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王の剣士 六【紺碧の守護者】

第三章 「潮流」

二十一

「ザイン――」
 ブレンダンは扉を開き、薄暗い部屋に入った。窓は一つを除いて全て鎧戸が閉ざされている。
 ブレンダンを見て、ザインは座っていた椅子から立ち上がった。微かに苦笑を浮かべる。
「ブレンダンか。苦労をかけたな」
「何言ってやがる――どうだ」
「ファルカンは甘いな。こう簡単に面会を許すとは」
「ザイン」
 ブレンダンのたしなめる口調に気付き、またザインが苦笑を浮かべる。それから今までとは違う、懐かしむような口調で聞いた。
「――彼は」
 その一言で、ブレンダンは頷いた。
「ちゃあんと手紙渡して、話もして来たぜ。何だか近衛の大将っつうには細っこいガキだったけどよ、でも芯が一本通ってるのは話して判った。さすが大将を張ってるだけはあるな。――そうそう、街にこんなのも出回ってたから土産に持ってきた。王都もなかなか商売熱心だよ」
 ブレンダンは何やら持っていた鞄から筒状の紙を取出し、留めていた細い紐を解いて広げた。ザインが手に取り、目を見張る。
「絵姿か」
 一尺弱四方の紙に、一人の少年の胸から上の姿が描かれている。近衛師団の黒い軍服を纏い、表情は凛と引き締まっている。
「結構似てる。他にもあったがその店のが一番似てたかねぇ。大将殿と親しい店らしいくて、絵師が見て描いたって」
 僅かに顔を俯けて正面から視線を逃しているのは、こんなふうに絵姿を写される事を戸惑っているようで、絵師が本人の性格まで写し取ったからかもしれない。
「絵じゃ高いが、版画だから刷り増しできて手頃にさばけるんだな。あれだ、うちも扱ってこの辺りで売ればいい商売になりそうじゃないか。王都じゃ若い娘っこ達がきゃあきゃあ言いながら買ってくんだ。南方公や西方公もあったが買ってくのはほぼ若い娘だよ」
「へえ」
 ブレンダンの熱心な口振りに感心してそう相槌を打ち、ザインはじっと絵を眺めた。
「ああ――ジンに良く似てる」
 懐かしそうに瞳を細め、呟く。
「若い頃にそっくりだ」
「あんたにも感じが似てると思ったよ。雰囲気みたいな――やっぱ同じ剣士なんだな」
「そうか」
 じっと絵姿に視線を落としているザインを、ブレンダンはしばらく黙って眺めた。
「――あんたに会いたがってたぜ。同じ剣士で、父親の友人だ、そりゃ会いたいだろう」
「――そうか」
「いつ来るかまでは決まってないが、必ず来るってよ。早いところ来ればいいんだが」
「近衛師団大将だ。西海との条約再締結が終わるまで難しいだろう。王の警護に付くだろうしな」
「それも王都の街でしきりに噂してた。もう来月だからそろそろ決まるんだろう」
 再び沈黙が落ちる。破ったのはブレンダンだった。彼らしく、率直に聞いた。
「ザイン。考えを変える気は無いか」
「――」
「聞いてるだろうが、マリは厳しい条件を突き付けてきた。国使を出してくるって事は、向こうさんはレガージュがやったって信じて疑ってないからだ。ちょっとやそっとの事じゃ条件は下げないだろう」
 ザインは黙って聞いている。
「カリカオテ達は、王に報告すると決めた」
「――王に……そうか」
 彼の手の中で、丸められて癖のついていた絵姿の紙は、くるりと元の状態に戻った。
 ザインが一度視線を落とす。もうレオアリスの姿は隠れて見えない。
 ザインはそれを卓の上に置いた。
「正しい判断だと思う」
「ザイン。王がどんなご判断をされるか判らない。カリカオテ達は不安だろう。こういう時こそあんたが先頭にいないと」
「――」
「街の連中だって不安になってる。下手すりゃ騒ぎが起きるぞ。王のご決定が下る前に街で騒ぎがあったら、それこそ申し開きできない。でもあんたが姿を見せて説明してやれば落ち着くさ」
 ブレンダンは掻き口説くようにして、ザインに考え直させる要素を幾つも上げた。
「それにその、その大将にだって、影響が出るかもしれない。あんたが西海と事を起したら、彼はどうなる」
「――」
 ザインは卓の上の筒状になった紙を見た。
「王都で立場が悪くなるんじゃないか。友人の息子だろう?」
 十七年前に起きた事件の為に、つい三ヶ月ほど前までは、王都でのレオアリスの立場は複雑なものだった。ザインがそれを知ったのはバインドの一件以降だったが、同じ剣士として――彼の父の友人として憂いを覚えた。
「ザイン。本当に俺達は、あんたが必要なんだ。この街に。子供等にとってはあんたは英雄だし、俺達にだってそうだ」
 ザインはしばらく視線を窓の外に向けていたが、やがてそれをブレンダンに戻した。
「――考えさせてくれ」
「も――もちろん。もちろんだ」
 ブレンダンの顔にさっと喜色が走ったのを見て、ザインは僅かに視線を逸らせた。
「じゃあな、いつでも呼んでくれ」



 ブレンダンが出て行き扉が閉ざされた後、ザインはもう一度絵姿の紙を取り上げた。
 広げると、かつての友人の顔が見上げる。
 本当に良く似ていた。
「会えないか――いや、会わせる顔がないな」
 壁の遥か向こうを透かし見る。
 北東の方角の彼方に王都があり、そこにいる彼の友人の忘れ形見を想った。
 ジンの息子。
 心から会いたいと思う。
 ジンや、彼の母の事を話してやりたい。おそらく彼は自分に聞きたい事が山とあるだろう。
 ザインは口の端を歪めた。
「顔向けができないのはジンにもか。でもまあジン、君も、かなり好き勝手やったけどな」
 随分と、自分勝手だと自覚している。
 ずっとこの街を護るつもりでいた。ほんの、数日前までは、疑いようもなく。
 それがフィオリの願いでもあった。
 だが、手が届くところに見えて・・・しまった。
「ジン」
 誰が許すだろう。
 彼なら許すだろうか。友人達の為に王に剣を向けたジンならば。
 いや。
 ザインは椅子に座り、背もたれに背中を預けた。薄暗い天井を見上げる。
 沈んで行く船が見える。
 目を閉じるとまるで、すぐそこにあるように、倒れている彼女の姿が浮かぶ。
 瞳も唇も、もう二度と開かない。
 両手を上げ、ザインは閉じたままの目を覆った。
 多分この両目をえぐっても、この光景は消えない。
「――俺にはフィオリが全てだ。何よりも――、俺の全てなんだよ」
 狂おしいほどに。
「許されなくてもいいんだ」
 こんな想いを、王都にいる若い剣士もいずれ負う時が来るのだろうかと、ふと思った。





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renewal:2011.01.29
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