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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第二章「春の嵐」 (四)


 親族会が開かれたのは一刻半後だった。
 予定より遅かったものの、良く短時間に集まったものだとアーシアは少し意外だったが、実際のところ、彼等はブラフォードが訪れるのに併せて用意していたのだ。
 長く大きな卓にズラリと並んだ十名ばかりの男達をそっと眺め、アーシアの中に不安が過る。
 アスタロト公爵家の中枢とも言える、長老会の面々だ。彼等は急遽に呼び出されて、あからさまに不機嫌そうな色を浮かべている。
 若いアナスタシアの言葉など、まるで受け付けそうもない風情だ。
 エレノアは真っ青な顔でアナスタシアの隣に座っていた。
 そしてアナスタシアは、彼等と対峙するように長い卓の一番先、当主としての席に着いている。
 アーシアは衝立ての陰に他の女官達と控えながら、自分の心臓が高鳴っているのが判った。
 暫く沈黙が続いていたが、一番最初に口を開いたのは、長老会の筆頭である、ソーントン侯爵だ。腰も曲った高齢でありながら、その声には矍鑠とした厳しい響きがある。
「まず、何故我々をお呼びになったのか、理由をお聞かせ願いますか」
 アナスタシアはソーントン侯爵を睨んだ。
「伯母上から話は聞いた」
「では、アスタロト公爵家の為になることと、貴方もさぞお喜びでしょうな」
 飄々と言ってのける老人に、アナスタシアは思わず椅子をずらして身を乗り出した。
「ふざけた事言ってんなよ!勝手に妙なはかりごとして、私は結婚なんかするつもりは無い!それが私の言いたい事だ」
 アナスタシアの厳しい声に恐縮するどころか、ソーントン侯爵は泰然と一族の長を見返した。
「貴方が我々をお呼びになった理由はそれだけですか」
「……そうだよ」
「判りました」
 意外な物分りのよさに拍子抜けさえ覚えてほっと息を吐き出しかけたアナスタシアに、ソーントン侯爵は冷えた声で更に続けた。
「では、ここからは我々の意志をお伝えします」
 アナスタシアは顔を上げ、卓の上を見渡した。ずらりと並んだ無表情な顔達が、アナスタシアへと視線を注いでいる。
「長老会一致の意志として、コットーナ伯爵夫人を後見人から罷免します」
「――な、」
 息を飲んだアナスタシアの隣で、エレノアは青ざめた顔を両手で覆い隠した。ソーントン侯爵の言葉は更に容赦なく、静まり返った室内に響いた。
「また、ファーガソン以下貴方のお世話をしてきた者達に関しても、この無能力を認め、現職を解くことと致します」
 アナスタシアは今度こそ、驚きに言葉を失って卓を見渡した。
 衝立ての後ろでアーシアも身を硬くする。女官達の一人が思わずその場にしゃがみ込んだ。
「何を、馬鹿な事……」
 唇を震わせ、アナスタシアは背後に立つファーガソンを振り返ったが、彼は顔を厳しく引き締めて何の感情も見せていない。アナスタシアは長老達を見渡した。長い髪が頭の動きを追うように肩を打つ。
「……何の理由があって、そんな事言うんだ!」
「アスタロト公爵家の当主をお世話するに相応しい能力が無いと判断した為です。昨夜にしても、途中で夜会を抜け出されるなど、管理能力の無さを問われるのは当然」
「そんなの、私が勝手にした事だ!」
「そのような事のないように万全に努めるのが、この者達の責務です」
 まるっきり感情の入り込む余地の無い声だった。ソーントン侯爵は、アナスタシアの顔をぐっと見つめた。
「……そんなの、認められる訳……」
「長老会の総意ですぞ。それを覆すと仰るのなら、長老会の三分の二を貴方が説得して見せる事ですな」
 見渡した長老達の顔は、アナスタシアの意志など受け付けないと、そう言わんばかりだ。まるで一枚の壁を前にしているように思えた。ぶ厚く高く取っ掛かりも無いそれを越えてみせろと言っている。
 胃がムカムカと、気持ち悪いほど熱を持つように感じられる。
「貴方には本日から、本邸にお移りいただきます。もちろんお世話の一切は本邸の管理官達が取り仕切るよう、既に手配をさせていただいております。御身一つで、お心置きなくお移りいただける。また、ファーガソン以下の者達に関しても相応の職は用意致します故、貴方がお心を痛められる必要はございません」
 悔しい。
 アナスタシアには何も出来なかった。
 甘く見過ぎていたのだと、今更ながらにアナスタシアは気が付いた。
 認めないと喚くだけでは何も始まらない。
 自らの意見を述べ彼等を説き伏せ意見を翻させる、その力の無さを、アナスタシアは拳を握り締めたまま、痛いほど噛み締めていた。
「お移りになる慌ただしさもございましょう。ベルゼビア公爵家には使者を送り、日を改めておいでいただくよう手配致します」
 アナスタシアが一言も言えないままに、長老達は丁寧な礼を施し、次々と席を立っていく。
 アナスタシアは暫く身動き一つせずに、その場に座っていた。



 そのまま馬車を仕立てられ、半ば強制的にアナスタシアは本邸に移る事になった。
 ファーガソンや屋敷の者達に詫びる間すら与えられず、ただアーシアだけが共に本邸まで行く事を許された。
 四頭立ての、敷地内を移動するだけには少し大げさ過ぎるほどの馬車が玄関前の馬車寄せに止められ、前後の護衛官と共にアナスタシアが出てくるのを待っている。
 明るいはずの玄関広間は火の消えたように重く静まり返って、ただアナスタシアを見送っていた。広間に並んだファーガソン達もアナスタシアも一言も発することなく、別れは呆気なく過ぎた。
 アーシアだけが、扉が閉ざされる瞬間に、彼等を振り返った。
 一瞬だけ、ファーガソンは頷いてみせただろうか。その姿はすぐに重い扉に閉ざされた。
 アナスタシアはおとなしく馬車に乗り、乗っている間も俯いたままじっと黙っていて、一言も発さなかった。いつもと全く違うアナスタシアの様子に、アーシアはより不安が強くなる。
 『アナスタシア様を送り届けたら、お前もそのまま館を退るのだ。これまでのアナスタシア様への献身に報いて、悪くない働き口を用意してある。明日からそこへ移れ。』
 長老会は徹底的にアナスタシアを今の体制から切り離すつもりのようだった。アーシアも、アナスタシアに別れを告げなくてはいけない。それを言い出す切っ掛けが掴めないまま、馬車は本邸に到着した。
 本邸は四階層の横に長く広がった造りで、縦に張り出した正面の棟を挟み左右の翼棟が完全な対照を造り上げている。南方のブリジア地方特産である白い花崗岩を用いて建造されたこの館は、その純白の壁面と翼棟の形が緑の庭園に憩う白鳥に喩えられ、白鳥宮とも呼ばれていた。
 けれど今はその美しさも、純白の壁すらくすんだ色に思える。
 玄関の広間には本邸の執事や女官達がずらりと並び、アナスタシアが姿を見せると同時に、一斉に恭しくお辞儀した。彼等の一番前に立っている女性が、本邸を取り仕切る執事のシュセールだ。
 ファーガソンよりも歳は若く見えるが、実際は彼女の方がアスタロト公爵家に長く仕えてきている。シュセールは穏やかな緑の瞳をアナスタシアに向けた。
 それまで先代アスタロト公に仕えてきた彼等は、やはり仕草も表情も一段と洗練され、ひとつの綻びも見えない。
「予定より早い時期ではございますが、貴方をお迎えできることを一同喜んでおります」
 黙ったまま視線も合わせようとしないアナスタシアにも一切困った表情を見せず、シュセールは先に立つと広間中央にある大階段へと向かった。女官長が丁寧に手を延べ、アナスタシアの左手を取る。
「アナスタシア様、こちらへ」
 上品で感情を見せない女官達に囲まれて、アナスタシアは大階段を昇っていく。
「あ」
 アーシアが心臓をどきりと踊らせ、アナスタシアに声をかけようと口を開きかけたとき、シュセールが振り返った。
「何をしているのです、お前もおいでなさい、アーシア」
 アーシアは驚いてシュセールを見つめた。今回の処置は既に本邸に伝わっているはずだ。だがシュセールは緑の瞳にまた微かな笑みを浮かべ、それは何故か先ほどのファーガソンの姿を思い出させた。
 再び、今度は傍らの女官に促され、少し躊躇ってから、アーシアはアナスタシアの後について歩き出した。
 大階段を二階まで昇ると、今度は左右に空中に掛けるような階段が三、四階へと玄関広間の吹き抜けの上に渡っている。光の中を上がっていくようで不思議な気分だ。
 四階まで昇りきり、左の翼棟へと、敷き詰められた絨毯を踏んで廊下を歩く間、誰も口を利かなかった。
 案内されたのはそれまで暮らしてきた館よりも、更に立派な、美しい装飾の施された部屋だ。
 部屋の中にはアナスタシアの為に、色とりどりの花々が飾られ、小卓の上にはおいしそうなお菓子がいくつも用意されていた。
 部屋の片側を占める大きな硝子戸は露台に繋がり、前に広がる気持ちのいい庭が眺められ、陽射しも心地良く室内に差し込んでいる。家具は繊細な彫刻や彩色を施された、優しい形のものが一揃え揃えられていた。
 アナスタシアが母に会いに来たときにも、見たことのない部屋だ。
 おそらく彼等は僅かな時間の中で、アナスタシアが一番気持ちよく過ごせる場所を丁寧に選んで用意したのだと、アーシアは室内を見渡した。
 その事に漸く、静かな安堵を覚える。
(……良かった)
 きっとここの人々も、アナスタシアを大切に支えてくれるだろう。
「暫くはこちらでゆっくりとお過ごしください。継承式後、お母上のお使いだった部屋へお移りいただけるよう整えさせていただきます」
 シュセールは恭しく、礼節の篭った態度でアナスタシアに告げたが、アナスタシアは彼等の顔を見ることも、声をかけることも無かった。
「必要な時はすぐお声をおかけください。貴方からお声が無い限りは貴方のお邪魔をしないよう、全ての者に申し渡してございます」
 それから、シュセールはもう少し何か言いたげに口元を動かしたものの、それを胸の裡に収め、女官達を伴って部屋を出て行った。
 アーシアはまだ立ったままのアナスタシアの傍に寄ると、その顔を覗き込んだ。
「アナスタシア様……ほんの少しでも、お声をお掛けになって差し上げるべきですよ。これから貴方のお世話をしてくださる方々です。アムネリア様の代からここにお仕えになっていて何度もお会いしてますし、皆さんいい方々でしょう?」
 自分はこれ以上アナスタシアの傍には居られない。だからこそ、アナスタシアは彼等と上手くやっていかなければいけない。
 それを告げようと、アーシアは息を吸い込んだ。
 シュセールはおそらく、アーシアがきちんとアナスタシアに話す時間を作ってくれたのだ。
「僕は――」
 ふいにアーシアは喉を詰まらせた。
 怖い。
 それを告げてしまったら最後、もうアナスタシアと会う事は出来なくなる。
 アナスタシアを独りにしてしまう。
(そうじゃない……)
 独りになってしまうのは、アーシアの方だ。
 また戻ってしまう。
 アナスタシアが手を引いてくれた、その前に。
「だから、顔を見ないようにしてたんだ。決心が揺らぐじゃんか」
「え?」
 アナスタシアが何を言ったのかと、アーシアは彼女の顔を見つめた。
「家を出るぞ」
 ふいに放たれた言葉に、一度首を傾げてから、アーシアは顔を跳ね上げた。
「…………は? …………な――何でそうなるんですか!」
 飛躍した。アーシアにはアナスタシアの思考が見えない。
 アナスタシアはくるりと身体ごと向き直ると、アーシアに指先を突きつけた。
「ちゃーんと考えて、わざとここまでおとなしく来てやったんだ。ここからまた抜け出せば、じじいどもはファーガス達の事だけ責任云々言えなくなるよな。ここの皆には悪いけど、でもファーガス達が悪いんじゃないって判るじゃん。てゆーか移したあいつらの判断間違いだ!」
 言い切った。
 思わずアーシアは頭を抱えた。
 違う。
 彼等が言っているのは、そういう事ではない。
「アナスタシア様、それは余りに早計だと思います」
 アナスタシアはアーシアをじろりと睨む。アーシアも負けじとアナスタシアの瞳を見つめ返した。
「まだお時間はあるでしょう? もっと良くお考えになれば、必ずいい方法が浮かぶはずです」
「そんなんじゃ間に合わない」
「アナスタシア様、」
「だって、アーシアだって行っちゃうんだろう!」
 アナスタシアは頭を強く振りたてた。反らした頬の線は一瞬泣いているのかとも見えたが、アナスタシアの瞳は怒ってアーシアを睨み付けた。
「――」
「顔見てりゃ判るよっ何だ、納得した顔しちゃって!」
「僕は」
「私は絶対納得しないからな! 認めない!」
「アナスタシア様」
「アーシアはずっと私といるんだから」
 アナスタシアの腕がさっと伸び、アーシアの身体を抱き締めた。
 幼いアナスタシアがあの日、ずっと彼にしがみついていたように。
 あの時よりもずっとアナスタシアは大人になり、抱きしめる腕も変わったけれど、その温もりはまるで変わっていない。腕に込められた力――アナスタシアの想いが、アーシアの背中に伝わってくる。
 結局、泣いてしまったのはアーシアの方だ。
「アーシアってさぁ、泣き虫だよね」
 アナスタシアは得意そうに笑って、アーシアの背中をあやすように叩いた。
「さて、そうと決まったら、さっさとここを出るぞ。書き置きいるよね、書き置き。居ない間にまた進められて、帰ってきたら結婚式の準備が整ってましたなんていったら冗談にならないしね」
 そう言うと、アナスタシアは力強い足どりで部屋の壁に向かった。一番広く取られた廊下側の壁。
 丁寧にかかっていた絵を外し。
 ひょいと、右手の中指と人差し指の二本に、炎を灯す。
 アナスタシアが母アスタロト公爵より受け継いだ、アスタロト家最大の特徴とも言える能力。
 それが有るが故に、アナスタシア以外はアスタロトを継ぐ事は出来ず、またアナスタシアがアスタロトを継がざるを得ない、――炎を従える能力だ。
 アスタロト公爵を差して「炎帝公」とも言うが、それは主に軍の者達が好んで使う、畏敬を込めた呼称だ。
 炎はアナスタシアの皮膚に僅かな温度すら伝えず、凝縮された小さな高温の固まりとして指先に紅く燃えている。
「はっきり意思表示しとかなきゃ」
 まだ涙の乾ききらない瞳のまま、アーシアは慌ててアナスタシアを止めようと両手を伸べた。
「ア、アナスタシア様……それはちょっと……!」
 アーシアが駆け寄る間もなく、アナスタシアは壁一面に、大きく文字を書き込んだ。壁の漆喰や木が焦げる臭いが室内に立ち込める。
 開いた窓から流れ込んだ風が、やがて焦げた臭いの大部分を運んで去っていった。
 白い壁に黒く焼け焦げて浮き上がった文字を満足そうに眺め、アナスタシアはくるりと振り返った。
 いつも通りの、屈託のない勝ち気な笑みを浮かべる。
 アーシアは思わず事態を忘れ、ほっとしてしまった。
 慌てて頭を振る。
(ほっとしてる場合じゃない)
 アーシアの焦りを知らぬ顔で、アナスタシアは壁に書き込んだ文字を読み上げた。
「『結婚、及びファーガス達の解任を取り下げること。それまで戻りません。』これでいいよな?」
「――いえ、……いや…………」
「さぁてと、何かやる気が出てきた。アーシア、ほら行こう。悪いけど準備よろしくね」
 行くなら、北か西だな、とアナスタシアは腕を組んだ。南はアスタロト公爵領でうろつくなんてとんでもないし、ベルゼビアの領域である東には、一歩だって足を踏み入れたくない。
「面白い事あるといいなぁ。ね、アーシア」
 そう言って変な顔をしているアーシアに微笑みかけると、アナスタシアは意気揚々と、窓から流れ込んでくる爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んだ。





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