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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第三章 「潮流」

二十二

 夕刻近くになり、二隻の軍船が陽の沈みかけた水平線上に姿を現わした。生存者を探しに出ていた、メネゼスの船団のうち二隻だ。
 二隻は太陽が西の水平線に沈みきった頃本隊と合流し、メネゼスの司令船の横に停泊した。
 色を濃くした海の上を、甲板と甲板の間に乗り移る為の長い板が渡される。
「使者殿を呼んでこい。提督に引き合わせる」
 一等海尉が近くの水兵を振り返り、水兵は頷いて船室に走った。階段のすぐ横にある船室の扉を何度か叩く。
「使者殿――ローデンの使者殿、本隊の提督とお引き合わせします」
 きびきびとした声で呼ぶと、ほどもなく、扉が開いた。黒い湿ったような髪の、痩せた男が姿を現わす。銀の目が兵士を見た。
「どうぞ、こちらへ」
 兵士は階段の上を示し、先に立って階段を上った。
 男は今朝早く、本体に合流する為にレガージュを目指していたこの軍船を小型の帆船で訪れた。――ローデンの商人だと名乗った。
 レガージュ船団にローデンの交易船を沈められたと言い、マリの軍船がレガージュに向かった事を聞いて探していたのだと説明した。
 ローデン国王の使者として、船団の司令官と話をしたいと依頼された為、メネゼスに引き合わせる為に乗船させ連れて来た。
 ローデンの使者はメネゼスの前に立つと、深く一礼してメネゼスと向き合った。ホースエントが昨日向き合ったのと同じ部屋だが、今はメネゼスは使者を迎えて立っている。
「お会いできて光栄です、メネゼス提督。私はローデンの商業組合に所属する商人のセルメットと申します。ですがこの度は、ローデン国王の意を受け、商業組合の代表として参りました」
「ローデン国王の。それを示すものはお持ちか」
「これを――商業組合に下命された折の、陛下の書状です」
 メネゼスは差し出された書状を受け取り、開いた。ローデン王国の紋章が入った便箋に、文字がしたためられている。
「――なるほど」
 メネゼスは書状を畳んで頷いた。
「ローデン国王のお考えはまだ、レガージュが船を沈めたと決め付ける段階までは至ってはおられず、まずは状況を確かめたいと言う事ですな」
「そうです。それで商業組合はちょうどこの近海に居た私を派遣しましたが、貴国の船団がレガージュへ向かったという噂を聞き及び、レガージュへの疑いを強めて貴方を訪ねた次第です。――いかがですか。マリはレガージュ船団の船が、他国の船を襲っているとお考えですか」
「使者殿もお聞き及びかもしれないが、沈められた我が国の商船ゼ・アマーリアの乗組員を数名、救助しています」
「それは、何より――」
「そう、まだ幸いですな。彼等の証言では、船が掲げていたのはレガージュ船団の旗だったとはっきり言っているのです。――そして、私は先日レガージュ船団の船に行き会い、恥ずかしながら我が軍船を一隻、沈められている」
 怒りを抑えた口調のメネゼスに対し、セルメットは少し興奮した様子で銀色の瞳を見開いた。
「何と――では、やはりレガージュが。しかし何の為に」
「何の為にかは、これから判るでしょう」
「なるほど……、判りました」
 セルメットが姿勢を正し、真っ直ぐにメネゼスと向き合う。痩せて血の気の薄い頬を震わせた。
「それが真実であれば、我が国王陛下もレガージュに対し軍を向けるでしょう」
「ほう――。それは確かですか」
「私が今お聞きした事を報告すれば、おそらく半月中には軍船がここに」
 副官がそっと唾を飲む。ローデン王国も、レガージュに対して軍を向ける――つまりはローデンはマリに協力をする意思があるという事だ。
 マリ王国とローデン王国が、同盟を結ぶという事になる。
 メネゼスはセルメットの意思を測るように鋭い視線を向けた。
「半月――それまで事態を引き伸ばすつもりは、私にはありませんな。軍の到着を待つのは時間がかかる。他にローデン王国の関わり方を考えられまいか」
「では、私が名代となり、貴国と我が国揃って、レガージュに対するのはいかがですか」
「――ふむ。二国であれば、更にレガージュに圧力を掛けられるか……」メネゼスは腕を組み片手で顎を触っていたが、すぐにそれを降ろした。「――承知した。貴国のご意思は本国に伝えよう」
 メネゼスは組んでいた腕を解き、差し出した。セルメットの手がメネゼスの手を握り、握手を交わす。セルメットの手は少し湿った感覚をメネゼスに与えた。
 メネゼスの隻眼がセルメットの、平べったさを感じさせる銀の眼を捉える。
「緊張しておられるのか。まあ本来が商人では、逆にこの場にあって豪胆と言うべきかも知れんが。商人にしておくには惜しい」
 手を離し、セルメットが自分の手を隠すように戻すのを見てにやりと笑うと、メネゼスは椅子に腰掛けた。
「我々は明日、レガージュからの――アレウス国王からの使者を迎える予定になっている」
「使者……では、和解を」
「とは言え確定ではない。使者が来て、納得の行く説明と謝罪をされれば和解、納得が行かない場合や――、使者を遣さない場合は、街を攻撃する」
「――」
「セルメット殿、貴方は明日の会見の場に同席されるといい。その場でローデンの要望を突きつける時間があるだろう」
「――有難うございます」
 セルメットはじっとメネゼスを見つめてから、頭を下げて部屋を出た。メネゼスは机の上に手を伸ばしてセルメットが置いていったローデン国王の書状を取り上げ、再び開いてそれを眺めた。
「ローデンか……。レガージュをとしたいと思ったら、強行するのに充分な条件が揃ったな。これでレガージュには言い逃れは難しいだろう」
 そう口にして、何を思ったか、ふと唇を歪めた。
「――良く出来ている」
「提督? 何か」
 傍らの副官が問い掛ける。メネゼスは独り言か返答か判りにくい口調で返した。
「今が追い風と考えればいいのか。まあ元々は吹いて欲しくもねぇ風だが」



 ローデンの使者セルメットは司令船の一室に部屋を与えられ、一人きりになると、口元を笑いの形に歪めた。
 笑いが深まるにつれ、口の端がぬめりと裂ける。
 耳の辺りまで一筋の切れ目が走ったように、赤い色が覗いた。
 ぶるんと皮膚が弾力のある水のように震え、青白く濡れた肌に変わる。
 銀の双眸はぐぐっと広がり、丸い魚のように瞼の無い眼になった。
「……さて、手は打った。ホースエントが効くか、ローデンが効くか。それとも予定通りマリが喰らい付くか」
 すっかり元の姿に戻り、ヴェパールは低く笑った。
「明日、動く。全てを渦の中に巻き込んでやろう」





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renewal:2011.01.29
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