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王の剣士 六【紺碧の守護者】

終章 「変転」

十一

 十刻頃から陽射しが翳り始め、王城の南面に位置する王の執務室も、王の背に連なる広い窓から差し込む光は淡く翳ったものになっていた。
 どことなく磨り硝子のようなそれが、張り詰めた室内の空気をより硬質なものにしているように思える。王やスランザールの姿は窓を背に薄く影を帯び、表情は読み取り難かった。
 レオアリスは王の執務室の絨毯に跪き、報告を始めた時からずっと喉元まで上がっている言葉を抑え、執務机の奥の王とその傍らに立つスランザールが発言するのを待っていた。執務机の左右にはアヴァロンと、重要案件時には必ず同席する内政官房長官のベールが立っている。
 レオアリスの隣にはアスタロトとソーントンが同じように膝をつき、三人の後ろにはグランスレイと正規軍のタウゼンが控えていた。
 この国の中枢を支える四大侯爵家の一角、西方公の離反――。それだけを聞いたとしても、事態の大きさが判るだろう。そして今後広がるだろう波紋の大きさも。
 アスタロトの館での件を報告を上げ、レガージュでの件も改めてレオアリスの口から報告した。アスタロトからも報告し、最後にソーントンが事の経緯を告げた時は、三人の中で一番険しい口調になった。
 それでいて――、アヴァロンへ報告を上げた時もそうだったが、ルシファーの離反を聞いても王やスランザールが混乱する様子は全く見られなかった。青ざめ落ち着かない様子なのは報告を上げている側だけだ。
 スランザールが『乗るな』と言った時点で既に、これは彼等にとって予期されてた事態だったのかもしれないと、そんな考えすら浮かぶ。
(まさか、いくら何でも)
 突飛すぎる考えに、レオアリスはぐっと奥歯を噛み締めた。
 けれど先ほどから押さえつけている言葉が、喉のすぐそこでじりじりと焦げるようだ。
 そうだとしたら。
(……どこまでが、予期の範囲だったんだ――)
 スランザールの面は深刻な事態に眉を潜められていても、それ以上読み取れるものはない。
 ただ、よしんばそうだったとしても、あの謁見の後すぐに、こうして事態が動くとまでは思っていなかっただろう。
 ルシファーの挑発に対し、レオアリスに『乗るな』と言ったように、スランザールはそれを抑えるつもりでいたはずだ。
(挑発……、そうだ、西方公はずっと何かを引き出そうとしていた)
 それが何か、スランザールには判っていたのではないか。
 ふ、と王の傍らに立つスランザールの呟きが耳を掠めた。

 結局、こうなったか、と――、溜息のような呟きだった。

 抑えていた言葉が滑り出た。
「何故、何も仰らなかったんですか」
 判っていたのなら。
 スランザールが白い眉の下から小さな眼をレオアリスへ向ける。傍らでアスタロトが沈んだ顔を上げ、瞳を瞬かせた。
「もし」
 あの時、スランザールが予期しているものの正体を聞いていれば――
 その焦燥に似た考えに被さるように、違う、とも思った。
 どんな状況であれ、自分は事態に対処する必要があったのだ。聞いていなかったから、などと、近衛師団大将という立場にありながら言うべき言葉ではない。
 それでも何か答えが返るのではないかという僅かな期待はあったが、スランザールは何も言わなかった。
 アヴァロンが厳しい眼を落とす。
「お前がすべき事はお前自身判っていたはず」
「――」 レオアリスはぐっと口を引き結んだ。アヴァロンの指摘は正しい。
「今は王のご判断の場だ、控えよ」
「申し訳、ありません」
 左隣でアスタロトが落ち着かなく身動ぎ、レオアリスは傍らに視線を向けた。アスタロトは何かを堪えるように俯き、膝をついている床を見つめている。王城に入ってからずっと、青ざめて辛そうだった。
 本当はあのまま館で休んでいるのが一番だったのだろうが、立場上それができる訳も無い。自分が負えるものなら負うつもりでいるが、今回はそれでは済まないものだ。その事にもまた悔しさを覚えた。
(せめてもう少し、何か言っておけば良かったか)
 あの時、何か、安心させるような事を。
 王は二人を眺め、口を開いた。室内を覆っている重い空気が揺れる。
「西方公の離反は由々しき事態だが、詳らかに問うのは今ではない。まずは早急に、厳正に対処しなければならん」
 その場の全員の意識が王に集中する。
「アスタロト。ルシファーの捜索についてはそなたに一任する」
 アスタロトが微かに肩を跳ねさせる。
「全方面の部隊を当て、早急に捕らえよ。ただし兵の損害は一分でも多過ぎよう」
「――承知、しました。必ず……」
 答える声が震えている。王は最終的には、アスタロトが自身で対処するようにと言っているのだ。アスタロトが出なければ、ルシファー相手に兵の損害を一分以下に抑えるなどできる話ではない。
 酷な命令だと、レオアリスも思った。
(俺が)
 顔を上げかけたが、斜め後ろに控えていた副将軍タウゼンが先に口を開いた。タウゼンの声も普段とは違い、硬く張り詰めている。
「捕らえた後の措置は、いかが致しましょう」
「まずは話を聞く必要があろう。捕らえ次第我が前に引き立てよ」
 アスタロトが明らかにほっとして肩を落としたのが、真横にいたレオアリスにも判る。さすがにレオアリスにも、率直過ぎるその反応は危うく思えた。
 アスタロトの心情は理解されるとは思う。
 ただ、捜索に当たる中で、それが邪魔になると捉えられかねない。
 第一、いざルシファーと対峙した時の障害にもなる可能性がある。
 その時に傷付くのはアスタロト自身だ。
 レオアリスは発言しようと姿勢を正しかけた。正規軍と近衛師団という管轄を超えたとしても、今回ばかりはアスタロトより自分の方がこの任務に適していると、そう思う。
「陛下」
「レオアリス」
 王がレオアリスへ黄金の瞳を転じる。
「そなたには七日間の謹慎を申し渡す」
「――っ」
 レオアリスは思わず膝を浮かせそうになり、辛うじて抑えた。
 手足の先がすうっと冷たくなる。
(七日――)
 長い。この後すぐにでも、アスタロトは正規軍を動かすだろう。七日の間にルシファーを見つけたとして、待つ余裕など無い。
「その場にいながら捕らえる事も斬る事も無く見過ごしたのは、そなたの落ち度だ」
 床についていた左手を握り込む。告げられた言葉に反論があるはずもない。
 王の口調は淡々として、告げる内容ほどには感情は感じられなかった。
「謹慎の間は近衛師団の指揮権は一時返上となる。登城も一切罷りならん。官舎に蟄居せよ。詳しい処遇についてはアヴァロンから話があろう」
 跳ねる鼓動を極力宥めて息を詰め、口元を引き結ぶと、レオアリスは跪いたまま深く頭を下げた。
「謹んで……、ご下命に服します」
「待ってください!」
 アスタロトが顔を上げ、膝を乗り出すようにして食い下がった。
「それではあんまりです! あれは、私が止めたから――大体、元々は私が――私に原因があるのに、」
「――」
「それなのに、どうして処罰を受けるのがレオアリスで私じゃないんですか!」
「アスタロト、弁えよ」
 静かに、ただ容赦なく諫めたのはベールだった。
「でも!」
「アスタロト」
 レオアリスが素早く呼び掛けるとアスタロトはレオアリスを見た。首を振ると、アスタロトは込み上げていた言葉を飲み込み、ぎゅっと唇を噛み締めた。
 深紅の瞳が潤むように揺れているのが判る。
 ずき、と胸の奥が痛んだ。
「アスタロト、そなたは第一に、ルシファー捜索の責を果たせ」




 執務室を出た後も俯いたままのアスタロトを見て、レオアリスは息を吐いた。
「アスタロト」
 声を掛けるとやはり沈んだ瞳が返る。最近はこんな顔しか見れていない。
「悪かった、結局お前だけに負わせる事になって」
「そんなんじゃない!」
 アスタロトは長い髪が跳ねるほど首を振り、レオアリスは少し驚いて彼女を見つめた。
「そうじゃなくて――」
 もどかしく睨むように深紅の瞳を上げる。複雑な、それまで見た事のない光がその中に揺れているように見えた。いつも瞳に現れる激しく奔放な炎とは違う。
 ゆらゆらと、不安定な。
「……レ、レオアリスは、いいの? 王の命令なら、それで」
「それは――、仕方ない。俺自身が招いた事だ」
 アスタロトが俯き、ぐっと唇を引く。
「レガージュでの事を考えても、過ぎるほどのご配慮を頂いてる。下手したら降格でもおかしくない」
「――そうだけどっ。……でも、やっぱり、違うよ、こんなの。レオアリス一人が悪いわけじゃないじゃんか」
「そう言ったって」
 レオアリスは後ろにいたグランスレイと顔を見合わせた。グランスレイが口を開く。
「公、私も、今回の陛下のご措置は仕方のない事と思います。どこかで規律を示す必要があるのです。公ご自身、お辛い事とは思いますが、今回の事は早急な対応が必要な事と同時に、厳然とした規律を確保しなければなりません。曖昧に済ませるなどという事があってはなりません」
「――」
「七日なんて結構すぐだろ。きちんと命に服して、そうしたら西方公の捜索も何かしら手を貸せるようになる。だから」
「――レオアリスは、王が選べって言ったら選ぶの?」
 それは微かな呟きに近く、聞き取りにくかった。
「何だ?」
「――」
「公。そろそろ」
 タウゼンがどことなく硬く尖った声でアスタロトを促す。アスタロトはタウゼンを見て再び頬を強ばらせた。
 タウゼンが咎めるような視線を自分にも向けたのに気付き、時間を取り過ぎたかとレオアリスは片足を引いた。
「引き止めて悪かった」
「全然、そんなの」
「まあ、本当にお前が気にする必要はないんだ。七日で済んで有難いくらいだからな。月末の条約再締結で動けないのはキツいから、正直良かったと思ってる」
「条約再締結――」
 その言葉を繰り返しながら、アスタロトは顔を曇らせた。
「レオアリスが、行かなきゃいけないの……?」
「そりゃ、まだ決まった訳じゃないけどな――。でも同行は無理でも動ける状態でいたい」
「公」
 鋭い声が再び掛けられ、レオアリスもさすがに気まずさを覚えた。普段よりタウゼンが神経を尖らせているのが判る。
「――何かあったら言ってくれ。出来る限りの事はする」
 それからもう一つ、付け加えた。
「あんまり無理すんなよ。悩んでる事とか、あるんなら聞くから」
「――平気」 アスタロトはぱっと笑って首を振った。「大体無理なんて、この私がする訳ないし」
 久々に見る、今までどおりの明るい様子ではある。
「――」
「レオアリスこそ、いろんなことが立て続けで疲れてるんだから、人のこと言ってる場合じゃないでしょ」
「俺は――」
「またね、時々連絡入れるよ。たぶん七日の内にすっかり収まってると思うけど」
 まあ安心してよ、と言うと、アスタロトはタウゼンを促して歩き出した。
「――」
「上将、我々も」
「――ああ」
 レオアリスは頷き、重い息を吐いた。
 第一大隊に戻って、幾つか書類などを整理しておく必要がある。隊士達への説明も必要だ。
 アスタロトにああ言いはしたが、七日間という一時的な事とはいえ、指揮権を完全に剥奪されるのが軍の立場にあって不名誉な事には変わりはない。レオアリスの立場だけではなく、第一大隊の立場にも関わってくる。隊の士気も落ちるだろう。
 レオアリスはグランスレイに向き直り、頭を下げた。
「済まない――いつも、迷惑ばかり掛ける」
「上将――」
 グランスレイは首を振り、膝をついて上官より頭を低くした。
「必要な形式であり、果たすべき義務の一環というだけです。しかし本当にすべき行動は、謹慎後にこそあります」
「――判った」
 レオアリスは面を上げて一度天井を見上げ、施されている精緻な彫刻を眺めながら深呼吸するように息を吐いた。





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