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王の剣士<番外>


 レオアリスはその後、三階の扉をひとしきり開けていき、ある部屋を開けて満足そうに笑みを浮かべた。
「ここか」
「何が?」
 その様子を不思議そうに見つめていた少年達を手招く。
「ここが、からくりの中心になった部屋だ」
 そう言ってレオアリスが示したのは、先程の部屋の正面に向かい合うようにある部屋の、更に奥にある小部屋だ。
 壁には書棚が作り付けられ、一面に書物や巻物が並べられている。書棚の無い壁には乾燥させた草や木の根が吊され、中央と奥の壁際に置かれた机には小瓶や壺、木箱が所狭しと置かれている。
 絨毯を敷いた床の上にも、書棚に納まり切らなかった書物があちこちと積まれていた。
「見たような部屋ですね」
 どこか苦笑混じりのロットバルトの言葉に、レオアリスも笑った。
「お前は二回ばかり見てるよな。もっと雑然としてるヤツ」
「何なの、これ」
 エルとサルカ、プティはこの部屋の意味がさっぱり判らずに、部屋の中とレオアリス達の顔を見比べている。
「こいつは法術の書物や道具だ。この館の主人は、術士なんだろう」
「へええ! 術士だって」
「すげー」
 少年達の素直な関心に顔を綻ばせながら、レオアリスは中央の机に近寄って埃を被った書物の一部をどけた。そこに現われたものを見て、にこりと笑う。
「あったぜ。見てみな、これがこの屋敷のお化けの正体だ」
 お化けと聞いて、エル達はおそるおそる、机の上を覗き込んだ。
 机には大分変色しているものの、三尺四方の白い布が敷かれている。
 その上に、幾つもの文字や模様、記号が描かれていた。文字と言っても、エル達が普段学校で学んでいる、通常使われているものとは全然違う。
「これがお化け……?」
「何て書いてあるの?」
 全く読めない文字はエルやサルカにはただの落書きされた布にしか見えず、喉に何かつっかえたような顔をして首を傾げている。
 レオアリスは一つ一つ、上に載っているものを丁寧にどけ、それに伴い模様は円形の姿を顕にした。
「まあ、こいつがあの霧やさっきの人影を作り出してたって言うべきかな」
「どういう事?」
「これは法術の陣だ。俺も見た事無いヤツだけど、書かれてる文字は大気系だから何となく読める」
 そう言って、レオアリスは真剣な瞳で法陣を子細に調べ始めた。
「すげぇ高度だな。これ敷いた奴はかなりな高位だぜ。うわ、こんなとこに水を組み込むって有りなのか? ……こっちは風だな……えーっと、こいつは」
 他の四人の存在を忘れてしまったように、すっかり独り言だ。卓に手を付き法陣に屈み込むようにして顔を近付け、すごいとかへえー、とか感心しきっている。
 このままここに張りついてしまいそうなレオアリスを、ロットバルトは軽く肩を引いて振り向かせた。
「それで、どういう法術なんです。説明して戴かないと日が暮れる」
「ああ、悪い。――」
 レオアリスはもう一度法陣を見て、ロットバルト達に顔を戻した。
「これは、そうだな……。幻術なんだが、かなり精巧な造りだ。大気中に術を溶け込ませて、布陣の中に入った相手を取り込む――ように書いてある。布陣の中にいる奴の視覚とか聴覚に働きかける」
「布陣の中? しかしこの大きさの陣では大人二人が限度でしょう」
「これは一部だ。全体は多分、この館を覆うくらいでかい。蔦で隠してるな」
 館の外壁をびっしり覆い隠していた蔦の、その下の壁面に陣を書き込み、館全体を陣の中に囲い込む。
 そして、中に入った相手の意識から特定の記憶を引き出し、あたかもそこに実際にいるかのように投影する。
 読み取った法陣の内容はそんなからくりだ。
 色褪せた布の上の法陣は、見ているだけでは何の力も感じられない。
「さっき切れたのはほんの一部だけか。そうできてるんだな……」
「切る? 先ほどもそう仰っていましたが」
「法陣ってのは閉じて初めて成立する。だから終わらせたり破ったりするには、陣のどこかを切らなくちゃならない。簡単なものなら一度切って終わるんだけど、これはすごい」
 レオアリスの顔には術士への、尊敬と憧れにも近い色が昇っている。
「一つの現象を切っても、この法陣はそれに対応した一ヶ所しか切れないようになってるんだ。例えば俺が最初に切った階段はこの部分。途切れてるだろ」
 レオアリスは外側を巡る円の傍を指差したが、素人目には果たしてそれが途切れているのかいないのかも判らない。
「全体への影響はほとんど無い。他の術は生き続ける」
 瞳を輝かせているレオアリスとは反対に、ロットバルトは面倒そうな色を隠さず、机の上の法陣に視線を落とした。
「では、このまま術が終わらないと?」
「いや、本体が見えた以上は俺でも切れる」
 そう言ったものの、レオアリスはふと、微妙な色彩を瞳に宿らせた。
「――」
 実際、この法陣によって物理的な害がある訳ではない。それにここは誰も住んでいないとはいえ、個人の邸宅だ。本来はレオアリス達もそうであるべきように、所有者の許可なく立ち入る事は違法行為になる。
 そして屋敷を守るのは、所有者として正統な行為だ。
 それを勝手に切る事は、自分がしていい事かどうか――
「上将?」
「ああ、うん……」
 その事を口にすると、ロットバルトはあっさり同意した。
「確かに、この屋敷内の物いずれにしても、持ち出したり手を加える為には所有者の許可、もしくは地政院での正規の手続きを踏む必要があるでしょう。まあ貴方の場合は、王の下命があればそれで一切が足りますが」
 そうした建前上の理論を言いながら、ロットバルトにもレオアリスの一番根底にある思いは読み取れた。
 老術士が失った最愛の伴侶を、彼女の許への旅路に着くその時まで折に触れては想い出し、語り掛けていただろう、彼の心の中の姿。
 彼の施した術は、その中に入った者の心の中にある姿も、再び目の前に投影させた。
 レオアリス達が見たのは、自分の心に深く刻まれている、大切な者の姿――もう一度会いたいと願う者の姿だ。
「王の下命も無く、王の剣士である貴方が強権を振るったと取られかねない行為は賛同しかねますね。実害が無い内は、我々にはこれを破棄する権利はありません。例え実害があっても、この状況はある意味自業自得ですが」
 普段通り、理詰めで諭すような物言いにロットバルトの意図が汲み取れる。
「じゃあ、ほっといてもいいな」
 載りやすいその言葉に載らせてもらう事にして、レオアリスは法陣の描かれた布を元通りに戻した。
 いずれ布が綻びるにつれ、法陣も意味を為さなくなる。
 それまでこの場所で、あの老夫婦がゆったりと時を過ごすのもいいだろう。
「あれ、でもそうすると」
 ふとレオアリスは、ひとつ辻褄の合わない事に気が付いた。
「どうかしましたか?」
「いや、この幻術は意識の中から投影するから、自分の意識にあるもの以外は見えないはずなんだよなぁ。あの女性は術の大元だからいいとしても――」
 男の姿は。
「――ホンモノかな」
 ロットバルトと顔を見合わせ、ただ彼等はそれを恐ろしいとか不気味だとか思うような繊細な神経は持ち合わせていなかった為に、あっさりとやり過ごされた。
「まあいいか」
 みゃぁ、と一声鳴いて、ミーニャはエルの腕から抜け出した。短い尻尾を振りながら、床に積まれた本の山を抜けて戸口へと向かう。
「もう駄目だよミーニャ。タニアが心配してる」
 エルの言葉を理解したのか、ミーニャは尻尾を一つ振り、戸口の前で足を止めた。振り返ったミーニャの眼は、早く帰ろうと誘うように見える。
 帰ったらタニアからたっぷりと、ご馳走を貰えるに違いない。何しろちょっと腹周りがぷくぷくしている。
 そろそろ陽射しも弱くなってきて、子供達は家に帰る頃合いだ。タニアが待ちくたびれて、また冒険に繰り出さない内に、ミーニャを送り届けなくては。
(書類もあるしな)
 丸々残っている書類の山を考えると憂鬱だが、思いがけず楽しい午後を過ごす事ができた。
(父さんにも会えたし――)
 自分の意識から引き出された幻だとしても、夢でだってあれほどはっきりと、その姿を見る事はできないのだ。
 驚かされはしたが、老術士に感謝したい気持ちだ。
「さて、帰るか。皆良く頑張ったな」
 サルカが瞳を輝かせた。廊下へと出るレオアリスに纏いつくように、彼の顔を見上げる。
「じゃあ、俺達合格? 近衛師団に入れる?」
「第一段階は合格だ。充分勇敢だったからな」
「今すぐじゃないの?」
 残念そうな顔を見て、レオアリスが苦笑する。
「まだ少し早いな。あと数年して、本気で近衛師団に入ろうと思ったら、もう一つ試験を受けろよ。お前等が第一段階を終了したのは、ちゃんと覚えててやるから」
「本当?」
「約束?」
「約束だ。そうだな――」
 纏いつく三人をやんわり解いて、レオアリスは彼等から少し離れた。
 近付こうとした三人を、ロットバルトが止める。
 傾きかけた陽射しの中、それを染めるような青白い光が古びた廊下と、少年達の頬に差し掛かる。
 息を飲んで、少年達はレオアリスの姿を眺めた。
「この剣にかけて」





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◆あとがき◆


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