終章「その先へ」 (六)
月は変わり、緑耀の月と称される初夏。御前試合の興奮も冷めやらぬ王都が、もう一つの祭典を迎える。
四大公爵家の一つ、アスタロト公爵家の継承式だ。
半年前に前アスタロト公爵が身罷り、その喪の明けを待って、一女アナスタシアが新たな公爵として爵位を引き継ぐ事になる。王都の住民達は、傾国とまで謳われた前公爵に勝るとも劣らないと、……噂される、新たな若い公爵の誕生を心待ちにしていた。
街では知り合いの顔を見つければ、急いでいようが構わず立ち止まり、今度の正規軍将軍と、そしてこれもまだ話題に新しい御前試合の結果に、熱心なお喋りが繰り広げられていた。
新公爵も、御前試合の優勝者も――とにかく、どちらも若い。
それが驚きとともに、これからの未来に爽やかな香気ともいえる期待を抱かせるに充分だったのだ。
それはこの五月の若葉を薫らせて吹き抜ける風のような、心地よい期待だった。
そして、王都全体が沸き返る、アスタロト公爵家継承式当日。
爵位継承式典は王城の礼展の間で行われる。諸侯の居並ぶ中、王の前で宣誓し、王から爵位を授かる。その後、王城の正面の露台から集まった人々に顔見せを行い、馬車で沿道に並ぶ群衆の間を抜けて、アスタロト公爵家へと戻る。
全てが終わるまでおよそ一刻半、さほど長くはない。
既に王城正面の庭園には正規軍が整列し、その後ろは正門の外まで、新しい公爵を一目見ようという人々で早くから埋め尽くされていた。
「母様と同じくらいって――そんな訳ないじゃん〜!」
アナスタシアはこれからまさに継承式が行われようとしている、王城の控えの間で、きりきりと歯噛みして呻いた。張り詰めた顔は今にも泣き出しそうだ。
住民達の最大の関心事が、アナスタシアの「美しさ」がどれほどか、に向けられている事に、アナスタシアはかなりの重圧を感じていた。
「笑われちゃうよーっ」
長椅子の肘置きに凭れてうつ伏せ、細い肩を震わせている。
「そんな事ありません!」
室内にいたアーシア、ファーガソン、数人の女官達が一斉に口を揃えてきっぱり首を振った。その面は使命感に燃えている。
「本当に、今日のアナスタシア様はお美しいです!」
「そうですとも。お母君がご覧になったら、さぞお喜びになる事でしょう」
「……本当?」
全員が力強く頷いた。アナスタシアは首だけ持ち上げて子犬のような瞳で彼等を見回し――再びわっと突っ伏した。
「見かけばっかって言われちゃうーっ!」
終わりが無い。
「アナスタシア様……」
アーシアはどうしたものかとアナスタシアの傍らに膝をつき、その背中を撫ぜた。
とにかくアナスタシアは、二、三日前から情緒不安定なのだ。これから公爵家を継ぐ事に非常な意気込みと決意をみせたかと思えば、街の噂一つに急に萎れたように落ち込んだ。
館の者が手替え品替えして宥めるのだが、なかなか落ち着いてくれない。とうとう昨夜など、あのソーントン侯爵までが、アナスタシアに優しく、非常に辛抱強く、励ましの言葉を掛けて行ったほどだ。
「継がない! やっぱ無理だもんー!」
この言葉もこの三日間で何度目か知れない。しかしもう、継承式はすぐにでも始まろうとしている。
あと半刻――王城付きの女官がアナスタシアを迎えに来たら、王城の五階にある礼展の間へ赴き、式典が執り行われる。
今こんなに心を乱していては、王の面前で――居並ぶ諸侯の前で、儀礼の手順を間違えてしまうかもしれない。
式典では他の三公、十の侯爵家当主に、九十九家の貴族当主や軍関係者達――彼等が新しい公爵に、言わば値踏みの視線を向けてくる。失敗はあってはならない事だ。
アナスタシアを落ち着かせようとして、付き従うアーシア達も次第に気持ちが急いてきてしまった。
「アナスタシア様、大丈夫です。皆貴方を支えていますから」
「だって、皆一緒に入れないんでしょ?」
「それは――でも、礼展の間には二階部分が回廊になっているでしょう? そこからなら我々もお姿を拝見する事はできます」
「でも……」
「ソーントン侯爵がお手引きをしてくださいますし」
「うー」
ちょうどそこでファーガソンが壁の時計を素早く盗み見たのを、アナスタシアは見逃さなかった。
「もう時間?! やだぁ!」
「いえ、」
ふいに扉が叩かれ、アナスタシアは飛び上がり、椅子の上で身体を強ばらせた。
ドキドキドキドキと、心臓が細かく早い鼓動を刻み出す。
両開きの扉の片側が開かれ、次の間に控えていた女官が顔を見せた。だがそれは王城の担当官ではなくアスタロト家から付き従ってきた女官で、少し戸惑いがちにお辞儀した。
「アナスタシア様、ご面会です。次の間にお待ちいただいておりますが」
こんな時に一体誰が訪ねてくるのだろうと、アナスタシアは不思議そうに瞳を瞬かせた。
「面会? 誰?」
「通っていただきなさい」
安堵の響きすら交えてファーガソンが頷き返し、アナスタシアはきょとんと老執事の顔を見上げた。ファーガソンが主に穏やかな笑みを向ける。
「私がお呼びいたしました。少しの間でもお話なされば、お気持ちが楽になるでしょう」
ファーガソンが説明する間にも再び扉が開き、アナスタシアは開かれた扉の向こうに良く知った姿を見つけた。
「レオアリス!」
予想もしていなかった嬉しい驚きに、アナスタシアの顔がぱあっと輝く。
御前試合が終わってすぐ、レオアリスは近衛師団に入隊が決まった。ゆっくり言葉を交わす時間もないまま、レオアリスは慌しく近衛師団の宿舎に入ってしまい、その事も近衛師団に入った事もアナスタシアにはだいぶ不満だったのだが、アナスタシアはアナスタシアで継承式の準備に追われ、会いに行く余裕も無かった。
だから、ほぼ十日振りの再会だ。たった十日の空白でしかないのに、随分久しぶりに思えた。
レオアリスは黒地に銀糸の刺繍を施した、襟の詰まった軍服を身に纏っている。近衛師団の軍服だ。踝の半ばまである長い上衣と黒で統一された軍服は、細身の身体を引き立て、最後に見た時よりもずっと大人びて見えた。
扉の前で足を止め、レオアリスは驚いたように瞳を見開いた。
「……何か、久しぶりだな」
レオアリスはどことなく瞳を逸らしアナスタシアを真っ直ぐ見ようとしていなかったのだが、アナスタシアはそれには気付かずに駆け寄ると、喜び一杯に飛び付いた。レオアリスが慌てたように身を引く。
「おい」
「カッコいいー!」
「ちょ……はぁ?」
何故再会の挨拶がそれなのかとレオアリスは呆れた顔を見せたが、アナスタシアは構わずレオアリスの両手を掴んでぶんぶんと振った。
「それ似合う! すっごい似合う!」
久しぶりに会う嬉しさと、レオアリスが近衛師団の制服を纏っているという――本当に優勝して、近衛師団に入って、だから彼はこれからずっと王都にいるのだというその喜びで、アナスタシアは今までの緊張もすっかりどこかに放り出してしまったようだ。
「優勝おめでとう! 私が言ったとおりだろ?」
アナスタシアにしてみれば、漸く面と向かって告げる事ができた言葉だ。だが、レオアリスは決まり悪そうに短い黒髪をくしゃくしゃと交ぜた。
「優勝って言うか……あの後試合してないし」
あの第一試合を見て、他の出場者達は皆、レオアリスと当たるのを嫌がって棄権してしまったのだ。本当はあと三試合するところだったのを、全く剣を合わせる事なく、優勝が決まってしまった。
だからレオアリスには、優勝したという実感がない。
「あったり前でしょ?」
別におかしくも何ともない当然の結果だと笑って、それからアナスタシアは手を放し、二、三歩後ろに下がってレオアリスをじっと見つめた。白い頬に抑えきれない笑みが浮かぶ。
「やっぱり、黒が似合うな。仕方ない、師団でもいいや」
「仕方ないってなぁ。――お前こそ」
アナスタシアの正装を改めて眺めて、レオアリスは続く言葉を口の中にしまい込んだ。
「そうそう、これ継承式の衣装。どお?」
アナスタシアはレオアリスの前で、得意そうにくるくると回って裾を広げて見せた。先ほどまで鉛のようにずっしりと感じていた衣装が、今はまるで羽毛のように軽く感じられる。
そもそもこの衣裳は継承式の為にあつらえられた、とっておきだ。これほど華やかな衣裳は、これまでアナスタシアも身に付けた事はない。
深紅に染めた絹を幾重にも織り込み、裾を薔薇の花弁のように膨らませている。手触りもやはり薔薇の花弁のそれで、銀糸で細く繊細に編まれた肩掛けが、大きめに取られた襟刳りから覗く肩を覆っている。
王都社交界の最先端の型で華やかさがあり、かつ深紅の光沢が公爵という地位に相応しい落ち着きも添えていた。
と、言ってもレオアリスには残念ながら、その良し悪しなど判らない。
「どうって」
「似合う? 似合う?」
「あー……」
レオアリスが口元を手で覆ったまま、瞳を泳がせる。アナスタシアが期待外れの反応に、眉をしかめて睨み付けた。
「あーって何それ」
「いや、まあ――それなりに似合うんじゃねぇ?」
「それなりにって何だ! この姿見て、他に言う事ないの?!」
「他にって――動きにくそうだな」
「はぁあ?!」
離れた所から二人のやり取りを見守っていたアーシアは、頬に可笑しそうな色を浮かべた。端から見ると一目瞭然だが、レオアリスの歯切れが悪いのは、照れているからだ。
それも当然と誇らしく頷きたくなるほど、今日のアナスタシアは美しく装っている。髪も結い上げ、薄く化粧を施し――ちょっと涙で崩れているが、華やかな正装はただでさえ綺麗なアナスタシアを、より一層引き立てていた。
(今日のアナスタシア様は、絶対国中で一番、お綺麗だし!)
親バカならぬ身内バカと言われようが何だろうが、アーシアは嬉しくてつい緩む口元を抑えた。それに、アナスタシアはすっかり元気になったようだ。一時はどうなる事かと思ったが、レオアリスが来てくれて良かったと、ほっと胸を撫で下ろした。
今日の継承式は正規軍が警備を取り仕切る。だから近衛師団は王城の警護を除いて通常訓練が行われているはずだ。軍服姿という事は、この為にわざわざ近衛師団の訓練を抜けてきたのだろう。
幾らアスタロト公爵家からの要請があったとは言え、入隊したばかりでもあり、あまり体面のいいものではないに違いない。
申し訳ないと思う半面、レオアリスの軍服姿はアナスタシアの隣に立つと、とても良く似合っていた。
「お似合いですね」
アーシアがファーガソンに頷きかけると、ファーガソンは眉をしかめ、一呼吸も置かずきっぱり首を振った。
「まだお早い」
その顔がまるで娘の連れてきた相手を拒絶する父親のようで、ついこの間までは結婚話まで出ていたのにと、アーシアはとうとう吹き出した。
「何? どうしたの?」
きょとんとアーシアを振り返ったアナスタシアへ、アーシアは柔らかい微笑みを返した。
「いいえ。――とにかく、お掛けになってください。立ち話はダメですよ」
座って話せると聞いて、アナスタシアはまだ時間があるのだと嬉しそうな顔をする。二人の分の椅子を引いてやり、二人が腰を落ち着けたのを確認してから、アーシアはお茶を取り替えようと壁の飾り棚に向かった。
「そういえばレオアリス、第一大隊に入ったんだって? あのツンツン頭のヤツがいる所だ。同じ隊?」
「違う。俺は最初左軍の小隊に入ったから――クライフ少将は中軍なんだ」
「へぇー。ん? ……最初って?」
「今は直属の上官がグランスレイ中将になった。イマイチ立場がよく判らないんだけど、中隊配属……なのかな。今は兵法とか、場所貰ってこいつを使いこなす訓練してる」
レオアリスは親指で鳩尾を示した。剣を使いこなせるようになる事、それがグランスレイから与えられた当面のレオアリスの「職務」だ。
実は初め、レオアリスは小隊の訓練に上手く馴染めなかったのだ。とにかく支給された剣はすぐ折ってしまう。上官である少将フレイザーは、それを剣士としての力に通常の剣が耐えられないのだろうと言った。
今まで簡単に剣が折れていたのはそのせいだったのだと納得したものの、かと言って通常訓練で剣を抜く訳にもいかない。
それを聞いて、何でそんな事を悩んでいるのかと、アナスタシアは首を傾げた。
「あの試合の時みたいに、結界張ればいいじゃん」
「そうは言っても、普通あんな広範囲の術を使おうとしたら何人も術士が要るんだ」
「そうなの? もっと簡単なのかと思った! そっかぁ、――お前の剣、黒竜の封術を切ったしなぁ」
普通に張るんじゃ無理だね、とアナスタシアが呆れたように呟く。
それだけの術を、王は一つの術式も用いずに敷いてみせた。
あの時レオアリスが何の躊躇いもなく剣を振ったのは、明確な理由があったからではない。
ただ、不安も無かった。
「――王かぁ」
アナスタシアは窓の外に視線を投げて、その向こうに見える尖塔を眺めた。
レオアリスを近衛師団に配したのは王だ。アナスタシアとしては内心「ずるい」などと思いもしたが、それは単純な感想で、これからの事を考えれば、レオアリスには近衛師団が一番いいのかもしれない。
王の被護下にあるから。
レオアリスの剣はアナスタシアから見ても強すぎる。
(多分、喜ぶ奴らばっかじゃない)
王の直轄軍である師団は、他の意思に阻害されない。
「――ねえ、王には会ったんだろ? どうだった? 何話したの?」
アナスタシアは椅子の上で身を乗り出した。もう十日も前の事だが、御前試合の当日に、レオアリスは王と謁見している。
「何か言ってた?」
王があの御前試合で、レオアリスを「助けた」のは、アナスタシアにさえ特別な事だったのが判る。
レオアリスの感情――逢った事などなくても、王という存在に憧れるのは、理解できる。ただ、その王という存在が、たった一人に手を差し伸べるというのは、かなり稀な事ではないだろうか。
どんな理由がそこにあるのか、それが何となく気になっていた。
「御前試合の事とか」
見ればレオアリスは、宝物でも見つけた子供のような顔をしている。そのくせ、何故か決まり悪そうに瞳を逸らせた。
「いや――」
「いやって……結界張ってくれた理由とか、言ってなかったの?」
「それが……あんまり覚えてないんだよな」
アナスタシアは深紅の瞳を目一杯見開いた。
「はあ?! 何それ!」
あれほど嬉しそうな様子を見せておきながら、覚えていないとはどういう事か。
「しょうがないだろ、緊張で頭真っ白だったんだから」
レオアリスはレオアリスで非常に悔しそうだったのだが、アナスタシアは容赦なく呆れた声を上げた。
「あり得なーい! あんっなに王に会いたがってたじゃん! 緊張で覚えてないって、何やってんの!」
ムッとして瞳を細め、レオアリスはやり返すべく、薄く笑みを浮かべた。
「人の事言えんのかよ。お前だって、さっきまで緊張で顔が引きつってたじゃねぇか」
今度はアナスタシアがさっと赤くなった。しっかり見られていたのだ。
「ひ――引きつってないよっ! 私は余裕だもん」
「絶対嘘だ。ぶっ倒れそうな顔してたぜ。式の最中に切れるなよ」
「平気だよっ」
ふんと顔を逸らした時、扉が叩かれた。椅子の上でアナスタシアが飛び上がる。扉が丁重に開かれ、王城の女官達が静かに頭を下げた。
「しまった、俺こんな事言いに来たんじゃなかったんだ」
何だかただの茶飲み話のようになってしまったが、本当はもっと、言いたい事があったのだ。ただ扉が開いた瞬間の、アナスタシアの緊張しきった顔を見て、用意してきた言葉――頑張れとか、期待してるとかそんな言葉は、どこかへ消えてしまった。
レオアリスは真面目な顔になって、椅子の上で背筋を伸ばした。
来る途中で、王城の正面に集まった大勢の人々と、整然と並んで自らの新しい将軍を待つ正規軍の姿を目にした。そこには言い難い熱気と期待に満ちていた。
これからアナスタシアは、とても重いものを背負って、引き返し難い道を進もうとしている。
「――俺に言える事なんて、あんまり無いけど」
思い返せば、あの遠い西の森で出逢い、互いの事も、自分の事も、何も判らないまま、ひたすら走り抜けてきた気がする。
迷ってばかりで、できない事ばかりだった。
それでも、何とかここまで来たように――、これから先もずっと、同じように迷い、自分の力の小ささに歯痒い思いをしながら、前へ進んでいくのだろう。
ただ、瞳を上げればおそらく、この奔放な友人が、そこにいるのだ。
「……逢えて良かった」
アナスタシアは瞳を見開き、喜びと、それから込み上げる感情にぱっと顔を伏せた。
開かれた扉の向こうでは、継承式へ誘う女官達が、粛然とこうべを垂れてアナスタシアが出てくるのを待っている。
「アナスタシア様」
ファーガソンの促す声。呼吸の音すら潜め、張り詰める室内の空気。
継承式が終われば、アナスタシアはアスタロト公爵家を継ぎ、新たな公爵、新たな正規軍将軍に就くのだ。
ただ、先ほどまであれほど怖かった継承式が、今はそれほど怖いものでは無くなっていた。
レオアリスは、王の前に立った。全ての困難を、レオアリスは自分の力で抜けてきた。
(逢えて良かった、私も)
この友人の前に、向かい合う全ての人達の前に、まっすぐ顔を上げて立っていたい。
アナスタシアはゆっくりと、伏せていた顔を上げた。
見送る為にレオアリスが立ち上がり、アーシアやファーガソン達も改めて姿勢を正す。
それに背中を押されるように、アナスタシアは静かに席を立ち、扉に向けて歩き出した。
「アナスタシア」
レオアリスは声を掛けたが、多分何かを言おうとしていた訳ではないだろう。
ただその響きは、多くの言葉を含んでいる。
(『アナスタシア』――私の名前)
あの森の中で、レオアリスが初めて、アナスタシアの名を呼んだ時の響き。
それを大事に取っておこうと、そう思った。皆が――同い年の友人が、ただ彼女を呼ぶ為だけに呼んでくれた名前だ。
アナスタシアは開かれた扉の前で足を止め、背を向けたまま、深く瞑想するように瞳を閉じた。
(私は――)
「――アスタロト」
大切な名前をそうっと胸の内にしまって、アナスタシアは顎を上げた。
瞳に、炎の光を宿す。奔放で、苛烈で、ゆらゆらと儚い、身に秘めた炎。
それを瞳に纏いながら、アナスタシアは振り返った。
「アスタロトって呼んでよ」
レオアリスの漆黒の瞳が、アナスタシアの深紅の瞳を、正面から受け止める。
「――アスタロト」
レオアリスは響きを確かめるようにはっきりと口にし、あのいつもの快活な笑みを浮かべた。
その響きが、自分を形作るようだ。
「うん」
それだけで、胸を張って継承式に臨める。
(アスタロトだ、私は――)
アナスタシア――アスタロトは深紅の瞳を昂然と上げ、それから扉を抜けると、彼女を待つ場所へ、歩き出した。
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