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「竜の宝玉とはじまりの森(仮)」

終章「その先へ」 (二)


「何だ、これ――」
 レオアリスは立ち尽くしたまま、ぽかんと口を開けた。
 目の前を絶えず行き交う人、人、人また人の群れ。
 広い大通りを、生まれて初めて見る程の大勢の人々が埋めている。まるで国中全ての人々が集まったのではないかと思えた。一々肩を引き来る人を避けなければ、前にも進めないほどだ。
「――すげえ」
 王都に辿り着いてから一夜明け、目の前に実際に広がった王都の光景を、レオアリスは息を継ぐのも忘れて唖然として見つめていた。
 あまりにぼうっと突っ立っていたものだから、道を急ぐ男にぶつかられ、たたらを踏む。
「邪魔だ、坊主!」
 遠慮会釈なく投げ付けられた言葉も、怒るより驚くばかりだ。「お前、ぼうっとすんなよなぁっ」傍らにいたアナスタシアがぐいと腕を引き、大通りを歩き出した。
「おい、今日って祭り?」
「はあ?」
「こんな沢山人が出てて――祭りでもあるのか?」
 アナスタシアはぴたりと足を止め、何かすごく面白いものを発見したように、にやぁ、と笑った。
「田舎モン〜」
「何だよ」
「祭りなんかないよ。これが普通なの。しかもここは上層だから、まだ人は少ない方だよ。下町に行ったらもう大変」
 アナスタシアの勝ち誇った顔を睨み、それもすぐ辺りの様子に惹かれて、レオアリスはまた周囲を見回した。
 初めてこの眼で見る王都はレオアリスの想像を遥かに超えて、多くの人々と馬車、活気と煩いほどの喧騒に満ちていた。本当に、これ程の大勢の人々が行き交う通りを見たのは、生まれて初めてだ。
 幅の広い道の両側には屋台が所狭しと並び、通りに建つ商店を覆い隠さんばかりだ。淡い褐色をした煉瓦造りの三階立ての建物が通りに沿ってどこまでも続き、その奥にも更に折り重なるように建ち並んでいる。鮮やかな屋根の瓦、煙を上げる煙突、壁の窓一つ一つに住民達の生活の気配があった。
 そして見上げる先に、陽の光を受けて輝く大小の尖塔が見える。上空は風が強いのか、尖塔に掲げられた幾つもの旗が青い空にくっきりとなびいていた。
 王城。一晩明けても、まだ信じられない思いだ。
 どくりと鼓動が鳴り、レオアリスは鳩尾の剣の上に手を当てた。それはレオアリスの意志を待っている。
 手を解き、レオアリスはゆっくり深呼吸した。
(ここが、王都――)
 自分はこの場所で、どれほど通用するのだろう。何ができて、この先どうするつもりなのか。
 唐突に、それまでの驚きと興奮の中に身を震わすような不安が差し込んだ。
 あまりに巨大な都。決して軽い想いで村を出てきた訳ではないのに、ここに来たのは本当に正しかったのかと、そんな考えが浮かぶ。ただ、それは地方から王都へ上がった者達が等しく覚える感情でもあった。
 期待や野心を簡単にひと呑みにしてしまう、巨大な生物のようだ。
「どうしたの?」
「――緊張、してきた」
「緊張?」
 アナスタシアは少し瞳を開いた。この王都で生まれ育ったアナスタシアには、その感情は無縁のものだ。
「こんなにでかいとは思わなかったからな」
 自分がこれ程小さく、力なく感じさせられるとは思わなかった。アナスタシアはじっと王都を見つめるレオアリスの横顔に視線を注ぎながら、その不安をどうすれば解消できるのかと少し考え込むように首を傾けて、それから口を開いた。
「――まあでも、今は祭りじゃないけど、この先大きな催しがあるよ」
「催し?」
「御前試合。お前が出るヤツ」
 アナスタシアに向けたレオアリスの瞳の輝きが増す。
 御前試合――その為に、レオアリスは旅を重ねてきたのだ。
 ぐっと口元を引き締め、たった今まで王都の様子に驚いていた表情が消える。漆黒の瞳は真っ直ぐに、この先の御前試合を見据えているようだ。
 何も心配ないな、とアナスタシアは笑みを浮かべた。今感じているだろう不安もおそらく、その剣を抜いた瞬間に消える。
 ここではまだ誰もレオアリスの姿を知らないし、レオアリス自身、たぶんまだ自分の姿を本当には理解していない。
 けれど、アナスタシアには判っている。
(絶対、優勝だ)
 その瞬間を見るのはアナスタシアの楽しみだ。若い二刀の剣士への驚きと歓声を、アナスタシアは誇らしい気持ちで思い描いた。
「さてと、じゃ登録行こうか。場所は師団の第一大隊司令部だってさ」
「近衛師団の?」
「仕切るのが師団だから」
 王の御前試合を取り仕切るのは近衛師団なのだ。志願者の登録から試合の審判まで行う。
 だからと言って優勝者が必ず近衛師団に入る、という訳ではなく、本人の希望によって進む先を決められる。
「まー師団に入るヤツ多いケド」
 アナスタシアは真剣な顔でレオアリスを振り返り、ぎゅっと手を握った。
「お前は師団に入っちゃダメだからね! 正規軍に入るんだぞ」
「何だそれ」
「正規と師団は仲悪いの。そう言ってたもん、誰か」
「アナスタシア様、そんな人伝えだけで決め付けちゃダメです。特に貴方は、これから正規軍の将軍になられるんですから」
 アーシアは穏やかに、ただし有無を言わさぬ口調でアナスタシアを諭した。
「お母君はそんな事、一言も仰った事はありませんでしたよ」
「……アーシア、王都に帰ってきたとたんに口煩くなった」
「貴方のお立場を再認識したんです。これからアスタロト家を継ごうという方がそんな視野の狭い事を仰ってはいけません」
「判ったよ、もうっ。――レオアリス」
 アナスタシアは唇を尖らせながら、びし、とレオアリスに指を突き付けた。
「とにかくお前、御前で優勝しても、師団じゃなくて正規だから!」
「優勝って、する訳ないだろ」
「ばぁか、剣士に勝てるヤツがいるか。優勝貰ったようなもんだ」
「剣士ったって、俺この試合では剣は使わないぜ」
「……何で?!」
 アナスタシアは瞳を限界まで見開き、レオアリスを見つめた。当然剣を使うものと思っていたのだ。
「何で何で?! そんなのダメだろ!」
 制御する自信が無いから、とは言い難くて、レオアリスは視線を彷徨わせた。レオアリスが心配してるのは、あの力の奔流を抑えきれなかった時の事だ。レオアリス自身は、剣を使うのにはもう少し時間が必要だと、そう考えていた。
「いや、だって最初から術士として出ようと思ってたし……法術院に入りたいと思ってたし」
「お前の術、約に立たないじゃん!」
 どが付くほどきっぱりと言い切られ、レオアリスはぽかんと口を開けた。
「はぁ?」
「アナスタシア様、アナスタシア様が知らないだけで、レオアリスさんすごく活躍されたんです」
 アーシアの言葉にアナスタシアはぷう、と頬を膨らまして腕を組んだ。アナスタシアとしては、レオアリスが剣を使うのを見たい。それはもう、絶対に見たいと思っている。
「――なら、後で法術院に連れてってやる。諦めつくぞ」
「何だよ諦めって」
 そうは言いながらも、レオアリスは「法術院かぁ」と瞳を輝かせた。高位の法術士達が高度な術の研究と研鑽に勤しんでいる、術士には憧れの場所だ。
 レオアリスが嬉しそうな顔をしたのでアナスタシアは気を良くして、可愛らしく首を傾げた。
「他にどこか行きたい所ある? 試合までまだ十日近くあるからさ、色々連れてってあげる。街とか、お店とか。美味いものいっぱいあるしぃ、あ、お前服も買わないと。それアーシアのだろ? 御前用に見栄えのするヤツがいいな。お前は黒が似合うと思う」
 アナスタシアの言葉の奔流を聞きながら、レオアリスは暫く口元に手を当てて考え込んでいたが、ふと顔を上げた。
「――文書宮は?」
「文書宮?」
「あそこ、誰でも入れるんだろ?」
「そりゃ、そうだけど……」
 本当はアナスタシアは街に行って色々見て回って遊びたい。とにかく、誰かと、友人とそうやって他愛もない時間を過ごすのが、アナスタシアの長い間の夢でもあったのだ。
 しょうがない、先ずはレオアリスの希望を叶えてやろうと、アナスタシアは尤もらしい溜息をついた。
「まあ、いいや。……ちゃんとさあ、街にも行くぞ? 王都に来て街見ないなんて有り得ないんだから」
「街ね、行く行く。それより文書宮って本当に何でもあるのかな」
「――」
 アナスタシアの膨らんだ頬を、傍らのアーシアが可笑しそうに眺める。
「十日だけじゃありませんよ。この先幾らでも、いつでも行けるでしょう」
「――うん」
「行きましょう。早く登録を済ませれば、今日法術院に行って、場所が近いから王立文書宮にも行けますよ。お食事もしなきゃいけませんし、急がなきゃ」
 アーシアの言葉は巧みにアナスタシアを誘導し、それはそれで楽しそうだと、アナスタシアは瞳を輝かせて頷いた。
 三人は今来た道を引き返すように、王城に向かって歩き出した。行き先は王城の第一層にある、近衛師団の第一大隊司令部だ。
 街と王城を隔てる「外門」と呼ばれる門が深い堀の向こうに建ち、それは常に開かれている。基本的に誰でも通過できるが、門の両脇には近衛兵が常に控えて、不審者に眼を光らせている。
 近衛兵達はアナスタシアやレオアリスが通り抜けるのを特に訝しむ様子もなく、引き止められる事もなかった。若い方の近衛兵がアナスタシアの姿をやや頬を赤くして見送った位だ。
 外門を過ぎると街から続く大通りは少し趣きを変え、緑の小さな扇形の葉を重そうに垂れた銀杏の樹が、広い道の道の左右にずっと続いている。晴れた午前中の陽射しも相まって気持ちがいい。
 道を行き交うのは軍服を纏った正規軍や近衛師団の兵士達が圧倒的に増えた。この第一層に、兵士達の宿舎があるからだ。
 また長衣を身に着けた学士風の人々、時折馬車も走り抜けていく。ばさりと風を煽る音に見上げれば、赤い飛竜が二騎、街へと飛んでいくところだった。
「あれ、あれが正規軍の飛竜。紅玉みたいな鱗でカッコいいだろ? 私は青が好きだけど。入隊すれば支給されるんだ」
「赤が正規軍で、師団は黒だっけ」
 アナスタシアはまた眉をしかめて、レオアリスを横目で睨んだ。
「黒はどうでもいいよっお前はあの赤いのに乗るの」
「――黒が似合うって言ったじゃないか」
「似合う」
 はっとアナスタシアは瞳を見開き、顔を振った。それを追うように長い黒髪も忙しく揺れる。
「黒じゃなくて、赤と濃紺の方が似合うってば」
「黒ね、判った」
 判ってやっているのだ。レオアリスはにやりと笑って、まだ言い募ろうとするアナスタシアの背中を軽く叩くと、肩越しに道の先を指差した。
「第一大隊の司令部って、もしかしてあれ?」
 すぐ先の通りの右側に、緑の芝に囲まれた三階建の一際立派な建物がある。正面は階段を五段ほど登る低い露台が貼り出し、装飾を施した石の手摺りが巡らされている。入り口の重そうな鉄扉は解放されていて入りやすそうだ。入り口の上の壁面に、近衛師団を現わす紋章が飾られ、そのすぐ下に一という数字が刻まれている。
「そうそう、あそこ――」
 アナスタシアが頷いたと同時に、その開かれた扉から男が一人転がり出てきた。短い悲鳴とも驚きともつかない声を上げながら通りの石畳の上まで転がって、打ち付けた肩を押さえている。
 何事か鋭く怒鳴り付ける声と共に、男を放り出したらしき数人の黒い軍服姿が入り口にちらりと動き、すぐに引っ込む。倒れていた男は素早く立ち上がり、自分が通りの注目を集めている事に気が付いたのか決まり悪そうに辺りを見回して、身体を縮めて街の方角へ立ち去った。
 三人はぽかんと口を開けたまま、その場に立ち尽くした。
「――何だ、今の」
 第一大隊司令部の入り口は間違いなくあそこだが、思わず踏み留まってしまうほど異様な光景だった。
「……え、あれ入れんだよね……? 許可要るの? 何で蹴り出されたの?」
「場所は合ってるんだろ?」
「一応、あそこでいいはずですが……」
 レオアリス達の他にも、旅装の男が一人、やはり入るべきかどうか躊躇うように恐々と首を伸ばしている。
「あ、いいんですよ、ほら。表示が出てます。受付中って」
 アーシアは短い階段を登って入り口に駆け寄り、これです、と二人を振り返った。
 深い緑の鉄扉に貼られた白い張り紙には確かに、丁寧な文字で「御前試合志願者は棟内中庭へお進みください」と書かれている。
「何か、すごい丁寧で気軽そうなとこがコワイ……」
 放り出されたあの男が何なのかは判らないが、旅装だった事から、同じ御前試合の志願者に思えた。志願者が、放り出される――。何事か。
「と……、とにかく行こうか」
 アナスタシアはぶるんと頭を振って、入り口に足を掛けた。恐る恐る入り口を覗き込むと、中はしんと静まり薄暗い。入ってすぐは天井の高い小さな広間になっていて、左右に棟内に入る為の細い鉄の桟に硝子を張った扉と、それから正面にも扉の無い入り口があり、そこから緑が覗いている。騒々と声も流れてきていた。
「あそこ中庭かな」
 ちょうどその時、男が一人そこから出てきて、三人の立つ入り口へと歩いてくる。軍服ではない。同じ志願者のようだ。擦れ違った三十代の男は、三人を物珍しそうに眺めて通り過ぎた。
「――行こう」
 レオアリスは少しひんやりした棟内に入り、床を叩く硬い靴音の響きを押さえるようにしながら真っ直ぐ中庭に向かった。薄暗がりから中庭に出ると、太陽の陽射しに目がちかちかする。
「すごい並んでる!」
 アナスタシアは中庭を見回して驚いた声を上げた。まだ午前中も早い時間だというのに、円柱の並んだ回廊に囲まれた中庭には、奥に受付用の机が置かれ、その前にずらりと五十人近い列が出来ている。男が多いが女の姿もちらほらと見える。年齢は三十代が最も多いようで、レオアリスのような十代の少年の姿は見られなかった。
 それにしてもこの人数が、全員御前試合を志願しに来ているのだろうか。まだ三人の後からも中庭に入ってくる者がいる。
「そんなに竜っていたっけ」
 アナスタシアは素直な疑問に首を傾げた。
「とにかく並んでくる」
「私も」「あ、僕も」
 レオアリス達が列の後ろにつくと、前にいた男が振り返り、瞳を見開いた。気付けば他の志願者達も、警備の為か回廊の柱の横に立つ黒い軍服の近衛兵達も驚いた顔で三人の方を眺めていて、中庭には静かだが騒めきが起きている。多くはあんな子供がと驚きと苦笑の入り交じった顔をしていて、あからさまに指差して笑う者までいる程だ。
「ヤな感じー」
「驚いてるんですよ。レオアリスさんと同じ年頃の志願者いないですし」
「ガキだからって舐めんなよ」
 アナスタシアはきり、と周りを睨み付けたが、レオアリスはじっと瞳を前に向けたままだ。
「何だよお前、もう緊張してんの?」
「当たり前だろ、普通」
「失格!」
 受付の近衛兵がいきなり声を上げ、レオアリス達は飛び上がって身を寄せた。見れば一番前で宝玉を見せていた男が追いやられるところだ。
「王の御前試合に偽物を持って来て通ると思うか! 摘み出せ!」
「うわっ、もしかしてさっきのこれか」
 アナスタシアは首を縮め、近衛兵に両脇を抱えられて連れ出される男を見送った。
「やっぱ全部本物じゃないんだ」
「カトゥシュ森林は途中で封鎖されましたしね、そんなには」
 男を先程のように放り出し終えたのだろう、少しうんざりした顔の近衛兵達が戻ってくる。志願者達が並んでいる列に厳しい視線を向けながら、彼等はまた回廊の柱の脇に立った。
 結局レオアリスの番が来るまでに、半数以上は近衛兵に摘み出されていた。今、前の男が懐から取り出した宝玉を受付の机に置いている所だ。
 それはレオアリスの持っている宝玉と同様、半透明で虹色の光を放っている。
「でもあれ、ちっさいな」
 こっそりとアーシアの耳に囁いたアナスタシアの声を聞き咎めた男が眉を吊り上げて振り返り、アナスタシアは首を竦めてぺろりと舌を出した。男は無事登録を終えたらしく、まだアナスタシアを睨みながら、中庭を出て行った。
「次、前へ」
 受付の近衛兵が書類に視線を落としたまま声をかけ、レオアリスは受付の前に立った。眼を上げた近衛兵がぽかんと口を開ける。
「……坊主、使いか?」
「違います。本人です」
 近衛兵は半分立ち上がり、レオアリスと後ろの二人をまじまじと眺めた。
「三人で?」
「いえ。俺一人で」
「お前だけか? どうせ後ろの二人が加わっても大して変わらないが、大丈夫なのか? 幾つだ」
「十四」
 騒々と周囲が声を上げる。
「十四だって?!」
「本気かよ」
「宝玉持ってるのか?」
 近衛兵は隣の同僚と顔を見合せ、ごほんと咳払いして再び座った。
「十四って、お前ここ来て何をするか判っているのか」
「判ってます。その為に来たんだ。年齢制限があるなんて聞いてないけど」
 レオアリスの反論に近衛兵はばつの悪い顔を見せたが、納得した様子でもない。
「宝玉は?」
 年齢を聞いたからか、明らかに受け付けるのも無駄だと言わんばかりに、身体を半分斜めに向けたまま肘を突いている。アナスタシアはむっとして近衛兵を睨み付けたが、珍しく言葉を飲み込んだ。レオアリスは袋から宝玉の包みを取り出し、受付の机の上に置く。
「全く何か勘違いしてるぜ」
「ここはガキの遊び場じゃないんだけどなぁ」
 受付の近衛兵達は溜息を付きつつ包みを開き――、包みから現われた宝玉の大きさに思わず息を詰めた。興味津々で見ていた周囲の志願者達もどよめき、身を乗り出す。
「何だ、これ――、こんなの普通の大きさじゃないぞ」
 先程の志願者が提出したのは、親指と人差し指で輪を作った程の大きさしかなかったが、今机の上に置かれて虹色の輝きを放っている宝玉は拳大もあり、全く別のもののように見えた。
「どーだ見たか! ガキだと思って馬鹿にすんなよ!」
 アナスタシアがふんと笑って、満足気にレオアリスの肩を叩いてみせる。だが近衛の男は暫くその宝玉を見つめた後、うさんくさそうな顔をレオアリスに向けた。
「本当にお前が取ってきたのか?」
 普通に考えれば、たった十四の少年が持って来れる代物ではない。レオアリスにしろアナスタシアやアーシアにしろ、大人の眼からすればまだ成長途中の子供としか映らず、彼等の姿を知らなければ本気にしないのも無理の無い事だ。
 ただ、近衛兵達の上には、最初から本気で信じようともしていない様子がはっきりとある。
 レオアリスは唇を噛みしめ、苛立ちを押さえた。
「そうです」
 レオアリスが頷いたのも、近衛兵達はあまり真剣に聞いていないようだ。
「宝玉は自分で手に入れて来た物でないと認められない。第一にいくらなんでも大き過ぎだ。偽物なんじゃないか? どうせ偽物持って来るなら尤もらしい物を持ってくれば……」
「ふざけんな!」
 アナスタシアは黙って聞いていなかった。憤って机の上に身を乗り出す。
「偽物の訳ないだろう! どこ見てんだ節穴!」
「何だ、お前」
「よせ、アナスタシア。とにかく見てください。ここではそれを判断するんでしょう」
「馬鹿を言え、こんな大きい宝玉があるか。偽物に決まってる」
 近衛兵は机の上の宝玉を乱暴に押し戻した。
「いいから帰れ……」
 アナスタシアは机に片手をついて、虹色に光る宝玉を掴んで近衛兵の前に突き付けた。
「見もしないで決め付けるなよ! 本当にレオアリスが取ってきたんだ! 黒竜の宝玉だ、他とは違う!」
「黒竜――?」
 しん、とその場が静まり返り――次の瞬間どっと笑い声が湧き起こった。
「黒竜だって?」
「嘘つくならもっとましな嘘つけよ」
 アナスタシアは周りの声を押さえ付けるように振り返って彼等を睨む。
「嘘なもんか、――こいつは剣士なんだから!」
 笑い声はぴたりと止まって、それから益々大きくなった。今度は何を言いだすのかと言わんばかりだ。
「劇団でも行ってこい!」
「劇団の試験なら見た目だけでも一発で通るぜ」
「誰が保証してくれんだい、お嬢ちゃん。証人がいるのかよ」
「そんな……」
 アーシアが青ざめて唇を震わせ、レオアリスは黙ったまま唇を引き結んで、じっと前を見つめている。周囲を取り囲む笑い声に、頭がくらくらする程の怒りを覚え、アナスタシアは彼等の正面に立った。
「――保証なら、私がする!」
 アナスタシアは長い髪を振ってその場の全員をぐるりと見渡し、力強く叫んだ。
「私はアスタロトだ。私の言葉を信じられないのか!」
 だが、笑いは収まるどころか、更に火に油を注いだだけだ。もう何を言っても全く通じない。すっかり質の悪い冗談か誇大妄想の困った相手だと、そう思われてしまったようだ。
「――お前等、いい加減に」
「無理です、アナスタシア様。出直しましょう」
 アーシアも悔しさのあまり、張り詰めた頬を微かに震わせている。だがもうこれ以上、どうしようもない。せめてこの場にアナスタシアを居させたくなくて、中庭を出ようと手をとった時、それまでじっと黙って笑い声を聞いていたレオアリスが、周囲を睨み付けた。
「何で笑う! 真剣に話してる相手に向かって、それが真っ当な態度かよ!」
 そこにいた者達が一瞬の内に静まり返った。レオアリスの声に含まれた激しい怒りの感情に驚いただけではなく、踏み出したレオアリスの身体が、微かに青白い陽炎のようなものを纏ったからだ。その空気はこの場を圧倒するに充分だった。
「何が可笑しい」
 アナスタシアはレオアリスの為に本気で怒って、真剣に説明しようとしていた。彼女自身が笑われる必要など、本来全くない。
 陽炎はすぐに消えたが、中庭にいた者達はすっかりレオアリスの纏った空気に飲まれていた。
「否定するにしたって、せめて笑わずに聞くべきなんじゃないのか」
 決まり悪そうな顔を足元や回廊の空間に向ける者、そろりと視線を隣にいる相手と合わせる者、様々だが、誰も答えを返せずに、それまで聞こえなかった中央の噴水の音だけが響いている。
「――行こう」
 レオアリスは溜息をついて、中庭の入り口に足を向けた。アナスタシアが手を伸ばして腕を捕まえる。
「レオアリス」
「もういいよ。悪かったな、嫌な思いさせて」
「そんなの」
 アナスタシアは視線を落とし、まだレオアリスの拳がきつく握られているのに気が付いた。
 自分の言葉が説得力が無いからだと、アナスタシアは心の奥に針のような痛みを感じた。
 ここでも、アナスタシアは誰も説得できていない。長老会を前にした時のように。
(こんなのじゃダメだ)
「もう一度――ちゃんと、私が」
 きり、と唇を噛みしめ、レオアリスを引き止める為に腕を引いた時、場違いに明るい声がかかった。
「忘れ物ー」
 屈託ないその声に、三人とも思わず振り返って足を止めた。受付の机から身を乗り出して宝玉を差し出しているのは、初めて見る顔の青年だ。近衛師団の黒い軍服を身に纏っている。
 受付の近衛兵達がさっと左腕を胸に当て直立した。
「クライフ少将!」
「騒ぎが執務室まで聞こえたぜ。ったく、受付くらい粛々とやりやがれ」
 二十歳そこそこに見える青年が少将と呼ばれた事に、レオアリスもアナスタシアも驚いて見つめている内に、クライフは机を回ってレオアリス達の前まで来ると、三人に問いかけるように宝玉を眼の高さまで持ち上げた。
「これはさぁ、下んとこがもう色が消えかけてる。だから本物だと思うんだが、持って帰らなくていいの?」
「――」
「置いてくなら、御前試合に登録するって事だよな?」
「え」
 ぽかんと見上げたレオアリス達の前で、クライフは背後を振り返った。
「でしょ、グランスレイ中将」
 クライフの視線の先、回廊の奥にある扉の前に、六尺五寸はある大柄な壮年の男が立っている。男――グランスレイが厳めしい瞳を中庭にいる者達に向けると、輪のように広がっていた人だかりがびくりと揺れた。
 近衛師団第一大隊中将グランスレイといえば、およそ御前試合を目指そうという実力と経験の持ち主であれば、一度ならず耳にする名だ。
 もはやこの場には失笑の欠片もなく、弓の弦の如く緊張に張り詰めている。
「――本物だ。それから」
 グランスレイは兵や志願者達の間を抜けアナスタシアの前に立つと、その大きな身体を屈め跪いた。
「ご無礼、何卒お許しください。――次期アスタロト公爵アナスタシア様」
「アスタロトぉ?! その嬢ちゃんが?!」
 驚いて声をひっくり返らせたクライフをじろりと睨んで黙らせ、グランスレイは再び頭を下げた。
「知らぬ事とはいえ、不愉快な思いをされた事と思います。全ての責任はこの私がお受けします。後日正式な処置が下るはず、この場は」
 茫然と立ち尽くしていたアナスタシアは、グランスレイの言葉に頬を張り詰めて青ざめた。
「そんなの、いい! 頭を上げろ」
「しかし」
「いいったら! 誰かの責任とかじゃないんだから」
 グランスレイは尚も顔を上げようとしない。その姿にやる方無い視線を落として、アナスタシアは泣きたい気持ちになった。
 グランスレイが頭を下げる程に、自分の腑甲斐なさが浮き彫りにされるようだ。先程まで笑っていた兵や志願者達も、今ではすっかり青ざめて膝を付いている。
(ダメだ)
 アスタロトという名が他者によって証明されなければ、誰もアナスタシアの言葉を聞いてくれないなんて、それでは駄目なのだ。
 他者によるものでもアスタロトの名でもなく、自分の力で納得させなければ意味が無い。
「……本当に、私は責任とか言うつもりは無いんだ」
 グランスレイは一度考え込むように眉を寄せたが、アナスタシアにとって余り好ましい状況ではないと理解したのだろう、静かに立ち上がった。
「有難うございます」
 グランスレイは左腕を胸に当て深く体を下げてアナスタシアに敬礼すると、身体を返した。一瞬だけ、グランスレイの視線がレオアリスの上を過ぎる。レオアリスはその視線の中に、先日の正規軍第六大隊大将ウィンスターと同じ光を感じた。
 中庭を横切っていくグランスレイの後ろ姿を、レオアリスの視線がじっと追う。
「さて坊主、宝玉は本物だ。出場登録は確かに受け付ける。ホント悪かったな。ま、こんなバカでけぇ宝玉があるなんて思ってなかったからよ、水に流してやってくれ」
 クライフは笑ってレオアリスの肩を叩いた。この青年が話し出すと重い空気が俄かに明るくなるようで、近衛兵達も明らかにほっとした顔を見せている。
 クライフは宝玉を布で包み直し、受付の近衛兵に手渡した。代わりのようにレオアリスに紙を差し出す。
「んじゃ、ここにちゃんと名前と宿と、必要事項書いといてくれ」
 そう言って明るい鳶色の瞳をくるりと回すと、クライフは三人に顔を寄せ、こっそり囁いた。
「黒竜と戦ったって、マジ?」
 近衛師団にも情報が流れているのかと驚いたものの、三人同時に頷くとクライフは瞳を輝かせた。
「くっそぅ、いいなぁ! 俺も居合わせたかったぜ!」
 それからはっと気が付いて、周りに誰か――グランスレイが居やしないかと見回す。どうやらグランスレイは棟内に戻ったようで、クライフは明らかに肩の力を抜いた。
「すんません、正規にとっちゃそんなふざけた話じゃないっすね」
 クライフは背筋を伸ばし、腕を跳ね上げてアナスタシアに敬礼する。
「ご無礼致しましたぁ! ――あ、それからあの御仁、くそ真面目なんで、あんま気にしないで何卒見逃してやってください」
 両手で拝む仕草をするクライフに、少しだけ気持ちが軽くなって、アナスタシアも口元を緩める。
「怒ってる訳じゃないから、平気」
「マジっすか、良かった!」
 にかりと笑ってもう一度敬礼し、クライフは再び机を回って受付の後ろに立った。
「ほれ、受付再開しろー。言っとくけどお前等、ホントに偽モンだったら容赦無く放り出すからな」
 再び列が進みはじめ、中庭に騒々とした空気が戻り始める。相変わらず放り出される志願者もいて、彼等はそこまでして御前試合に何を賭けているのだろうと、――自分は何を賭けるのかと、そんな疑問を抱きながらレオアリスはその場を後にした。





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