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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

終章「その先へ」 (一)


 足元に広がっていたのどかな田園風景の中に、再びぽつりぽつりと小さな森が現れ始めたかと思うと、それはすぐに一帯を覆う緑の帯になった。ずっと彼等を追いかけるように続いていた街道の白い筋が、その森の中に潜り込む。アーシアの翼が大きく風を打ち、気流に乗ってぐんと滑空する。
「レオアリス」
 アナスタシアが指差す前に、レオアリスの眼もそれを捉えていた。
 青い空と緑の帯の間で、陽光を弾くものがある。アーシアの翼が風を煽る度に、それは次第に姿を現し始めた。
 幾つもの尖塔。陽光を弾いていたのはその甍や窓だ。尖塔は近付くごとにゆっくり空に伸びて行く。
 尖塔に続く優美な城が現われ、そこから更に堅牢な城郭が城を取り巻く。外側に山の裾のように広がるなだらかな城下の街――。
 王都だ。
 アル・ディ・シウム――「美しき花弁」と賞賛される、この国の中心部。
 この国を統べる王の居都。
 それは急速に、レオアリスへと近付いてくる。もう既に、尖塔や城郭に棚引く旗まで肉眼で見る事ができた。
 近付けば近付くほど、その信じられないほどの巨大な街に圧倒され、レオアリスはただ息を飲んだ。王都の姿はまるで森の中に突如として立ち現れた山のように見える。小さな山などよりも広く、書物の知識だけでは到底想像も付かない規模だ。
「すげぇ……本当にあれが街なのか」
 レオアリスの呟きに、アナスタシアは我が事のように得意げに顎を持ち上げた。
「そうだよ。あれが王都アル・ディ・シウム。私の生まれ育った街で――これからの、お前の舞台だ」
 アナスタシアの深紅の瞳が陽光を吸い込んだようにきらきらと輝いている。それを見つめ返すレオアリスの漆黒の瞳もまた、それ以上の輝きを、期待、憧れ、驚き、微かな不安さえ全て一つにその中に湛えている。
 その瞳のまま、レオアリスは真っ直ぐ王都を見つめ、もう一度確かめるように呟いた。
 辿り着いたのだ。
「あれが、王都か」
 既に足元を緑に染めていた森は通り過ぎ、なだらかな起伏の上に作物の緑の帯と川と街道、点在する民家の景色が描かれている。その牧歌的風景の中で少し変わっているのは、王都の周りを幾つもの施設が取り巻いている事だ。
 建物一棟につき、広い楕円形の敷地がそれぞれ付随している。
 そして敷地の中では、鎧を纏った兵士達がずらりと並んで陣形を組み、手にした剣や槍を閃かせていた。兵列が波打ち、次第に別の陣形へと位置を変えていく。
 レオアリスは驚いて、アーシアの背から身を乗り出した。
「戦闘――? おい、あれってまさか」
「違う違う、あれは演習。ここらは軍の演習場なの」
「演習場、なのか、あれが……」
 物々しい空気は、知らない者にはこれから戦が始まるのかと驚かされる。
「あれは師団だな。旗が出てるだろ。黒い」
「師団――」
 近衛師団。王の守護兵団の事だ。
 演習場の周囲や陣形の中に靡く旗は、黒地に暗紅色の双頭の蛇。黒は近衛師団を表し、暗紅色の紋章は王を表す。
 その紋章、そして近衛師団旗に、レオアリスは幼い頃書物で見た時に覚えた憧れの篭った瞳を向けた。
 物見櫓にいて指揮を取っていたらしき一人の将校が、上空を駆け抜ける珍しい青い飛竜に気付いて空を仰ぐ。銀髪で大柄な壮年の男だ。その隣にいた緋色の髪をした女性が、彼の様子に気付いて同じように空を見上げた。
 視線が合う前に、アーシアは演習場の上を通り過ぎた。
「本当は街を案内してやりたいけど、うちまで歩くと相当な距離だから……二刻以上かかるかな、今日は真っ直ぐうちに行くよ」
 王都を取り囲む高い外壁を越えると、あの演習場から感じた物々しさは一転、密集した高い建物と入り組んだ通りの喧騒に変わる。アーシアの翼は速く、建物はゆっくり眺める間もなく眼下を通り過ぎるが、上空から垣間見る複雑な街の構造は、知らずに迷い込んだら出て来れないのではないかと思うほどだ。
「ここは第一層、いわゆる下町。いろんな種類の屋台とかいつもいっぱいあるし路地とか迷路みたいで面白いぞ」
 そういってアナスタシアは降りたそうに首を伸ばした。緩やかな斜面に沿って王城へ向けて飛ぶに従い、その光景は次第に整えられ、一つ一つの建物の敷地も広がっていく。
「ここは中層。商人達とかが多い。意外とここらへんが美味しい店が一番多いんだって。それから上層。ここらの店は美味しいんだけど、歩きながら食べられるところが少ないの」
 アナスタシア独自の感想で、街の紹介が続く。
「ここからが王城」
 堅牢な城壁とそれを取り囲む堀の上を過ぎた時、アナスタシアはそう言ってレオアリスに一帯を指差してみせた。
「第一層は軍の兵舎と指令部がある。第二層が軍の将校の屋敷で、第三層が諸侯の屋敷。それから――」
 アナスタシアは伸べていた指をすいと上げた。
 先ほど遠くから見た、優美な城と空に伸びる尖塔が、もう目の前にある。
「王の居城だ」
 黒と銀を基調にした、壮麗な城だ。レオアリスはその威容を喉を反らせるようにして見つめた。
(王の居城――)
 あの窓のどこかに、王が本当にいるのだ。どくりと鼓動が高鳴った。
(本当に、来たんだ)
「アナスタシア様、降ります」
 アーシアが真下にある緑の敷地を目指して、円を描くように降下を開始する。第三層というこの辺りは広い敷地を持つ屋敷が多かったが、これまで目にした中で一番広いその敷地は緑の絨毯に覆われ、レオアリスの眼にも職人達が手を掛けた事が一目で判る美しい庭園が幾つも広がっている。
 敷地内には複数の広い館が点在するが、あれはもしかして全てアスタロト公爵家の屋敷なのだろうかと、レオアリスは呆れる思いで見回した。敷地内には小さな森や池まである。
 アーシアが降りようとしているのは、一際大きな白い外壁の館――白鳥が翼を広げた姿に似ている事から白鳥宮と讃えられる、アスタロト公爵家本邸の前の庭園だ。
 庭にいた者達が気付き、何人かが館に走りこむ。すぐに倍以上の人が館の入り口から姿を現わした。
「アーシア! ファーガスだ! もしかして、皆いる?!」
 アナスタシアが嬉しそうに叫んで、見上げる人達の間を指差した。


「ファーガス! 皆!」
 アナスタシアはアーシアの背から飛び降りると、待ち受けていた人達の中に駆け込んだ。
 白髪を丁寧に整えた身だしなみの良い紳士が、アナスタシアに向かって深々と頭を下げる。周囲の女官達もアナスタシア深くお辞儀し、それからわっとアナスタシアを取り囲んだ。
「アナスタシア様、よくご無事で――」
「どれほど心配したか」
「まぁまぁ大変、こんなに御髪も御衣装も埃塗れになさって」
 アナスタシアの姿を嬉しそうに眺めては、湯浴みの用意をしなくてはと言って何人かが駆け出し、お食事の用意をと言ってはまた数名が館に走っていく。温かい混乱の中、ずっと頭を下げていたファーガソンは漸く身体を起し、アナスタシアを見つめた。
「ご無事なお姿を拝見し、嬉しゅうございます」
「ファーガス! 良かった、居てくれて――!」
 アナスタシアはファーガソンに抱きついた。埃塗れの主の肩を、ファーガソンが広い手のひらで包む。それから少し厳しい表情を浮かべてアナスタシアを見た。
「心配しておりました。館の者達は毎日心臓の潰れそうな思いで過ごしていたのですぞ。まずは彼等にお言葉を」
 アナスタシアは素直に頷いて、見守る人々に顔を向けた。きゅっと頬を引き締めて深々と頭を下げる。
「ゴメン、皆。本当に心配をかけた」
「――ま、まぁアナスタシア様、私達に頭を下げるなんてお止めください」
 女官達は慌ててアナスタシアの肩にそっと触れると、その身体を起した。ただ彼等の表情の上には、新鮮で、喜びの交じった驚きがある。
 アナスタシアは今までも、彼等にとって温かい、身近な主だったが、今のアナスタシアはその親しみやすさだけではない、深い思慮を感じさせた。
 深紅の瞳がそこにいる全員の瞳を見つめてから、期待を籠めてファーガソンの上に戻された。
「長老会は皆を首にするのをやめたの?」
「撤回されてはおりません。貴方がお戻りになるまではと止められただけですから……」
 アナスタシアが家を出た事が外部に知れ渡らないように、事情を知る者を留める措置をしただけだ。長老会の決定がまだ生きている事を知って、アナスタシアは顔をしかめた。
「全然変わって無いじゃん、どうしよう。また」
「出奔なさるなど、もう二度とお止めください」
 ファーガソンにきっぱりと釘を刺され、アナスタシアが唇を尖らせる。
「だって、それ以外に」
「我々は構いません。もともと貴方様が公爵家をお継ぎになる間まで、あのお館を預かっていたのです。ですが貴方は確かに、この公爵家を統治するお方として、この先長老会と上手に付き合っていかなくてはなりませんから、もう少し方法を探されるのは良い事です」
「そんなのどうでもいいよ。今、皆がここにいられる方法を探す。私に任せて」
 ファーガソンは今度は否定せず、柔らかい笑みを浮かべた。それから離れた所に立つアーシアと、もう一人の少年に顔を向ける。
「アーシアも無事で良かった。――あちらの方は」
 アナスタシアの顔がぱっと輝いた。
「旅で知り合ったんだ。私の友達」
「ご友人……」
 灰色の瞳を見開いて、ファーガソンはアナスタシアの嬉しそうな顔を見つめた。アナスタシアの口から「友達」という言葉を聞いたのは、十四年間身の回りの世話をしてきたファーガソンでさえ初めての事だ。
「王の御前試合に出るんだよ。絶対優勝する、私の保証付き! 今皆に紹介するから――レオアリス!」
 明らかにこの光景に戸惑っていたレオアリスは、傍らのアーシアに促され、駆け戻ってくるアナスタシアへと歩き出した。途中から走り寄ったアナスタシアに腕を捕まれ、小走りに輪の中に連れて行かれる。驚きと好奇心の瞳が集中する。それは少しも嫌な印象を受けないものだったが、それでもレオアリスは緊張して背筋を伸ばした。
「レオアリスだ。私と同じ十四歳。御前試合に出る為に王都に来たんだ」
 レオアリスが慣れないながらも礼をしてまた顔を上げる間、ファーガソンは丁寧に、何かを判断しようとするような眼でレオアリスを見つめていた。つまりはアナスタシアが連れてきた少年が、アナスタシアの友人に相応しいか確かめようとする視線だ。
 重い視線にレオアリスは思わず身を固め、ただ逸らしてはいけないとそう思って、ファーガソンの灰色の瞳を見返した。
 暫く瞳を逸らさず見つめた後、ファーガソンはにこりと笑った。
「良い眼をしておいでだ。アナスタシアお嬢様の連れてこられた方であれば、歓迎します」
 ファーガソンの一言で、それまでじっと様子を見守っていた女官達がふわりと裾を持ち上げ、深くお辞儀する。アナスタシアは嬉しそうに輝かせた瞳を、まだ驚いているレオアリスに向けた。
「お腹空いたね」


「やっぱ、どっかに宿取れば良かったなぁ……」
 レオアリスは高い天井を見上げて、盛大な息を吐いた。
 とんでもない目に合った。
 アナスタシアから紹介された後は、この館の女官だという女性達に寄ってたかって取り囲まれて訳の判らない内に館の中に運ばれた。溺れそうな程広い風呂に放り込まれ、身体を洗おうと言い出した女官達を生きた心地のしないままに追い返し、漸く落ち着いたかと思えば、今度はだたっぴろい食堂とやらでやたらと長い卓に着かされ、何だか判らない凝りに凝った料理を次々と出されて、席の後ろにずらりと並ぶ女官達の視線の中で味も判らないままに口にした。
「食った気がしねぇ……」
 女官達がずらりと並んでいたのは主や客の世話をいつでも滞りなくできるようにという、アスタロトのような裕福な貴族の屋敷ではさほど珍しくない状況だが、今まで自分達で鍋をつつき合っていたレオアリスにしてみれば、落ち着いて食べられたものではない。あんな視線の集中する中で、アナスタシアが全く気にせず、しかも尋常ではない量をぺろりと食べていた姿が不思議でならない。
 しかもまた、与えられたこの客間が、まるで生まれ育った家一つがすっぽり入ってもまだ余裕があるほど広かった。部屋は無駄に三つもあるし、天井も、家の屋根より高い。
「何だそりゃ」
 柔らかすぎる絹張りの寝台は厚意を無駄にするようで申し訳ないが、レオアリスにはあまり向かないようだ。何だか村を出てからの旅路や黒竜と戦ったあの時よりも、どっと疲れた気がした。
 村の素朴な食事と、低い天井と、寝返りを打つたびにガサガサ音を立てる藁の寝台が懐かしい。
 夕食後にアナスタシアと話していて、どこかに宿を取ろうかと言った時にはもの凄い勢いで否定されたが、やはり明日は街の、あの複雑な迷路のような辺りで宿を取ろうと真剣に思っていた。
 だがそれは別にして、館の人々は皆温かく、本当にアナスタシアを大事にしているのはレオアリスにも感じられた。彼等が解雇される事に怒ってアナスタシアが家を飛び出した気持ちも、何となく理解できる。
「家か――」
 祖父達はどうしているだろう。全く便りを出さずに、きっと心配しているに違いない。彼等に囲まれて嬉しそうに身振り手振りで旅の話をしているアナスタシアを見ていて、祖父達に会いたい気持ちがとても強くなった。
 本当は今すぐにでも、祖父達に会って、色々な話をしたい。レオアリスが経験した事を――剣の事を話したら、どんな顔をするだろう。
「取り敢えず、カイに一度伝えに行ってもらおう……それとも、御前試合の結果が出てからにするかな……」
 故郷の村とこの王都の間には、何千里という果てしない距離が横たわっている。今すぐ、一瞬でこの距離を渡れる法術を使えればいいのにと、そう思いながら、睡魔は確実にレオアリスを捕らえて、深い眠りに引き込んだ。


「どうしよう、アーシア。長老会を何とかやり込めるいい方法ないかな?」
 久しぶりの絹の寝台に寝そべって、アナスタシアは頬杖を付いて寝台の脇に座るアーシアを見つめた。柔らかい寝台が心地良く、お腹も久しぶりに満たされて、気を抜くとふわふわと漂う睡魔に引き込まれてしまいそうだ。
 頬杖を付いたまま頭ががくんと落ち、アナスタシアははっと顔を上げた。ぷるぷると首を振り自分を叱咤する。
「いい方法、考えなきゃ〜」
 必死で瞼を持ち上げようとするアナスタシアの姿に、アーシアはくすりと笑みを零した。
「もう今日はお休みください、アナスタシア様。明日また考えればいいです」
「うん……。明日は、レオアリスを街に連れてってやるんだー……。明後日はどうしよう……そうだ、試合の登録にいかなきゃね……、どこで、やってる……のかなぁ」
 アーシアが返事をする前に、アナスタシアの頭がぽとんと枕の上に落ち、すぐに小さな寝息を立て始めた。
 幸せそうなその寝顔を、アーシアは微笑を浮かべて眺める。それから立ち上がり、壁に掛けられた灯りを一つ一つ吹き消して、廊下に出ると扉をそっと閉ざした。





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