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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第八章「死のあぎと」 (三)


 天幕を出て、一度ワッツは天幕の中を振り返ってから、池のほとりに立って丘を睨んでいるウィンスターに近寄った。ウィンスターはワッツを振り返り、短く問い掛ける。
「どうだ」
「意識を失ってるだけで、どこも負傷の跡はありません。ぱっと見、眠ってるだけに見えますよ」
 ウィンスターは頷いた。明らかに、その結果に満足しているように見える。
 ワッツの後ろの天幕の中に寝かせられているのはレオアリスだ。まだ眼を覚ます様子はない。
 ワッツは夕闇の落ちる池のほとりをぐるりと見回した。
 目に映るのは混乱の跡――まだ恐怖を張りつかせた戦場の跡だ。そして黒竜が消えたというのに恐怖は消え去るどころか、更なる、拭いようのない絶望がそこにはある。
 ――アナスタシアは、黒竜と共に落ちた。
「司令部へは伝令使を飛ばした。早ければ未明には、王都から援軍が着くだろう」
 呼んだのは法術師団の一隊だ。彼等が到着すれば――。
(黒竜を追撃するのか? 封じるのか?)
 どちらも容易くはない。追撃を選べば相当の被害を受けるだろう。下手をすれば再び黒竜は地上に戻り、この次は森から飛び立つかもしれない。
 だが、安易に封じる事を選べる状況にもないのは事実だった。
 落ちたアナスタシアの生死を確認できない以上、ただ黒竜を封じる事は、まだ生きているかもしれないアナスタシアごと封じる事になるかもしれないからだ。
 まずはアナスタシアの救出――生きていれば、という考えをワッツは首を振って打ち消した。救出には、必然的に地底へ部隊を投入する必要がある。
 満足な退路すらない、黒竜の領土へ。
(くそ)
 ワッツにしてみれば、何度もぬか喜びさせられ、その都度事態は悪化する気がしていた。
 そして今は、最悪の状況だ。
 この状況から抜け出して、望める結果は一体何か。
 ウィンスターはしばらくワッツの顔を眺めていたが、おそらく考えていた事は同じだっただろう。元々ウィンスターは追撃を考えて援軍を呼んでいる。
「……彼が目覚めたら呼べ」
 そう言うと、ウィンスターは池のほとりに沿って宿営地を歩き始めた。ワッツはその名を呼び、振り返ったウィンスターの厳しい顔に、一度唇を湿らせた。
「何だ」
 ワッツの持っている疑問に気付いているはずだが、ウィンスターは敢えて問い返してくる。
「――あの少年は何なんです」
 ウィンスターは底冷えのする瞳をワッツへ向けた。
「お前もあの時、黒竜の爪を断った光を見ただろう。あれは剣光――剣が纏う光だ」
 ワッツはウィンスターの言う意味が掴めずに眉を潜める。
「知らないか。……あの少年はまだ自覚していないが、剣光は現れた。自己防衛本能だろうな」
「大将。あんたが何の話をしてるのか、俺にはさっぱり……」
「彼は剣士だ」
 ウィンスターは自分の放った言葉の効果を測るように、じっとワッツに瞳を注いだ。ワッツが黙っているのを見て笑う。
「剣士を知らないのか? 剣士とは戦闘種と呼ばれる種族の一種だ。その主な特長として、彼等は自らの腕などを剣に変化させる」
 ウィンスターはワッツが判っている事を前提にした上で、まるで学生を前に説明する教師のような言葉使いをする。
「いや、それは知ってます、知ってますが」
「ならば、どんな意味を持つかも判るだろう」
『可能性があるのかと思って――剣士なら、黒竜を倒せるのか』
 レオアリスがウィンスターとの面会の後に、ワッツに尋ねた事だ。
 大戦で西の風竜を剣士が倒したのは今も語り継がれる話で、剣士は子供の頃の憧れの対象でもあった。ワッツはレオアリスの問いを、そうした少年らしい憧れと期待だと思った。
 だが、ウィンスターがレオアリスに面会した時、彼が既にレオアリスが剣士だと考えていたのであれば。
 ワッツはウィンスターの意図を理解した。それはできればあまり理解したく無かったものだとも言える。
「……大将、あんた本気で考えてんですか――。あんなガキに、黒竜と戦わせるつもりだったんですか?」
 ワッツは大将としてのウィンスターを尊敬している。統率力も状況判断も、十分信頼に足る男だ。
 だが、軍属でもなくまだ十四の子供にそんな事をさせるのは、どう考えても間違っているように思える。
 ウィンスターはワッツの批判の目にも、全く動じた様子はなかった。
「可能性から考えれば、有効な手段だ」
「可能性――?ガキに負わせて、それが正規軍の取る手段ですか」
 問い詰める早い口調に対して、ウィンスターはわざとゆっくり、声に力を籠めた。
「ワッツ――。我々には義務がある。黒竜を封じ、国土を守る義務だ。その為には最も可能性の高い手段を選ばなければならんのだ」
 最も高い可能性――? ワッツの脳裏に、咄嗟にレオアリスを助けに走ったチェンバーの姿が過ぎる。
「……チェンバーは、そんな事を考えてあいつを助けに行ったんじゃありません」
「お前は優秀な軍人だ。機転も効くし、部下を大切にする。――だが、甘い。それがお前を少将に留めているのだ」
 ぐっと唇を引き結び、ワッツは首を振った。
「……俺は、ずっと少将で構いませんよ」
 ウィンスターが何か言う前に、ワッツは一礼してその前を離れた。まだ騒ついている兵士達の間を歩き、もう一つの天幕に向かう。チェンバーが手当てを受けている天幕だ。
 天幕の布を繰り中を覗くと、包帯で全身を巻かれたチェンバーが横たわっている。交代で看ていたクーガーが顔を上げた。
「――骨は幾つかいっちまってますが、内臓が無事で。悪運強いですよ」
 そう言ったものの、泣き笑いのような顔になり、クーガーは慌てて顔を伏せた。命は助かったが、今いる医療班は足を落とす事になるだろうと告げられた。この先正規軍の任務をこなすのは難しいだろう。
 ワッツはその横に座り、チェンバーの顔を覗き込んだ。
「ああ、俺達ぁ悪運が強ぇ。――ガキに二度も救けられてなぁ」
 黒竜の息に呑まれもせずに、生き残った。何人命を落としたのか、まだ把握仕切れていない。
 ただ、チェンバーのように負傷した者は少なかった。皆あの酸の息に、瞬時に消えた。チェンバーの傷は逆に生々しい。
「チェンバー。俺が行きゃ良かったなぁ……」
 ワッツはチェンバーの血の気の失せた顔にじっと視線を落としたまま、ぼそりと呟いた。クーガーも顔を上げずに呟き返す。
「それを言うなら俺ですよ。独身だ。このおっさんより身軽なのに」
「お前は先がある。こういうのは年功序列だ」
「そんなしょうもねぇ決まり、誰が決めるんです」
 クーガーの非難の目に、ワッツは口をへの字に曲げる。
「ふん。じゃ、給料の多い順だ」
「……それなら納得します」
 ワッツは鼻に皺を寄せ、あぐらをかいた両膝に手を付いて、それから頭をつるりと撫で上げた。凝った力を抜くように肩を回す。
「ま、あんま湿っぽくてもいけねぇ。チェンバーが葬式と間違えてあの世へ行っちまう」
 そう言ってワッツは重い身体を起こした。向けられた背中にクーガーが声を掛ける。
「ワッツ少将、いつ出るんです?」
「何が」
「俺も行きます」
「――」
 クーガーは口元を引き締めて、ぐいとワッツの顔を見上げた。
「公女を救けに行くんでしょう。俺も志願しますよ」
「……余計な英雄根性はいらねぇぞ」
「まさか」
 クーガーはワッツの心を見透かしたように笑った。
「英雄にゃなれません。そんなのはチェンバーが息子に自慢するだけでいい」
「――判った。頭ぁ数えとくぜ」
 ワッツは頷いて、天幕を後にした。外へ出て、もう一度肩を回す。
 もう一つ、ワッツが気掛かりな眼を向けたのは、左の奥に設けられた天幕だ。そこは一番厳重で、周りに三名の兵士が立っている。内部は、今は眠ったように静かだった。
(どこもかしこも、堪らねぇな……)
 すっかり日は暮れかかっている。森から暗闇が手を伸ばし、池のほとりを染めようとするようだ。
 振り向けば、黒竜が消えた丘は、まだ頂の辺りに最後の陽が差しかかり、橙色に浮き上がっていた。





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