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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第九章「声」 (一)


 青白い光が辺りを染めた。見つめる前で、拡散していた光は次第に集まり、ゆっくりと一本の剣を形作る。
 長剣だ。
 鞘はない。初めから、鞘は存在しない。
 両刃の刄は白々として光を弾き、眼にする者の身を震わす。近寄るだけで、空気ごと切り裂かれそうだ。
 青白い光が鼓動のように脈打つ。
 その脈動を追う内に、ふと違和感を覚え、じっと眼を凝らした。
 違和感の理由はすぐに判った。
 剣は一本ではなく、重なるようにして、全く同じ造りの剣がもう一本あるのだ。
 二本の、青白く光る美しい長剣。
 魅入られたように眺めながら、その柄に手を伸ばそうとしたが、どうしても身体が動かなかった。
 剣を取りたい。
 やる事がある。
 剣を手に入れて、やるべき事がある。
 剣は焦れるように明滅した。
 剣もまた、彼が自分を手に取ることを望んでいる。渇望している。
 顕現を。
 身体が動かない。指一本上がらなかった。
 焦燥に煽られながら、明滅する剣を見つめる。明滅は次第に早くなる。
 やるべき事があるのだ。
 剣を――

『……呼べ』




 レオアリスは跳ねるように起き上がった。
 体全体で呼吸を繰り返し、肩が大きく上下する。
「剣」
 呟いて、それから咄嗟に辺りを見回した。あの長剣の姿は、影も形もない。
「――」
 冷たい汗が首筋を伝い、ぐいと手のひらでそれを拭った。全身が指の先まで冷えきっていたが、胃の辺りだけが熱を持っている。
 腹を押えるように手を当て、それからもう一度、レオアリスはぐるりと見回した。布で四方を覆った――見覚えのある天幕だ。
「ここは」
 物音に気付いたのか、天幕の布を捲り、男が大きな身体を半分入れた。彼にも見覚えがある。
「目ぇ醒めたか」
 そう言ったきり、男はじっとレオアリスに細い目を向けている。何かを告げようとして、それを迷っているように見えた。レオアリスは彼の名前を思い出した。
「……ワッツ少将」
「んああ、……飯食うか」
「飯……? 腹は、――減ってるけど、いや、それより」
 胃は素直に空腹を訴えてもいたが、どうも胃の辺りが重く熱を帯びていて、あまり食べたいとは思わなかった。それより確かめたい事が沢山ある。
「それよりも何も、食い盛りのガキが我慢するもんじゃねぇや。待ってろ」
 ワッツはそう言ってさっさと引っ込んでしまった。
「あ、ちょっと」
 まだ朦朧とした頭を押え、レオアリスは立ち上がった。記憶は曖昧で、自分が何をしていたのか、良く覚えていなかった。
(夢――)
 あの、青白く光を纏う剣。本当にそこにあって、息づいているかのようだった。
 手に取りたいと、強く焦れるように思った。
 『剣士』
 レオアリスは自分の両腕を見つめた。普通の、いつもと変わらない腕だ。力を込めてみても、何の変化もない。ぐっと拳を握り込み、暫くそうしていて、それからレオアリスは息を吐いた。
「夢だ」
 剣士だと、そう言われたから、それで夢を見たのだろう。まだふらつく膝に力を入れ、ワッツの出ていった布を繰り、天幕を出た。
 途端に目の前に広がったのは、薄闇の中に兵士達の立ち働く姿と、幾筋も昇る煙、それから池のほとりから森へと走る、無惨な傷痕だ。
 息を飲み――、記憶がどっと押し寄せる。
 アナスタシア、ウィンスターの言葉、森を歩いていた兵士達、雷撃、黒竜の巨大な姿――。
 振り下ろされる爪の冷たい光まで、鮮明に思い出した。
 まるでたった今振り下ろされたかのようにびくりと首を縮め、レオアリスは宙を凝視した。
 黒竜の姿はない。
 身体を見回しても、どこにも怪我一つ負っていないようだった。
(あの後、どうなったんだ……)
 目の前に迫った鋭い爪。切り裂かれると、そう思ったのを明確に覚えているのに、その後が判らない。何故助かったのか。
 そもそも、黒竜はどこに行ったのか。
 記憶の奥で青白い光が揺らめき、鼓動がどくりと鳴った時、傍らから声が掛けられた。
「気分はどうだ?」
 振り返った先にいたのはワッツではなくウィンスターだ。ウィンスターが近付いてくる間、レオアリスは戸惑いながらじっと立っていた。目の前に立つと、ウィンスターも見上げるほど背が高い。ワッツほどではないが、それでも六尺は超えていて、頭一つほど違うレオアリスには圧迫感を感じさせた。
「……悪くは、ありません」
 少し身を引きつつ取り敢えずそう答えたが、そこから先が続かない。昼にウィンスターと話した時は、レオアリスはその問いかけを否定し、ウィンスターはレオアリスをある意味見限ったような状況だった。
 あの夢。
「――」
 ウィンスターはレオアリスの沈黙を別の意味に取ったようだ。
「警戒するな、と言っても無理か」
 少し疲れているのか、ウィンスターは口元を微かに歪めて笑った。見れば濃紺の軍服は、すっかり砂埃に塗れている。大将としての威厳を損ねるものではなかったが、その様は今の状況の一端を物語っていた。ウィンスターが軽く息を吐き出す。
「取り繕っても仕方がないし、世間話をする間柄でもない」
 ウィンスターはちらりとレオアリスの肩越しに視線を投げた。ワッツが肩の張った身体を揺らすように歩いてくる。
 軍の携帯食料をいくつか持って戻ったワッツは、天幕の前に立つレオアリスとウィンスターの姿を認め、急に眉の辺りに慌てた色を浮かべた。手にした包みを懐に入れて素早く歩み寄り、ウィンスターとレオアリスの間に入るようにして敬礼する。
「失礼します、大将殿。気が付いたらお知らせするつもりでありましたが、先に飯をと思いまして」
 そう言ってレオアリスを天幕に戻そうとしたが、ウィンスターは構わず、切り込むようにレオアリスを見つめた。
「剣はどこにある?」
「こいつは今眼ェ覚ましたばかりです。いきなり聞いても何の事か判りませんよ」
 ワッツはレオアリスを庇うように早口で言ったが、レオアリスの肩がぴくりと反応したのをウィンスターは見逃さなかった。
「――剣なんて」
「ウィンスター殿、それはまた後で改めて」
 ワッツは二人の間に身体を入れ、押し留めるように両の手のひらをウィンスターに向けた。ウィンスターはその肩を押し、一歩近寄る。
「剣光が証明している。お前は剣士だ」
「剣光」
「青白い光――お前が持つ剣の光だ」
 レオアリスが瞳を見開く。
「青――」
 夢の、あの剣。青白い光を纏っていた――。
「でもあれは、夢だ。手に取れなかった」
 ワッツは細い眼をレオアリスの頬の上に視線を落とし、それから素早くウィンスターを見た。ウィンスターはレオアリスを見据えたまま、また一歩身を寄せる。レオアリスは押されるように一歩退った。
「お前は既に事態に関わった。最早知らぬで通る状況ではない。現に、チェンバーはお前を助けようとして重症を負っている」
「ウィンスター殿!」
 思わずワッツは声を荒げた。
「――チェンバーって……」
 レオアリスは血の気の引いた頬を張り詰め、確認するようにワッツを見上げた。ゆっくりと、状況が飲み込めてくるにつれ、ウィンスターの言葉が示す事実に、指先が冷えていく。
「重症……? まさか、あの時」
「命はある。お前が気にする事ぁねぇ、軍人である以上」
「この先、軍人としては働けまい。」
 ウィンスターはワッツの言葉を無情な程きっぱりと遮った。
「大将!」
 ワッツがウィンスターを睨む。レオアリスは二人の前で、視線を足元に落としたまま黙っている。
「お前が剣を使えれば、黒竜を倒せる可能性は高まる。チェンバーの犠牲を無駄にしたくないなら、その努力をしろ」
「大将、あんたは」
 ワッツは太い腕を今にも振り上げそうになるのを押さえて、ウィンスターに詰め寄った。ウィンスターはその様子を薄く笑ってあしらい、再びレオアリスに瞳を向けた。
「アスタロト公は黒竜と共に墜ちたぞ」
 レオアリスが顔を跳ね上げ瞳を見開いたのを、自嘲とも皮肉ともつかない面持ちで暫く見つめ、それから踵を返した。
「――待ってくれ」
 レオアリスの声は驚きに張り詰めている。
「アスタロトって、アナスタシアの事だろ? あいつがどうしたんだ。王都に帰ったはずじゃ」
 黒竜と共に、落ちた。
 どこに。
 頭の中に、言葉が激しく明滅するようだ。
 落ちた――アナスタシアが?
(何だ……、それ)
 鼓動が気持ち悪い位はっきりと感じられる。色々な事が頭の中で交じり合い、鬩ぎ合っていた。ウィンスターの声が、幕を通したようにくぐもって聞こえる。
「公は黒竜を退かせたが、ご自分も落ちられた」
 ウィンスターは半身を向け、レオアリスの瞳に答えるように足元、大地の下を指差した。
「――」
「我々は援軍が到着次第、いや、地下へ潜る道を発見次第ここを発つ。お前がどうすべきか、考えろ」
 レオアリスは棒を呑んだように立ち尽くし、再び歩き出したウィンスターの後ろ姿を追っている。
 ワッツは苛立ちを手のひらに押し潰した。爪が皮膚に食い込む。
 ウィンスターが何を目的にああ言ったのか、ワッツにも判っていた。好き好んで言っている訳でもないだろう。だが、負い目を負わせて無理に駆り立てようとするやり方は、ワッツには納得できなかった。
 レオアリスが剣士であっても、黒竜を斃せる保証はどこにもない。
「坊主、」
「――何があったのか、教えてください」
「お前の責任じゃねぇ」
「ワッツ少将っ」
 責任が無いと言われて、それで納得できるような話ではない事は、今のレオアリスにも判る。
「俺にだって、責任はあるはずだ!」
 その挑みかかるような視線に圧された訳ではないが、ワッツは暫く睨み合った後、根負けしたように息を吐いた。
「……確かに、責任っつーよりは、知る権利はあるな」
 特にチェンバーの事は、こうして知った以上はいくら厳しい事実であっても、曖昧に済ますべきではないのだろう。
(全く、堪んねぇ)
 告げる方も告げられる方も、行き場の無い話だ。ワッツは心底ウィンスターのやり方を恨んだが、今更言っても始まらない。
「……チェンバーは、あん時お前を救けようとして飛び出しやがった。黒竜の尾を食らったが、まあそれで生きてんだから強運だ」
「どこに……」
「――こっちだ」
 ワッツはレオアリスを手招いて歩き出した。様子が気掛かりになって首を巡らせれば、レオアリスはしっかりした足取りで付いて来ている。宿営地はさほど広くない。チェンバーのいる天幕はすぐそこだ。ワッツはしばし足を止め、レオアリスの横に並んだ。
「何度も言うようだが、チェンバーが負傷したのは、何もお前のせいだけじゃねぇ。お前は巻き込まれたようなもんだ。本来黒竜を相手にすんなぁ正規軍の役目だし、俺達がお前を連れて来なけりゃお前は黒竜に関わる事もなかったんだからな」
 そう告げる事がどれほどレオアリスの自責の念を和らげるのかは判らなかったし、気休めにも聞こえないだろうと思いはしたが、ワッツは言い含めるように言葉を継いだ。
「まあ、お前はだから、チェンバーに礼の一つも言ってやってくれ。それでいいんだ」
 それしかできないだろう、とはワッツは口にしなかった。
「――」
 納得していないのがありありと判るレオアリスの顔を斜めに眺め、ワッツは深い溜息をついた。チェンバーが寝ている天幕の布を繰る。
 ワッツの後から入ってきたレオアリスを見て、そこにいたウェインとクーガーは咎めるようにワッツに顔を向けた。二人とも、革の鎧を纏い手甲を付け、出立の準備をしている。
「連れてきちまったんですか」
「悪いな。――チェンバーは」
「今さっき、ちょっと目ぇ開けたんですが、痛み止めが効いてるから半分寝たような感じで」
 ワッツはレオアリスを促すのも忘れてさっとチェンバーの脇に座り、つい大きな声を出しそうになるのを抑えて早口に呼び掛けた。
「チェンバー、おい、……おい、聞こえるか?」
「また寝たんじゃ」
 ウェインが覗き込もうと首を延ばした時、チェンバーは身動いで目を開けた。左はまだ腫れていて、片目を瞑ったような状態で、右目だけをワッツに向ける。
「ワッツ少将……」
 声もまだ擦れがちで、漸く発している状態だ。身を起こそうとしたチェンバーを制して、ワッツはチェンバーの右側に座り直した。
「俺が判るか、チェンバー」
「あんたはでかいから、嫌でも目に入ります」
 チェンバーの擦れた軽口に、ワッツは笑っているのだか泣いているのだか判らない、くしゃくしゃな顔になった。
「……黒竜は」
「退いたぜ。もういねえ」
「良かった……。俺は、生きてんですねぇ。驚きだ」
「そうだ。ほんと強運だぜ、お前は」
「左足の感覚がねえや。無理ですかね」
 ワッツはぐっと息を飲み、言葉を探した。
「……軍も現場だけじゃねぇ。事務やってもらうさ」
「事務か。死ぬ危険がなくていいですね」
 笑おうとして咳き込み、身体を走った痛みに呻く。暫く、荒い呼吸の音だけが狭い天幕に聞こえていた。
 呼吸が落ち着くと、チェンバーは天幕の中を探すように瞳を動かした。
「……あのガキは?」
 まだ入口に立ったまま、レオアリスはびくりと肩を震わせた。
「姿が見えねぇ……まさか、」
 ワッツは一瞬、チェンバーの目が見えなくなったのかと思いぎょっとしたが、身動きできないチェンバーの位置からはレオアリスが見えないのだと気付いて、レオアリスを手招いた。
「安心しろ。お前はきっちり仕事したぜ。……ほら、こっちきて座れ」
 手招かれてレオアリスは漸く近付き、その傍らにしゃがみ込んだ。近付けば、包帯を巻かれた身体は所々に血が滲み、より痛々しい。
 ワッツがレオアリスの頭に手を置いて、ぐいとチェンバーの顔の前に突き出す。
「この通り無事だ。判るか?」
 瞳を見開いたレオアリスの視線の先で、チェンバーは少し頬を緩めた。
「ああ――。良かったなぁ、怪我、無いか?」
「――俺は、大丈夫です」
 何かを堪えるようにぐっと唇を引き結んだレオアリスを見て、チェンバーは口元だけで笑った。
「泣くなよ、十四の男が」
「泣いてる訳じゃ」
「うちのガキも、そんな顔するからな」
 親だから判る、と呟く。チェンバーはもう少し何か言いたそうだったが、薬が効いているせいだろう、また目蓋が落ちてきて、何度か眼をしばたたかせた。
「まあ、親が泣くより、いいか」
 そのまま眼を閉じると、すぐに静かな寝息を立て始めた。
 レオアリスは暫く身動ぎもせずに息を詰めていた。詫びる言葉も感謝の言葉も、どちらも言い損ねたままだ。
 離れ難いが、かといって何ができる訳でもない。ただそれはレオアリスが十四の子供ではなく大人でも、同じ軍人であっても変わらないだろう。できる事など僅かなものだ。その中で自分のできる何かを探すしかない。
(できる事……)
 何だろう。何があるだろう。
 剣。剣士。
 術。術にも治癒の領域はあるが、レオアリスの技量では、怪我を癒す術など使えない。
(何が――)
 レオアリスは黙っている間ずっと、それを頭の中で繰り返していた。
 クーガーもウェインも適当な言葉が思い付かなくて、意味もなく鎧の結びを直してみたりしている。ワッツは太い溜息をついて、区切りをつけるように膝を叩いた。
「さあ、もう寝かせといてやろうぜ。また後で話しゃいい」
 一度チェンバーの顔を見つめ、それから他の三人の顔を見回す。
「こいつは暫く王都の第一軍にやるつもりだ。王都ならいい医者がいるだろうからな。大将殿に話を通す」
 誰に、というよりは自分に言い聞かせるようにそう言って、ワッツはレオアリスの頭をくしゃくしゃにしてから立ち上がった。
「そう言や、お前に飯持ってきたはずなのに、どこやっちまったかな」
 ワッツの手は空だ。
「自分で食っちまったんじゃないですか」
「ふん。――ああ、あった」
 ワッツは懐から干し肉の包みと潰れた麺麭を取出し、暫く迷うようにレオアリスと見比べてから、ウェインとクーガーに差し出した。
「食うか?」
 受け取ったクーガーが顔をしかめる。
「……なまぬるいですよ」
「味は変わらねぇ」
「じゃ、何で俺達なんですか」
「ガキにこんなもん食わせて腹壊されたらまずいだろ」
「部下にひどい仕打ちをする上官だなぁ」
「ふん。ほら、いくぞ。狭い天幕に五人詰まってたら息苦しくていけねぇ」
 そう言うとワッツはレオアリスの背中を押して立ち上がらせ、先に天幕を出た。





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