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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第一章「フィオリ・アル・レガージュ」


 王城の外門を出て周囲を巡る堀を渡ると、そこから王都アル・ディ・シウムの街並みがずっと、ゆるやかに坂を下りながら広がっているのが見渡せる。
 王城を取り囲む上層と呼ばれるこの地区は、裕福な商人や王府の高官達の館が並んでいた。石畳の通りは馬車の為の道幅も広く取られ、両側には歩道も設けられている。
 大通りには多くの店が軒を連ね、所々に噴水や緑の植え込みが整えられた広場があり、一日を通して人通りが絶える事がない。
 レオアリスは大通りを歩き、時折私服にも関わらず彼の姿に気付いた人々の視線が追いかける中、一軒の店へ向かった。
 行き先は『アル・レイズ』という上層の洒落た料理店だ。
 今日はファルシオンへの贈り物を選ぶのに付き合って貰うつもりで、アスタロトと正午にその店で待ち合わせをしていた。
 何を選ぶかまだ決まっていないし、一国の王子に対して全く目新しい贈り物は難しいとは思っているが、アスタロトなら面白いものを知っていそうだ。
 『アル・レイズ』はアスタロトお気に入りの店で、お礼に昼食を奢るつもりでいた。少し――だいぶ高く付くかもしれないが、その辺は計算済みだし、懐も問題ない。
(多分……)
 足りる――、と、思う。
 まあ近衛師団や正規軍の便利なところは、身元がはっきりしているから王都の店であれば額面の入った手形に署名するだけで、後からの支払いが利く事だ。
 そんな事を考える事自体、アスタロトが果てしなく食べると決めつけていて年頃の女の子に対して失礼な話だが。
 白い木枠の硝子張りの瀟洒な扉を押し開けると、カランと軽やかな鐘の音が鳴った。
 鐘の余韻の中、店の給仕が明るく、いらっしゃいませ、と声を上げ、レオアリスを認めるとすぐ心得てお辞儀した。
「これは、大将殿。ご来店ありがとうございます。もう既にお待ちでございます」
 待ち合わせだと言った訳でも前もって席を押さえていた訳でもなく、この店には二回ほど、やはりアスタロトと来ただけだが、良く覚えていて対応するものだと感心した。こうした対応もこの店の人気のある理由なのだろう。
 まあアスタロトが色々な意味で目立ち過ぎるというのもあると思うが。
「もう来てるって――、まだ正午前だよな」
 先ほど通りから見た時計塔は、確かに正午前だったと思う。給仕が聞き取って頷く。
「はい、一刻ほど前においでです。早く来過ぎたとは仰っていましたが、お待ち合わせは正午でごさいましたか」
「え、一刻?」
 レオアリスは驚いて給仕を見た。アスタロトはどちらかと言えば、そんなに早く来る方ではない。大抵時間ギリギリか、ちょっと遅れるか――
「――腹でも減ってたのかな」
 時間を間違えたのか、と、こういう場合まず考えるべきなのだろうが、「もう飯は済んでるかもしれないな」と暢気に思った。
 店内は既に何組もの客が席を埋めていた。奥に王都の街並みを望める広い窓があり、給仕が案内したのはその窓際の一番奥の卓だ。
 アスタロトは窓を向いて座っていて、驚いたのは予想に反して、丸い黒檀こくたんの瀟洒な卓の上にはまるっきり料理の皿もなく、飲み物一つが置かれているだけだったからだ。
 まだレオアリスが着いた事に気付かずに、頬杖をついてじっと窓の外を見つめている。
(……アーシアもいないのか。珍しいな)
 早く来過ぎたとは言ったものの、アーシアがいなかったせいで時間を少し間違えたのかもしれない。
「アスタロト」
 卓の前に行って声を掛けるとアスタロトはさっと顔を上げ、何故かあたふたと辺りを見回してから手を振った。
「お、おはよう」
「? おはようっていうか、ちょうど昼だけど。どうかしたか?」
「な、何が?」
 口籠もったアスタロトに、レオアリスは怪訝そうな瞳を向けた。
「いや、落ち着かないみたいだから」
「べ、別に、いつもと変わんないよ」
「――そうか?」
 口調も何だかいつもと違う。レオアリスは椅子に腰掛け、じっとアスタロトを見つめた。
 アスタロトはその視線を受け、瞳を逸らしそうになる自分をぐっとこらえた。
 この瞳は真っ直ぐに相手に向けられる。いつも。
 頬に血が昇っていくのが判った。
 すぐにばれてしまったらしく、レオアリスが眉をひそめる。
「熱でもあるんじゃないか?」
「そ、そう? 窓際であったかいからじゃない?」
「……ならいいけど」
 レオアリスはそう言うと、給仕から手渡された品書きをめくった。
「早く着いたんだろ、先に食べてりゃ良かったのに」
「早いってほどじゃ」
 朝から何となくじっとしていられなくて、気が付いたら待ち合わせの時間より早く着いてしまったのだ。ほんの少し。
「ファルシオンの誕生祝い、何がいいかなって考えてたら、ちょっと早く来過ぎちゃったかも」
「悪いな、休みに」
「そんな事、全然」
「忙しいんじゃないか? 最近師団にも余り来てないもんな」
「そ、そお? 行ってなかったっけ」
 そう言ったが、それはアスタロト自身判っている事だ。
 何となく、前みたいに何の用もなく、師団を訪れる事ができなくなってしまった。
 理由を無理やり作って――、三回、いや、五回に一回くらい。
 でも実は、今までは本当に、何の用もなく、ただレオアリスに会う為に行っていたのだと改めて気付いた。
 大した用もないのにしょっちゅう顔を出して、グランスレイ達もヘンだと思っていたんじゃないか――
 それを考え始めると、気恥ずかしさや不安が頭の中をぐるぐる回り出し、どうしていいか判らなくなってしまう。
 だから今日、レオアリスから自分を誘ってくれた事にほっとした。
「注文は?」
「あ、えっと」
 アスタロトは品書きを受け取り、しばらくにらめっこをしてから、たった一皿だけ注文した。それも野菜主体の軽い料理だ。
 レオアリスは瞳を丸くした。
「それだけ? 遠慮すんなよ、今日は引っ張り出した礼のつもりなんだからさ」
「うん、でも今日はいいや」
 余り食べる気がしていない。
「そんなにお腹空いてなくて」
「本当に体調悪いんじゃないだろうな」
 レオアリスの瞳がじっと向けられる。
「そんな事ないって。言っとくけど、私だっていつも食べてばっかりじゃないんだからな」
 アスタロトは少し頬を膨らませて唇を尖らせた。
 ただ本気で怒った訳ではなく、逆に心配してくれていると思うと、何だか嬉しさが込み上げる。
「まあ、途中で腹が減ったら言えよ」
「……うん」
 椅子の背もたれに寄り掛かり、レオアリスは窓の外に視線を向けた。
 その姿をそっと見つめる。
 それだけで何となく、胸の奥がふわりと温かくなった。
『近衛師団総将と正規軍将軍の婚姻は、有り得ないわね』
 ルシファーにそう言われてから、もう十日近く考え込んできたけれど、こうしていると、そんな事もどうでも良くなってくる。
 大体、そんな話が出ている訳でもないのだし、アスタロト自身これまでそんな事は思ってもいなかった。結局、どれも仮定の話なのだ。
(レオアリスは、そのうち師団総将になるけど、絶対)
 一緒にこうやって時間を過ごす「今」の方が、ずっと重要だ。
(やっぱり、このままでいいな……)
 そう、このままがいい。
(レオアリスは――)
 どう思っているのだろう。
 こうしている事を。
 例えば、自分の事を。
(友達、だよ、当然。一番の)
 お互いに一番の友達――親友というヤツだ。
 でも、一緒にいてこんな気持ちになったりするだろうか。
 ふとレオアリスが視線を戻し、アスタロトはさっと背筋を伸ばした。
「えっと、――何か考えたの? あげるもの」
「考えるは考えたんだけど、どれもあんまりパッとしなくってさ……まあ元々そんなに大したものはできないんだけど、難しいな」
 レオアリスは片手で頬杖をついて苦笑を浮かべた。
「それに大抵の物はもう持っておいでかもしれないし、重なっても」
「そうだね。ずばり、何が欲しいか聞いちゃうとか。――でもどうせなら驚いて欲しいもんね。何かさぁ、欲しがってたりしないの?」
「剣を持ちたがっておいでだが、ああいう物を俺が勝手に差し上げる訳にもいかないし。そうすると思い付くのが本くらいでさ」
「いいじゃん、本」
「けど、今だって結構色々読んでおいでだぜ。もう絵本とかじゃないもんな」
「へぇー、四歳で絵本読まないの? どんな本?」
「そうだな……一昨日おととい見たのは、この国の各地方とか主要都市の文化と流通のヤツだった」
「……何、そのこ難しそうなヤツ……」
 アスタロトははっきり、つまらなさそう、という顔をした。
 まだ四歳、もうすぐ五歳になるとは言え、その年齢の読む本では無いのではとつい思ってしまう。
「王子って大変だねぇ。私はヤダ」
「求められるものが大きいよな。でも内容は判り易くて面白かったぜ。それにエアリディアル王女が殿下の為に考えて贈られた本だからな、やっぱり有益なんだろう、国を知る為に。殿下はまだほとんど居城の外にお出になった事がないし」
 レオアリスの口からエアリディアルの名前が出た事に、アスタロトはすぐに気が付いた。
 初めて、だ。
「エアリディアル王女が?」
「ああ、最近は大体本を贈られるらしい。王女も、王妃も、陛下も。だから俺が今更本を贈っても、多分被るだろうな」
 話としてはエアリディアル個人がどうと言う訳では無いようだ。何となくほっとしつつ、それでもつい、聞いてしまった。
「王女に会った事とか、あるの?」
 無いという答えが来ると、半分見越して聞いたはずが、レオアリスは決まり悪そうに視線を流した。
「あー、いやまぁ、会った内には入らないっつーか」
「え」
 アスタロトは少し不安な気持ちになって聞き返したのだが、レオアリスはまた別の反応だった。
「深く聞かないでくれ、失敗したんだ」
「失敗?」
 実はどんどん墓穴を掘っていて、聞くなと言われても聞きたくなる。しかもアスタロトは、どんな状況だったのか確かめたかった。
 自分は気付いていなかったけれど、安心、したかったから。
「失敗って?」
「だから聞くなって」
「お前の言い方が聞きたくなるの! そこまで振っといて言わないんじゃ気になるじゃん」
 何故だか真剣な視線に会って、レオアリスは観念したのか、溜息と共に白状した。
「いや、だから……一昨日殿下とお会いした時、その本を読んでてつい寝ちまってさ。その時にちょうど、殿下を訪ねておいでになって」
「――失敗って?」
「突っ込むな……」
 再び息を吐き、頬杖をつく。
「起きてお迎えしなかったんだよ」
「――えっ、マジ?! 寝てたの?」
「寝てたっていうか……」
 一応起きてはいたが、大して変わらない。
「……すごい、私がちょっと呆れた……」
「だから聞くなって言ったんだ」
 心底落ち込んで項垂うなだれた様子のレオアリスを見て、さすがにアスタロトも慰めに回った。
「まあ突然だし、ファルシオンがくっついて熟睡してたんだから仕方ないよ。エアリディアル王女って、そんなこと気にするヒトじゃないし。前もって来るって言われてたとしても、怒んないんじゃない?」
 アスタロトはエアリディアルと何度も会っているが、いつでもとても優しく穏やかだ。二つ下とは思えないくらい。
 正直に言えば、憧れだってあった。
(きれいだし、可愛いし、ふわふわしてるし……)
 ああなりたい、と、会うたびに思う。柔らかくて、儚げで守ってあげたくなるような。
 誰だって同じように思うだろう。
 きっと――
(そっか、直接会わなかったんだ)
 そう考えてから、はっきりと何かが言葉になった訳ではなかったけれど、何となく、自己嫌悪になった。
(やだな、今の、何か――)
「アスタロト?」
「え、あ……、えと、じゃ本は無し?」
「だな。それで何かいい案が無いかと思ってさ。玩具おもちゃとか、殿下の身の回りに置くものは難しいし……」
 そういうものはやはり、王や王妃が考えて選んだものがいいのだろう。
「うーん。いっそ単なる献上品選ぶ方が楽だねぇ。宝石とか馬とかさ。そしたらハイハイって貰って、あとは倉に入れときゃいいもん」
 アスタロトは普段の自分の行いをさらりと告白しつつ、卓に両肘をつき、硝子の杯を手で包んで持ち上げた。
「でも、ファルシオンはレオアリスから貰ったモノはしまい込まないだろうね」
 きっとファルシオンは、すごく喜ぶだろう。それを思うと、やはり丁寧に選びたい。
「思い付くものを色々挙げてくれれば……お前が欲しいものとかでもいいぜ」
「私? 私はやっぱ――」
 お菓子、と言おうとして止めた。女の子はそんなのじゃないはずだ。
「……かわいい小物とか装飾品とかかな」
「へぇ」
 自分で言って照れ臭くなって、アスタロトは掻き消すように両手を振った。
「いやでもファルシオンにはちょっと」
「うーん。じゃ、今まで貰った物で一番嬉しかったのは?」
「貰ったもので……? そうだなー、珍しい」
 お菓子。
「……」
 がっくり、と項垂れる。
(お菓子お菓子って、お菓子しかないのか、私っ!)
「珍しいもの?」
「そ、そう! とりあえず、幾つかお店見てみようよ。ここらは色んな店があるし、いいのがあるかも」


 食事を終え店を出て、二人は緩やかに傾斜している通りを下る事にした。
 少し曇の多いの天気ながら、最近は肌寒さも感じなくなり、外を歩くのに気持ちのいい日だ。
「とりあえず覗いてみて、いいのがあったら入ろうよ」
 アスタロトは立ち並ぶ店の窓硝子に近付き、硝子の向こうを覗いて指差した。
「ここは工芸品だね」
 陶器の置物や家具類、上層の家を飾りそうな品々が綺麗に並べられている。
「でもファルシオンの館には、これ以上のモノがごろごろしてそう」
 何と言っても王子の館だし、そもそも五歳の誕生日に置物を貰っても喜びそうにない。
「次」
 すたすたと歩いて店の前を離れる。
 隣は服飾店で、様々な布地が詰まれていた。
「服……はちょっと対象じゃないな」
「うーん、次」
 その隣は宝飾品店だ。若い恋人同士が一組、女の方ががっちり男の腕を掴み、店内に入っていく。
「あ、ここ有名なんだよね。女の子に人気あって」
 店内にも何組か、熱心に商品を覗き込んでいるのは主に女の方だ。
「そもそも違うんじゃねぇ?」
「よし、次!」
 アスタロトは中々の即断即決で、大通りをずんずん歩いていく。
 木彫りの工芸品、帽子専門店、靴屋。
「次つぎ〜」
 二区画くらいをそうやって歩き、何だか通り過ぎるのが目的のようになってきた時、アスタロトはぴたりと足を止めた。
「あ、おか」
 ぱく、と続く言葉を飲み込む。
「次次っ」
 早足で店の前を通り過ぎていくアスタロトを見て、レオアリスは意外そうに声を掛けた。
「いいぜ、見て行って」
 通りの左側には二軒ほど店が隣り合い、色とりどりの甘そうな菓子類が誘うように並べられている。
「いーのいーの、ここは危険地帯だから早く行こう」
「危険地帯?」
 見回せば確かに、ここは食品系の区画らしく、通りの左右には菓子類だけではなく、食材やできたての料理を並べた店が密集している。
「別に構わないけどな……」
 どうやらアスタロトは目的のものを見つける事に強い責任感を覚えているようだ。香ばしい匂いを立てる焼きたてのパンの前を断ち切るように歩いていく。
 が、色々後ろ髪を引かれているのが良く判る。
 レオアリスはアスタロトの後ろ姿を見て、ちょっと笑った。

 結局――
 革製品、硝子細工、鞄や文具――上層にある店ならではで質はいいものばかりでも、やはりこれといったものが見つからない。
 探し始めてもう一刻近く経っている。
「無いねーあと一歩なんだけど〜」
「そこの広場で少し休むか」
 通りの十字路が小さな広場になっていて、噴水がある。少し高く作られた噴水の周りの階段に、やはり足を休めている人達が何人もいた。
「先に座ってろよ、何か飲むもの買ってくる」
「うん」
 アスタロトは頷いて、広い階段を登り噴水の一番近くに腰掛けた。
 吹き出した水が水盤に張られた水面に弾かれ、細かな飛沫を舞わせていて、それが肌に触れるのが心地いい。
(楽しいな――)
 両手を後ろに付いて、アスタロトは空を見上げた。大通りに面した建物は三階建てに揃えられ、この時期のまだ低い陽射しはもう遮られているものの、薄い青い空と白い綿のような雲が通りの上に綺麗に広がっている。
(色々見て、歩くだけだけど)
 それだけでも楽しい。
 ずっと――、こんな日が続けばいいのにと、そう思った。
 戻ってきたレオアリスが、手にしていた真鍮の杯を手渡してくれる。入れ物は後で店に返すのだ。
「ほら、飲み物」
「ありがとう」
 レオアリスはアスタロトの傍らに腰を降ろし、息を吐いた。
「さすがにすぐには見つからねぇな。今から物は無理か……」
「そうだねー。物以外を考えてもいいかも。一緒にどこかに遊びに行くとか。……大事おおごとになっちゃうか、お付きがいっぱい付いてきてさ」
 そもそもファルシオンを外に連れ出すというのは、さすがにレオアリスの一存では難しい。
「まあ、もう少し考えるよ。まだ少し時間があるしな」
 と言ってもこのまま当日を迎えそうな気配が濃厚だ。
「悪いな、こんなに付き合わせて」
「全然。楽しいよ、こういうの」
 二人で通りを歩いて色々話をして――すごく、楽しい。
 正規軍とか近衛師団とか、「アスタロト」だとか、全然関係がなくて、まるで普通の街の友達同士のように。
 もっと、夕方まで続けたっていいくらいだ。
「でも歩き詰めじゃ疲れるだろ」
 まだいいよ、と言おうと思ったが、何となく言いにくかったので、アスタロトは頷いた。
「じゃあ最後に、あの店に入ってみない?」
 アスタロトは広場の角にある、白い日除け屋根が張り出した小さな店を指差した。
 この通りの店としては他と比べて半分程の規模だが、ちょっと目立つ店だった。店の雰囲気が違う。
 通りの店は石造りのかっちりした印象で、窓も扉も硝子をきっちりめ込んでいるが、この角の店は窓に硝子を嵌めず、代わりの鎧戸を大きく開き、小さな玉を繋いで垂らした色鮮やかなすだれを日除け代わりに掛けていた。
「南方の雰囲気だよね、交易品中心かな」
 入口に近づくと、木の簾が風に揺れ、木琴のような綺麗な音を奏でているのが耳に届く。
「こんにちは」
 アスタロトは簾を掻き上げて店内を覗いた。
「いらっしゃいませ」と声を掛けて、二人の顔を見て店の主は驚いた顔をした。それから驚いた表情を改めて、愛想のいい笑みを向けた。
「何をお探しですか?」
 外観と同様、店の中の造りも商品も、異国風だ。
「贈り物を――」
 そう答えながら店内を見回し、ふと、レオアリスは店の硝子棚に目を止めた。
「奥を見てもいいですか」
「どうぞ、ぜひ」
 窓際の壁に作り付けられた硝子の飾り棚があり、その中にも沢山の商品が並んでいる。目を引いたのは真ん中の棚に飾られていた、銀色で丸い、手のひらに包めるほどの円盤状のものだった。
 円盤の端は丸みを帯び、中心部は小指ほどの厚さがある。細い鎖が付いているが、首飾りというには、円盤が大きい。
 施されている装飾は少し珍しいもので、青や黄色に染めた陶器の板が透かし彫りの金属の下に嵌め込まれて覗いていた。
「これは?」
「それはローデン王国から仕入れた時計です」
「時計? こんな小さいのが?」
 時計といえば、歯車や何やらを中に収めた箱形のものだ。基本的に室内に置くものばかりで、手のひらに乗るものは初めて見た。
「ローデンはこうした工芸品が盛んで、たまに仕入れるんですが、昨日入ったばかりの非常に珍しい品ですよ」
 店の主は硝子棚を開けて取り出し、レオアリスの手の上に乗せた。
「開いてみてください」
 銀の円盤の上部にある留め金を示して押す仕草をする。
 円盤は片面が蓋になっていて、留め金を押すと簡単に開いた。
「――ああ」
 懐中時計だ。
 中の盤面に、細いが丁寧に透かし彫りを施された金色の針が回っている。
「すごいね、綺麗な懐中時計」
 アスタロトも覗き込む。
「母様が持ってたな……でもローデンのじゃなかった」
 これだけ小さくなると職人の高い技工が必要で、余り数も出回らなくなってくる。
「ローデンって確か、ずっと南東の国でしょ。やっぱり時計があるんだね。違う国で遠いのに、同じ時間なんだ――」
 少し夢見るようにそう言ってから、アスタロトは照れ臭さそうな顔になった。
「あ、当然判ってるけどさ、当たり前だけど。変な事言っちゃった」
「いや――全然変じゃないよ」
「そ、そう?」
 レオアリスは笑って、また手の中の懐中時計を見つめた。
「違う国か」
 遠い異国で造られた時計が、同じ時を刻む。
 その、どこか不思議さを感じさせる温かさが気に入った。
 どの場所にも同じ時が流れていると知るのは、王城の外をまだ知らないファルシオンにとってもいい事だと思う。
 それに――
「……これにしよう」
 値札には中々いい値段が書かれていたが、法外な額という訳でもない。
「良かったね、いいのが見つかって」
「ああ、アスタロトのお陰だな。ありがとう」
「――そんな事ないよ」
 視線を逸らさないようにするのが、ちょっとした努力がいる。
 そっと息を吐き、店の主が懐中時計を木箱に収めて会計をしている間に、アスタロトはあちこちを見回した。
 本当に色々、異国の品がたくさん並んでいる。
 あそこにある綺麗な硝子の水差も、飾りの付いた小箱も、どこか違う空気を纏っている気がした。
「あ、可愛い、これ」
 アスタロトは通りに面した窓際の棚に顔を寄せた。真っ白な貝殻と真珠を組み合わせた髪飾りだ。硝子の飾り棚の中で、陽光を浴びて柔らかく光を帯びている。
 普段アスタロトが身に付けている宝飾品類とは比べ物にならないくらい安い品だが、アスタロトは瞳を輝かせて髪飾りを見つめた。
 その様子に気付いてレオアリスも近寄った。
「それは?」
「髪飾り。貝殻って珍しいよね」
「ああ、そうかもな」
 海岸など遥か遠い場所で、確かにこの辺では見ない。
「いいなぁ、海から来たんだね」
 どんなものなのか、アスタロトは海を見た事がない。
「貝殻って耳に当てると、波の音がするってホントかな」
 そっと手に取って耳に当ててみる。
 音こそ聞こえはしなかったが、黒い艶やかな髪に、白い貝殻の髪飾りは良く映えた。
「……気に入ったんなら買おうか」
「――え?」
「今日の礼に」
 アスタロトが言葉を探している内に、レオアリスは髪飾りを手に取り、店の主の所へ持って行った。
 すぐに戻ってきて、アスタロトを手招いて店を出る。後から出てきたアスタロトに小さな包みを渡した。
「ほら――安易で悪いけどな」
「あ……りがとう」
 アスタロトは両手の中の髪飾りを、そっと包み込んだ。
 胸の奥に熱っぽい固まりが、ゆっくり広がる。
「一生、大切にする」
「大げさだな、そりゃ嬉しいけど……まあそれだけじゃ悪いから、今度腹の減ってる時に飯でも奢るよ」
「ううん、これ、全然これで充分!」
 口調に力が籠もり過ぎた事に気が付いて、アスタロトはさっと頬を赤くした。
「あ、いや、ご飯も嬉しいけどっ」
 レオアリスは慌てているアスタロトを見て、可笑しそうに笑った。
「気に入ってくれたみたいだな、良かった。さてと、どうする? 帰るか、アスタロトが他に行きたいところがあれば行ってもいいし」
「えと――」
 行きたい、けど、何となく。
「……帰ろうか」
 ずっと心臓が急いで脈打っていて胸が苦しくて、あんまり一緒にいるとそれがばれてしまいそうだったから――、そう言った。




 灯りにかざすように持ち上げると、白い貝殻が細かな光を弾く。
 何の気もない、ただのお礼。
 そんな事は充分、判っている。
「アスタロト様、どうなすったんです、それ。嬉しそうですね」
 アーシアに声を掛けられ、光に魅入っていたアスタロトはびっくりして顔を上げた。
「? 可愛らしい髪飾りですね」
「うん、これ――今日貰ったんだ」
 誰に、とは口に出さなかったけれど、アスタロトの嬉しそうな顔を見てアーシアは微笑んだ。
「レオアリスさんにですか」
「そ、そうだよ。今日買い物に付き合ったお礼で」
 早口にちょっと言い訳めいた事を言う。アーシアはまた笑った。
 珍しい事もあるものだ、とも思ったが。 アスタロトが食べ物以外で贈り物を受け取るのも、レオアリスがアスタロトにこうした小物を贈るのも。
「良かったですね」
「――うん」
 アーシアの微笑む顔を見て気持ちが落ち着いてきて、アスタロトは漸くほっと息を吐いた。
 またそっと髪飾りを見つめる。
 遠い海からやってきた白い貝殻が、何かをもう一つ、運んで来てくれる気がした。





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