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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第四章 「剣士ザイン」


 王都は春の短い日射しを受け、淡く花の蕾の薫りを想わせる空気の中に微睡んでいるようだった。
 来月に控える西海との条約再締結への緊張は、まだ王都の街には見えない。
 王都の中心にそびえる王城の四方にはそれぞれ正門があり、馬車が六台はすれ違えるような広い石畳の道が、正門と城とを繋いで一直線に延びている。上空から眺めると、円形の城壁の中に白く幅広い十字が描かれているようだった。
 道の左右には緑の低い生け垣が連なり、更に向こう側は整えられた庭園になっていた。咲き綻び始めた花の間を、小さな蝶があちこちと飛び歩き、薄い羽根を休めている。
 ふいに一陣の風が王城の玄関前から沸き起こり、石畳の道を正門へ向かって吹き付けた。蝶や生け垣の枝葉が風に煽られる中、風は途中で身を起こし、馬の姿に変わった。
 一頭、二頭――三頭の馬が現われ、半ば透き通った躯で宙を駈けるように正門へ向かう。
 それは四つの正門全てで同時に起きていた。
 東西南北四方にある四つの正門を、それぞれ三頭の馬が走り抜ける。
 馬達は王城の通りを駈け、それぞれの目指す場所へ向かった。



 王都は都を高い街壁がぐるりと包んでいるが、その外側を更に、王都を取り囲むようにして軍の演習場が広がっている。演習場の傍を抜ける基幹街道を通る時には大抵、正規軍や近衛師団が練兵を行っている様子を見る事ができた。
 レオアリスの第一大隊もこの日の午後、西の第二演習場にいた。
 午後は基礎訓練が主で、レオアリスも組み手をしている隊士達の中に入り、列の間を歩きながら時折声を掛けていた。
 自分がこの中に加わらなくなって久しく、それがいつも物足りない。本気でやれるのは、時折グランスレイや中将達と手合わせをする時くらいだろうか。
 剣技ではやはりレオアリスが抜きん出るが、組み手となると大抵グランスレイか、幼少の頃から訓練を受けているロットバルトに軍配が上がる。一番得意そうなクライフは我流のせいもあって、長引けば不利だ。
 隊士達の列を半分ほど回り、ちょうど隊の中央辺りを歩いていたところで、演習場の門の辺りがにわかに騒がしくなった。それと共に馬のいななきが一声、門から演習場の中央まで走る。
「何だ――?」
 目を向けた先で組み手をしていた隊士達の列が割れ、風を巻くように一頭の馬が走り込むと、レオアリスの前で前足を振り上げて立ち止まった。半透明の躯が陽光に揺らぐ。
「上将!」
「お下がりください!」
 周囲にいた隊士達が数名、慌ててレオアリスと馬の間に立ちはだかろうとしたが、レオアリスは片手を上げて止めた。
「構わない――これは」
 レオアリスの言葉が終わる前に、馬はぶるりと身を揺すると陽射しに溶けるように消え、代わりに一通の白い封筒になった。レオアリスが伸ばした右手に、ひらりと収まる。
「伝令使――? というよりは書状に法術を掛けたのか、へぇ」
 レオアリスは感心したように言って、手にした封筒を眺めた。紙の手触りはまるっきりただの封筒だ。グランスレイとロットバルト、クライフが隊士達の間を分けてレオアリスの所へ駆け寄る。
 クライフは明るい茶色の頭を巡らせ、馬が立っていた辺りを見回した。
「上将、お怪我は――今のは何なんすか? あんなでかい馬がぱっと消えちまうなんざ」
「あれはこの書状にかけられた法術だろう。凝ったやり方だな――」
「書状? ええと、今のが?」
「そう、よくあるのは鳥とかもっと小さいものに変化させて相手に届けるんだが」
 馬は派手だよな、とまた感心した口振りで言って、ロットバルトが差し出した細い短剣を受け取り、レオアリスは手にした封筒の封を切った。取り出した便箋を開く。
 そこに綴られた文を読む内、レオアリスの表情にそれまでとは全く違う驚きと困惑が広がった。見ているグランスレイ達が憂慮を覚えるほど、強い感情だった。
「――何で……」
 微かなその呟きを聞き取り、ロットバルトはレオアリスの面に視線を落とした。
 「何だ」ではなく、「何で」と、そう言った。
 グランスレイも眉を寄せる。
「上将? 書状には何が」
「王の召集だ――」
「召集――」
「陛下の?」
「王名で緊急の軍議が召集された。この後二刻からだ」
 レオアリスは隊士達の間を抜け、物見台の下まで行くと立ち止まった。その様子がどことなく、集中する視線を避けるように見え、クライフはそこにいた隊士達を退らせた。
「二刻――もう開始まで一刻もありませんね。議題は?」
 ロットバルトの問いかけにレオアリスは一度視線を書状に落とし、困惑を残したままのそれを上げた。ロットバルトとグランスレイとクライフと、三人の顔をそれぞれ見る。
「レガージュで問題が発生したらしい。その処置についてだと書いてある」
 クライフは驚いた様子で、レオアリスの手の中の書状を見た。
「レガージュ? ってあのレガージュですか」
 つい先日話していた街の名が何故、王が召集する軍議で取り上げられるのかと、当然の疑問を口にする。しかも緊急の軍議でとは。
 ただレガージュと聞いて、ロットバルトは先ほどのレオアリスの呟きにの理由が判ったように思えた。
 何故問題が発生したのがりにも選ってレガージュなのか、と、そうした想いからだろう。
 もしかしたらもう一つ、違う想いがあったかもしれないが。レオアリスは手にしていた書状をグランスレイに差し出した。
「それと、今回は一等参謀官級まで召集を受けてる」
「それは――」
 あまり無い事だ。基本的に軍議の際は、同席者は副将までと決まっている。
「つまりは今回の件が、その場で一定の戦術まで詰める必要があるという事ですか」
「かもしれない。詳細は出てみないと判らないが――、何だ?」
 降ろした左手に持っていた封筒がかさりと微かな音を立て、レオアリスは視線を落とした。書状を取り出し空になっていたはずの封筒から、すっともう一枚、便箋が滑り出る。
「――」
 便箋は独りでに開くと、白い表面に光で綴られた文字が浮かんだ。署名と、それに数行の文が続く。
「アルジマール院長か……」
『君はレガージュのブレンダンを僕に紹介した。そこも話題になるだろう。さほど問題は無いが、問われたら発言に注意した方がいい。詳しい事は軍議で判る』
 アルジマールの言葉を読み取った直後、便箋は先ほどの馬と同様に空気に溶けた。集まっていた光の粒子がすうっと四方に散って消える。
「ブレンダン?」
 彼について何かあったのだろうかと、レオアリスは一昨日ブレンダンが尋ねてきた時の様子を思い浮かべた。レガージュの近海で船が沈んだと、そう言っていた。
 ただ、アルジマールの手紙はただの情報というよりは、忠告に近い。
「ロットバルト。先日のレガージュの商人は、あの時何と言って来たか覚えているか」
 グランスレイもそれが気になったようで、ロットバルトに測るような鋭い眼を向けた。
「近海で他国の船が沈み、救出した生存者を回復させる為に、腕のいい法術士を紹介して欲しいという内容です。……軍議に発展する案件だったのかまでは、詳細を聞いていない分判断しかねます。ただ印象としては彼は、何かを隠している様子でもありませんでしたが」
「――ホースエント子爵は」
「それも、取り立てた情報は入っていません」
「情報って」レオアリスが驚いた顔を見せる。「ホースエント子爵の事を何か調べたのか」
「まあ余りいい面会内容ではありませんでしたしね」
 ロットバルトは当然のようにそう言った。
「ただし三日前の情報ですので、いずれもこの緊急の軍議が召集された時点で、大して参考にはならないでしょう。ともあれアルジマール院長は、法術士を派遣したこと自体は、さほど大きな問題とは捉えていないようです。問われたら事実を淡々と述べるというところでしょうね」
「ふむ」
 グランスレイは腕を組み唸ると、レオアリスを見た。
「とにかく軍議に入ってみないと状況が掴めませんな。二刻からであればもう時間がありません。すぐ士官棟に戻って軍服を替え、王城に上がりましょう」
 演習場の砂ぼこりを被った軍服を示し、そう告げる。
「ああ、行こう――。クライフ、取り敢えず訓練は続けていい。ただ、フレイザーとヴィルトールに軍議が召集された事だけ伝えておいてくれ。軍議が終わったら連絡を入れる」
「承知しました」
 左腕を胸に当てて敬礼したクライフに頷き、レオアリスはこの場所からも見える王城の尖塔へ視線を投げた。





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renewal:2011.02.13
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