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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

第六章「重なる軌跡」 (三)


 半円の月が薄い雲の帯に隠されるように、王都の上空に斜めに差し掛かっている。
 あと一刻もすれば明け方を迎えようという時分、王都の街は全ての明かりが落ちきる事も無く、夜の中に朧な外観を浮かび上がらせていた。中心に王城を擁し、いくつもの階層が小高い丘か山のように、円形の裾広がりに広がっている。
 美しき花弁、「アル・ディ・シウム」という名を持つ王都は、夜の中でぐるりと、世界を見渡すようだ。
 その周辺に広がる森の上を、三騎の飛竜が、霞むように浮かぶ王都を目指して飛んでいた。北の辺境を昨日の夕刻前に出た、ジェリド達の乗る飛竜だ。
 辺境と王都を隔てる距離は、約二千四百里。馬であれば二ヵ月半かかるその距離も、飛竜であればおよそ一日で飛ぶことが出来る。
 その距離すら、彼等は休む事無く飛び続け、はや数刻を縮めていた。
 王城の外壁前の厩舎に降り立つと、ジェリドは飛竜から降り、止まる様子も見せずに厩舎の入り口へと歩き出した。続こうとしたイレーヌがよろめいて飛竜にもたれかかる。
「お前は休んでよい」
「い、いえ、ジェリド師官」
「この先はお前は入る事はできん。私からスランザール殿にご報告申し上げ、その後はおそらく、王にお目通りする事になるだろう」
「――承知いたしました」
 ジェリドはイレーヌが頷くのを見届けると、舎人に飛竜を休ませるよう指示しながら、出口へと向かった。
 厩舎を出ると、すぐ右手に高い城壁が聳えている。城下と王城とを隔てる城壁だ。一定の距離を置いて、歩哨がその上を歩くのが、揺れる松明の灯りで見て取れる。
 王城の外壁にぐるりと巡らせた堀の上には門への橋が掛けられており、その先の門の前に、二人の近衛師団兵が立っていた。城門は常に開かれている。近衛師団兵はジェリドの身分を確認すると、遮るように交差させていた長槍を引いて一礼した。
 門の先には広い前庭が広がり、門から真っ直ぐに、玉石を敷いた幅広の道が王城の正面玄関へと繋がっている。城までの距離はあるが、王城の正面玄関へ馬車を寄せられるのは、侯爵位以上の貴族達か、官吏で言えば内政官房など各官衙の副長官以上、軍では正規、師団ともに総将とその副官まで、と定められていた。
 ジェリドは玉石を踏みながら、明け方の静けさの漂う前庭を歩き、再び近衛師団兵の立つ正面玄関を潜って、巨大な広間へと入った。夜の灯りの中では、見上げても天井は見えない。扉と相対するように上層へと続く大階段があるが、ジェリドはそれを昇らず、その左手にある廊下へと足を進めた。
 一度中庭に出て、夜目にも白い純白の花崗岩を編むように造られた長い回廊を渡り、一枚のぶ厚い青銅の扉の前に立つ。扉にはジェリドが纏う長衣に施されている刺繍と同じ、枝葉を茂らせた一本の樹が浮き彫りにされている。
 そこは王城の中庭に設けられた、王立文書宮だ。
 取っ手の無い扉を押し開けると、人気の無い空間が広がった。この部屋の壁には一面の書棚が設けられ、左右の暗がりには、隣室への通路が口を開けているのが見て取れる。その奥には幾つもの書室が連なって、膨大な量の書物を収めている。
 ジェリドが右手へ進み、いくつかの書室を過ぎる間にも、熱心な学士やおそらく王立学術院の院生達だろう数人が、まだ机の前に書物を山積みにして燭台の灯りに眼を落としている姿がある。彼等はジェリドに気付くと丁寧に礼をした。
 文書宮長と書かれた扉の前に立ち、右手を上げて扉を叩くと、中からくぐもった声が聞こえた。
「失礼いたします。只今帰都いたしました」
 ジェリドは扉を開き、それから部屋の奥に置かれた机に眼を向けた。机の上には先ほどの学士達にも負けず劣らず、何層もの書物の地層が出来上がっている。部屋の壁は全て本で埋め尽くされていた。
「随分早い帰りじゃの。何をそんなに急ぐのか。温泉にでも浸かってくれば良かったのにのぅ」
 ジェリドの纏った空気とはまるでかけ離れた声が、その地層の奥からもごもごと返る。
「……伝令使でお伝えしておりますが、より詳細なご報告は必要でございましょう」
「辺境から子供が一人、王都を目指した。良くある話じゃ。慌てる必要も無いの」
 地層の奥の主、王立文書宮の長にして、また王立学術院長でもあるスランザールは、そう言うと皺と白い髯に覆われた首をひょいと突き出した。ジェリドよりもふた周り、いや三周りほどは小柄な、子供のような姿をしている。
 ジェリドは漸く見えた上官の顔に、複雑な顔で一礼した。
「不満そうじゃのう」
「いえ……しかし、たかが子供が一人という類の話では」
「たかがなどと言っとらん。子供が大志を抱くのは大事な事じゃ」
 ジェリドは急く気持ちをぐっと抑えた。このスランザールという老賢者を相手にすると、故意か無意識にか、すぐ話を煙に巻かれてしまう。
「貴方はご存知でしょう。あの子供、彼が王都を目指すことによって想定されるものは、大志という言葉で済ませられる」
「そう言うと思うて、既に王に取次ぎはしておいたわ」
「――」
 スランザールは髯の下でくぐもった声を出し、それから皺に隠れてしまいそうな小さな眼をジェリドに向けた。
「そなたが直接、王にご奏上申し上げるかの?」
「い、いえ、私などが」
「と言っても、もうそう伝えてしまった。それ行くぞ」
「は――」
 スランザールは掛けていた椅子から飛び降りると、ひょいひょいとジェリドの脇を抜け、さっさと扉を開けてから振り返った。
「何を怯えておるのじゃ。王は別にそなたを取って食いやせん」
「いえ、しかし」
 まずはスランザールへ事の次第を説明し、その後王への奏上はスランザールから行われるのものと考えていたジェリドは、思わずうろたえた。
 ジェリドは文書宮の上級官僚ではあるが、それでも直接王と言葉を交わす機会は少ない。緊張は無理もない事と言えた。
 だが、スランザールはもう既に廊下を歩き出していて、ジェリドはまだ落ち着かないままに上官の後を追った。


 王城の中層ほどに、王が諸侯へと謁見するための広間がある。円錐の柱を連ねた広大な広間は、この国の百十三家の諸候および各官衙の首級諸官が、一同に会する事が可能なほどの空間を持っている。
 今はしんと闇を落とした広間の、真っ直ぐに敷かれた深緑の絨毯の先、十数段の階段を上がったところに、王の玉座があった。
 階段の手前には、一人の背の高い老齢の男が立っている。腰に長剣を佩び、黒の軍服に、同じく黒の長布を纏うその男は、王の守護兵団、近衛師団の総将であるアヴァロンだ。彼は常に王の傍に控え、彼一人が王の前で帯刀を許されている。
 鋭い眼光を向けられ、ジェリドはぐっと手足が緊張するのが判った。
 スランザールはその前で一旦足を止め、ジェリドは緊張の面持ちでその場に膝を付いた。ちらりと視線を上げると、壇上の、高い天井から流れ落ちるような暗紅色の長布の前に、燻したような銀の材質で造られ精緻な彫刻を施された玉座が置かれている。その右隣に既に立つ背の高い男の姿に、ジェリドは息を飲んだ。
 だが、王ではない。玉座はまだ空だ。玉座の横に立つのは、四大公爵家の筆頭、内政官房の長である、北方公ベールだった。四大公の中でも特に、大公と呼ばれている。
「スランザール殿、貴方は壇上へ」
 アヴァロンは低く落ち着いた声でスランザールを促したが、スランザールは首を竦めた。
「ここにこの者一人を置いてしまっては、さすがに気が咎めるの。お前さんが居て、大公が居られる上に、王へ直接ご奏上申し上げなくてはならぬのでは、皆舌が凍りつこう」
 スランザールは王の相談役として、壇上に上がれる数少ない存在でもある。ジェリドはスランザールの言葉に、思わずほっと息を吐き出した。アヴァロンは微かに笑った。
「では――。程なく、王がお出でになる」
 ジェリドもスランザールも、その場で頭を伏せた。しん、と、今まで以上の静寂が落ちる。
 ジェリドが緊張の余り冷や汗を滲ませたころ、微かな衣擦れの音が聞こえた。
「御前である」 ベールの低い響きに打たれるように、ジェリドは更に深く上体を下げた。心音が聞こえるほどの緊張の中、再びベールの言葉がかかった。
「文書宮管理官長ジェリド・ラザール、面を上げよ」
 ゆっくりと身体を起したジェリドの視界が、玉座を捉える。そこに座す存在の姿を。
 定例の謁見に出席する事は多いが、これほど間近に王の姿を見たのは、ジェリドには初めてだった。
 その姿を眼にするだけで、身が震えるのが判る。
 外見だけならば、王はジェリドやアヴァロンよりも若く見える。短めの銀髪を後ろに流し、幾重もの暗紅色の長衣に包んだ長身を玉座の背に預けて座すその壮年の姿は、それだけで周囲を圧倒し、竦ませる程の空気を身に纏っていた。
 鋭い容貌の中の金色の瞳が、全てを見通すような光を湛えてジェリドに向けられた。
「遠路の旅路、苦労をかけた」
 低く威厳を含んだ声が流れる。王からの直接の労いに、ジェリドは歓喜を含んで身を震わせた。
「は――」
 王に相対する者は誰しも、畏怖と、そしてその前に在る事への歓喜を覚える。長きに渡って王国を支配する王者の持つ風格に圧倒されるのだ。
 再び上体を深く伏せたジェリドに、ベールは促すように声をかけた。
「既に王はそなたの一報を聞き及んでおられる。簡潔に次第をご報告申し上げよ」
 呼吸を整え、数度唇を湿らせてからジェリドは上体を起し、まだ顔を伏せたまま、北方のあの村での事の次第を語った。王は何も言わずに、ジェリドの言葉に耳を傾けている。
 レオアリスが御前試合に出る為に村を出た事を告げた時、ふと王は口元に笑みを浮かべた。傍らに立つベールはその笑みに気付いて、王より少し薄い金の瞳を細めた。
 ジェリドの報告が終わると、束の間の沈黙が謁見の間に落ちる。どうすべきか、ジェリドが微かに身じろぎをした時、王が口を開いた。
「カトゥシュの黒竜。これは既に正規軍が軍を配備し、一帯を封鎖している。そうであったな」
 ベールは頷いた。
「夕刻に封鎖完了の報告が届いております。もう一つ、アスタロト公爵家の公女、アナスタシアに関する報告もまた、同時刻に入ったものです」
 まったく思いも寄らない名前を耳にして、ジェリドは顔を伏せたまま戸惑った。だが壇上とこの階下ではまるで別世界のように、ジェリドの躊躇いなど無いもののように言葉が交わされる。
「正規軍は現在、捜索の一隊をカトゥシュへ展開させています。無論アナスタシアを捜す為ではありますが、その過程で彼の少年を見い出す事もあるでしょう。身柄を押さえた場合、どうなさいますか」
「どうとは」
「北方の村へ送還するか、或いは王都にて一度審議に掛けるか、その二通りがございましょう」
 王は笑った。その二つとも、まるで話にならないというような響きだ。王の意志を測るように向けられたベール、アヴァロン、そしてスランザールの眼に応えるように、王はその金色の瞳をぐるりと巡らせた。
「私は、あれが王都に来る事を妨げる気は無い」
 三名は束の間の沈黙の後、それぞれの思考に向くべき方向を定めたかのように、ゆっくりと深く礼をした。
 ベールがジェリドに視線を落とす。
「ジェリド・ラザール。そなたは退ってよい。あの北方の村へは、彼の身を案ずるには及ばないこと、それを伝えるのだ」
「――は、し、承知いたしました」
 ジェリドには、今自分からかけ離れた空間で、一体どんな意志が交わされたのか、それを読み取る事は出来なかった。
 だがそれ以上の詮索をする権利はジェリドには無く、ジェリドは一度深く頭を垂れてから、深緑の絨毯の上を、謁見の間の扉へと向かった。
 扉が静かに閉ざされる音を遠くに聞いて、スランザールは王へと顔を戻した。王の瞳は、謁見の間の中空、立ち並ぶ円柱の間の闇を見透かすように向けられている。その先にあるのはカトゥシュだろうかと、スランザールはちらりと思った。
 全てを見通すといわれる金色の瞳で、カトゥシュに起こる事を見通しているのか。
 それとも、過去か。
「さて、カトゥシュに黒竜が現われ、同時期に北方のあの少年は、御前試合の為にカトゥシュへ入った。――王のお心の中では、どのような算段が出来上がっておるのですかな」
 王は一つ笑っただけだった。スランザールは皺顔を更にくしゃくしゃにした。
「彼等はこうした際の守り手でもございました。彼等の失われた黒森から黒竜が目覚め、カトゥシュへ向かい、そしてまた彼等の血を引く者もカトゥシュへ向かった。何やら運命的でもありますな」
「偶然だ」
 王はゆったりと玉座に身を委ねたまま、スランザールに視線を向けた。
「そこまでの予見など、誰一人出来ん」
 黄金の瞳を細める姿は、事態を楽しんでいるようにも見える。スランザールは皺ぶいた顔の中で、瞳をしばたかせた。





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