し、しかしそう簡単では」
「今を逃せば後が無い」
 カリカオテはエルンストとビルゼンとオスロ、それからファルカンを見た。
 だが誰とも視線が合わない。顔を上げているのはザインだけだ。
 言葉に力があるのは。
 カリカオテは息を吸って、吐いた。
 ザインは自信に満ちている。この街の守護者であるザインがそう言うのなら――
「そ――それなら」
「――待て」
 ファルカンがゆっくり、だが有無を言わせない低い声を発した。先ほどからザインの言葉を遮ろうとし、その都度深く迷う様子を見せていたが、今は鋭い光を瞳に浮かべている。
「カリカオテ。冷静になって考えるべきだ」
「――」
 ザインがファルカンに視線を向ける。それがひどく冷めて感じられ、ファルカンは乾いた唇を湿らせた。
「ブレンダンが法術士を連れてくれば、あの船員が証言できるようになる。それが一番安全だ」
「悠長だな。明日の夜、ブレンダンが戻って――もしそれまでにあの男が死んだら、それでおしまいだぞ。他に証明するすべは無くなる」
 あっさりと否定したというだけではなく、ザインの言葉にはどこか苛立ちが籠もっている。
「……だから意味が無いという話にはならないだろう。ザイン、あんたはあの男の言葉に真実があると思ったからこそ、西海が関わっていると思ったんじゃないか」
「そのやり方じゃあ遅いと、そう言っている。目が覚めるのを待って、それから確認するのか? 大体いつ目を覚ます。保証はあるのか」
 カリカオテ達はザインとファルカンの言い合う姿を見ながら、次第にそこにある問題に気付き始めた。
 ザインは西海を――、この件に絡んだ相手を、捜し出したいのだ。
 そしてその事が何より、彼の意思を占めているように見えた。
 西海だからこそ。
 一方でファルカンの危惧している事も判る。
 捜し出し、西海が仕組んだ事だとそう証明して。
 結果マリは退く――。
 その次は?
 次に出てくるのは西海だ。
 ファルカンは拳を握り締め、真っ直ぐザインを睨んだ。
「ザイン。俺は今回ばかりはあんたを認められない」
 腹の底に力を込めるようにして、はっきりと告げる。そうしなければ怯んでしまいそうだったからだ。
 それだけザインという存在は、この街の住人にとって別格だった。
 ザインはファルカンに剣を教えてくれた、最も尊敬する男だ。
 この街の、フィオリ・アル・レガージュの守護者。
 ザインの言葉はこの街の指針でもある。
 だからこそ、街の事を最後まで考えて貰いたいと、そう強く願っている。
 何よりレガージュの守護者として、ザインはそうあるべき立場だ。
「そんな事をしたらどうなるか――あんたもそれは判っているはずだ」
 ただ過去の復讐心から、このレガージュの街を危険に曝していい訳が無い。
「あんたはレガージュの守護者だろう」
「――守護者か」
 そう呟いてザインは微かに笑った。
 その表情にはっきりと理由の無いまま、ファルカンは後悔と痛みを覚えた。
 ザインはファルカンの顔を見ずに口を開いた。
「なぁファルカン、お前は俺に判っているだろうと言うが、お前こそ判っているはずじゃないのか」
「俺が――、何をだ」
 口の中が渇く。
 今にも――、そう、今にもザインはファルカン達に――この街に決別の言葉を告げるのではないかと、ふいにそんな考えが閃いた。

俺がもう・・・・この街に飽きている事を・・・・・・・・・・・判っているだろう・・・・・・・・

 何を馬鹿な、と思う。
 この街はザインの――彼の主であり妻である、フィオリ・エルベの築いた街だ。そんな事を言うはずが無い。
 見捨てる訳が無い。
 そう思いながらもファルカンは無意識に息を詰めザインの言葉を待ち
「この件は、西海と対峙しない限り終わらない。根本を解決しなければ、マリ海軍だけを帰してもまた別の事が起こるだけだ。レガージュの危険は去らない――それでいいのか」
 予期していた言葉がザインの口から出なかった事に、密かに息を吐いた。
 カリカオテ達は固唾を飲んでザインとファルカンの言い合いの行方を見つめている。ファルカンがザインを睨む。
「西海に触れる事こそが、レガージュにとって最大の危機なんだ」
 そうだ、とカリカオテが呟き、ザインがちらりと彼の顔を見た。カリカオテが気まずそうに視線を逸らすのをどう思ったのか、口の端を歪める。
「――どうしてそこまで弱腰になる必要がある」
「どうして? 判るだろう! あんたは大戦を経験したんじゃないのか! 忘れた訳じゃないだろう?! 他の誰でもない、あんたが一番、それを疎むべきじゃ」
「その通りだ。俺はあの大戦を忘れた事などない」
 ざわり、とザインの周囲を取り巻く空気が変わった。
「一日たりとも――、あの日を」
「――」
「証拠を見付ければ、奴を海の底から引っ張り出す事ができる」
 その瞳にある、息を潜めるほどの怒りの色にあてられながら
「これほどの――、絶好の機会に、ただ見ていろと言うのか」
 だが、ザインは笑っているのだと判った。
 長い、永い間待った、彼の主の仇が、今再び目の前に現われようとしている事を、喜んでいる。
 昨日、一瞬垣間見せた感情と同じ、戦慄さえ覚える、――歓喜・・だ。
 長年憧れと共に傍にあって、初めて、剣士を、恐ろしいと思った。
「ザイン――」
「俺が奴を――、ヴェパールを斬れば、それでこの件は全てかたが付くぞ」
 本当にひどく簡単な、それだけの話だと言わんばかりの口調に、ファルカンは思わず頷きそうになった。
 だが違う。それこそ取り返しのつかない事になる。
 今すぐ取り押さえるべきだと思った。
 ザインをどこか、一室に閉じ込めてでも、この件から遠ざけなくてはいけない。
 だがこんな状況でザインを拘束などしたら、街が余計混乱するのは目に見えている。
 何より、ザインに対してそんな真似をしたくはなかった。
「ザイン、良く考えてくれ。再締結の儀式が近いんだ。もしそれが崩れてみろ、戦争になる――」
 細く息を吐く。「――大戦の、二の舞だ」
 ザインが浮かべた表情は、冷徹とさえ言えるものだ。
「それが」
 その言葉を言わせてはいけない。
 咄嗟にファルカンはザインの襟元を掴み、拳を叩きつけた。
 拳はザインの頬を捉え、ザインは一歩、後ろに足を退いた。
 カリカオテ達が驚きに声を失って、ファルカンとザインを見比べている。
 自分がザインを殴った事にファルカン自身が戸惑い、大きく息を吐く。ファルカンの激高など知らぬように、目の前のザインは平然と頭を振った。
「――頼むよ、ザイン」
 まるで十五、六の子供が自分ではどうしようもない事を頼み込むように、ファルカンは突っ立ったままそう言った。
「あんたはフィオリ・アル・レガージュの守護者じゃないか」
 ザインは束の間黙ってファルカンを眺め、ふっと口の端を笑みの形に吊り上げた。
「――どうした、レガージュ船団長。お前は俺と同じように、この街を守る立場なんじゃないのか。三十年前に逆戻りしたか――小僧」
「――」
「いざという時の選択はいつでも選ぶ余地が少ないものだ。この場合は俺をこのまま行かせるか、それとも俺を牢に放り込んで黙らせるか。どちらかを選べばいい。簡単な事だろう」
 カリカオテやエルンスト達は、まだ掛ける言葉もなく、二人を見つめたままだ。
「最もお前にその決断力があればの話だが」
「――」
「大した決断もできないお前に、この街は救えない」
 ファルカンは黙ったまま拳を握り締めていたが、やがてふうっと息を吐いた。
 息を吐いてから間を置いて、口を開く。
「――ザイン。あんたを一時拘束する。この問題が終わるまでだ」
「――」
「カリカオテ。あんたの選択は何だ」
 ファルカンとザイン、エルンスト達もカリカオテへ視線を向けている。カリカオテはこの場を収める別の方法を探して迷っていたが、すぐに苦しい溜息を吐いた。
「――ファルカンの意見を支持する」
「エルンスト」
「……ファルカンだ。西海との衝突は、有り得ない」
「ビルゼン」
「同じく」
「オスロ」
「――マ、マリ海軍は、どう」
「ブレンダンを待つ。法術士が駄目でも、話し合って判ってもらうしかない」
「――」
 オスロはちらりとザインを見て、さっと視線を逸らし頷いた。
「――ファルカンの意見に、さ、賛成だ」
 ここにいる六人が揃って採決された事は、レガージュの街の決定事項と言える。
 しんと静まり返った室内で、何人かが居心地悪そうに身動ぎをする。
 ファルカンはザインと正面から向かい合った。
「――ザイン、レガージュの総意だ。れてくれ」
 その時点でも、ファルカンは――ファルカン達は実際にザインを拘束するつもりまでは無く、ただ意見を取り下げて欲しいとその思いが強かった。
 だがザインは五人を見渡し、肩を竦めただけだ。
「好きにしろ。俺はどこに入ればいい?」
「――」
 ファルカンは溜息を落とさないように奥歯を噛み締め、扉に寄ると外にいた二名の船団員を呼んだ。
「ザインを、三階の部屋に入れて、出入りを禁ずる」
 どんな話し合いがなされたか知らない船団員達は驚いてファルカンを見た。ファルカンは言葉をぼかしているが、事実上の軟禁だ。
「団長」
「しかしマリの軍船が」
 ここでザインを軟禁するなど、自殺行為に近いとそう思っただろう。
 だがザインは二人の不安を拭うように笑った。
「気にするな。レガージュ船団長として正しい措置だ」



「入ってくれ、ザイン」
 部屋は来客を泊める為の上質なしつらえで、中に入って見回したザインは苦笑を浮かべた。
「軟禁にもならないくらい甘いな。お前はそれで良くレガージュ船団の団長が勤まるものだ」
「――あんたが考えを変えてくれたら、すぐにだって扉を開ける。もう一度良く考えてくれ、今ここであんたがいなくてどうするんだ」
「――ファルカン」
 ザインは優しささえ含んだ瞳をファルカンに向けた。そこにあるのは、惜別に近い。
「街を守るのは、レガージュ船団のお前の役目だ。交易組合は領事館と上手く調整して街を動かし、繁栄させる」
「――」
「もうそれで、この街はやっていけるんだよ。――三百年の間にそう成長した」
「……レガージュに守護者は、必要だ」
 頑として譲らない響きの声に、ザインは口元を薄く笑みに弛めた。
 口にしたのは別の事だ。
「――ユージュを頼む。勝手を言って悪いな」
 ザイン自らが扉を閉めた後も、ファルカンはじっと扉の一点を睨むように見つめたまま、しばらくの間廊下に立っていた。



 会議室に戻ったファルカンに、エルンストが真っ先に声をかけた。
「ご苦労だった。……悪かったな」
「――いいや、仕方ない」
 ビルゼンがカリカオテとファルカンを交互に見比べる。
「これからどうする」
 それにもファルカンが答える。
「……ザインに言った通りだ。ブレンダンの帰りを待って、あの男の意識が戻ったら、状況を聞いて、マリ海軍に説明を」
 長い。
 その間、マリが待ってくれる保証など全く無い。
 だからと言って、ザインの意見は容れられるものではない。
「とにかく、まずマリの責任者に話をしよう」
 マリ側の認識を確認し、それに対して何とか納得させられる説明をしなくてはいけない。まだ雲を掴むような話で、焦る気持ちばかりが強かった。
 何よりザインがここに居ないという、その事実が一番彼等に重い影を投げている。
「――私は、ファルカン、間違った決定をしたとは思わない。ザインが考えを改めてくれれば済む事なんだ」
 エルンストの言葉にファルカンも頷く。
「きっと、すぐ」
 廊下で慌ただしく駆けてくる足音が聞こえ、室内にさっと緊張が走った。
 扉が叩かれ、船団の男が顔を出す。張り詰めた声でファルカンに告げた。
「ファルカン団長、西方軍から、状況説明を求める使者が来ています」
 五人はお互い顔を見合わせた。その存在をすっかり念頭から外してしまっていたが、この街に駐屯する西方軍は無視できる相手ではない。
「西方軍――そうだな、彼等にも状況を説明しなくては」
 当然、西方軍はあの船団を見て何事かと訝しんでいるだろう。どう話せばいいのか、また頭の痛い問題だ。ビルゼンはカリカオテを見た。
「ホースエントから説明させるべきじゃないか。もう地政院には話をしているんだし、我々が話すより客観的に話せるだろう」
 エルンストが首を振る。
「いや、ホースエントが話すにしても、我々も同席すべきだ。西方軍がウィンスター大将まで話を上げると考えると、曖昧な話をされても困る」
「しかし、状況を話したら西方軍が出てくるんじゃ」
 オスロはうろたえた声を出した。そんな事をしたら、マリ海軍を刺激する。
 エルンストが首を振る。「今のまま何の説明もしないままの方が不味い」
「すぐにホースエントを呼んで――いや、俺とエルンストが行こう。駐屯所は領事館の並びだ、その方が話が早い」
 ファルカンが指示をしようとした時、再び扉が開いた。また別のレガージュ船団員が、今度は息を切らして部屋に走り込んだ。
「団長――、領事が、船を」
「船?」
「船を出して、マリの軍船に向かいました」
「――何だと?!」
 ファルカンは鋭い声を出した。
「何をしに――何故出した!」
「団長とカリカオテ殿の許可は得ていると、そう言って、強引に出たので」
「――」
「マリと話をつけて来ると言っていました」
 束の間呆気に取られていたが、すぐに苛立った声が上がる。
「何を考えているんだ、領事は」
「連れ戻すべきだ、今すぐ」
 ビルゼンが苛々と机を叩く。
「何を話しに行ったか知らないが、あいつに何ができる! 怒らせて帰ってくるのが落ちだ」
「――」
「カリカオテ!」
「し、しかし――ホースエントが自信を持っているのなら、もしかして王都で地政院から何らか指示があったのかもしれない」
 中央政府と話をしたのはホースエントだけだ。実際はホースエントは何一つ地政院に話を上げていなかったが、カリカオテはそれを信じていた。
「地政院は検討すると言っただけなのだろう。第一王都が知る訳が無い!」
 ビルゼンが声を荒げ、エルンストも急かすようにファルカンを見た。
「とにかく連れ戻そう。船を」
「いや……」
 ファルカンは言葉を濁らせた。
 今から引き戻しに船を出すのは不味い。初めの一隻だけならともかく、複数の船を出してはマリ海軍に警戒心を抱かせる。レガージュが攻撃を仕掛けるような疑念を持たれるのは避けたかった。
 それに慌てて引き戻したのが見えては、内部の混乱が知られてしまう。
「――ホースエントは取り敢えずとは言え事情を知っている。それに組合が出るよりも領事館が出た方が、マリに与える印象も違うだろう」
 そもそも、レガージュ船団が出て行く訳には行かないのが現実だ。交易船の足ではもうホースエントの船に追いつかない。
「ホースエントの交渉の結果を待ってみよう。まさか何の方策も無く行った訳じゃないだろう。少しはマリの疑いを薄められるかもしれない。その間にできる事をやるしかない」
「できる事?」
 ビルゼンの言葉は問い掛けというよりは、溜息のようだった。
 できる事がどれだけあるのか。
 いっそ、ザインの言うとおりにした方が、可能性が高いようにすら思えてくる。
「――できるはずだ。ブレンダンが法術士を連れて戻れば、必ずマリの船員は回復させられる」
「ブレンダンは確実に明日戻るのか?」
 ビルゼンは不安そうにカリカオテを見たが、カリカオテも返せるのは曖昧な返事だけだ。
「そう聞いている――」
「……なあ、いっそ――」
 その言葉は口に出されずに終わった。
 誰かが咎めたのではなく、三度みたび、扉が叩かれたからだ。
 入室した交易組合の事務官は、青い顔で、マリの男が息をしていないと告げた。
「――くそ! 次々と……!」
 ファルカンは唸るように言って、男達が寝かされている病室に走った。
 色々な事が一度に起きて、考えを纏める暇も無い。全てが悪意を持ってレガージュを追い詰めようとしているのではないかと、そんな子供じみた考えが湧いた。
 ふっと腹の底が冷える。
(悪意――あるんじゃないか)
 西海の。
(本当に正しいのか、俺の選択は……)
 階段を駆け下りる前に、ファルカンは階上をちらりと見上げた。
(――いや)
 病室の扉を勢い良く開ける。
 振り返ったレガージュの街医師がファルカンの顔を見て、疲れたように首を振った。
「――」
 ファルカンは歯軋りをするほど口を引き結び、硬く拳を握り締めた。





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