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王の剣士 六【紺碧の守護者】

終章 「変転」


 ゆらぐ海面を抜ける。
 まず眼に入ったのは太陽だった。低い位置にあってもなお瞳に突き刺さるような強い光が、たった今までいた淡い光の落ちる海の中とは違うのだと、改めて感じさせられる。
 抜けるような青い空も、海中に広がる天空とは違う。そこに黒燐と紅燐の飛竜が十数騎ゆっくりと旋回していた。見慣れた風景だ。
 レオアリスはまだ眠ったままのユージュを抱えて海面に浮かび、喉の奥に流れ込んでいた海水のせいで何度か咳き込みながら辺りを見回した。
 周囲を取り巻くように停泊するマリ王国海軍の軍船。
 陽光を弾く青い海面の眩しさに目を細める。すぐ先を、マリ海軍兵士達がザインを抱え、軍船の船縁から下ろされた縄梯子へと泳いでいくのが見えた。
 戻ったのだ、と思い、同時に胸の内にそれまであった重苦しい想いとは別のものが浮き上がる。
 まだきっと、間に合う。
 メネゼスの司令船には王都の法術士が来ていた。王都法術院の中でも最高位の治癒師だ。
 眠っているユージュの顔に視線を落とす。明るい陽光の下で見れば、初めからこうしてただ眠っていただけのように思える。
 眼が覚めたらきっと、色々と驚く事が多いだろう。疑問は幾らでもあるが、レオアリスの中にはそれへの答えはない。
 持っているのはザインだ。
 息を吐き、レオアリスもまた船へと向かおうとした時、海面が翳った。
 見上げるのと、力強い翼の音が落ちるのと、幼い声が同時だった。
「レオアリス!」
 視線を上げた先の空から、銀翼の飛竜が一直線に降りてくる。その背に、ファルシオンがいた。
「殿下――」
 幼い姿を見た瞬間、強い安堵がどっと湧き上がった。
 ハヤテは海面ギリギリまでおりると浮揚し、ファルシオンが身を乗り出す。後ろにいたスランザールは今にも飛び込んでしまいそうな様子に慌て、ファルシオンの身体を押えた。
「良かった――、ぶじだったのだな」
 そう言って、スランザールの心配を余所に更に身を乗り出した。
「レオアリス、手を」
 小さな手がレオアリスをハヤテの背に引き上げようと、うんと伸ばされる。レオアリスは微かに笑った。掴んだら多分、一緒に海に落ちてしまう。
「――危険ですからお止めください。スランザール、貴方は」
「わしは無理じゃ。ハヤテにしがみ付いているのですっかり体力を使い果たしてしまったわい」
「私は大丈夫だ。レオアリスぐらい、ぜんぜん引き上げられる」
「じゃあ先に、この子をハヤテの背に乗せていただけますか」
 レオアリスが押しやった娘を見て、ファルシオンは眼を丸くした。
「――ユージュ……?」
 一目でそう言った事に少なからず驚きも覚えながら、レオアリスは頷いた。
「そうです」
「怪我してるの?」
「いいえ。眠っているだけです」
「――」
 ファルシオンは不思議そうにじっとユージュを見つめ、それからユージュの手を掴んだ。ファルシオンがユージュを引き上げようと力を込めている間に、ハヤテに気付いた黒燐の飛竜達が数騎、降下して来る。
「上将!」
 そう声をかけたのはフレイザーの部下の左軍少将ベルツだ。
「ベルツか、ちょうど良かった。この子と俺を引き上げてくれるか」
「承知しました」
「私は」
「殿下はスランザール公を船の上に戻して差し上げてください」
 レオアリスの言葉にスランザールが頷くのを見て、ファルシオンはハヤテの瞳を見つめた。三騎の飛竜は背にユージュと、レオアリスと、そしてザインを乗せると海面を離れた。


 飛竜から降り、硬い甲板に足がついた途端、くらりと視界が回り、レオアリスは船縁の手摺りに手を付いた。海中で、空気の膜が身体を取り巻いていた時よりも呼吸がしにくく感じられ、大きく息を吐く。
 ゆっくり、何度か深呼吸をすると、肺は次第に普段の調子を取り戻した。
「――、はぁ」
 肩で息をつき、それから右手を広げ、それを見つめた。海中で取り巻いていた膜は最早跡形もない。飛竜で海上を離れた時には、もう消えていただろう。
 脳裏にちらりと、海底に沈んでいくヴェパールの姿が過った。同じ手が成したものだ。
「――」
「レオアリス!」
 軽い足音が甲板を蹴り、今度こそファルシオンはレオアリスに飛び付いた。
「殿下――」
 抱きつき面を上げたファルシオンを見下ろす。伝わってくる暖かな体温に、改めてファルシオンが無事でこの場にいるのだと実感した。
「良く、ご無事で――」
 そう言ってから、ファルシオンを濡らしてしまうと気付いて軍服を見回し、驚いて息を呑んだ。つい先ほどまで海の中にいたにも関わらず、既に乾きかけている。
(あの、空気の膜か……)
「レオアリス? 怪我をしたのか?」
 レオアリスはファルシオンの手を解くと、後ろに下がり跪いた。追いかけるファルシオンの瞳が、まだ不安の色を残しているのが判る。自分が海に落ちた事で、どれだけ海上が混乱したのかと、まずそれを思った。
 レオアリスにはファルシオンの置かれた状況が一切掴めていなかった。本来誰より傍近くに控える役目のはずなのにだ。
 膝をついたまま深く頭を伏せた。
「御身をお護りする為にありながら役を果たせず、申し訳ございません」
「そんなの――、いいんだ、レオアリスが無事だったんだから」
 そんな事は問題にはならないのだと――そう返す言葉をレオアリスが持っているはずが無い。
 自分の取るべき道は正しかったのだろうかと疑問が浮かぶ。
 ファルシオンの身を護る事を第一に考え、海上でヴェパールを討つ事に全力を向ける方が正しい選択だったのではないか。
 結局、今や西海との均衡は崩れかけている。
「ちゃんと、そなたの部下が守ってくれた。ハヤテもだ」
 ファルシオンはくったくなく、後方に立つグランスレイとロットバルトを見て、再び上空を旋回しているハヤテを示した。
「ちゃんと、近衛師団はにんむをはたしている」
 そう言ったファルシオンの表情が、ほんの少し前よりも大人びているように思え、レオアリスは束の間、ファルシオンの黄金の瞳を見つめた。
「――勿体ないお言葉です」
「上将」
 グランスレイが歩み寄る。グランスレイと、その後ろにいるロットバルト、それから上空を旋回している飛竜の騎影を見上げる。
「良く、殿下を無事護ってくれた」
 グランスレイが目礼を返す。
「貴方と同様に――我々自身の任務でもあります」
「上官が指示を下ろせない状況にあっても任務はまっとうするのが、いい部隊の証拠だ」
 ぎし、と甲板を踏む足音と共にそう声を掛けて来たのはメネゼスだ。
「逆に言えば俺達は、常にそれを求められる。ファルシオン殿下の仰るとおり、今回、近衛師団としての任務は果たしただろう」
 声に顔を向け、レオアリスはファルシオンに一礼して立ち上がった。
「メネゼス提督」
 メネゼスへ目礼し、メネゼスが歩み寄るのを待ってから、レオアリスは改めて辺りを見回した。
 周囲に浮かぶ十隻の船はみなどこかしら損害を受けている。この司令船も船縁などがあちこちが傷み、厳しい状況に置かれていた事が読み取れた。
「有り難うございました。色々と助けて頂きました」
「いいや、礼を言うのは俺の方だ。あのまま船をいいように操られてたら、今頃半数は沈んでたかもしれん。そう考えるとぞっとするぜ」
 メネゼスはうんざりした口調でそう言うと、少し離れた位置に下ろされたザインとユージュへ視線を向けた。
「あの二人は」
「レガージュの剣士と、彼女はその娘です。詳しい説明は後で――」
 甲板に横たわっている姿に、レオアリスはゆっくり息を吐いた。
 間に合ったと、そう思える。
「ロットバルト、法術士を呼んでくれ。ここにいるか?」
「すぐに」
 ロットバルトが踵を返し、甲板で治癒に当たっていた法術士へ近寄る。
「――ザイン!?」
 驚いた声が甲板から上がり、レオアリスは声の方へ視線を向けた。ファルカンが立ち上がっている。
「ザインか? 何でこんなとこに――まさか」
 その先は喉の奥に飲み込まれた。
 レオアリスはファルカンの問いかけへの言葉が浮かばず、ザインに視線を落とした。
 どう説明するのか――、考えなくてはいけない。
 スランザールとグランスレイ、ロットバルトに視線を向けると、それぞれの視線が返る。
 レオアリスはファルシオンに一礼し、立ち上がると横たわっているザインの傍に寄った。ファルカンが怪我の治りきっていない身体をよろめかせて近付き、ザインの傍らに膝を落とした。
「ザイン、おい、しっかりしろ――」
 肩に触れかけて初めて、ファルカンはザインの右腕に気が付いた。
「右――腕が……」
 茫然と息を飲み、血の気の引いた顔を上げてレオアリスを見た。
「大将殿、ザインの」
「――」
「まさか――」
 何度か躊躇った後、ファルカンはようやくそれを口にした。「まさかヴェパールと、戦ったんですか」
 黙ったまま見返してくるレオアリスの表情を見て、ファルカンは腹立たしいのか悔しいのか、判らない顔をした。
「――何やってんだ」
 拳が甲板を打つ。
「何やってんだ、ザイン! あんたは――、あんたはレガージュの守護者じゃないか!」
 襟元を掴もうとした手を、横から伸びた手が押さえた。隣に来ていた老法術士が、落ち窪んだ目をファルカンに向ける。
「落ち着け、ファルカン団長。とにかく術を施す」
「助かるのか――」
「やってみなくては判らない」
 ファルカンは身体を起こし、気持ちを落ち着けるように息を吐き、肩を落とした。それから、改めてザインの傍らに横たわる少女を眺めた。黒い緩やかな髪を腰の辺りまで伸ばした、見たところ十六、七歳ほどの娘だ。
「この、女の子は」
「――その子は、ユージュです」
「――ええ? まさか――」
 ファルカンは一瞬ザインの事すら忘れるほど驚いて、ぽかんと口を開けたままもう一度少女をまじまじと眺め、唸った。
「剣が覚醒しました。その影響だと」
「ああ、いや……確かに、フィオリの絵姿に似てる、のか……」
 何度も首を捻り、だがどことなく安心したように言った。
「なら、ザインは起きるしかないじゃないか」
「――そう思います、俺も」
 ユージュがいるのだから――ザインが伝えていかなくてはいけないのだから、目を覚まさないはずがない。
 法術士は既に術式を唱え始めている。レオアリスは黙ってその動きを瞳で追っていた。
 ゆっくりとした低い響きが続く。長い術式だ。ザインの身体をごく淡い白い光が包んでいる。
 低い響きにつられるように、甲板の上に静寂が落ちる。マリの兵士達でさえ、固唾を呑むようにして法術士とザインを見つめていた。
 ふと、ザインの顔を覗き込んでいた老法術士の面に苦汁の表情が掠めたのに気付き、レオアリスはつられるように膝をついた。
 法術士が顔を上げ、視線が合う。
 どくりと、心臓が鳴った。
「――どうしたんです」
「――」
 ファルカンが二人の顔を見比べる。
「何だ……。法術士殿――、ザインは助かるんだろう?」
 法術士は答えず、しばらく術式を唱え続けていたが――やがて口を閉ざした。ファルカンが法術士とザインを見比べる。
「……どうしたんだ。終わったのか」
 その声に、微かな不安が交じっている。レオアリスは法術士の瞳を正面から捉えた。
「続けてください。まだ、術は半分も」
「――私の術では足りん」
 法術士はゆっくりと、だがきっぱりとそう告げた。
「そんな事は無い。貴方は王都でも一番の治癒師じゃないか。貴方になら」
 法術士はレオアリスを真っ直ぐに見て、だが首を振った。
「申し訳ないが、大将殿、貴方もご存知の通り、法術は万能ではない。――流れた血が多すぎる。もう間に合わん」
「間に、合わない――?」
「剣の欠損も――いや、これこそ私には補えん。もしここが法術院ならばあらゆる手を尽くせるだろうが、そうだったとしても」
 一度、口を噤む。それから首を振った。
「今は、触媒すら事欠く状態だ。これ以上続けても」
「しかし」
 レオアリスは茫然と法術士を見つめた。頭が、混乱してくる。
 間に合うと言って――
(違う、俺がそう思っただけだ)
 海中の世界が非現実的過ぎて、あまりに慣れた当たり前の世界に戻り、そこでは問題など何もないと、そう思えたからだ。
 ザインは剣を失い、何一つ、状況は変わってなどいないにも関わらず。
(剣――でも、バインドは)
 剣を失っても、バインドは生き延び、左腕に新たな剣を宿した。
 バインドが剣を失った時、こんなに高位の術士はいなかったのではないか。
(だから間に合うんじゃないのか)
 法術士の瞳の中には、レオアリスの期待に応える色がない。
「――そんな、はずは」
 心臓の辺りが冷たくなるのを感じる。
 なら、ユージュはどうなるのだ。
「力が及ばず、申し訳ないが」
「触媒――」 ファルカンはぽつりと呟いて、ふいにレオアリスの腕を掴んだ。レオアリスは驚いてファルカンを見た。
「ザインはさっき、腹を刺されて死にかけた俺に、自分の血を触媒にして助けくれた。そうだよな、法術士殿」
「――」
「血――? 血が触媒?」
 どういう事か判らない。そんな事は聞いた事が無かった。
 けれどレオアリスは、剣士でありながら剣士という種について、知っている事の方が少ないのだ。
 判っているのは、このまま何もできなければ、ユージュが自分と同じ立場になるという事だけだ。
 全てを見てしまっている分だけ、何も知らなかった自分よりもっと辛い。
 ファルカンはレオアリスの腕を掴んだまま、視線は真っ直ぐ法術士へ向けている。指先に込められた力がファルカンの期待を伝えてくる。
「同じ事をすれば、きっと」
 法術士は戸惑い含みの様子でファルカンを見、それからレオアリスを見た。
「確かに。しかし」
「しかし? 何か問題があるのか? あの時結局、オスロの持ってきた触媒は必要なかっただろう」
「いや……。大将殿、どうされる」
 レオアリスは少しのためらいも無く頷いた。
「可能性があるなら、何でもやろう。俺の血が足しになるなら、それでいい。どうすればいいんです」
「確証などないのだ」
「確証はいらない」
 法術士は息を吐き、意を決したように頷いた。
「――数滴、血を頂く。術中に被体に落として貰う」
「いつ」
「それも判らんよ。いつでもいい」
 どの道効くかも判らないのだから、という含みを言外に感じ期待が揺らぐ。それを押し退けて、レオアリスは法術士を見た。
「やろう。――始めてくれ」
 再び、法術士は術式を唱え始めた。ゆっくり、ザインの身体を先ほどと同じ淡い光が包んでいく。
 レオアリスは右手を鳩尾に沈め、剣を引き出した。
 左腕をザインの上に掲げ、手首の内側に刃を当てる。
 普段剣は、レオアリス自身の身を傷つける事はない。
 だが今は、レオアリスの意思に従い、すうっと引かれた刃の後に赤い筋が浮かんだ。
 ファルシオンが制止に口を開きかけ、両手で声を押さえる。
 赤い血が数滴、ザインの上に落ちる。ザインを包む光が確かに、強さを増した。
 視線が集中する中、法術士は長い術式を唱え続けた。その間がまるで永遠のように感じられる。
 やがて静かに、最後の一節が紡がれ、ザインを包む光に吸い込まれるように消えて行った。
 しん、と痛いほどの静寂が落ちた。幾つもの期待に満ちた沈黙だ。
 その沈黙に押し囲まれ晒されながら、法術士は束の間ザインの姿を見つめた後、重々しく首を振った。
「反応が無い。もう」
 レオアリスは初め、法術士の言葉の意味が掴めずに小さく繰り返し、それから身を乗り出した。
「――血が、足りないなら」
「いいや」
 ファルカンが拳を握り、法術士を睨む。
「何故――何で駄目なんだ、俺の時は」
「不明だが……或いは作用が限定されるのかもしれん」
「限定? どういう」
「ザインはあの時、触媒を用意するまでの繋ぎと言った。同じ剣士に作用するほどには、触媒としての効果を持たないのだろう」
「――」
 レオアリスは唇を噛み締め、ザインに瞳を落とした。
「……ユージュがいるんだ」
 眠ったままのユージュを眺めていたファルカンがぽつりと呟く。両手を伸ばし、ザインの襟首を掴んだ。
「――ザイン」
 引き上げた時から何も変わらないザインを睨み付ける。その姿は頑なに、眼を開ける事を拒否しているようですらある。
「ユージュはどうする……ここにいるんだぞ。このまま――、このまま残して行くのか!」
 ファルカンは激昂し、ザインの身体を何度も、力一杯揺さ振った。
「呆れるぜ――この三百年、一体何を見てたんだ? あんたの大切なものはフィオリだけか! あんたが護るものは! ユージュは」
 ザインの頭が何の抵抗も無く揺れ、肘から先を失った右腕が甲板に当たって音を立てる。
「ユージュはそうじゃ無いとでも言うのか!」
「ファルカン団長、もうよせ」
「ユージュはあんたの娘だろう! 街だの、主の意志だの、そんなものは一切関係無い。切り捨てたって何も変わらん。レガージュにはもう船団も、組合もあるんだからな。あんたが言うとおり、守護者に頼り切る時代は終わったさ――。だが、ユージュは違うだろう!」
 甲板にはファルカンの声しかない。それが空しく響くのか、それとも意味を持つのか、誰もが測りかねたまま、黙ってファルカンを見つめている。
「ザイン――! 眼を開けろ……」
 ザインの耳に届いているのか。
「他の誰でもない――、ユージュこそ、あんたが護らなくて誰が護るんだ!」
 しん、と再び波のように沈黙が寄せる。
 ファルカンは肺から息を吐き出し切って、ゆっくり、ザインの襟首を離した。
 一度も、ザインの身体の指先さえ、ほんの僅かの反応も返す事は無かった。
「――」
 吹き上がるものを押え、唇を噛み、ファルカンはザインを睨み付けていたが、やがてその眼を、微かに瞼を震わせながら閉じた。
「――連れて帰る」
 低く、そう言った。取り巻く輪の中に立つメネゼスを振り返る。
「メネゼス提督――船団の船をここに付けさせていただけますか」
「――問題は無い」
 ファルカンは立ち上がり、ふと輝く海を眺めた。
 今は穏やかに横たわる、三百年ザインが見つめ続けてきた海。
「それともザインは、主と同じ海に眠りたいのか――」
「――」
 レオアリスは重い息を殺して右手の剣を消しかけ――、何かに吸い寄せられるように白刃を見つめた。
 微かに――、青白い光が脈打っている。
 呼応するように。
 傍らのユージュを見て、それからザインを見た。
「――鼓動」
「上将?」
 レオアリスは膝をつき、ザインの身体を掴むようにして胸に耳を押し当てた。
「大将殿……」
 ファルカンは声を上ずらせ、同じようにザインの横に膝をついた。
「ザイン」
 どくん、と――レオアリスの耳が鼓動を捉えた。
 初めはゆっくり一つ打ち、次第に回数を増し、やがて確かな連続になる。
 途絶えていた呼吸が、戻った。
 覗き込むファルカンと、レオアリスと――、ファルシオンや、メネゼス達すら息を飲む中、ザインは二、三度瞬きをし、眼を開けた。
「――ザイン」
「ファルカンか……」
 ごほ、と僅かに噎せ、ザインは身を起した。茫然とザインの様子を眺めていたファルカンが、慌てて押し留める。
「ま、待て……まだ起きるのは無理だろう。生き返ったばっかりだぞ」
「何の話だ。――ああ」 自分の右腕に視線を落とし、ザインは暫くの間、口を閉ざした。
 無言のまま何を思うのかレオアリスは息を詰めたが、それも長くは無く、ザインは振り切るように息を一つ吐くと、辺りを見回した。
「ユージュは。無事なのか」
 一番初めに口に出した言葉を聞いて、ファルカンが嬉しそうに破顔する。
「そこだ。あんたの隣だよ」
 ファルカンの示した先に横たわる少女を見て、ザインはたった今失われた右腕を見つめた時よりもなお、黙り込んだ。
「――」
「覚醒、したんです」
 レオアリスは幾分躊躇いつつ、ザインに声をかけた。ザインはユージュが覚醒し、成長した時、それを見ていない。驚いただろうと、そう思った。
「今は眠ってるけど、それだけで問題は無いと思います。でも俺より、貴方にしっかり確認してもらわないと何とも言えませんが」
 ザインは振り向かず、何も問い返さずにまだユージュを見つめている。
「――ザインさん?」
「ザイン、」
「えっ」
 ようやく振り返り、そしてもう一度ユージュを見つめたザインの上には、たった今死の淵から戻ってきた事も、三百年もの間フィオリ・アル・レガージュの街を護ってきた剣士の面影も全く無い。
「ユ、ユージュ?」
「俺も驚いた。でも、確かにフィオリの絵姿に似てると思ったら、何となく納得したんだが……」
「ファルカン」
「何だ」
「――どうすればいい」
「……」
「今まで十歳程度で……いきなり成長って、そんな事を言われても」
 メネゼスはレオアリスの横に立ち、不審そうに尋ねた。
「あれがレガージュの剣士か? どうにも情けねぇな。何がどうなってる」
「いえ、今まであの子は十歳くらいだったので――急に成長したと言うか」
「何だそりゃあ。剣士ってのは皆そうなのか?」
「――残念ながら、俺にも良く」
 レオアリスが苦笑して見せると、メネゼスはますます不可解そうな顔をした。
 まだザインは狼狽し、半ば頭を抱えて困り果てている。
「だって十代の、これくらいの女の子って言うのは、色々難しいものなんだろう? ど、どうすれば」
「お、俺は知らん、独り身だからな。俺に聞かないでくれ」
「しかし」
 混乱しきっているザインへ一つ溜息を吐き、ファルカンはユージュの身体を起すと、ザインへぐい、と押し出した。
「幾つだろうが――、あんたの子だ。あんたと、フィオリの」
「――」
 ザインは左腕だけでユージュを受け止めた。眠っている顔を見つめる。
 常に遠くを見つめていた双眸に、ユージュの姿がはっきりと映っている。その瞳を柔らかく細めた。
「――フィオリに、良く似ているな……」
「そうだ。だが俺にはあんたにも良く似ているように見える」
「――ああ。そうかもしれない」
 そう言うと、眠っているユージュを起さないようにして、ザインはその腕の中にそっと抱き締めた。





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