「アレウス国王陛下におかれては、先の条約再締結の折と変わらぬご健勝のお姿を拝謁し、幸甚に存じます」
四月は祝花の月と言われるほど大気が柔らかく温もりを帯び、様々な花が競うように咲き綻び始める。その暖かい四月の陽気が嘘のように冷え込んだ謁見の間に膝をつき、西海の使者はぬらりとした面に笑みを刻み込んで伏せた。
居並ぶ諸侯は息を潜め、審判を下すようにじっと使者に視線を注いでいる。
その中に西方公ルシファーの姿が無いのを見て取り、使者は伏せた口元で笑った。
ルシファーが去ってから四日、その事は正規軍の動きと共に、既に王都中に知れ渡っていた。
正規軍は王都のみならず、捜索三日目にはその範囲を国内全土に広げたが、ルシファーの行方は杳として掴めていないままだ。
使者はそれを良く知っていた。
「この周期――、今年は我らが海皇のおわす皇都イスが、アレウス国の沿岸に最も近付く年でございます」
ざわり、と初めて謁見の間が揺れる。アヴァロンやタウゼンの面にすら、緊張が走った。
条約再締結の舞台は、古の海バルバドスの皇都、イスだと、使者はそう示した。
ベールが使者に身体を向ける。
「失礼ながら、それは少し互いの条件に偏りが生じないか。貴国の皇都で、とは、今貴侯がおられるこの王都で行う事とさして意味は変わらない」
使者は大仰に身を伏せた。
「とんでもございません――、当然、条約再締結の儀に関わる条件はこれまでどおり」
「例えそれが皇都であっても、と申されるか」
「然様でございます。条約の再締結の場へは、双方五十名の兵のみに限り、儀式の前後半日は、皇都から全ての兵を一里外に退かせます。ただし、僭越ながら今回は条件を一つ加えさせていただかなければなりません。これは我が皇の意と思し召しお聞きください」
もったいぶった言い方に何事かと諸侯達が顔を見合わせる中、使者はぬるりとした面を上げ、微かな笑みを浮かべながら告げた。
「アレウス国王陛下、賢明なる陛下には容易くご理解いただけましょうが、今、貴方様のお手元にある剣は、著しく拮抗を崩すものとお考え頂きたい」
「――私の剣を、と?」
王はその金色の瞳に、可笑しそうな光を浮かべた。
初め諸侯は使者が何を言っているのか判らなかったが、状況が飲み込めるにつれ、ざわめきは静かに広間を満たした。
王の剣――
剣士の、レオアリスの帯同を認めない、と、使者はそう宣告しているのだ。
代理でこの場に出ていたグランスレイは、予想だにしていなかった要求に思わず息を飲み込んだ。
「その通りでございます。百の兵を抑えるとまで言われる剣士の存在が、条約再締結の条件でもある帯同衛士五十名という範疇を超えるのは、申し上げずともお判り頂けるはず」
「何という――」
勝手な物言いよ、と正規軍南方将軍ケストナーが呟き、似たような呟きがあちこちで漏れた。この場では一切、おくびにも出さないと諒解しているものの、先日のレガージュでの一件を西海が仕掛けた事は誰もが意識し、素知らぬ顔をしている西海に対し強い不満を抱いてもいた。
アヴァロンが王へと視線を向ける。スランザールもまた、抑えた表情の中に懸念を浮かべ、王を見た。
ここに立つ諸侯の大半が、レオアリスが今回王の護衛に付く事をほぼ当然と考えていた。今レオアリスが謹慎に服している身だとしてもだ。議論はするが、結果そうなるだろうと。レオアリスへ批判的な態度を示していた第三大隊のセルファンですら、驚きと強い不審を浮かべている。
ただ諸侯が戸惑い顔を見合わせる中、アスタロトは自分でも気付かないまま、安堵の息を零した。微かに落とされた吐息に気付いたのは、すぐ傍らにいたタウゼンだけだ。タウゼンはじっと、注意深い瞳でアスタロトの横顔を見つめた。
王は広間の混乱など気にしたふうも無く、肘置きについた腕に頭を軽く預けたまま、微かに笑った。
「弱気な事だな。海皇らしからぬ」
使者は耳元まである口を深く吊り上げた。
「それだけ、条約の再締結に対しては、我が国も真摯に向き合う所存にございます。何卒ご斟酌いただけますよう」
刺すような視線が使者に集中していたが、使者はそれすら楽しんでいるかのように泰然としてそう言い、そのままゆっくりと床に近い位置まで頭を下げると、恭しく告げた。
「この尽日――、バルバドスの皇都、イスで海皇がお待ち申し上げる。陛下を皇都へお迎えできる事を、私共はこの上ない喜びと感じております。再び皇都において、ご尊顔を拝し奉らん事を」
落ち着かない。
レオアリスは別に眠る訳でもなく、ただ横になっていた寝台の上で身体を起こした。
寝台から片足だけ落とし、広い硝子戸の向こうを眺める。
今日で謹慎も三日目になる。
今日、西海の使者が条約再締結の儀について海皇の意を受けて訪れると聞いたのは、謹慎に入った当日の事だ。今頃ちょうど、西海の使者が王城で王に謁見しているところか――。再締結の儀に関する詳細が、西海から伝えられているはずだ。
(――)
焦燥が胸の内にあるのがはっきりと感じられる。
西向きに建てられているこの館の窓からは、王城は背後の東に位置していて見る事はできなかった。
気付くと溜息を落としている。
謹慎中なのだから仕方がないが、全くできる事がないというのがこれほど苦痛だとは思わなかった。夕方になればグランスレイやロットバルトが一日の報告に来てくれるものの、それ以外は書物を読もうとしても意識は外に向いて落ち着かず、かといって家の中では他にする事が無い。
正規軍によるルシファーの捜索は連日進められている。だがレオアリスが無為に過ごした日そのものに、全く手掛かりが見つかっていなかった。
アスタロトがどうしているのかが気になる。
王城の謁見の間で、今、どんな会話が交わされているのか。
ルシファーがどう動くつもりなのか。
掴みどころの無い焦りがじりじりと意識を焦がす。
何よりも、自分が今一番在りたい場所に立つ事ができないのが辛かった。
「――問題ない。あと四日で謹慎も解けるんだ」
自分に言い聞かせるようにそう口に出し、レオアリスは薄く幾筋も白い雲を棚引かせる空を見つめた。
(2012.01.23了)
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