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BreakTime III

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(番外4の後あたりのとある日常……)

(1)

 朝眼が覚めると寝台の隣に女がいた。
(おぉ〜)
 寝起きのせいで状況を良く飲み込めないままに、クライフはぼうっと彼女を眺めた。
 鮮やかな緋色の髪がフレイザーを思わせ、つい鼓動が躍る。クライフは苦笑いを浮かべた。
(んな訳ねぇか。いじましいぜ全く)
 同じ髪の色の女とは。
 ただ、残念ながら想い人では無かったにしろ、長い柔らかい巻き毛の、眼を閉じてはいるけれどそれなりの美女だ。
 白い剥き出しの肩が窓から差し込む朝日を浴びて、二日酔いの目に余計眩しい。
 しかし、この状況は……
「まぁ……やっちゃった?」
 昨夜はかなり飲んで三軒目まで行った記憶はあるのだが、それから先は見事にまったく覚えていない。こんな美女をどこでどうひっかけ、いや、意気投合してここまでに至ったのか、それが思い出せなかった。
 この部屋に見覚えが無いという事は、おそらく女の部屋なのだろう。
「もったいねぇっ」
 かなり真剣に悔やみつつ、何とか自分の行動を辿ろうとしていたとき、女は目を覚ました。
 身を起すと掛けていた布が落ち、白々した朝の光の中にすらりとした眩い裸体が晒される。
「……あれ、君、胸無くね?」
 無い、いや、無いというより――
 有りうべからざるものが、有った。
「あらぁ、起きたぁ?」
 紅く塗った唇から零れる、どすい声。
「……っぎぃやぁぁぁあああああ!!!」
 軍服を着るのもそこそこ、クライフはその場から逃げ出した。



「――覚えてねぇんだ! ホンッッット、これっぽっちも!」
 隣室の広間で奏でられる優雅な楽の調べも、この部屋までは聞こえない。
 軍の士官用の談話室に、密談、いや、込み入った話をする為に幾つか設けられている個室の一室で、クライフは膝の間に突っ伏して頭を抱えていた。
 相当懲りたのか、酒の杯は相手のものだけで、クライフの前にあるのは単なる水だ。
「――」
 黙ったまま最初から最後まで話を聞いていた相談相手――ロットバルトは、最初から最後まで非常に褪めかつ呆れ返った眼でクライフを眺めていたが、深々と溜息をついた。
 珍しくクライフが酒を奢るからと言ってロットバルトを誘い、思いつめた顔も多少気になった為ここに来たのだが。
「……無駄な酒を飲んだな」
 さらりと言い放って立ち上がりかけたロットバルトの腕を、クライフはそうはさせじとがっちり押さえた。青ざめ引き攣った頬がクライフの現状を物語っている。
「待て待て待てコラァ! 奢っといてもらっといて何だその言い草は!」
 クライフを見下ろす蒼い瞳は、色以上に冷ややかだ。
「私にその事実をどうしろと言うんです」
「事実って言うなぁ!」
 真っ青な顔で否定するクライフを眺め、ロットバルトは溜息をついて再び腰を降ろした。
「――ともかく、好みの女性だと思って調子良く一晩を共にして、朝起きてみれば男だったと言うのは紛れもない事実でしょう」
「……お前……、お前……っ」
 余りに容赦が無い。
 半分涙目になりつつ、クライフは絶望にがっくりと肩を落とした。
 さすがに少し言い過ぎたと思った……のかどうかは判らないが、ロットバルトは絹張りの長椅子に深く身体を預け、思案げに顎に指を当てた。
 彼はそれだけで一幅の絵のように様になる。が、会話の内容は健全なファンタジーというカテゴリーを逸脱しそうなものだ。
「ただ貴方は酒にかなり強い方だ。それで前後不覚になるほど飲んでいたら、相手が女性であれ男であれどちにしろ成り立たないと思いますが」
「――やっぱそうだよな?」
 顔を跳ね上げ、希望に満ちた瞳でクライフは縋るようにロットバルトを見つめた。
 ロットバルトがあからさまに鬱陶しそうに形の良い眉を寄せる。なかなか人としてひどい。
「そう確認されると。私は別に研究者でも症例を具体的に知っている訳でもありませんので安易には頷き難いところですが、通常はそう言いますね」
「まだるっこしい……」
「まあ、最悪十ヶ月後に目の前に赤子を差し出される心配のない分マシだったのでは? もっともその場合の方が私はお役に立つかもしれませんが」
「お前――ひどい。本ッ当にひどい」
 改めて感じられる目の前の男の人非にんぴっぷりと、そんな対比をされなければならない自分の置かれた状況の切なさに、クライフは円卓に突っ伏した。
「お前に相談したのが間違いだった〜っ!」
「鬱陶しい」
 死人に鞭打つ言葉をしっかり聞き取り、クライフは打ち拉がれてロットバルトを睨み付けた。
「上将に言ってやっからな!」
「――」
 小学生か! という突っ込みはさておき、脅し文句というよりはその場の売り文句だったのだが、これはかなりの有効打だったようだ。
 ロットバルトは一旦黙って視線を逸らせた後、にこり、と微笑みを向けた。この四半刻の人非っぷりをあっさり打ち消すほどの誠意に満ちた笑みだ。
「私に出来る事であれば力になりましょう」
「マジで?! 恩に着るぜ!」
「まあお気持ちはお察ししますよ。私に相談しようという時点で、相当切羽詰っているのは判りますしね」
「ロットバルト……やっぱお前いい奴だったんだな〜!」
 すっかり丸め込まれたんだか納得したんだか正常な思考が働かないくらい切羽詰まっているんだか、ともかく根が真っ直ぐなクライフはロットバルトの手を取り熱く握り締めた。
「お前に相談して良かった! ヴィルトールじゃ単なる笑い話だもんな!」
「笑えない話でしょう」
「何だ?」
「いえ――しかし、出来る事と言っても……」
 ぽいとその手を振りほどき、ロットバルトは解決案を出すべく思考を巡らせた(多分)。クライフの眼が食い入るように向けられる。
「――まあ、一時の過ちと思って忘れる事ですね」
 ばっさり。いや、あっさり。
「……考えてねぇだろ……」
「それが最善策だと思いますよ」
「忘れるのがかっ? 解決になってねぇじゃん、もっとこう具体的な策考えてくれよぉ」
「どうせ覚えていないでしょう」
「うっ。――け、けどやっぱ、何もしねぇっつーのも」
 落ちつかな気にクライフは椅子の上で身を揺すった。あのまま放置するというのも気が進まない。何かすっぱり断ち切りたいのだが。
 その考えを読み取った上で、ロットバルトは更に切り込んだ。
「では探し出して言い訳でもしますか? 朝、その場でならともかく、今から探してまで話をしようとしても、事態を余計にこじれさせるだけですよ」
「まあ、そりゃ……」
「探しに行ったが為に気があると思われたら眼も当てられませんしね」
「うっ」
「男色はさほど特殊な嗜好という訳でもありませんし、元々軍という特性上そうした嗜好を持つ者も少なくない。いらぬ誤解は避けるべきでしょう。噂が立ったら最後、女性が寄り付きませんよ」
「うっ」
 嫌な言葉ばかり散りばめられている。
「――まあ、ある種の友人は増えるかもしれませんが……ああ、紹介はいりませんので」
「いやだぁぁぁあっ!」
 何となく納まり(?)かけてきたところを見計らい、ロットバルトは駄目押しのようににこりと笑みを向けた。
「過去の過ちは反省材料として活かし、次に繋げる事です。良かったですね、他愛もない失敗で済んで」
「そ、そうかもな……」
 最悪の想定ばかりを並べ立てられ、何だか今の状況はまだマシなような気がしてきた。
「酒を控えて暫らくの間身を慎めばすぐに鎮静化しますよ。当面繁華街はうろつかない事です」
「そうだよな」
 クライフは水をごくりと飲み干し、たん、と杯を卓に置いた。
「いや、マジ助かった。すっきりしたぜ」
「いえ――お役に立てて良かった」
 そう言って笑えば、終始誠意溢れる対応をしていたように思えるところがすごい。
 ロットバルトは立ち上がりかけたが、クライフは葡萄酒の瓶を持ち上げロットバルトの手元の杯に注いだ。
「まぁ、飲んでくれよ、この礼に幾らでも奢るぜ。俺はこいつで合わせさせてもらうけどな」
 断るかと思ったがロットバルトは意外にも座り直した。
「お、いいねぇ、お前とサシで酒酌み交わすなんざあんまねぇからなぁ。ていうか、初めてか? ま俺ぁ酒じゃねぇけどよ」
 すっかりいつもの調子を取り戻し、クライフは杯を上げた。ロットバルトも葡萄酒の杯を手に取る。
「貴方がそこまで深酒をするのも珍しいですからね。もののついでだ、話し足りない事があれば伺いますよ」
「いやぁ、……そういやお前が酔ったのは見た事ねぇな。結構飲めるだろ?」
 クライフは先ずはわざと話を反らし、ロットバルトも追及はしない。
たしなむ程度には。酔うほどは飲みませんね」
「ちぇ、酒は飲んでバカ騒ぎできるから楽しいんじゃねぇか」
 とは言え酒はそれぞれ好きなように飲むべきだとクライフは思っている。
 一旦黙って互いに杯を傾け、暫らく無言の時間が続いた。耳を傾けても隣室の音が入り込んで来ないほど静かでも、気まずさが生じないのは互いにそれで構わないからだ。
 残念ながらクライフの杯は水だが。
 やがて、クライフが沈黙を破り、一段声を低くした。
「……お前さぁ、最近のフレイザーどう思う?」
「――」
 ロットバルトは黙ったまま先を促した。
「いや、前から薄々気付いちゃいたけどよ、やっぱフレイザーって好きな相手いるよな」
 それが実は、昨夜の深酒の原因だ。
 そうと判ってロットバルトはそれまでとは違う溜息をついた。そこにはさすがに呆れだけではない、同情の色が微かながらに含まれているようにも思える。
「それで緋色の髪の女ですか」
「いやぁ……」
 思わずクライフは頭を掻いた。朝の一件の話をした時よりももっと気恥ずかしい。
「フレイザーの好きな奴、いや、相手か」
 言い直したのは、その相手が想定できているからだ。
「ま、仕方ねぇと思ってんだ、確かに男の俺から見ても格好いいしよ。尊敬できるしな」
 不満を言うべきところも無く、かと言ってなかなかすっぱりと割り切る事もできず、そういう状態はキツい。
 先月、黒森で、フレイザーと二人になった時のあの瞬間が、実は何度も思い起こしては悔やまれていた。
 もしかしたら、あの瞬間だけには、可能性があったのではないか、と。
 単なる、未練だ。
 そのせいで酒の量を過ごした。
 ただ、ロットバルトは特に何も言うつもりは無さそうだ。元々他人の恋愛事になど好んで口を出すほうではないし、だからクライフも口にしたのだ。
 悲観する事は無い、だの、その内もっといい相手ができるだろうというような、普通の慰めの言葉はいらない。
 単に言うだけ言って、すっきりしたかっただけだ。
 また暫らくの間、静かに時間が流れる。
 やがてクライフはパンと両膝を叩いた。
「うしゃ、まあしゃあねぇ! こんなの思い通り行く方が難しいんだしな!」
 いさぎよくそう宣言すると葡萄酒の瓶を取り上げ、瓶の中身が既に残り少ないのに気付いて給仕を呼ぶ鈴を鳴らす。
 やって来た給仕に葡萄酒と酒肴を注文し、クライフは肘置きに頬杖をついた。
「あーあ、お前には関係なさそうだよなー、モテない悩み……」
 そういう悩みとは縁遠そうな相手を前に、ついつい愚痴が零れる。
「次元が違いますからね」
「嫌味か?」
 クライフの言葉に、ロットバルトは気が付いて訂正を入れた。
「いや、環境的に恋愛が成立しにくいという意味ですよ」
「? 色々噂あるじゃねぇか。あれはどうなんだよ」
「聞いた事が無いな」
 ロットバルトはあっさり流した。
「まあ、貴族社会の基本的な考え方は恋愛ではなく、政略です。本人の意志は大して重要ではなく、互いの家に益があるかないかを周囲が判断するものでね」
「はぁ〜」
 それを聞いて納得するとともに、クライフは少しばかり同情もした。
 確かに貴族の婚姻など、余り面白い話は聞かないのが事実だ。しかもヴェルナーのような家では、クライフが想像するよりももっと深く暗いひずみがあるのだろう。
「政略に乗る気もありませんが、だからと言って恋愛に気力を傾けるのも面倒だ。互いに割り切った相手を選ぶ方が楽なんですよ。だから悩みも無い」
「わ、判るような判りたくないような……」
 ロットバルトは一人の女に惚れた挙げ句の駆け落ち――などやりそうにないし、めんどくさがるのは何となく判る。
 給仕が再びやって来て、卓の上に葡萄酒の瓶と酒肴を置いてさがる。
「――よし! 今日は飲み明かそうぜぇ!」
「……止めた方がいいと思いますが」
 つい先ほど禁酒令を布いたばかりだ。
「まあまあまあ! こういう時は飲むもんだって! つーか飲まなきゃやってられねぇ」
 そう言ってクライフは二つの杯に葡萄酒を注ぎ、自分の杯を掲げた。
「お互いの色気のねぇ未来に乾杯ー!」
 ロットバルトはとっても嫌そうな顔をした。


 何だかんだで一刻後、クライフはいい感じで酒が回っていた。
 少し前までの室内の落ち着いた雰囲気はもう影もない。
 三本目の葡萄酒――量に換算すると、クライフが半分以上飲んでいた――の瓶から最後の一滴を垂らす。
「んだよ、少ねぇなぁ。いっそのこと樽で頼むかー」
 と言って追加を頼むかと思いきや、すうっと息を吸い込み、激白した。
「俺は、フレイザーが好きだ!」
 全くいさぎよくない。
 ロットバルトは非常に揺るぎない冷静さでクライフを見つめた。
「……それで?」
「それで? いやいや、そこはそうじゃねぇだろ! そこはもっとこう、頑張れって応援するとか、いきなりンな事を言い出した事への疑問とか、そーゆーものをだなぁ」
 聞けよ! と指を突き付ける。ロットバルトは酒の杯を持ち上げ、口に運んだ。
「いい仕込みの酒ですね。軍の談話室も侮れないな」
「はぁ? 丸無視?!」
「いや、もう酔ったのかと思ったもので」
 だから丸無視というのもひどいが。
「酔ってねぇよ」
「そもそも私に向かって言っても、その言葉にどれほどの価値があるんです? 全く意味の無い無駄な行為ですね」
「てめぇ、さっき話聞くって言ったばっかじゃねぇか! 聞く気ねぇな」
「ああ――そんな意識はすっかり無くなりましたよ」
「うおお! そこまではっきり言い切る奴初めて見た!」
 頭を抱えて立ち上がったクライフを、ロットバルトは鬱陶しそうに見た。
「いいからちょっと位聞けよ。ひとの話を聞いて言葉のやり取りしたり助言したり、とにかくそーいうのが交流ってんだろ? 隊の協調性を高めるんだろうが!」
「……無駄に適切な論理を」
「何か言ったか?」
「いいえ。続きをどうぞ。言葉のやり取りでしたね」
「腹立つわ〜」
 歯噛みしつつ、クライフは気を取り直して拳を振り上げた。
「とにかく、俺は決めた! どうせ見込みがねぇなら当って砕けるぜ!」
「成る程。それで、いつ実行するつもりですか?」
「いつ……」
 クライフは拳を振り上げたまま固まり、ついでキッと睨み付けた。
「い、いいんだよ! そこはただ頑張れでいいの! そこは深く突っ込まなくていいんだよ!」
「……まあ精々せいぜい
「せいぜい頑張れとか言うなぁ! 冷てぇ! お前マジ冷てぇよ!」
「――」
 そろそろ帰りたいな、とロットバルトが真剣に思ってから――実際に場が打ち切られたのは更に一刻後、深夜を過ぎた時分だった。
 すっかり出来上がったクライフは、ロットバルトの肩を借りて店から運び出された。
 外は骨身に染みるほど冷えていたが、ロットバルトが馬車の手配を係に伝えている間にも、酒の入ったクライフは外套を手に持って振り回している。
 待つほどもなく、二頭立ての馬車が通りに停まった。
「クライフ中将、馬車が来ましたよ」
「んだょ、もうちょい飲もうぜ〜! うりゃ二軒目行くぞ、二軒目ぇ〜」
 ロットバルトは馬車の扉を開け、クライフを押し込めた。
「フレイザー……」
 むにゃむにゃと呟きながら、一旦は馬車の座席に倒れ込む。
「好きだぁぁぁああっ!」
 がばっと跳ね起きたクライフの鳩尾に容赦無い拳を叩き込み、再び倒れるのも確認せずにロットバルトは馬車の扉を閉めた。
 御者台に乗っていた近衛師団隊士がおそるおそる振り返る。
「ちゅ、中将殿、お出ししても?」
「ああ。下層の――」
 そう言えばクライフの下宿の地番までは知らない。
「適当な所まで」
「て、適当と言いますと……」
「ラドヴィック地区に着いたら放り出して構いませんよ」
「は……」


 ガタゴトという振動でクライフは目を覚ました。
「おぁ。……どこだぁ」
 薄い灯りに照らされた室内とこの振動は、どうやら馬車の中のようだ。しかも座席ではなく何故か床に寝ていた。
「何か腹痛ェな……」
 さっきまでロットバルトと飲んでいたような気がするが、どうも途中から記憶があやふやだった。
「んー……? ま、いいか」と呟きクライフは前方の小窓を叩いた。「降りるぜぇー、止めてくれー」
 ほっとした隊士の声が返る。さすがに上官だ、言われた通り放り出せる訳もない。
「この辺りでよろしいのですか、中将殿」
「大丈夫だいじょーぶ」
 ヘロヘロと馬車を降り、来た道を戻って行く馬車に手を振って、クライフはすとんと路肩に座った。
「うー眠ィ。……寝る」
 深夜の人気の無い大通りで、建物の基礎石を枕に、クライフは健やかな寝息を立て始めた。



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