TOP Novels


王の剣士 六【紺碧の守護者】

終章 「変転」

終幕

 マリ海軍の船団が青い海原を沖合いへと進んでいく。たった四日前の戦闘の傷痕は修復を施されてほとんど見当たらず、白い帆を張った姿が遠目にも、その体内に収めた力を伝えてくる。
 ザインはそれを、レガージュの街を見下ろす崖の上からずっと見送っていた。
 輝く青い海原と抜けるような青い空、それらが溶け合う狭間を行く船。ちょうどマリ海軍の船団と行き違うように、今日入港を予定していた東国トゥーランの船が向かい風の中を櫓を降ろし、辛抱強くゆっくりと漕ぎ進んでくる。
 つい十日ほど前までのレガージュの姿と、その風景は何一つ変わらないように思える。崖下から吹き上げる海風も、今日はどことなく緩やかだ。
 ただそれは、あくまでも表向きの姿だと判っていた。
 マリ海軍提督メネゼスは、司令船に乗り込む最後にザインやファルカンを振り返り、歴戦を潜り抜けてきたその隻眼に鋭く刺す光を浮かべた。
『レガージュはこの先、これまでどおりとは行かないだろう。それも王都へ戻ったあの殿下と剣士次第なのかもしれないが――、西の海がこれで大人しく凪ぐかどうか、俺には疑わしい』
 メネゼスはザインの右腕に視線を落とし、それから街の斜面に連なる白い壁の家々と、それらの間に見え隠れする急な路地を見渡した。
 メネゼスが何を思い浮かべたのか、ザインにも想像できた。
 攻めるに難い地形――三百年前はこの地形が西海の侵攻を食い止め、だがそれ故に戦火は街に留まり続けた。いわば身食いの地形でもある。
『剣が早く戻るといいな』
 付け加えるようにそう言ったメネゼスの意図は、単純な慰めや期待ではなかっただろう。
 失った剣がこの先どう影響するか、ザインもそれを考えていた。
 メネゼスの懸念が懸念で終わらない可能性は、実はザインは既に強く感じていた。
 正規軍のレガージュ駐屯部隊隊長からザインに対してのみ、今の正規軍の動きが伝えられたのは昨日の事だ。
 それを聞いてもザインには驚きは無く、やはりとしか思わなかった。
 ただ西方公が王都から消えて三日、まだ西方公の動きも、正規軍の動きも、大きく動いたものは無い。
 いずれ国全体に伝われば幾つか騒ぎになる事も考えられるが、今はレガージュの街も平穏そのもの、逆に以前より活気が増して見える。
 ザインは左から吹く風に導かれるように、右手に広がる海へ顔を向けた。マリ海軍が進んでいく南海の海と変わらず、美しく輝く海面と、空。見ているだけなら西の海も南の海も、何も違いはない。
 だが目には見えない境界一つ、それで世界が変わる。
 左手で、右腕の肘を包み込む。そこにはもう痛みは無かった。
 ただ、戻るものなら早く戻って欲しいと、心底思う。
 街の右手に常に変わる事無く広がり続ける西海。
 ザインに手を差し出した時の、ルシファーの笑み。
 レオアリスは今、謹慎の身だと聞いた。
「――」
 背後でばたんと扉が閉じる音がする。ザインが振り返る前に明るい声が彼を呼んだ。
「父さん、お昼だよ!」
 短い下草を蹴る軽い足音とともにユージュが駆け寄る。振り返ってユージュの姿を視界に納め、やはりザインは一瞬だが驚きと戸惑いを感じた。この五日間、急に成長した娘の姿になかなか慣れない。
 ユージュは父の近くによると、その瞳を覗き込んだ。
「まだ驚いてるの? ボクもう鏡を見ても平気になったけど。髪を切ったら前とそんなに変わらない感じ」
 前と同じ長さまでばっさりと切った髪の先をつまみ、満足げに笑う。ずいぶん順応性が高いと、ザインも呆れ混じりに笑った。ユージュは前よりも近い位置にある父の手を握った。
「安心して。父さんに剣が戻るまで、ボクが街と父さんを護るよ。父さんみたいに強くなるから」
「そうだな」
「信じてないでしょ、ホントだよ」
「信じてるさ」
「ホントにホント。でも一番は、早く父さんの剣が戻るといいな」
「すぐに戻る――きっとな」
 護るものがある。
 ユージュを護る。
 フィオリの残した街を護る――
 剣はおそらく、すぐに戻るだろう。その予感がザインにはあった。
 ただ。
 間に合うかどうか・・・・・・・・、問題はそこだ。
 左手を引かれ、ユージュに視線を落とす。
 ユージュは父の顔を見上げ、その瞳の中にある姿を認め、嬉しそうに笑った。
 そこには自分と、街の姿が映っている。
「ほら、早く。僕もうお腹がペコペコだよ。早く行こ」
「――ああ」
 ザインの手を引きながら、ユージュはもう一度父の瞳の中の自分の姿を見つめた。
「お昼を食べたら、剣を教えてね」





前のページへ 次のページへ

TOP Novels



renewal:2012.1.14
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。
◆FakeStar◆